恐怖の大王(
un grand Roi d'effrayeur)は、
詩百篇第10巻72番に登場する語句である。日本ではノストラダムスの予言というと、この 「恐怖の大王」 が代名詞のように語られるが、20世紀初頭まではノストラダムスの予言の中でほとんど注目されてこなかった言葉でもある。
実証主義的な書誌研究では、
そもそもこの詩が収められている詩百篇第10巻の全体が本物であるかどうか自体が決着していない。なお、恐怖の大王が来るとされた1999年という年は、ノストラダムスが重要な典拠としていたことが確実視されている
リシャール・ルーサの年代観などとは全く整合せず、ノストラダムス予言全体の中では少々孤立している印象も否めない。
訳語の検証
この語は
詩百篇第10巻72番に登場する。しかし、その原語 un grand Roi d'effrayeur のうち、「恐怖の」 にあたる言葉 (d'effrayeur) は初出である
1568年版の時点で異文を持つ。
1568年版は9種 (パトリス・ギナールの分類では ABC, IJK, XYZ の9種)が存在(一部は伝承のみで現存せず)しており、それぞれに異文を含んでいる。
その結果、
deffraieur, d'effraieur, d'
effrayeur の3通りが確認できる (2つ目と3つ目は綴りの揺れに過ぎず実質的に同じ)。
deffraieur ならば 「世話役(支払い役)の大王」と訳すことができ、9種類ある1568年版 (現存が確認されているのは5種) のうち、比較的初期に刊行されたと考えられている1568X や1568A ではそちらになっている。
どちらが本来の原文なのかははっきりしないが、
マリニー・ローズのように
deffraieur だったとしても「恐怖」の意味にとれるとする論者もいる。
また、四行目にも複数の訳し方があり得るため、その詩から確実に読み取れるのは、恐怖の大王は1999年に
アンゴルモワの大王を甦らせるために空から来る存在だ、ということだけである。
解釈史
恐怖の大王の正体を最初に解釈したのは、17世紀末の信奉者
バルタザール・ギノーである。彼は、アンゴルモワを普通に
アングーモワの揺れと解釈し、フランスの換称と理解した。そこで彼はその当時のフランスの大王ルイ14世のことと解釈し、恐怖の大王はルイ14世の再来を思わせるような欧州諸国を恐怖させるフランスの大王と解釈した。彼の解釈は、人類滅亡というトーンからは程遠い。
その後、「恐怖の大王」解釈どころかこの詩自体に触れる論者がほとんどいなくなる。19世紀に
アンリ・トルネ=シャヴィニーが終末論的な解釈を導入したが、本格的に注目されるようになったのは20世紀に入ってからである。
1920年代から30年代にかけて多く見られたのは、欧州を恐怖させるアジアの大王が空路でやってくるという解釈であった。第二次世界大戦と前後する頃から、恐怖の大王の解釈は多様化し、ヨーロッパの局地的破局にとどまらず、人類滅亡に結びつけるような解釈も見られるようになった。
日本では、
五島勉が『
ノストラダムスの大予言』(1973年)で人類滅亡説をセンセーショナルに紹介したことによって、「恐怖の大王」=「人類を滅亡させる何か」という図式が広く知られることになった。
信奉者による恐怖の大王の解釈例
信奉者の間では、考慮に値する説から珍説・奇説に至るまで、様々な説が飛びかった。しかし、その中では歴史的な出典や文学的な出典といった根拠らしい根拠が考慮されることはほとんどなかった。
1999年6月までに提示された解釈としては、
- 空軍の大編隊 (アンドレ・ラモン、1943年)
- 反キリスト (エドゥアール&ムズレット、1947年)
- 異星人 (スチュワート・ロッブ、1961年)
- 天体の衝突 (セルジュ・ユタン、1981年)
- 地球に大洪水をもたらす氷天体の接近 (中村惠一、1982年)
- サタン (内藤正俊、1986年)
- 中国軍の核ミサイル (川尻徹、1987年)
- 木星の衛星イオの欠片 (川尻徹、1990年)
- 中国とヨーロッパに現れる強大な王の片方 (川尻徹、1992年)
- デクエヤル国連事務総長 (加治木義博、1990年)
- 核ミサイルの雨 (大川隆法、1990年)
- アジアの侵略者に立ち向かうヨーロッパの大君主の誕生 (ヴライク・イオネスク、1993年)
- ニューヨークで新たに世界的宗教を興す指導者 (ピーター・ローリー、1993年)
- ベスビオ山の噴火 (池田邦吉、1995年)
- 土星探査機カッシーニ (堀江健一、1998年)
- ロシアの宇宙ステーション『ミール』の墜落 (パコ・ラバンヌ、1999年)
などがあった。
1999年7月以降に展開された解釈としては
- 1999年7月に発売されたゲーム『S』 (鬼塚五十一、2000年)
- 山本弘はイニシャルとゲーム内容の描写から『シーマン』のこととしている。
- 1999年7月にコソボ紛争に関連して出されたサラエボ宣言 (飛鳥昭雄、1999年)
- アメリカ同時多発テロ事件 (五島勉、2001年)
- デフレ (加治木義博、2002年)
- 東海村の原発事故 (フランシスコ・カウデト・ヤルサ、2005年)
- 小渕恵三首相 (安土龍、2009年)
などがある。
なお、日本ではパニックを引き起こした反動からか、パロディやジョークで解釈が提示されることもあり、漫画、小説、ゲームなどの題材にも使われた。
慣用表現?
