story / 『20XX年のキチガイ・キッズ』
#1
日本にキチガイ取締機関(JCA、ジャパンクレイジーアレスタ)が誕生したのはもう10年も前のことになる。
当時比類無き異常者としてキチガイたちのクレイジーシンボルに祭り上げられた小宮山がその栄華を誇ったのも今は昔。キチポリ――JCAのイヌどもを皆そう呼ぶ――の一斉検挙にあい、哀れキング・オブ・キチガイ小宮山は精神病院送りになったという噂だ。
一面の白い壁、白い床。ゴム張りの壁にはいくら頭をぶつけても死ねはしない。キチガイホスピタル、そこでマジキチたちは更正するのだ……「キチガイ」から「廃人」へと。
当時比類無き異常者としてキチガイたちのクレイジーシンボルに祭り上げられた小宮山がその栄華を誇ったのも今は昔。キチポリ――JCAのイヌどもを皆そう呼ぶ――の一斉検挙にあい、哀れキング・オブ・キチガイ小宮山は精神病院送りになったという噂だ。
一面の白い壁、白い床。ゴム張りの壁にはいくら頭をぶつけても死ねはしない。キチガイホスピタル、そこでマジキチたちは更正するのだ……「キチガイ」から「廃人」へと。
#2
「小宮山さんは病院送りになんかなっちゃいねえ!あの人は今も、この街のどこかでキチガイやってんだよ……ッ!」
場末の酒場で男が叫んでいた。搾り出すような、自分に言い聞かせるかのような言葉とともにたたき付けたグラスが盛大に割れ、中身を撒き散らす。きっと杏仁サワーだろう、そう俺は察しをつけることができた。
カウンター越しに食器を磨いていたマスターが手を止め、無言でその跡を掃除し始める。慣れた手つき。「あの日」以来この仕事に転職したとは聞いていたが、なかなか堂に入っているじゃないか。
「こたちゃん……その辺にしときな。奴らがどこで聞き耳立ててるかわからねぇんだ」
「……!なんだよ……、何がキチガイ規制法案だ!悔しくねえのか、サワキはよ!」
「悔しいさ……だけどよ、こたちゃんがここでキャンキャン吠えてても、あいつは……いや、あいつらは帰ってこねぇんだ」
そう言ってマスター……サワキは煙草に火をつけた。煙を燻らせるサワキの瞳はどこか遠く、在りし日の追憶を映しているようだった。
10年前の日々を。キチガイたちに囲まれ、歓声とスポットライトを浴びた栄光の日々を。
こたちゃんは不機嫌そうにサワキを睨みつけていたが、やがて机に突っ伏した。残酷な時の流れの中で、彼の性格はかなり内向的に変わったのだろう。超音波のような高い啜り声を上げるその様は、まるで理不尽な障害にぶつかった子供のそれだ。
変わってしまった。10年もの時が全てを変えた。
これは今日も収穫なしかと見切りをつけようとした俺は、しかし次の瞬間耳をそばだてなければいけなかった。
「デレーデーデレー……デーデーデーデー……」
静寂を破りマスターの口から紡がれ始めたのは、一つの歌だった。
「……クロスボーン……、ガンダム……」
こたちゃんがはっと顔を上げ、その歌の名を呟いた。
マスターは目をつむり、ひたすらにメロディーを追っている。当然だ。タンバリンを担当していたサワキにリードボーカルは無茶な要求なのだから。
「デレーデーデレーデー……」
しかしサワキの歌は止まらない。10年のブランクを経ていきなり歌える曲ではない。きっとサワキもサワキなりにあの日々を取り戻すべくあがいていたのだろう。全てを諦めたようなその態度の裏に情熱を隠して。
「……デッ、デン」
こたちゃんの瞳の奥に僅かな、ほんの僅かな炎が灯っていた。顔を上げコーラスした彼の表情は、10年前に死んだはずの伝説のキチガイバンドメンバーK・O・T・A・chanのものだった。
「デレーデーデレーデーデーデーデー……」
歌が淀みないものになっていく。真人間というかりそめの顔を捨て、キチガイに近づいていく。
キチガイだったあの日に戻っていく……!
