本項では、アクース連邦および
アクース連合に関係する人物を説明する。
17世紀
アクース連邦の大統領。カッセルの退陣後、困難なゴルギアの時代にあって、決定的な決断力を持たなかった。1654年に失踪。多くの政治アナリストはゴルギアによる拉致だと考えたが、連邦政府は国内の外国嫌悪派極右野党「
黄金の剣」の反抗によるものだと断定。
黄金の剣の指導者。
アクースの強力な支持者であり、力のある外国勢力と協力することで、アクース連邦が実質的属国になることを恐れていた。その経緯から黄金の剣を設立するが、上事件によって逮捕、死刑に処された。のちに求心力を失った黄金の剣は分裂し、解散した。
アクース連邦大統領。ラーネンズトの死後に大統領に就任し、当時の国民の世相を反映した
平和的孤立主義を提唱し、推進した。外交は
ニーネン=シャプチとのわずかな貿易を行うのみとなり、事実上の鎖国状態となった。ゴルギアの影響は去ったが、経済は悪化した。
アクース連邦大統領。1664年に、平和的孤立主義を批判して大統領に就任した。第1次連邦使節団の一員であった彼は、海外との交流を強く推進し、経済的自由の下に繁栄をもたらした。1684年に老齢のために引退声明を発表したその時、大統領席が爆発し、政府要人ともども死亡した(
チュグルゼコス危機)。黄金の剣の後継を自称する外国嫌悪極右組織「
チュグルゼコスは生きている」がのちに犯行声明を発表した。
アクース連邦大統領。マルムカの死後に大統領に就任し、「チュグルゼコスは生きている」をテロ組織認定し、解散を要求した。しかし同組織は拒否したため、その抗争は武力衝突にまで発展した。
18世紀
19世紀
最終更新:2022年12月15日 10:46