薄暗い廃墟の階段を、鈍く輝く大斧を担いだ二人組の男が降りていく。早足ではあるが、自分たちの体重よりも重い装備を纏いながらも、限界まで足音を殺そうとしているような、奇妙な慎重さが感じられる。
後ろを行く男は一見して年の頃は30代半ば、髭面で血の気が薄く、身に着けたよく磨かれた銅鎧をボロ布に着替えれば麻薬の中毒患者かスラムに転がる乞食どもと見分けがつかなくなるだろう。不潔とは違う薄汚さとでも言えばいいのか、見る者に何となく気味の悪い印象を与える。
もう1人は髭の男より10歳ほど若く見える。まだ20代の青年だ。自信に溢れた瞳、銅鎧の上からでもわかる鍛えられた肉体。整った顔立ちは爽やかだ。酒場で女に声をかければ夜の相手には困らないだろう。後ろの男とは対照的な清潔感がある。
「島さん、人を斬るときってどういう気持ちなんですか?その、斬る前とか、斬った後とか……」
酷い腐臭を放つ肉塊を両手で弄くり回す貴族の幽霊を横目に見ながら、後ろを行く髭の男が発言した。
島と呼ばれた青年は、一瞬だけ足を止めると少し振り向いて一瞥した後、質問には答えず、すぐにまた歩き出した。
「アドマイヤ、人を斬るのは初めてか」
「はい。俺、」
会話が途切れた。壁の向こうから人の声が聞こえたからだ。耳を澄ますと、低いかけ声と斧が肉を潰すように切り裂く音がする。
二人は目を合わせると、頷きあって斧を構えた。腰を落とし、さらに用心深く廃墟を進んでいく。罠を避け、襲い来るコボルドの脳天に慣れた手付きで一撃を叩き込む。声はだんだんと近くなる。
「俺が先行する。いいか、決して一人で飛び出すなよ」
大広間の格子扉を前にして島が振り向く。先程から聞こえる声はこの部屋からと見てまず間違いない。
「は、はい!」
「阿呆、声が大きい」
二人は格子の隙間からもう一度部屋の中を伺った。相変わらず断続的に斧を振り回す音と男の掛け声が広間に響いていて、気付かれた様子はない。
「ゾンビ共には気を付けろ。殺しても殺されては意味がない。行くぞ」
極力、物音を立てないように細心の注意を払いつつ、島が錆びた格子扉を開いて、二人は部屋の中に転がり込むように侵入した。
悪臭の漂う広間の中はおびただしい数のゾンビで埋め尽くされていたが、ここには何度か来たことがあるのだろう。それを視界に収めた島とアドマイヤの二人に焦りは感じられない。
二人は広間の入り口付近に立てられた柱で身体を隠しながら、慎重に声の主の所在を探る。かなり近い。もう目と鼻の先だ。
「この裏ですね」
興奮に目を血走らせながら、アドマイヤが呟いた。不安を必死に隠そうとしているのだろう。人の悪い笑顔を作ろうとして唇の端が引き攣っている。窪んだ目元と薄汚い髭で元々見苦しい顔がもっと見苦しくなった。
「チャージして仕掛けるぞ、俺が右から回って追い込む。お前は左から回れ」
言い終わるが早いか、島がかけ声と共に飛び出した。慌ててアドマイヤがそれを追いかける。
二人が捜し求めていた声の主はゾンビを相手に斧を振り回す事に夢中で、まだこちらに気付かない。
島が斧を振り上げてその背後に迫る。かけ声と風を切る轟音、血飛沫が床を赤く濡らして、呆気なく一瞬で決着した。
群がって来るゾンビを一閃し、周囲の安全を確保すると、島はふう、とため息をついた。獲物を狩った後はどんな経験者でも達成感と安堵の念に、一瞬、力が抜ける物である。
「斧…ッ!」
アドマイヤが呻くように小声で呟きながら島が殺した冒険者の死骸に飛びついた。初めて追い剥ぎに加担した男が、直接手を下したわけではないにしてもこの動揺の無さと行動の迅速さは異常である。
「くそ!剥がれない!」
動きに迷いが無い。つい先刻、人を斬るとはどういう気分か、などと不安げに尋ねていた男が今や亡者そのものである。アドマイヤは堅く握られたまま硬直した指から斧を引き剥がそうとして苦戦していたが、5秒も経たぬうちに諦めると、腰元から取り出したナイフで遺体の指を切断し始めた。
「やりましたよ、島さん!斧です、斧!」
切断した指を床に転がし、手元を真っ赤に染めて、今度は心からの笑顔を見せるアドマイヤに島は戦慄を覚えて軽く身を震わせた。人は法の制約から解放された時、その本性を曝け出す。
自分は、この男の恐ろしい本性を覚醒させてしまったのではないか。この先、果たして、アドマイヤはずっと我々の味方でいるのだろうか。
「どうしたんです?そ、それより早く帰らないと。追っ手が来るんでしょう」
「ああ……戻ろう」
らしくないことを考えたな、と島は思った。自分はただ、平等院の剣であればいいのだ。余計な事を考えずとも良い。
