アタリショック

登録日:2011/04/20(水) 09:30:24
更新日:2020/05/04 Mon 13:13:05
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アタリショックとは、1983年、アメリカにて起こった事件であり、今なお語られるゲーム市場の汚点である。

そもそも「アタリ」とは、ノーラン・ブッシュネルという人物が立ち上げた会社の名前である。
当時はまだアーケードゲームが主流であり、小規模であったゲーム市場において、片手で出来るテーブルテニス『ポン』を開発。
これが空前絶後の大ヒットとなり、ゲーム市場はにわかに活気付いた。
余談だが、「アタリ」という社名は囲碁に由来している。つまり日本語。

次々にゲーム市場への参入者が増える中、ノーランは次回作の開発予算を求めて融資を受けたがっていた。
しかし当時ゲーム市場は認知度が低く、またプログラム改変OK、コピーOKという無法地帯であったため*1
他の企業からはヤクザ稼業という認識が強かったために敬遠され、融資を受けられずにいた。

しかし、アタリ社のゲーム作りのノウハウに目を付けたワーナー社がアタリ社を買収。
ノーランはめでたく出資を受けられる事になった。
当時、家庭用ゲームに人気が移ると考えたワーナー社はノーランに家庭用ゲーム機の開発を命じた。


そして1977年7月、ノーランは家庭用ゲーム機『アタリ2600(通称VCS)』を完成させる。
これはROMカートリッジに対応し、一つのハードで複数のソフトがプレイできる優れものであったが、当時多数の家庭用ゲーム機が発売されたためにユーザーは混乱。
いまいち売り上げは伸びなかった。
このことでアタリは4000万ドルの在庫を抱える羽目になる。

ワーナー社は家庭用ゲーム機を待ち望んでおり、このVCSを育てたい思いが強かったが、対してノーランは『VCSに見切りを付けて、さっさと次の製品の開発を行うべき』と主張。
考えの違いから二者は袂を分かち、ノーランはアタリ社を退職した。(単に売れなかったため解任されたとする説もある)

多数の在庫を残したアタリであったが、思わぬ救世主が現れる。
あのタイトーが開発した日本製ゲーム、『スペースインベーダー』である。
テーブルテニスから発想を受けて作られたそのゲームはアメリカに逆輸入され、大ヒット。
年末であった事も拍車を掛け、アタリの4000万ドルの在庫を消費する事に成功する。







―――年末には魔物が潜む
遥か未来、とある場所で語られたこの言葉は、今この当時においても真実であった。

たった一本のゲームが市場の流れを左右する。
それはまさしく、ゲーム市場というものの不安定さを浮き彫りにしていた。

―――悪魔とは狡猾である、ただ爪や牙で我らを傷付けるのではない。
―――奴らは甘言を吐くのだ……それは時折、人を盲目にする。

―――市場の熱気に紛れるその不安定さに誰かが気づいていれば、後にあのような事態は起こらなかったであろう……。







当時アタリの売り上げは伸び、ワーナー社の利益の1/3を占めるまでになる。
このときワーナー社が始めたのが、アタリ社内部の綱紀粛正であった。
というのも、そもそもアタリとはノーランが個人的に結成した会社であり、彼の意向によって採用された(そして少なからず問題のある)人間が数多く残っていた。

しかし自由な気風を求めるアタリ社員の一部は改革に反対、アタリを抜け、新しい会社を設立する。
後に様々な名作や駄作を産み出す『アクティビジョン』の誕生である。

アクティビジョンはVCS専用のソフトを開発・販売し始めるが、アタリ社の許可を得ず独自にソフトを販売したために訴訟を起こされ、この裁判は長く続いた。
(前述の通り、当時はまだコンピューター関係の法整備が確立されていなかったため)

そうこうしているうちにアタリにライバルが登場する。
1982年8月、コレコ社が開発した『コレコビジョン』が発売されたのだ。
これはVCSとの互換性を持ちながらVCSを遥かに上回る性能を持つマシンで、
さながら『PS2のソフトも遊べるPS3』のようなユーザーの需要にニッチに応えたこのマシンは、なんと100万台も売れた。(一説には600万台とも)


これに焦ったのはアタリ社……ひいては親会社であるワーナー社である。
同じく1982年、ワーナー社はコレコに対抗すべく、新ハード『アタリ5200』を開発。
だがこれはコケた。(というより、いまだにVCSの方が売れ過ぎていた)
そもそもアタリもVCSの市場に執心しすぎて5200にキラーコンテンツとなるソフトを送り込むことをしなかったのも災いした。

そして1982年、ご存知ナムコの名作『パックマン』がアメリカに輸入され、アーケード版、VCS版ともに大ヒット。
ギネスに載るまでになる

しかし、VCS版のパックマンはいわゆる劣化移植であり、決して出来の良い物ではなかった。
それでも『あのパックマンが家庭で遊べる』という事で飛ぶように売れた。





……そう。



売れてしまったのだ





同年1982年、アタリとアクティビジョンの間で行われていた裁判が決着。
アクティビジョンがソフトを販売するにあたり、アタリ社にロイヤリティ(※ライセンス料)を支払う事で双方合意が成された。
このシステムは現在にも引き継がれている。

