任天堂

登録日:2011/01/16 Sun 00:44:51
更新日:2021/05/02 Sun 01:06:51
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概要

1889年に創立、1947年に設立した、日本を代表するゲーム開発会社
創立当時は花札屋で社名は任天堂骨碑。
本社所在地は京都府京都市南区上鳥羽鉾立町11番地1。

社名の由来はハッキリと分かってはいないが、「人事を尽くして天命を待つ」又は「運を天に任せる」から来ていると言われている。

創立時は花札、トランプを作っており圧倒的シェアを獲得したが、
三代目社長に就任した山内溥がアメリカ最大手のトランプ会社を視察に行った際、
最大手であるにもかかわらずオフィスの規模が想像以上に小さかったことに衝撃を受け、
「トランプだけではちっぽけな会社で終わってしまう」と悟り、多角経営の道を模索することになる。
が、ベビーカー、タクシー、インスタントライス、ラブホテル等の事業で悉く失敗。
多額の借金を抱え明らかに迷走していた。
(まあ経営のイロハも知らない、22歳が急に社長になればそうなるのも仕方がない。)

1970年代からは上記の黒歴史を教訓に玩具専門になり、ウルトラハンド、テレビゲーム15、ゲーム&ウォッチ、ドンキーコング等のヒット作を生み、
アタリショックが起きた1983年に発売した、伝説の据え置き型ハードであるファミリーコンピュータの大成功で、世界中で知らない人の方が少ない程の知名度になる。

最新の据え置きハードはNintendo Switch、携帯ハードはSwitchの携帯特化型モデルNintendo Switch Lite。*1
同世代の他社ハードと比べて性能は低めだが、任天堂ハードらしく今までにない特徴を備え、新たな遊び方を提案しているのが特徴。


◆ゲーム関係

ファミコン以前は色んなゲームの類似品(要するにコピーゲーム)をアーケードで出していた。今であれば大問題である。*2
当時の「遊び方にパテント(特許)はない」という山内社長の言葉は有名。
しかし、後に自社のゲームがコピーされる等の出来事を経て、ゲームの著作権について考えを改めることになる。

ファミコン時代ではスーパーマリオブラザーズを筆頭に多数のヒット作を輩出。それから今日に至るまで、数々の名作を生み出し続けている。

ファーストパーティ(自社開発)では「ゼルダの伝説」「ピクミン」「Splatoon」、セカンドパーティ(外部製作)では「星のカービィ」「ポケットモンスター」「ファイアーエムブレム」など。

ハードメーカーとしてゲーム業界を牽引する存在だけあってゲームの出来はファースト・セカンドともにかなり安定しており、賛否ある作品こそあれど所謂クソゲーと呼べるものはほとんど無く、ゲーマーからの任天堂ブランドへの信頼は厚い。

基本的に人を選ばずライトユーザーでも取っつきやすい作品が多い、
一方、巨大な敵を切り刻む過激な演出で「D(17歳以上対象)」の区分を貰った『斬撃のレギンレイヴ』、激ムズで癖の強い操作の『罪と罰』、バグ技が開発の時点で公式化している『F-ZERO GX』、萌えグロアクションRPGの『パンドラの塔』、癖の強い内容で前作ファンから賛否両輪な『ゼノブレイドクロス』、「死んだキャラは原則復活できない」というハードコアなゲーム性を特徴とする『ファイアーエムブレム』シリーズといったそれなりに人を選ぶ作品も出している。

任天堂のソフトばかりが売れすぎて、サードパーティのソフトが売れなかったハードも多い。
その傾向はNINTENDO64からWii Uまでのハードに顕著。
中でもWii末期~WiiU時代はサードのソフトがほとんど出ない状況が起こり、自社で全ジャンルのソフトをまかなう必要に駆られた。*3
上記のような人を選ぶマニア向け作品がこの時期に多めなのはこのため。

一方、携帯ゲーム機は開発のしやすさや競合の少なさなどからサードに飢えることは少なく、ニンテンドー3DSの時は発売直後に値下げするなどの苦戦はあったものの、結果的には軌道に乗り、コンスタントに人気を集めている。
またSwitchにおいては上述の通り携帯ハードも兼ねている点、外部の開発者が参入しやすい環境の構築などで長年の問題であったサード不足はかなり改善されている。

近年では、サードパーティとのコラボタイトルや開発を任せることも多い。特にコーエーテクモとは非常に仲が良く、「零」シリーズが任天堂との共同開発になったほか、「メトロイド」「ゼルダ」「ファイアーエムブレム」などの任天堂の看板タイトルにも携わっている。

