第一空挺団(陸上自衛隊)

登録日:2011/10/05(水) 20:15:27
更新日:2018/06/29 Fri 09:21:13
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【概要】
『第一空挺団』とは、千葉県船橋市習志野駐屯地を拠点にする、陸上自衛隊中央即応集団隷下の部隊の一つで、陸上自衛隊唯一の空挺部隊である。

落下傘降下、ヘリボーンを主軸とした空挺作戦を負う空挺部隊は、どこの国の軍隊でも精鋭と相場が決まっている。
なぜなら空挺部隊は敵部隊の後方へ潜入し、長期間限られた少ない装備で敵部隊の撹乱を行う遊撃戦を想定しているためである。
そのため空挺部隊の隊員には、高い身体能力と共に確立された克己心(高い精神力)を要求される。
第一空挺団もその例に洩れず、隊員達は陸自の中で最も苛酷といわれる空挺レンジャー課程を修了した隊員で構成されている。

そのためかつては陸上自衛隊最強の部隊と呼ばれていたが、
現在の陸上自衛隊にはデルタフォースをモデルとした特殊部隊『特殊作戦群』、西南の離島防衛を担う『西部方面普通科連隊』、
PKO等の平和維持活動を行うため海外派遣を前提とし、柔軟かつ迅速な部隊展開を可能にした『中央即応連隊』が編成されたため一概に最強とは言い難くなった。
しかし上記の部隊に多数の隊員を輩出しており精鋭部隊であることに違いはない。
「一般隊員が小銃担いでゼーゼー走っている横を無反動砲担いで平然と追い抜く」「パラシュートの故障で墜落したが軽傷orほぼ無傷ですぐ復帰」と言った常軌を逸した逸話には事欠かない体力の持ち主が揃う。
そのため『第一狂ってる団』という通称でも呼ばれている。


【任務】
概要でも述べたが有事になれば、第一空挺団は航空自衛隊の輸送機を使った空挺降下を始め様々な手段を用いて敵部隊後方へと潜入、
長期間敵部隊を少ない装備で撹乱する遊撃戦を展開する。
そのため平時には遊撃戦のプロフェッショナルになるべく、空挺降下やヘリボーン等の各種隠密潜入術、野戦、遊撃戦、山狩り、各種破壊工作、
テロの脅威が高まった近年では市街地戦や対ゲリコマ作戦等の一般普通科部隊に比べ、高度かつ苛酷な訓練を行っている。

また震災等の災害発生時には隊員の高い技能、迅速な部隊展開能力を有するため、いの一番に派遣され最も危険な場所での救助活動を担当する。

実際、第一空挺団の高度な能力は有事に遺憾無く発揮され、有名な雄鷹山の日航123便墜落事故の際にも出動し捜索活動に従事している。
ようつべにて、この捜索に従事された空挺隊員のお話が聞ける。
この項目を開いたのも何かの縁、一度ご覧になったらいかがだろうか。
また1995年の山梨県のオウム心理教に対する強制捜査に際しては、教団がAKライフルを密造、使用する可能性を考慮し、
捜査を担当した県警機動隊の後詰めとして空挺内の中隊規模の普通科隊員が富士駐屯地に訓練名目で待機していたとされている。



【第一空挺団のモットー】
第一空挺団のモットーは“精鋭無比”だが隊員達は任務や訓練に当たって以下のことを心掛けている。
降下の心構え
1 確実
2 機敏
3 細心
4 大胆
5 協同

前動続行
いかなる犠牲があろうとも、任務遂行のため命令どおりに指示を続行すること。
不屈の精神を現す。

空挺精神
空挺隊員は、強靭な意志と追随を許さない創意と挺身不難の気概とを堅持し、剛胆にして沈着、機に応じ、自主積極的に行動し、
たとえ最後の一員となっても任務の達成にまい進しなければならない。



【歴史】
第一空挺団の事実上の前身部隊は、太平洋戦争緒戦の南方作戦で活躍し「空の神兵」とまで謳われた旧帝國陸軍の挺進団(挺身連隊)である。
だが上記部隊は1945年の敗戦により陸軍解体と共に自然消滅する。
しかしその後昭和29年に自衛隊が創設されると、同年に挺身団の元隊員20名が米陸軍第187空挺連隊から訓練を受け、
翌昭和30年福岡県に臨時空挺練習隊が創設される。
その後拠点を習志野駐屯地に移し、昭和31年に第101空挺大隊と改称された。
昭和33年には、装備と人員を増強し現在の第一空挺団へと改称された。
冷戦時代は空挺普通科群を基幹とした定員1200名のRCT(連隊戦闘団)相当の部隊だったが、2003年度末(2004年3月)に増強改編されて今の規模に拡充された。

