第一航空戦隊

登録日:2014/07/17 (木) 03:49:00
更新日:2021/11/05 Fri 22:52:07
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第一航空戦隊は、大日本帝国海軍機動部隊の航空機動戦力の中核であり、太平洋戦争開戦当時世界最強の航空戦力を有していた最精鋭航空火力集団である。通称『一航戦』。


隊歴

時は1928年4月、赤城と鳳翔を中核とし、第6駆逐隊(当時)の梅と楠を加えた航空教導試験部隊として試験的に編成。
12月10日に一度解隊され、翌年4月1日の再編後は常備部隊となる。
編入された駆逐艦は発着艦訓練に失敗したパイロットの救出作業(通称「蜻蛉釣り」)や魚雷艇からの護衛を担う。
ただし編成当初の旧式駆逐艦では対米開戦後の長駆には随伴不可能と判断されたため、真珠湾攻撃を前にして戦隊から除外されている。
その後は航続性能の高い新型駆逐艦で編成された水雷戦隊が、機動部隊全体の護衛や蜻蛉釣りに従事することとなった。

編入当初の当時の赤城(あと常備後に編入してきた加賀)は艦載機数が少なかったために鳳翔を含めた3隻から2隻を抽出する交代制だったが、
35年の龍驤の竣工・編入を機に赤城と加賀の単艦ずつと鳳翔+龍驤の3チームで2個航空戦隊+予備艦のローテが組めるようになる。
また31年度に補助艦として、水上機母艦の能登呂(給油艦からの改装艦であり、僚艦への補給や水偵による偵察任務を主眼としての編成と思われる)が加わる。
34年6月-35年12月までの加賀大改装、38年の赤城大改装を経て空母戦力としても一定の質を確保することに成功するが、この際の莫大な出費は後年まで帝国海軍の足枷となり続けた。

第二次上海事変以降の日中戦争に参加した際の編成艦は旗艦赤城、僚艦に鳳翔と龍驤。鳳翔は第一次事変も含めてフル回転である。
赤城は第一次事変の際は改装中であり、加賀は鳳翔と共に第一次事変に参加した後、赤城と入れ替わる形で内地に帰還している。

太平洋戦争開戦時の戦隊主戦力は赤城と加賀で、曙・潮・漣の第7駆逐隊が護衛として編成されている。
指揮官はおらず、第一航空艦隊司令長官南雲忠一海軍中将直率となっている。
ミッドウェー海戦までのこの編成が、一航戦として広く知られているため、彼女らは言わば一航戦の顔。

真珠湾攻撃時には「ヒャッハー!悪い米帝艦はいねがー!いたら消毒だしいなくても消毒だー!」とハワイ軍港を蹂躙。
そのまま勢いに乗って南方各地を転戦し、帝国海軍航空隊のキチガイ超絶練度を満天下に知らしめる。
が、あまりに勝ちすぎたために若干以上の慢心&楽勝ムードが聯合艦隊に漂い始める。
誰もがそれに気づいた時には、もはや手遅れであった。

42年6月のミッドウェー海戦で赤城と加賀に加え蒼龍飛龍が戦没。一航戦と二航戦が同時消滅してしまったため一時解隊されたが、
翔鶴瑞鶴・瑞鳳の3隻をもって再建。翌年のい号作戦とろ号作戦に艦載機を参加させるが事実上壊滅してしまい、
以後の戦力再建どころか練度回復や定員さえままならない状態に追い込まれる。
その後44年3月に大鳳が竣工・編入。これを機に瑞鳳は三航戦に編入される。
これで空母戦力的にはどうにか再建なったかと思いきや、3ヶ月後のマリアナ沖海戦で大鳳と翔鶴がまさかの戦没。
ただ1隻残された『幸運艦』瑞鶴は三航戦に編入され、捷一号作戦における囮機動部隊の旗艦としてエンガノ岬沖に散った。

