地獄の王子

 地獄の王子は、五島勉の主張によれば、ノストラダムスによって「天からの恐怖の大王」とともに、地の底からくると予言された存在。

 だが、当の五島も『ノストラダムスの大予言・地獄編』と、その時期の週刊誌*1で触れただけで、それ以降の本には出てこない。

 以下で検証するように、単なる誤訳に立脚した創作に過ぎないものとみるべきで、実証主義的には見るべき点がない。



伝説

 五島勉は『ノストラダムスの大予言・地獄編』を、ノストラダムスと長女マドレーヌの対話からはじめている。

五八歳になった医師で予言者のノストラダムスは、一四歳の長女マドレーヌと白い馬を連ねて、南フランス・サロンの町の郊外を軽く走っていた。*2
「(略)するとそれに合わせて、上からは"恐怖の大王"が降って来る。そして下からは"地獄の王子"というのが昇って来るんだよ」
「えー!上からは恐怖の大王?下からは地獄の王子?」
 マドレーヌは、恐ろしそうに柔らかい体をすくめた。*3
 日本ではまだ訳されていない、ノストラダムスの何冊かの伝記。それらを参考に、彼と愛娘マドレーヌのそのときの対話を、できるだけ忠実に再現すると右のようになる。*4

検証

伝記との整合性

 上記の紹介を見ると、ノストラダムスと長女の年齢差は44歳くらいと思われる。
 だが、実際にはマドレーヌは1551年頃の生まれなので、年齢差は48歳くらいである。
 こういう基本的な事項を間違えているようでは、本当に海外の伝記に載っているのだとしても信用すべきでないだろう。
 そもそも後述の理由から、「何冊かの伝記」自体がハッタリの可能性が高い。

 また、年齢が単なる誤植だとしても、マドレーヌの「存在に関する明確な事柄はほとんど知られていない」*5と、郷土史家エドガール・ルロワが述べていたとおりである。
 そもそもマドレーヌの生年自体あいまいなのは、セザール・ド・ノートルダムが書いたノストラダムスの評伝で間接的に言及されている乏しい記述などから、推測する以外の手段がないためである。
 だから、上のような対話を再現できること自体が、極めて不自然である。

翻訳の問題

 上記の対話は「地獄の王子」の話の枕として使われているが、「地獄の王子」自体単なる誤訳である。

 五島は「地獄の王子」が出てくる箇所の原文とその訳文を次のように紹介している。

  • et tant de maux se commettront par le moyen de Satan, prince infernal, que presque le monde universel se trouvera defaict et desolé :
(『地獄編』23ページ。このページには原文のコピーが載っている。出典が記されていないが、おそらくセルジュ・ユタンLes Prophéties de Nostradamusからコピーされたものだと思われる。「地獄の王子」と訳した箇所には、五島ないし編集者によってペンで下線が引かれている)
  • 世の最終段階が迫ってくると(中略)、たくさんの悪が地獄の王子によって、サタンの方法で犯されます。
(『地獄編』21ページ。「中略」とあるのは原文ママ)

 しかし、五島氏のようには訳せない。
 フランス語のわかる人間ならprince infernalは直前のSatanの修飾句だとすぐにわかるであろう(要するにこの場合、prince を「王子」と訳すこと自体が不適切なのである)。
 一応、訳例として、いくつかの英訳を掲げておこう。


  • チャールズ・ウォードの訳(Ward [1891])
    • and so many evils shall be committed by the means of Satan, the prince infernal, that nearly all the world will become undone and desolated

  • エドガー・レオニの訳(Leoni [1982])
    • By means of Satan, Prince Infernal, so many evils will be committed that nearly all the world will find itself undone and desolated

 見てのとおり、時代や立場(信奉者か懐疑派か)に関わりなく、同じような訳になっていることがわかる。

 「地獄の王子」に触れた「海外の伝記」などないはずだ、と先に述べた根拠はここにある。サタンと別物の「地獄の王子」は五島訳にしかでてこないからだ。
 だから当然次のようなコメントも全くのデタラメである。

  • 欧米のノストラダムス研究者のうちの何人かは、これまでも「地獄の王子」の正体に、何とか迫ろうとはしてきた。*6

 「欧米のノストラダムス研究者」の中にわざわざ五島氏のデタラメ訳に付き合うものなどいないだろう。

 訳すまでもないかもしれないが Satan, prince infernal は「地獄の王サタン」とでも訳すべきだろう。
(実際のところ、高田勇淡路誠(未作成)などのまともな和訳では似たような表現になっている)
 五島氏も『ノストラダムスの大予言V』では違う訳をあてていた。

  • あらゆる悪が地獄の王子のやり方で行なわれます。*7

 ここでは、「サタン」が省かれてしまっている。
 五島自身、サタンと「地獄の王子」を別物として扱えないということは自覚できていたのだろう。


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最終更新:2020年03月29日 15:31

*1五島勉氏が明かした人類を滅亡させる『地獄の王子』の正体!」『微笑』 1994年6月11日号、pp.241-243

*2 『地獄編』14ページ

*3 同上15ページ

*4 同上16ページ

*5 Leroy[1993] p.111

*6 『地獄編』112ページ

*7 『V』158ページ