さまざまな解釈が登場する中で、「恐怖の大王」 は当時の特定の意味を持つ慣用表現に過ぎないと主張する者たちが現れた。しかし、それらはいずれも支持しがたい。根本的なことを最初に指摘しておくならば、「恐怖」 と訳される
effrayeur は
ノストラダムスの造語と考えられており、古語辞典の類には一切出現しない。
ノストラダムス以外に使用例がみられない単語が「慣用表現」を構成することなど、まずもってありえないのは明らかだろう。
日食説
1999年8月には確かにヨーロッパで日食があった。このことを最初に指摘したのは、クリスティアン・ヴェルナーで、1926年のことであった。しかし、彼の著書では、単に指定された時期に日食があると指摘されただけで、それが恐怖の大王を慣用表現だったなどとは述べられていなかった。慣用表現云々は、ドイツ系の信奉者たちが引き継いでいく中で出てきた曲解と見るべきであろう。当時の表現であるという主張は、20世紀半ばの信奉者、
アレグザンダー・チェントゥリオ(未作成)の著書には既に見られる。
ピエール・ブランダムールのように、信頼性の高い論者でこの詩を日食と結び付けている論者は確かにいる。しかし、それはあくまでも指定された時期に日食が起こるという話だけで、それが慣用表現であったなどとは言われておらず、恐怖の大王そのものとも結び付けられていない。
日食を表す可能性がないとはいえないが、それを当時の慣用表現であるなどという偽りの権威付けによって説得力を増そうとする主張は、当然にして慎まれなければならないだろう。当然、ダークサイド・ミステリーの「一般的な説」という紹介も、ミスリードを招くものといえる。
キリスト説
志水一夫は、当初は上記の日食説のみを紹介していたが、1990年代半ば以降、恐怖の大王は、モーツァルトの『レクイエム』にも出てくる rex tremendae (御稜威の王、恐ろしい王)をフランス語に訳した表現であるとし、キリストを意味する言葉とした。歴史家の
原田実も、キリストを意味する当時の表現としている。
なお、キリスト説は信奉者側にも見られた説であった。もっとも、
セルジュ・ユタンが1980年代初頭にポール・ド・サン=チレールがそれを提唱したことについて、あたかも全く新しい説であるかのように紹介していたことからすれば、それほど一般的な説だったわけではない。
日本では
五島勉が『
ノストラダムスの大予言II』(1979年)で否定的に紹介した後、逆に『
ノストラダムスの大予言・最終解答編』(1998年)では、現地でノストラダムスの奥義を受け継いできた集団からキリスト説を教えられたと主張していた。しかし、複数の状況証拠から推して、そのような集団はほぼ架空のものであろうと判断できるため、そのような主張は何の権威付けにもならない。
ほか、
浅利幸彦は
deffraieur を聖書の「購い」と結びつけることでキリストを導いているが、語学上はまず成立しえない読み方であろうと思われる。それについては
deffraieur 参照。
歴史的モデル
1980年代以降には、
ノストラダムス予言に歴史的出典を求める研究が本格化した。この詩についても、いくつかモデルではないかと思われる事柄が指摘されるようになっている。以下にそうした指摘の例を挙げるが、そうした論者の間でも、「恐怖の大王」について明確なコンセンサスを形成するには至っていない点には注意が必要である。
アンリ2世
ルイ・シュロッセ(未作成)は、1999年7月は1559年7月を改変したものとみなし、この詩はその時の
アンリ2世の死をもとに作成されたと見なした。彼の解釈では、恐怖の大王は「死」の暗喩であるという。
この説は、この詩がいつ登場したのかにも左右される。
1558年版『予言集』が実在し、そこに収められていたのなら、こういう解釈は採れないからだ (なお、作家の