同年8月には雲龍型空母の雲龍と天城をもって再再編されるが、航空戦力として搭載予定の第六〇一海軍航空隊はマリアナ沖海戦後の再編未了、
ついでに母艦自体も練成中、さらには備蓄燃料のあれこれなども重なって捷一号作戦時には内地待機。
レイテ沖後には二航戦(再編後)の残存艦の隼鷹と龍鳳、雲龍型3番艦の葛城(と信濃)が編入されるが、
もはや書類上の機動部隊というだけであり、隼鷹・龍鳳・雲龍に至っては輸送船として扱われる有様だった。

天城と葛城の2隻は再編中の601空とともに訓練を続けていたが、残存艦は45年2月の大和の一航戦編入に伴い呉軍港に繋留。
601空は基地航空隊に改編されたため機動部隊としての活動を完全に終了する。
天号作戦と大和水上特攻失敗が確認された後、4月20日をもって一航戦完全解隊。17年の歴史に幕を下ろした。

所属空母

○赤城
巡洋戦艦からの改装空母(戦艦・巡洋戦艦の改装空母は正規空母として扱われる)。一航戦の顔にしてオリジナルメンバーその一。
当初のトレードマークだった三段飛行甲板は、まったく役立たぬまま改装されていたりする。
加賀の改装を元に大改修が行われるが、加賀で予算を使いすぎたせいで略式なものだったとか。
(20cm砲の揚弾筒をそのまま転用した円形の艦長室、石炭庫を転用したため窓を開けると煙突からの排煙が入ってくる兵員区画など居住区周りは特にその煽りを食っていた)
彼女と加賀の擁する航空隊は日華事変以来の実戦と猛訓練を潜り抜けて生き残った技量のみで彼我の性能差を完全に逆転する一騎当千の超人集団であり、
その対艦・対空戦闘能力は神域に達していたとさえ言われる。

※彼らと二航戦の航空隊に妾の子とか馬鹿にされる五航戦航空隊でさえ、海外では教導隊が務まるレベルのガチ精鋭軍団です。
一航戦・二航戦航空隊が人道を踏破した超人軍団なだけなので気をつけましょう。

○加賀
戦艦からの改装空母。そして一航戦の顔その二。彼女の大改装に予算を使いすぎたせいで赤城はお察しな状態に……
三段飛行甲板に関しては以下省略。
低重心で幅広の船体がもたらす安定性と広大な飛行甲板、航続性能と物資搭載能力の高さから、帝国海軍主力空母の中では最低速であったにもかかわらず
最高レベルの戦力として認知されていたという。まあ、中国あがりのベテランも多数擁していたわけだし。

ちなみに、大戦中の彼女と赤城の一航戦としての実働期間はわずか1年ちょっとだったりする。有名税って凄いね。

○鳳翔
大日本帝国海軍における全空母の母であり、世界最古の正規空母。そして一航戦のオリジナルメンバーその二。
船体から艦橋から何から何までありとあらゆる全てがちみっちゃい。
帝国海軍機動部隊最古参として艦載航空隊に猛訓練を課し、その初期メンバーが中心となって海軍の航空教導部門が確立。
帝国海軍が誇るマジキチ練度のエース軍団輩出のまさに基点となっていった。
鳳翔「一航戦から五航戦まですべて私が育てました

太平洋戦争開戦時は三航戦に編入されており、ミッドウェー作戦にも参加しているが交戦機会はなかった。
ミッドウェー後は航空甲板を無理やり延長し、練習空母として内地にあり続け、帝国海軍残存艦の中で唯一無傷で戦後を迎える。
戦後は飛行甲板の延長部を撤去、復員船として南方兵の帰還に尽力した後、日立造船の桜島工場(現・USJ敷地)で解体された。
帝国海軍機動部隊の栄枯盛衰を余さず見届けてきた、まさに空「母」。

○龍驤
鳳翔とコンビを組んだりした帝国海軍空母界のミス違法建築。
太平洋戦争開戦時には四航戦の旗艦を務めており、ミッドウェー海戦の支援などで各地を転戦。
ミッドウェー後は二航戦に再編され、第二次ソロモン海戦において戦没。
ちなみに、かの有名な「アクタン・ゼロ」は彼女の艦載機である。

