金本知憲

登録日:2012/05/28 Mon 23:20:21
更新日:2025/10/20 Mon 06:54:28
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金本(かねもと)知憲(ともあき)は元プロ野球選手、外野手。
1968年3月34日4月3日生(年齢は57歳)
広島県広島市出身
右投左打

広陵高→東北福祉大を経てドラフト4位で指名される。
プロのスタートは広島東洋カープから。

92年にカープへ入団。
今でこそ超人的な肉体をものにしているがプロ入り当初は転がして足を活かせと言われるほど身体が細くひょろひょろだった。
送球が前に飛ばず地面へ投げてしまうことから「モグラ殺し」と不名誉なあだ名もつけられてしまう。
この悔しさから筋力トレーニングを始め、功を成すこととなる。

95年からレギュラーに定着して24本塁打を記録、翌年には初のシーズン打率3割、97年には初のシーズン30本塁打を記録するなど中心選手となる。広島低迷時には孤軍奮闘の活躍をしていた時期もあり、野球王国広島復活への希望の星でもあった。
2000年には日本プロ野球史上7人目となるトリプルスリー(3割30本30盗塁)を達成する。
2002年オフにFA宣言をして阪神へ移籍。希望の星さん?


  • 阪神時代
03年は3番を打ち2番の赤星の盗塁をアシストするなど主軸として活躍し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献する。
日本シリーズではチームはダイエーホークスに負けたものの4試合連続でホームランを打ち敢闘賞を受賞する。
04年から新井に譲るまで不動の4番打者になりチームを牽引する。

同年は4年ぶりに3割30本を達成。この年に連続イニングフル出場(試合開始から試合終了まで交代せずに試合出場)の日本記録を更新。
更に左手首に軟骨損傷を追いながらも片手一本でヒットを打つなど超人ぶりを遺憾なく発揮する。

05年、この年が彼の全盛期であろう。
史上4人目の全球団から本塁打を達成。
当時と現在の現役選手では最多の32球場でホームランを放つ。
左打者に不利な浜風が吹き、ラッキーゾーン撤廃後の広い阪神甲子園球場で阪神タイガースの選手では初となる40本塁打を達成。
打線の核となり打率.327 40本塁打 125打点の自己成績を残して2年ぶりのリーグ優勝に貢献して文句なしのリーグMVPに選出される。
ホームランキングを争っていたが舎弟のつらi………新井さんに敗れる。

06年は連続イニングフル出場904試合の世界新記録を達成。

しかし07年から怪我との戦いになる。
半月板損傷という重傷を背負いながら強行出場を続けたため他の部分への負担も出て衰えが隠せなくなる。

そして2010年、遂に事件は起きる。

オープン戦前の練習中に藤川俊介と交錯して右肩の棘上筋が分断する重傷を負うがまたしても強行出場。
しかし送球が内野にすら届かず、守備もとてもプロとは言えない程度になり、鳥谷がレフトまで中継や守備に来たりすることから新ポジション、ショフト(ショート+レフト)を生みだしたり、介護と揶揄されるようになる。
1500試合連続イニングフル出場を目の前にして、遂に自らスタメンを外すよう監督へ直訴する。
その後も連続試合出場記録(代打で1打席完了すれば記録に含まれる)の為に完治していない状況で試合に出続ける。
しかしこのせいで余計な失点を生み出しているのと若手選手の芽を潰しているとの指摘を受け、ファンや評論家から激しいバッシングを受ける。
当然敵チームもここが守備の穴だと分かっているため徹底的に狙われ、投手陣や他の外野手への負担を大きくしていくという悪循環だった。


これまで幾度となくバットでチームを救ってきた金本を非難するのは正直ファンも心苦しかったであろう…。
ちなみにこの記録は翌年、2アウトで代打の場面で打席に立ったが高校の後輩の藤川俊介が盗塁死してプレーを完了できなかったため台無しになりました。

そして2012年8月25日の広島戦。マツダスタジアムで天谷宗一郎にランニングホームランを献上してしまう。
落球、後逸、暴投、守備同士の衝突・お見合いといった一般的なランニングホームランの原因が何一つとして存在せず、その原因は金本の肩*1にあることが明白だった。
このプレイの18日後、1500試合フルイニング出場をいろんな意味で期待されていた金本は緊急記者会見で引退を発表し、惜しまれつつ現役を引退した。