藤本ひとみ(未作成)は、逆にノストラダムスが予言者だったという設定で、この説をストーリーに組み込んだ小説 『預言者ノストラダムス』を発表した)。
第一次十字軍
歴史学者の
ロジェ・プレヴォは、年代の登場する四行詩について、いずれもキリの良い数字を引くと、モデルとなった年が導けるという仮説を示した。彼は、この詩については900年を引いた年代、すなわち1099年7月にモデルがあると見て、ジョフロワ・ド・ブイヨン (Geoffroi de Bouillon) によるエルサレム占領と見なした。彼の解釈だと、「恐怖の」(d'
effrayeur) 大王は、英雄として語り継がれた 「ジョフロワ」(Geoffroi)との言葉遊びということになる。
オスマン帝国
SF作家の
山本弘は、原作を担当した漫画『
直撃!人類滅亡超真相』(2000年。雑誌連載時の初出は1999年)において、フランス王フランソワ1世がオスマン帝国と同盟を結んだことが、当時の人々の不安を掻き立てたことを踏まえ、恐怖の大王はオスマン帝国への恐怖心が投影されているものと解釈した。
この説については、当の山本自身がすぐに修正することになったのだが、インターネット上には、その漫画をほとんど唯一の出典にしたようなサイトなどもあり、ネット上ではさも定説であるかのように語られることもある奇妙な状況になっている。
フランソワ1世
上述の
バルタザール・ギノーの解釈がそうであったように、「アンゴルモワの大王を蘇らせるために空から恐怖の大王が来るだろう」 という詩句について、「アンゴルモワの大王」が蘇ったと思うような「恐怖の大王」という、1人の人物の描写とする読み方も古くから存在する。
カール5世
翻訳家の
ピーター・ラメジャラーは、
deffraieurとする読みを採用し、「世話役の大王」と理解した。1525年のパヴィーアの敗戦で捕虜となっていた
フランソワ1世(=アンゴルモアの大王)が幽閉先で病に臥せった時に、敵将に当たる神聖ローマ皇帝カール5世が見舞い、この時期を境に快方に向かった
フランソワ1世が翌年3月 (この詩の四行目は「三月の前後に首尾よく統治する」とも訳せる) にフランス王国に返り咲いた。
ラメジャラーは、この出来事があった時期と星位に共通点が見られる1999年の出来事として、この出来事をモデルにしたと推測した。
この解釈は、『グノーシス』誌の編集者リチャード・スモーレーやニューヨーク大学教授の仏文学者
リチャード・シーバースらも踏襲しており、英語圏の実証主義的分析においては、有力説になっていると見てよいように思われる。
天使教皇
一時期
ピーター・ラメジャラーが示唆していた説である。
天使教皇とは、終末に天より遣わされる聖なる教皇の伝説であり、『
ミラビリス・リベル』にも描かれていた。
もともと、『
ミラビリス・リベル』は
フランソワ1世を神聖ローマ皇帝とすべく、その選挙時に作成されたといわれている。そこで、同書の序論には、
フランソワ1世こそが全地を統べる世界最終皇帝となる君主であると示されている。ゆえに、アングーモワの大王、すなわち
フランソワ1世と、それを手助けする天使教皇がセットになって詩に描写されていたとしても、何の不思議もないといえる。
ラメジャラーがどのような意図でこの仮説を放棄したのかは分からないが、むしろ検討に値するモチーフではないかと思われる(ただし、そのままだと部分的に不整合を起こす要素が存在し、この詩が偽作である疑いも強くなる。その点は、当「大事典」管理者が共著『
検証 予言はどこまで当たるのか』でも述べた通りである)。
※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
最終更新:2019年10月12日 23:03