ラズール公爵家
[解説]
建国期から存在する非常に長い歴史を持つ帝国貴族であり、開国の際に多大な貢献をしたことで門閥貴族と呼ばれる最上位の特権階級者に取り立てられた。
この両家の覇権争いに終止符が付くのは聖華暦320年、後の時代に北進征伐と呼ばれる戦いにおける帝国軍の大敗である。
北進征伐においてバルクハル家は3000機の大部隊を率いてカナド領土への進行を開始したが、スパルタ族が率いるたった300機のカナド連合軍に敗北してしまう。
この戦いの責任を取らされバルクハル家は貴族位を追われ、競争相手がいなくなった事でラズール家が門閥貴族の筆頭となった。
北進征伐においてバルクハル家は3000機の大部隊を率いてカナド領土への進行を開始したが、スパルタ族が率いるたった300機のカナド連合軍に敗北してしまう。
この戦いの責任を取らされバルクハル家は貴族位を追われ、競争相手がいなくなった事でラズール家が門閥貴族の筆頭となった。
その直後におきる第二次聖帝戦争でもラズール公爵家は軍事において目覚ましい活躍を見せ、帝国軍の最高司令官として聖王国を相手に奮闘した。
このときの功績もありラズール公爵家は非常に長い期間、帝国軍のトップとして君臨し続けた。
このときの功績もありラズール公爵家は非常に長い期間、帝国軍のトップとして君臨し続けた。
ラズール家が軍のトップから外されたのは聖華暦500年代の終わりごろ。
新たに門閥貴族に任じられたザラ公爵家の台頭により、ラズールの時代は終わりを告げる。
もっとも、このザラ公爵家は第三次聖帝戦争中に全滅してしまうため、そう時を置かずして、またラズール家が強い発言力を持つようになるのだが。
新たに門閥貴族に任じられたザラ公爵家の台頭により、ラズールの時代は終わりを告げる。
もっとも、このザラ公爵家は第三次聖帝戦争中に全滅してしまうため、そう時を置かずして、またラズール家が強い発言力を持つようになるのだが。
現代
現当主の名はレルアン・ギル・ラズール。
800年代現在における、ラズール公爵家は依然、軍事方面に強い発言権を持っており、上級大将の一人として軍の行動指針を決める立場にある。
しかし、軍議に置いては度々、皇帝ジークハルトと衝突し、お互いに敵愾心を強めている。
800年代現在における、ラズール公爵家は依然、軍事方面に強い発言権を持っており、上級大将の一人として軍の行動指針を決める立場にある。
しかし、軍議に置いては度々、皇帝ジークハルトと衝突し、お互いに敵愾心を強めている。
聖華暦834年には貴族連合軍なるものを組織して自由都市同盟への進行を皇帝に提言し、バフォメットの襲撃により疲弊した同盟領へと進行を開始した。
しかし国境線を突破したまではよかったが、橋頭保として次に狙いを定めた、ハウゼンシュトリヒ要塞で冒険者義勇軍による激しい抵抗に合い、進軍の足並みを止められてしまう。
そうこうしてる内に聖王国による進行を許してしまい、大した成果も挙げられずに本国へと蜻蛉返りするハメになってしまった。
この失敗により、ラズール公爵家を始めとする帝国貴族の軍内での権威は失墜する。
皇帝ジークハルトを中心とした軍事態勢が敷かれるようになり、貴族を軍から排斥する流れが出来てしまう(皇帝側についた目端の利く貴族は除く)
後世の歴史家の分析によると、貴族勢力の力を削ぐため、皇帝はあえて派兵を認めたのではないかと言われている。
しかし国境線を突破したまではよかったが、橋頭保として次に狙いを定めた、ハウゼンシュトリヒ要塞で冒険者義勇軍による激しい抵抗に合い、進軍の足並みを止められてしまう。
そうこうしてる内に聖王国による進行を許してしまい、大した成果も挙げられずに本国へと蜻蛉返りするハメになってしまった。
この失敗により、ラズール公爵家を始めとする帝国貴族の軍内での権威は失墜する。
皇帝ジークハルトを中心とした軍事態勢が敷かれるようになり、貴族を軍から排斥する流れが出来てしまう(皇帝側についた目端の利く貴族は除く)
後世の歴史家の分析によると、貴族勢力の力を削ぐため、皇帝はあえて派兵を認めたのではないかと言われている。