※フルイニングに関しては球団側が1500試合フルイニング出場記念グッズを生産していたが目前で止まったため、商品はお蔵入り。経済面でも大打撃を受けてしまっていた。


21年のプロ野球人生の中で誇りに思うことは、フルイニング出場や安打数よりも連続無併殺打記録だと語った。

2012年10月9日、対横浜戦で4番左翼でスタメン出場
4打数1安打1盗塁
という記録を残し、ファンに惜しまれつつも21年間のプロ生活に幕を下ろした。

尚、最後のスピーチで当時の横浜*2に対して辛口トークを行った。


  • プレースタイル
全盛期はバットのスイングスピードが150キロを超えるほどの強打で、ホームランの打球もライナー性の物が多く打った瞬間に入ると解るものもあった。
打点王獲得や100打点も数度記録したりと勝負強さも便りになる。
無併殺打記録やトリプルスリーを達成するなど若い頃はかなり俊足で意外と盗塁も上手く、膝を壊すまでも足は速い部類だった。
外野守備は主に左翼を守った。技術は拙いものの、それを高いフィジカルでカバーしており、飛び込んでキャッチするなど積極性な一面も見られた。
肩も怪我をするまでは中の下ぐらいのレベルであったが、度重なる怪我や加齢もあり阪神時代末期には中継までもまともに投げられない程弱肩になってしまいフルイニング出場継続を非難する意見も割と多かった。
ただし打撃は引退までずっと一級品であり、四球を選ぶ目も確かなので、バッターボックスの中に限って言えば最後まで名選手だった。


  • 人物
筋肉質なガタイからは想像もできないが実はかなり小食で、メジャーへの挑戦を諦めた理由もこの食の細さに由来している。

新井を始めとした後輩いじりやいたずらが有名。
オールスターゲームで藤本敦士に松井稼頭央を紹介する際に「大きい声では言えないが実は来季は阪神へ来ることになっている」と嘘を吹きこんだところ、やっとレギュラーを掴んだ藤本は本気にして試合中ずっと半泣きになっていた。
ちなみにそれを見かねた中日の福留が藤本を心配していた。なんで中日の選手にフォローされてんですかね…。
最近はYoutubeなどで当時のチームメイトが金本のしょうもないイタズラの思い出話を語ることも多い。だいたい新井が標的になっている
このイタズラなのだが本当に「しょうもない」の一語であり、「新井を応援するのぼりにうんこの絵を描く」「自転車のサドルをすぐ見つかるような場所に隠す」のように発想が小学生レベルであり、
彼が現役だった頃の阪神タイガースはそのおかげもあってイタズラをする選手が続出し、チーム内にのびのびとした空気が漂っていたという。
平成以降の世代にはイタズラがドギツいと思われて苦言を呈されることもあるが、上述の通りチームの雰囲気を小学生レベルなごやかにした功労者である。
この時期の阪神にはスター性はもちろんネタ性のある選手も非常に多く、今でも「本当は強いのに負けるときも笑いを提供する阪神」は語り草。
当時を支えた矢野や下柳ともとても仲が良く、特に下柳は投手コーチを何度も頼まれたが「監督とぶつかり合って仲が悪くなるのが嫌だ」という理由から固辞したという話があるほど。

現役引退後もトークショーなどでことあるごとに新井をネタにしており、その場にいない新井をいじるのは金本が出演するイベントならまず挨拶レベル。
有名な「辛いです」を開幕でネタにする画像が有名だが、最近でも自分の四球選択の多さを出した後に「その次のバッターが新井なんですよ」とオチをつける*3など、ことあるごとに彼をネタにしている。

両親が韓国人で、金本も在日韓国人であったが結婚する際に日本人へ帰化した。帰化前の本名は(キム)知憲(ジホン)だった。
ファンやマスコミからの愛称はアニキなのに兄弟の中では末っ子。
清原和博の大ファンでもある。


  • 主な記録
連続試合フルイニング出場 1492試合 (ギネス世界記録)
連続イニング出場 13686イニング (世界記録)
連続4番先発出場 880試合 (日本記録)
連続無併殺打 1,002打席 (日本記録)
月間2度の3打席連続本塁打:2009年4月8日-4月10日 (プロ野球史上初)
全試合出場で規定打席未到達(2010年)プロ野球史上初
10,000打席到達 (史上8人目・大卒選手では史上初)
全球団から本塁打
通算476本塁打(歴代11位)
トリプルスリー(2000年)

