3年目 古手家神主病死及び妻入水自殺
1981年(昭和56年)6月21日(綿流しの日)
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死亡者及び犠牲者
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古手夫(古手神社神主) 病死
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古手妻 遺書を残し行方不明
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その他
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古手夫は綿流し祭の後、不調を訴え入江病院で手当てを受けた。一時容態は回復したが、深夜に急変して死亡した。
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古手夫の死亡直後、古手妻は遺書を残し行方不明に。
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遺書には「死んでオヤシロ様のお怒りを鎮めに参ります」という内容のものが書かれていた。
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鬼が淵沼のほとりで遺書と履物がみつかるが、第一発見者の青年団員が一読後、警官に遺書を手渡したことになっているが、受け取った警官はいないとのこと。よって遺書は行方不明。遺書の正確な内容も不明。(私的捜査ファイル)
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「ダイバーが鬼が淵に実際に潜ったんですがね、死体は見つからなかったんです。」(私的捜査ファイル)
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夫の死について騒ぎ立てたため、山狗によって消された。梨花曰く「自業自得」
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梨花の予言(暇潰し編)
「そして、さらにその翌年の昭和56年の6月の今日。…私の両親が、殺されます。」
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以下解答:(祭囃し編)
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祭囃し編にて解決、雛見沢症候群の研究に梨花を用いる中、梨花が高熱を出した(入江を信じるなら、理由は季節の変わり目から来る風邪)のを切欠に梨花の母が研究及び研究者達に露骨な不信感を露にし、梨花を使った研究を拒否した為に、鷹野の命で山狗が梨花の両親を殺害した。
具体的には、古手夫を山狗が毒殺(死体を出し、心不全と偽装)。古手妻は元「女王感染者」として入江機関が解剖、生きたまま献体とした(可能性)。ここから2年後までに死去。この際に入江機関関係者が「ふと気付いたら居なくなっていた」虚偽の発言。また鬼ヶ淵での自殺を偽装。さらに捜査妨害を「東京」が指示。
最終更新:2007年05月03日 16:10