ゲームキューブ~Wiiの頃は既存IPの続編が中心のソフト展開を「マンネリ」と捉えられることもあったが、2015年の「Splatoon」や2017年の「ARMS」など、ここ数年は新規IPの投入も多い。

「ファイアーエムブレム」シリーズの方針転換の成功を口火として、2017年以降「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」がゼルダの「アタリマエを見直す」というコンセプトの下に大きなシステム改革を行ったり、「スーパーマリオ オデッセイ」が久々に箱庭探索型に戻るなど、シリーズ作品でもマンネリ打破への動きが本格化。

ファミコンから30年以上立った今でも、ゲーム業界の大切なファクターであり続けている。

サテラビュー 64DD モバイルアダプタGBといったかなり知名度が低いサービスがあったりした。
いずれも時代背景を加味すると技術的には優れた製品だったが、出すタイミングを見誤って普及せずに終わった。

現在はゲーム機とゲームソフトの開発・販売がメインとなっているが、もともとの「本業」であるトランプや花札、囲碁と将棋の関連商品、麻雀牌などの製造販売も継続して行っている。
これらの商品はホームページにも記載があり、一部はインターネット通販で買うことも出来る。
2013年秋にはポケモン花札、2016年にはスプラトゥーントランプを出すなど、自社キャラクターの製品を手がけることも。


◆ゲーム関係以外

著作権に厳しい事でも有名*4
ポケモンの同人誌を書いて捕まった人がいる程。(理由に関しては諸説有り)
ただし作品やプロデューサーの意向にもよるようで、いまではやや軟化しているところもある。

メジャーリーグのシアトルマリナーズのメインオーナーであった。
これは1992年にマリナーズのオーナーが撤退し、球団解散の危機になった際に、
当時の任天堂社長であった山内が、今までシアトルに法人を置かしてくれた恩返しとしてポケットマネーでオーナーになったためである。
現在は、一部の出資分を残して他者へと売却している。



◆関係人物

  • 宮本茂
マリオやゼルダの生みの親。
ゲーム開発者としての印象が強いが、スーパーファミコンのコントローラーのLRキーや
NINTENDO64の3Dスティック(アナログスティック)を提案したりとハード開発にも関わっている。
現在は代表取締役フェロー。社長になる気は無し…と言うか、恐らくなりたくない人。

ポケモンの「シゲル」の名前はこの人から取られた。
ゲームの神として多くのクリエイターから尊敬されている。
ゲームを作り直させるちゃぶ台返しが有名。
(たまに裏目に出ることもあるけど...)

  • 岩田聡
4代目社長。
元々はHAL研究所の社長で、破綻寸前のHAL研を見事に立て直した。*5その実績が組長に認められて、任天堂の社長に指名される。
WiiやDSを世に送り出し、プレイステーションに奪われていたシェアを奪還した立役者。
また、社長自ら新作ソフトなどのプレゼンをおこなうNintendo Directなどの新しい試みも始めた。

本業はプログラマー。代表作はゴルフ、MOTHER2、スマッシュブラザーズ。バルーンファイトでは横井軍平の要望を受け、バルーントリップモードを3日で完成させたのは語り草。
大乱闘スマッシュブラザーズfor3DS/WiiUのPVでは任天堂アメリカ法人社長のレジーコングと激闘(物理)を繰り広げた。
色々と訊いている。
2015年7月11日、胆管腫瘍により55歳の若さで急逝したことが任天堂より発表された。日本のみならず世界のファンから哀悼の声が上がった。

  • 山内溥
3代目社長。
任天堂創業者の曾孫で、色々な意味で親分肌故に通称は組長。
1949年に弱冠22歳で社長になって以来、2002年までの実に50年以上に渡り社長を務めていた人物。
ゲーム&ウオッチ・ファミコン・スーファミ・ゲームボーイ等の成功で知られる。
独自の哲学に基づく発言が多く、64時代ではサード離れなどの問題を作った張本人。だが、一花札企業に過ぎなかった任天堂を世界的大企業に育て上げ、現在の任天堂の礎を築いた中興の祖である。
任天堂の発展に大きく関与した横井軍平や岩田聡、宮本茂といった人物を見出したりとかなりの人を見る目を持つ。
時勢を見る目も鋭く、「大容量+映像にのみ尽力するゲームばかりでは、いずれ中小のソフト会社がバタバタと潰れる(要約)」と何度も提唱。
実際、90年代末期から2000年代初期の世の中はその通りの流れになってしまい、おまけにそれが原因でゲーム離れが進んでしまっていた。
そして、組長を本気で怒らせた某RPGゲーム会社を任天堂出禁にしたりもした。
相談役に退いて以降は表舞台に出ることはなかったが、退任後に発売されたDSの二画面構想、3DSのコンセプトは山内のアイディアによるもの。
特に飛び出す3Dが好きで、バーチャルボーイがお気に入りだったとか。