「デレーデーデデーデー……!!」
「デッ、デン!!」
場末の酒場で男が叫んでいた。搾り出すような、自分に言い聞かせるかのような言葉とともにたたき付けたグラスが盛大に割れ、中身を撒き散らす。きっと杏仁サワーだろう、そう俺は察しをつけることができた。
カウンター越しに食器を磨いていたマスターが手を止め、無言でその跡を掃除し始める。慣れた手つき。「あの日」以来この仕事に転職したとは聞いていたが、なかなか堂に入っているじゃないか。
「こたちゃん……その辺にしときな。奴らがどこで聞き耳立ててるかわからねぇんだ」
「……!なんだよ……、何がキチガイ規制法案だ!悔しくねえのか、サワキはよ!」
「悔しいさ……だけどよ、こたちゃんがここでキャンキャン吠えてても、あいつは……いや、あいつらは帰ってこねぇんだ」
そう言ってマスター……サワキは煙草に火をつけた。煙を燻らせるサワキの瞳はどこか遠く、在りし日の追憶を映しているようだった。
10年前の日々を。キチガイたちに囲まれ、歓声とスポットライトを浴びた栄光の日々を。
こたちゃんは不機嫌そうにサワキを睨みつけていたが、やがて机に突っ伏した。残酷な時の流れの中で、彼の性格はかなり内向的に変わったのだろう。超音波のような高い啜り声を上げるその様は、まるで理不尽な障害にぶつかった子供のそれだ。
変わってしまった。10年もの時が全てを変えた。
これは今日も収穫なしかと見切りをつけようとした俺は、しかし次の瞬間耳をそばだてなければいけなかった。
「デレーデーデレー……デーデーデーデー……」
静寂を破りマスターの口から紡がれ始めたのは、一つの歌だった。
「……クロスボーン……、ガンダム……」
こたちゃんがはっと顔を上げ、その歌の名を呟いた。
マスターは目をつむり、ひたすらにメロディーを追っている。当然だ。タンバリンを担当していたサワキにリードボーカルは無茶な要求なのだから。
「デレーデーデレーデー……」
しかしサワキの歌は止まらない。10年のブランクを経ていきなり歌える曲ではない。きっとサワキもサワキなりにあの日々を取り戻すべくあがいていたのだろう。全てを諦めたようなその態度の裏に情熱を隠して。
「……デッ、デン」
こたちゃんの瞳の奥に僅かな、ほんの僅かな炎が灯っていた。顔を上げコーラスした彼の表情は、10年前に死んだはずの伝説のキチガイバンドメンバーK・O・T・A・chanのものだった。
「デレーデーデレーデーデーデーデー……」
歌が淀みないものになっていく。真人間というかりそめの顔を捨て、キチガイに近づいていく。
キチガイだったあの日に戻っていく……!
「デレーデーデデーデー……!!」
「デッ、デン!!」
「――そこまでだキチガイども!演奏を止めろ!キチガイ取締法第28条違反の現行犯で精神病院(キチホス)送りだ!!」
突然の声で彼らの歌を止めたのは――俺だった。
「な……!?」
何故、と言いかけたのだろう。彼らの二人ともが同じ言葉を口にしかけ、驚愕のあまりに声に出来なかったようだ。
「ば、……ババァさん!!」
突然の声で彼らの歌を止めたのは――俺だった。
「な……!?」
何故、と言いかけたのだろう。彼らの二人ともが同じ言葉を口にしかけ、驚愕のあまりに声に出来なかったようだ。
「ば、……ババァさん!!」
その呼び名、10年振りだよ。
#3
「ウーウー」
「アーアーアー」
嫌悪感を誘う、無意味なうめき声。彼らが何を考え、何のために生きているのか、そんなことはキチガイである彼らにしか分かるまい。……その大抵は食事かトイレを要求しているのだが。
さて、キチガイホスピタルの内部はどうなっているのかといえば、そこは外の世界に絶対に晒されることのない聖域だ。
テレビでは環境福祉計画の一環として「キチホスの現在」と銘打たれた特番がよく放映されているが、あそこで模倣キチガイとして紹介されるのは100%政府側の人間である。
「キチガイホスピタルに入院して、私は気付いたんです。キチガイでいることの、なんと愚かなことか。キチガイには未来がない。理性がない。キチガイであるということ、それはつまり人間であるということを否定しているんですよ。……え? 私ですか? ははは、お恥ずかしながら、私にも人間以下、犬畜生同然の存在であった時代がありましたよ……」
カメラがズームアウト。録画を切ったところで、檻の中のキチガイたちがフレームイン。
撮られているということを理解しているのだろうか。ヘッドセットをつけ、マイクに向かって話しかける――今やそのヘッドセットはスカイプに繋がってはおらず、彼らは空虚な一人芝居を繰り広げているに過ぎないが――テンションが若干上がり、頬が紅潮していた。
「オウフッ……フヒヒ……」
――たまらず、俺は嘔吐する。
キチガイのあり方。こんなに低俗な存在までも「キチガイ」と一緒くたにされるようになったのは、いつからだったろう?
「アーアーアー」
嫌悪感を誘う、無意味なうめき声。彼らが何を考え、何のために生きているのか、そんなことはキチガイである彼らにしか分かるまい。……その大抵は食事かトイレを要求しているのだが。
さて、キチガイホスピタルの内部はどうなっているのかといえば、そこは外の世界に絶対に晒されることのない聖域だ。
テレビでは環境福祉計画の一環として「キチホスの現在」と銘打たれた特番がよく放映されているが、あそこで模倣キチガイとして紹介されるのは100%政府側の人間である。
「キチガイホスピタルに入院して、私は気付いたんです。キチガイでいることの、なんと愚かなことか。キチガイには未来がない。理性がない。キチガイであるということ、それはつまり人間であるということを否定しているんですよ。……え? 私ですか? ははは、お恥ずかしながら、私にも人間以下、犬畜生同然の存在であった時代がありましたよ……」
カメラがズームアウト。録画を切ったところで、檻の中のキチガイたちがフレームイン。
撮られているということを理解しているのだろうか。ヘッドセットをつけ、マイクに向かって話しかける――今やそのヘッドセットはスカイプに繋がってはおらず、彼らは空虚な一人芝居を繰り広げているに過ぎないが――テンションが若干上がり、頬が紅潮していた。
「オウフッ……フヒヒ……」
――たまらず、俺は嘔吐する。
キチガイのあり方。こんなに低俗な存在までも「キチガイ」と一緒くたにされるようになったのは、いつからだったろう?
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