○翔鶴・瑞鶴
開戦当初は五航戦に所属していたが、ミッドウェーの悪夢以降の組織再編に伴って一航戦に配属される。
特に妹の瑞鶴は、ミッドウェー以来のベテランパイロット損失や僚艦と姉の戦没を横目に見ながら戦い続け、
文字通り矢尽き刀折れ、その身を囮にしてエンガノ岬沖に散るまでの約2年間、帝国海軍を支えた。

赤城の項にもある通り、擁する航空隊は他国ならトップエースクラスとして厚遇されるレベルの技量の持ち主ばかりだったが、
比較対象が世界最強のガチ人外級だったので「装備ばっかの半人前集団」と呼ばれていた模様。

○瑞鳳・大鳳
翔鶴と瑞鶴が一航戦のメインを張っていた時の「3隻目」として所属していた。
当初は瑞鳳がその任に当たっていたが、大鳳の就役と入れ違いになる形で瑞鳳は三航戦に移籍。
大鳳が一航戦に編入されるが、そのわずか3ヶ月後のマリアナ沖で大鳳と翔鶴が雷撃により戦没。
瑞鳳も捷一号作戦の際にエンガノ岬沖で瑞鶴とともに散った。

一応言っておくと、名前は似てるが姉妹艦ではない。単に所属時期が連続してるから一括りにしただけである。

○隼鷹・龍鳳
隼鷹は元々龍驤麾下におり、ミッドウェーの支援作戦としてのアリューシャン攻撃後に二航戦に再編されていた。
龍鳳に至っては空母改装と二航戦編入後、最初で最後の実戦がマリアナ沖だった。
が、マリアナ沖で飛鷹が沈んだのを受けて二航戦が解体し、四航戦に編入。捷一号作戦に際して瑞鶴麾下の囮機動部隊に艦載機を供出し、
防御力が期待できる伊勢姉妹を見送って彼女らは不参加。
レイテ戦後はもはや書類上の存在、敗残空母の寄せ集めと化していた一航戦預かりとなる。

その後は載せるパイロットも機体もなかったために呉を拠点に輸送任務に従事していたが、
隼鷹はマニラ方面からの帰投中に潜水艦の雷撃を受けて損傷、2月11日に一航戦から除籍された。
龍鳳はというと輸送任務からの帰投後に練習空母に戻るが、ろくに活動できぬまま45年3月19日の呉軍港空襲で大破炎上。
防空砲台として最低限の要員のみ残して係留されたまま終戦を迎えた。

○大和
どっからどう見ても戦艦である。間違っても空母じゃないのだが、戦艦部隊だった第一戦隊解隊後に行き場がなかったのでここに放り込まれていた。
その後の顛末は個別項目参照。
航空機の運用を最初から考えて作られた艦のため、普通の戦艦の倍の水上機を搭載・運用出来たこともあり、一時期「瑞雲たっぷり積んで航空火力艦としても運用しようぜ」という改装案が出ていた。
もしかすると空母とはいえずとも、航空戦艦もどきとして運用されていた可能性はあった。

○雲龍・天城・葛城(&信濃)
雲竜姉妹は完成したと思ったらレイテ沖海戦で聯合艦隊壊滅。実戦経験のないままに敗残艦扱いで一航戦に放り込まれる。
雲龍は桜花のフィリピン輸送中に敵潜水艦からの雷撃を受け桜花が誘爆、撃沈。
妹2隻は練習空母扱いだったがほとんど訓練できるはずもなく、呉軍港空襲で損傷。
天城は横転着底したためそのまま除籍されたが、葛城は機関が無事だったため南方復員船として運用された。

なお、信濃は回航中に撃沈されたのを書類上だけ転籍させていた模様。
あと、天城という名ではあるが天城型巡洋戦艦のネームシップではなく、その名を継いだだけの別人さんである。


創作における一航戦

とりあえずミリヲタ以外にも有名になるきっかけとなった艦これを押さえとけば問題はなかろう。
あとはストパンに赤城が登場してたりする。
その他仮想戦記か火葬戦記あたりに出てくると思われるが、やはり漢の浪漫の権化たる戦艦よりは影が薄い模様。



追記・修正は一航戦結成以来の猛訓練に耐え抜いてからお願いします。

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最終更新:2021年11月05日 22:52