二人は返り血に身体を汚したまま、行く手を阻もうとするゾンビをなぎ倒して来た道を引き返していく。二人の去った広間には両手の指が綺麗に切断された冒険者の死骸と、濃い血の臭いが残った。
後ろを行く男は一見して年の頃は30代半ば、髭面で血の気が薄く、身に着けたよく磨かれた銅鎧をボロ布に着替えれば麻薬の中毒患者かスラムに転がる乞食どもと見分けがつかなくなるだろう。不潔とは違う薄汚さとでも言えばいいのか、見る者に何となく気味の悪い印象を与える。
もう1人は髭の男より10歳ほど若く見える。まだ20代の青年だ。自信に溢れた瞳、銅鎧の上からでもわかる鍛えられた肉体。整った顔立ちは爽やかだ。酒場で女に声をかければ夜の相手には困らないだろう。後ろの男とは対照的な清潔感がある。
「島さん、人を斬るときってどういう気持ちなんですか?その、斬る前とか、斬った後とか……」
酷い腐臭を放つ肉塊を両手で弄くり回す貴族の幽霊を横目に見ながら、後ろを行く髭の男が発言した。
島と呼ばれた青年は、一瞬だけ足を止めると少し振り向いて一瞥した後、質問には答えず、すぐにまた歩き出した。
「アドマイヤ、人を斬るのは初めてか」
「はい。俺、」
会話が途切れた。壁の向こうから人の声が聞こえたからだ。耳を澄ますと、低いかけ声と斧が肉を潰すように切り裂く音がする。
二人は目を合わせると、頷きあって斧を構えた。腰を落とし、さらに用心深く廃墟を進んでいく。罠を避け、襲い来るコボルドの脳天に慣れた手付きで一撃を叩き込む。声はだんだんと近くなる。
「俺が先行する。いいか、決して一人で飛び出すなよ」
大広間の格子扉を前にして島が振り向く。先程から聞こえる声はこの部屋からと見てまず間違いない。
「は、はい!」
「阿呆、声が大きい」
二人は格子の隙間からもう一度部屋の中を伺った。相変わらず断続的に斧を振り回す音と男の掛け声が広間に響いていて、気付かれた様子はない。
「ゾンビ共には気を付けろ。殺しても殺されては意味がない。行くぞ」
極力、物音を立てないように細心の注意を払いつつ、島が錆びた格子扉を開いて、二人は部屋の中に転がり込むように侵入した。
悪臭の漂う広間の中はおびただしい数のゾンビで埋め尽くされていたが、ここには何度か来たことがあるのだろう。それを視界に収めた島とアドマイヤの二人に焦りは感じられない。
二人は広間の入り口付近に立てられた柱で身体を隠しながら、慎重に声の主の所在を探る。かなり近い。もう目と鼻の先だ。
「この裏ですね」
興奮に目を血走らせながら、アドマイヤが呟いた。不安を必死に隠そうとしているのだろう。人の悪い笑顔を作ろうとして唇の端が引き攣っている。窪んだ目元と薄汚い髭で元々見苦しい顔がもっと見苦しくなった。
「チャージして仕掛けるぞ、俺が右から回って追い込む。お前は左から回れ」
言い終わるが早いか、島がかけ声と共に飛び出した。慌ててアドマイヤがそれを追いかける。
二人が捜し求めていた声の主はゾンビを相手に斧を振り回す事に夢中で、まだこちらに気付かない。
島が斧を振り上げてその背後に迫る。かけ声と風を切る轟音、血飛沫が床を赤く濡らして、呆気なく一瞬で決着した。
群がって来るゾンビを一閃し、周囲の安全を確保すると、島はふう、とため息をついた。獲物を狩った後はどんな経験者でも達成感と安堵の念に、一瞬、力が抜ける物である。
「斧…ッ!」
アドマイヤが呻くように小声で呟きながら島が殺した冒険者の死骸に飛びついた。初めて追い剥ぎに加担した男が、直接手を下したわけではないにしてもこの動揺の無さと行動の迅速さは異常である。
「くそ!剥がれない!」
動きに迷いが無い。つい先刻、人を斬るとはどういう気分か、などと不安げに尋ねていた男が今や亡者そのものである。アドマイヤは堅く握られたまま硬直した指から斧を引き剥がそうとして苦戦していたが、5秒も経たぬうちに諦めると、腰元から取り出したナイフで遺体の指を切断し始めた。
「やりましたよ、島さん!斧です、斧!」
切断した指を床に転がし、手元を真っ赤に染めて、今度は心からの笑顔を見せるアドマイヤに島は戦慄を覚えて軽く身を震わせた。人は法の制約から解放された時、その本性を曝け出す。
自分は、この男の恐ろしい本性を覚醒させてしまったのではないか。この先、果たして、アドマイヤはずっと我々の味方でいるのだろうか。
「どうしたんです?そ、それより早く帰らないと。追っ手が来るんでしょう」
「ああ……戻ろう」
らしくないことを考えたな、と島は思った。自分はただ、平等院の剣であればいいのだ。余計な事を考えずとも良い。
二人は返り血に身体を汚したまま、行く手を阻もうとするゾンビをなぎ倒して来た道を引き返していく。二人の去った広間には両手の指が綺麗に切断された冒険者の死骸と、濃い血の臭いが残った。