【部隊編成】
第一空挺団は以下のように編成されている。定員は1900名。

団本部
団本部中隊
第一普通科大隊(約380名から成る)
第二普通科大隊
第三普通科大隊
特科大隊(通称:空挺特科大隊)
後方支援隊(通称:空挺後方支援隊)
通信中隊
施設中隊
空挺教育隊

特科大隊は榴弾砲ではなく、ヘリ空輸が容易な重迫撃砲を装備している。
以前は105mm榴弾砲と107mm迫撃砲を保有していたが、取り扱いの面から120mm重迫撃砲に更新された。
海外にはL118(M119)やM777の様な軽便な牽引式榴弾砲が存在し、日本も先進軽量砲を研究試作していたが、採用されなかった。

なお平成26年度(2014年度)に、南西諸島防衛を見据えた実効的な抑止及び対処態勢の構築・強化のため、
複数の正面に対して同時に柔軟な対処が可能な体制へ改編する、予定となっている。


【第一空挺団への入団条件】
入団するにはまず空挺訓練生になる必要がある。
空挺訓練生になるための条件は下記の通り。

①年齢は陸曹が36歳未満、陸士が28歳未満
②適性検査は知能・性格・作業素質・職業適性の各検査に適性があることが条件
③体力検定は5級(1級の者が多い)以上で、 第1法が各種目最低45点以上、第2法が合計160点以上となり、空挺式では懸垂・かがみ跳躍等5種目の各最低60点以上
④体格は身長161cm以上、体重49kg以上、胸囲78.5cm以上
⑤血圧は34歳以下で140mmHg~100mmHg、90mmHg以下
⑥肺活量は3200?以上
⑦握力30kg以上、呼吸停止50秒以上
その他、適性審査、適性検査もあるようだ。





【余談】
第一空挺団の様子を最も身近に見ることができるのは、
毎年1月に習志野駐屯地で行われる空挺団の初訓練である空挺降下訓練開始と、毎年夏に行われる富士総合火力演習だろう。

特に空挺降下訓練開始あたりはオススメではないだろうか。
戦車や野砲といった大掛かりな重火器こそでないものの、新年初の訓練ということもあって空挺団らしい機動力をウリにした迫力ある演習を見ることができる。
機会があれば一度行ってみる価値はある……が、寒いので防寒対策はバッチリしていくように。

意外なところでは航空自衛隊の基地である新田原基地航空祭でもC-1やC-130からの空挺降下が行われている。
これは前述の挺身連隊が満州で発足した後宮崎県の川南に移動し、新田原基地は挺進連隊の輸送機基地として運用された経緯があり
現在でも川南には落下傘部隊発祥地の石碑や部隊が使用した給水塔が残っており、神社では連隊戦死者を祀っているなど関わりが深く、
空挺降下も「空の神兵」を流しながら降下隊員の多くは宮崎県出身者が行うなど、英霊たちに敬意を払ってのことだと思われる。

何度も述べるが空挺部隊の隊員は高い技能を持つため、各国で特殊部隊が創設される際はその部隊の母体になる場合が多い。
もしくは、隊員のほとんどが空挺部隊の出身者であることが多い。
それは第一空挺団も例外ではなく、陸上自衛隊唯一の特殊部隊『特殊作戦群(陸上自衛隊)』の戦闘要員のほとんどは第一空挺団の出身者で占められているらしい。

さらに余談だが、ほとんどどの特殊部隊では入隊後にパラシュート降下課程を修了していない隊員には、
パラシュート降下訓練への参加が義務付けられているところが多い。
36歳までに空挺レンジャー課程を修了出来なかった者は(本人の希望もあるが)西部方面普通科連隊に優先的に配属される。

ちなみに女性は入団できない(これは自衛隊に限らず、世界各国の特殊部隊ではよくある話である)。
一説には「捕虜になった際、女性だと敵兵に[自主規制]される可能性があるから」という噂もあるが…真偽不明。

年間数人単位だが、英国陸軍特殊空挺部隊(SAS)や米海軍特殊部隊(SEALs)に隊員を派遣している、らしい…

ちなみにみんな大好きバキシリーズの作者、板垣恵介先生も漫画家になる前は隊員としてここに所属していた。当時を振り返る読み切りも描いておられる。
もし読む機会があれば「第一狂ってる団」の意味が分かる、かもしれない。
それでも今は色々とうるさくなったおかげで「狂ってる」度も体力面以外では若干緩和されたらしく「趣味はヤクザ狩り*1」というのはさすがに昔の話である。


追記修正はひとまず空挺訓練生になってからお願いします

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