また、メジャーの最多安打記録を更新したイチローに御祝儀として任天堂株を5000株プレゼントしたり、がん専門の京大病院に75億円を寄付したりと、とにかくやることが大胆で凄い。
大のマスコミ嫌いであった為か
山内が「試作機ゲームボーイを床に叩き付けて耐久値を試した」等の所謂『任天堂伝説』は
噂レベルの話に尾ひれがついたものが多数ある。
2013年、85歳で死去。

  • 横井軍平
ウルトラハンド、ラブテスター、ゲーム&ウォッチ、ゲームボーイ、バーチャルボーイを作ったこれまた凄い人。宮本氏の師匠でもある。
今ではコントローラーのスタンダートなった「十字キー」を考案したのもこの方。
現在の任天堂は横井氏と宮本氏で作り上げたと言っても過言ではない。
退社後はワンダースワンを監修した。
当たり前の技術を別の分野で活かす「枯れた技術の水平思考」で有名。
退社から1年後の1997年、交通事故に遭い56歳で死去。 

  • 君島達己
5代目社長。
岩田氏亡き後、社長の座を引き継いだ。
先代の岩田氏とは異なり銀行出身で、株式会社ポケモンの社長や米国任天堂のCEOといった任天堂の関連会社の要職を渡り歩いてきた人物。
Wii Uの不振や岩田氏の急逝といった難しい時期での社長就任であったが、ブレスオブ ザワイルドをSwitchのローンチにしたりと工夫し、見事にSwitchを普及させ大きく業績を回復させた。

2018年6月28日付で社長を退任し、相談役となった。
当初から岩田氏と次の社長との中継ぎが目的であったため、任期は短いが重要な時期を見事に乗り切った功労者である。
ちなみにこの方も組長にスカウトされた人の一人。

  • 古川俊太郎
6代目社長。
社長としては初の任天堂生え抜きで、経理畑を歩いてきた。また、岩田社長の秘書も務めていた。
Switch普及を当面の目標としつつ、スマートデバイス事業などを育てて行く必要性を示している。
ファミコン世代の人物なのでゲーム、とくに歴史ゲームの『信長の野望』がお好きな模様。

◆主なゲーム機

◇据え置き型


◇携帯機



◆主な作品



◆余談

世間的に白いイメージの任天堂だが、実際には狙っているとしか思えないほど黒いネタがゲームにスパイスのごとく散りばめられている。
小さい頃はよく解らなかったネタも、少し大きくなるとわかってくるものである。
詳しくは黒い任天堂にて。

財界本流や政治団体とは距離を取っており、そのせいで理不尽な絡まれ方をすることが多い。
環境保護団体グリーンピースから献金を要求され、断った結果「環境に優しい企業リスト」で最低点を付けられたり、
日本経済新聞で悪意ある飛ばし記事を書かれたり、某クオリティペーパーに架空のインタビュー記事を書かれたりと、何かと災難の多い会社である。




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追記・修正にパテントは無いんで好きにやってください。

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最終更新:2021年05月02日 01:06

*1 ニンテンドー3DSシリーズが最後の携帯ハードだったのだが、3DSは2020年9月16日に生産を終了してしまったので、Switch Liteが事実上の携帯ハードの最新機種となっている。

*2 とは言え、タイトーなどもコピーゲームを出していたので現在と当時の著作権に関する意識の違いに因るところが大きい事はお忘れなく。

*3 ただしWiiの場合、ハードの初期はマルチを含め割とサードのソフトが発売されていた。しかし、ハード末期になると控えめな性能などが原因でマルチ対象外となる事が増えてしまい、サードのソフトが激減してしまった。

*4 ただし、著作権を守るように動くことは、本来当たり前の事である。

*5 ちなみに組長の指名でHAL研究所の社長になったとよく言われているが、生前に組長も岩田もこの件について話していないので真相は不明。