正直記録に関してはキリがないので本家wikiの観覧を推奨する。記録のデパートである。


<エピソード・豆知識>
  • このように涙ぐましい努力の甲斐もあってプロで輝かしい成績を残した金本だが、実は高校卒業後にバットを置いていた可能性もあった。
    地元広島の高校卒業後の進路は大学野球としていた金本だったが高校の監督に嘘の日程を言われて浪人し、翌年中央大学のセレクションを受けようとしていたが大学の監督には事前に「浪人は受け付けていない」と言われていたのに高校の監督に「推薦は大丈夫だから」と言われ参加したが当然不合格。
    この監督の行為に対しては「目の前が真っ暗になった」とまで述べており、見かねた知人により東北福祉大への進学を勧められ一般受験で入学し一浪しながらもなんとか野球を続けることができた。
    また、高校時代も凄惨ないじめをされ心が折れかけたことを自著に残している。


  • 頭部死球を受けても試合に出続ける鉄人ぶり。次の打席で普通にホームランを打った。ちなみに当てた木佐貫が謝りに来た時も「気にするな、また投げてこい」で済ませる寛大さ。

  • 東京ドームの看板を直撃するホームランを打った。

  • プロ野球史上初となる月間2度の三打席連続ホームランの新記録を打ち立てるなど毎年4月は打棒爆発することが多い。

  • 調子が良い時の悪戯の矛先はコーチにまで向くこともある。

  • 長打力はチームでも上位で低反発球が導入された2011年も2桁本塁打を記録したり2010年は打席数が圧倒的に少ないのに新井とホームラン数がほとんど変わらない。しかし打率が低いためこれが金本を扱い辛い理由にしているとの指摘もある。

  • 練習に真面目に取り組む姿は若手の意識を変え、ダメだった阪神を優勝争いをするチームに変えたと言われており、走塁に意識が無かった鳥谷も金本に叱責されたことで意識が変わったと語っている。ダルビッシュも渡米前にトレーニングを見に来る等、他チームの選手からも尊敬を集めている。

  • 当時は故障者なども多かったが金本に触発されてか意識が変わったと言われている。特に左手首に死球を受けて剥離骨折をした後もチームメイトのバットを借りてフルイニング出場を続け、しかもホームランまで打ってしまったという話は若手に唖然とされると同時に、「手を骨折してさえ平時と変わらない活躍を続ける先輩がいる以上、この程度のケガで音を上げていられない」という空気をチーム内に漂わせ、様々な意識改革を生み出した。

  • ヘビースモーカーであり禁煙も諦めた。そして試合中にベンチで喫煙しているところが映されてアンチにヤニキという不名誉なあだ名をつけられる…が、後に面白がってファンまで使う様になってしまった*4

  • 酒豪でもあるらしく、選手時代も酒量はさほど減らさなかった模様。ちなみに焼酎好きとのこと。

  • カープから移籍した江藤がビジターで広島市民球場に来たときにファンから激しく野次られたのを見て、自分もそうなってしまうのではないかと不安だったと明かしているが、暖かく迎え入れられて安心したと語っている*5。しかし舎弟の辛いさんは…*6

  • 結構いたずら好きで、度々かわいらしいいたずらをしたかと思いきや、たまにシャレにならないレベルのいたずらをしたりもする。特に自身を慕う新井に対してはその厚い信頼関係からかなりのドSっぷりを発揮している。

  • 半月板損傷や右肩の棘上筋分断は通常の選手なら確実に選手生命終了の大怪我である。
    しかし2012年、衝撃の事実が発覚する。
    医者曰く「棘が完全に切れたのに新しい膜が出来てる」とのこと……鉄人とか兄貴だからで済ませられるレベルの不思議じゃねえぞ。
    しかも本塁まで送球できる様になっている。
    マジで人間なんですかね…。