そして、この裁判結果は波紋を呼んだ。
アクティビジョンのような、ソフトだけを作って売る商売が、正式に認められたからである。

この流れを受けて、アメリカではソフトだけを作って販売する会社、今でいう『サードパーティー』が劇的に増えていった。
アタリ社もロイヤリティ目当てに、これを次々と認可していく。
ゲーム開発という新たな市場の解放に企業は湧き、個人レベルの会社から大企業まで参入し、一躍ゲーム業界は活気付いた。





崩壊が、始まる



―――悪魔は未だ甘言を垂れ流している。
―――泡が弾けるのは一瞬のことだ。
―――積み木が崩れるのは一瞬のことだ。

―――全てが終わって振り返ってみても、もう既にそこに悪魔はいないのだ。







アタリ社はゲーム業界の覇者として君臨し始めていた。

コレコを大きく引き離し、名実ともにトップに躍り出た。

ここでアタリ社はパックマンの成功を受けて、禁断の果実に手を出してしまう。
……それは、決して耳を傾けてはいけない悪魔の囁きであった



「多少ゲームの出来が悪くても、とにかくゲームを出せば売れる。なら完成度など二の次だ、どんどん作って売りまくってしまえ



そう、粗製乱造である。

パックマンの成功は、誤った認識をアタリに与えていた。
無論パックマンのヒットは『“パックマン”という知名度』ありきのヒットであり、冷静に考えればこんな殿様商売が成功する訳が無いと、誰もが理解できた筈である。

……しかし、『流行』という名の熱に浮かされ『一攫千金』という欲に目が眩んだアタリ社にはもはや冷静な判断を下す理性など無かった。



その中でも最も有名なのは伝説のクソゲー、『E.T』だろう。
クリスマス商戦に間に合わせるために、一説によればライセンス料と宣伝活動で予算と時間を浪費し、僅か6週間という突貫工事で開発されたとも言われている。
それは当時クソゲーオブザイヤーがあれば現在においても終身名誉顧問を務められるレベルのクソ以下の駄作であり、当然ユーザーの悲鳴は凄まじいものになった。

E.T(VCS)とは宇宙人を穴に落として引っ張り上げるゲーム。

しかしこんなゲームでも150万本も売れてしまった事からも、当時の市場の熱気を垣間見れるだろう。

また、増えに増えたサードパーティーも問題を起こしていた。
ノウハウ無しの飛び込みでゲーム開発を行ったために市場にはクソゲーが溢れ、さらには他社のゲームを丸パクりするという商品未満の品まで横行する有り様。

年末の魔物が雁首揃えて列を成し、百鬼夜行と化すという六道地獄も真っ青な事態に陥っていた。


当然、これらのサードパーティーに認可を出していたのも他ならぬアタリ社であるため、その信用は地に墜ちた。





―――そして1983年。
崩壊が加速する

昨年さんざんクソゲーを掴まされたユーザーは新作ゲーム全てを警戒し、『買い控え』の状態に陥っていた。
この当時はまだファミ通のようなゲームレビュー雑誌など、ほとんど存在しなかった。
もちろん発売された中には、きちんと作られた良いゲームもあったのかもしれない。
しかし、ソフトを買う以外に確かめる術の無いユーザーには僅かな希望に高い金をつぎ込むという博打を打つ度胸は無く、市場はどんどん冷え込んでいった。

市場の支配権を手に入れたからゴミを量産しても利益が出ると思ったら大間違い、良いゲームを出す努力ができなければ、そもそも市場自体が消えてしまう。コンピューターゲームという概念がこの世から消えてしまう危機のただ中だった。

熱した鉄を急激に冷やすと砕けるように、市場の崩壊ぶりも常軌を逸していた。
まず小さな会社は次々と倒産し、それによって市場に流れた不良在庫に対抗して各社が在庫の安売り、つまりワゴンセールを開始し、
小売りは在庫を処分するだけで精一杯となり、新製品を仕入れなくなった。
当然ながら商品の流通が停止した結果、市場が完全に硬直した。

その有り様は株式市場にも大きな影響を与え、栄華を誇ったアタリとワーナー社は一転、信用と地位を地に墜とした。


覇者の敗北は市場そのものに影響を与え、コレコビジョンとインテリビジョン、
アタリVCSを凌駕する性能を誇る次世代機を擁するコレコとマテルが業界の覇者を目指し最前線に躍り出る…かに思われた。
天敵はゲーム機業界の外のはずだった場所からやってきたのである…

ホームコンピュータ界ではとにかく低価格化が進んでおり、
82年末の業界の盟主機と言えたコモドール64までに至るとスペックはゲーム機を遥かに越えている割に、
VCSより高性能な家庭用ゲーム機に迫る低価格という有様であった。

そのため「ちょっとしたお金持ちで新しもの好きのギークボーイ」の持ち物だったホームコンピュータが、
中流家庭あたりがターゲットの家庭用ゲーム機ユーザーにも手が届くレベルになっていた。
クソゲーまみれの家庭用ゲーム機からホームコンピュータにいわゆるゲーム好きのギークボーイたちは移行していったのである。

当時はもうウィザードリィやウルティマと言ったRPGなど、アタリVCSやコレコビジョンなどではまだうまく実現できなかった様々なジャンルがホームコンピュータでは勃興し始めた時期であり、
安くなったホームコンピュータでいろんなゲームを遊びたい!という要求にも叶うものだったことも拍車をかけた。

そうこうしているうちに1983年の中だけでゲーム機業界はシェアをホームコンピュータに奪われていき、
既にアタリVCSやコレコビジョンとの戦いの中で体力を削られていたマテルはゲーム機業界からリタイアを決定。
インテリビジョンの部門を売り飛ばして撤退した。

コレコはホームコンピュータ業界でも活躍していたが、コレコビジョンの儲けをつぎ込んで作ったアダムがクソみたいな品質で大惨敗。
大赤字となり会社が傾く事態となったがまさかのキャベツ畑人形の大ヒットで1983年をやり過ごすことに成功。

しかし大赤字との元であるコレコビジョンとホームコンピュータ部門を売り飛ばしキャベツ畑人形を作る会社となりやはり撤退*2
アタリも5200はさっぱり伸びず、82年末の大損害も含めて損害は雪だるま式に膨らみ、親会社のワーナーもアタリを手放す決断をする。
こうして家庭用ゲーム機市場に存在した有力プレイヤーは、1983年中にほぼほぼ壊滅。
アタリVCSが築き上げた大市場は一転して氷河期に突入することとなった。


―――video game crash of 1983

後の世にアタリショックと呼ばれる出来事である。

その後、多くの中小企業は投資を回収できず倒産を余儀なくされ、大手のサードパーティーもいくつか倒産した。
アクティビジョンはコンピューターゲームにも手を出していたため、なんとか倒産は免れた。

そして、ユーザーは携帯機のゲーム&ウォッチと高性能のホームコンピュータに流れた……。

これ以降、1985年にアメリカ版ファミリーコンピューター『NES』が発売されるまでアメリカのゲーム市場、特に家庭用ゲーム機業界には氷河期が訪れる……。
この後の時代も家庭用ゲーム機では日本勢に押されっぱなしであり、XBOXの発売までアメリカ産ゲーム機は覇権争いに加わることは叶わなかった。

しかし、ホームコンピュータやそのホームコンピュータが発展していったパーソナルコンピュータのゲーム業界は、
この時代に家庭用ゲーム機から移ってきたユーザーのおかげで活況であり後にDOOMやQuake、TESなどのシリーズが生まれる素地が完成することとなる。

ユーザーを軽視したゲームに良ゲー無し
現代にも通じるその理論は、こんな昔からも存在していたのである。

ちなみに、アタリショック後に家庭用ゲームを復権させた任天堂はファミリーコンピューターを発売する時に、
アタリショックの二の舞を防ぐためにライセンス管理を徹底。

製作に当たっては俗に『ニンテンチェック』と呼ばれる厳しい品質チェックを行い、
発売する域に達していないモノには1からの作り直しを要求したため『ちゃぶ台返し(return tea table)』という言葉が生まれた。
その上ソフトの流通に関しても勝手なことが出来ないよう、問屋の互助団体である『初心会』を作り徹底的に締め上げた。

この厳しすぎるチェック体制は力の無いサードパーティーや、中小の小売店にとっては参入障壁になるなど、
今となっては手放しで褒められたものではなかったが、ともかく家庭用ゲームに対する信頼の回復に役立ったことは事実だろう。
逆にアタリにここまでの事が出来ていれば、あるいは……。

しかし後世の経済学者たちによると、アタリショックという事件自体、経済学的には曖昧なものであり、
クソゲー乱発がアタリショックの直接的な原因であるかは証明されていないらしい。

とは言え、クソゲーがユーザーを苦しめ、大いに落胆させたということは紛れもない事実である。


追記・修正はユーザーの事を第一に考えてお願いします。












































アタリショックの際に大量に作られ、返品された『E.T』は、実にトラック14台分500万本にも及ぶと言われる。
それらは最終的に『ニューメキシコの埋立地に投棄した』と当時(1983年)のニュースで伝えられたが結局見つからず、
「砂漠に埋葬されたクソゲーがあるらしいww」という都市伝説レベルの話でしかなかった。

だが2014年4月。
アメリカニューメキシコ州アラモゴードの埋立地にて、埋められた500万本のソフトが本当に発掘された
アタリショックの朽ち果てた遺産は、31年の時を超えて我々に警告を与えているのかもしれない。

『この事件を忘れるな、決して風化させてはならない』と……。

なお、この事態は同年11月に『Atari:Game Over』という題名でドキュメンタリー映画化されている。

2014年12月17日、発掘されたソフトの一本が米国のスミソニアン学術協会に渡り、
世界最大の博物館として知られるスミソニアン博物館へ展示される事が決まったという。

追記・修正はクソゲーを埋葬してからお願いします。

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