そして2015年、和田豊監督に変わり阪神タイガースの監督に就任。
投打ともにベテラン頼りになってきていたチームの若返りを図るべく若手を次々一軍に抜擢する。
若手起用を重視しながらも政権2年目でチームのAクラス入りを達成するなど前評判以上の実績を残した。
また、監督就任以降「出たわね。」「そうよね。」など発言が妙にオカマくさいと話題になり*7、一部では「ヤネキ」と称されてしまっている。
しかし2018年にはチーム全体の打撃不振や肝入りで入団したロサリオが不振などで17年ぶり*8の最下位でシーズンを終えてしまい、最終戦が終了した翌日今シーズン限りでの辞任を発表。
野村克也の「外野手出身に名監督なし」という格言が当てはまる結果となった。
同年に巨人の高橋由伸監督が辞任したのも背景にあるのかもしれない。お疲れ様でした。
その後、大山悠輔や青柳晃洋、糸原健斗ら金本が育てた若手選手たちは阪神の主力選手として成長し、監督退任の5年後の2023年にはリーグ制覇と日本一を成し遂げるまでになった。
このため、「この結果は金本と矢野*9の土台作りがあってこそ」と評されており、現在は「采配はイマイチだったけど選手を見る目は確かだった」という評価で落ち着いている*10

ネットでは球界一の別称(蔑称)を誇る事で有名で、このページのタグに連なる謎の言葉は大体そこから来ている。
もっともこれは極々一部であり、もっと調べればその圧巻の別称の量に圧倒されるはず。
これだけ見ると嫌われているようにも思われるが、基本的にネタ的な色が強く、良くも悪くも愛されていると言えるだろう。
「金本の蔑称で最後まで吹かずに全部読めたら~」等のシリーズもあるが大体はその膨大な量と巧みなセンスに脱落していく。中には「言いたいことは分かるが読み方が分からない」という謎の蔑称まであるほど。
「ふがいない人物に対して大喜利的なあだ名をつける」という文化の元祖と言える存在というか、もはや後ろに年齢をつけるだけで別称になってしまう。阪神の「アレ」も、かつては「アレ(44)」で金本を指すネタだった。
ちなみに蔑称の数は2018年現在 1400個以上 自らがかつて介護されていた選手よりも多い。

ただし良くも悪くも情に厚すぎるタイプであり、そのせいか人を信用しすぎて痛い目を見てしまう事もあった。
また豪快に見えて意外とナイーブな一面や変なところで真面目過ぎるところもあったらしい。度の過ぎたイタズラも、もしかしたらそういった寂しがり屋な自分を誤魔化すためだったのかもしれない。
この辺りは皮肉にも先輩である大魔神佐々木にも共通している。

現在では阪神フロントが作る番組や主催するイベントなどで登場するほか、元野球選手が開設しているYoutubeチャンネルでゲストとして登場することがある。
前者は金本節全開だが、後者になると先輩格が多いためかちょっとおとなしくなる。


追記・修正は連続フルイニング出場記録を更新してからお願いします。

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最終更新:2025年10月20日 06:54

*1 衰えた肩力だけでなく、金本を忖度した前進守備なども行っていた。

*2 暗黒期であり、なんJの全盛期だったこともあり「内川コピペ」や「キュラキュラキュラ」など様々な名文が大流行した時期でもある。特に内川聖一がかなり辛辣に叩いていた上、内川の言っていることが単なるド正論のこともあったため「事実を述べただけで侮辱になる横浜サイドに問題がある」とまで言われてしまった。この頃にDeNAの監督かつふがいない成績で終わった中畑清が今なお横浜ファンから名将扱いされる理由は、興行と勝利に貪欲なDeNAのフロントとともにふがいないチームの意識改革を行って、腐っていたチームの意識を戦闘集団に刷新したため。

*3 新井はゲッツー率が非常に多いことで有名だった。つまりせっかく塁に出ても新井のゲッツーが台無しにするというネタ。

*4 ちなみにこの試合で通算400本塁打を達成

*5 江藤は当時のカープファンからすると最悪とも言える経緯で彼の話題を出すだけでマジで怒鳴られたり唾棄される程だが、金本については当時のカープ球団の経営事情が悪かったことが大きく、カープファンからも移籍について理解があった。

*6 ある意味において江藤を超えた経緯の悪さによって憎まれ、そのせいで金本まで野次のとばっちりを受けてしまった。

*7 関西地方の方言の特徴。これを文章にすると、標準語基準だと女性っぽくなる

*8 野村克也監督時代の2001年以来。

*9 金本の次に阪神監督になった矢野燿大。

*10 逆に采配をはじめ勝負にものすごく強かった常勝監督だったが選手を見る目がまずかったのが中日の落合監督で、その後の中日低迷の遠因としてよく名前を挙げられる。この2つの件は「土台作りはとても大事だ」ということを素人目にもわかる形で示している。