盧生(相州戦神館學園 八命陣)

登録日:2015/05/30 (土) 03:40:00
更新日:2022/07/20 Wed 22:39:50
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阿頼耶識(あらやしき)──仏教における唯識論では客観的実在としての外界の事物・現象の存在を否定し、この世界に存在する全てのものは「心の機能(識)」が生み出したのだという基本認識を持っている。
唯識の識は八つあり、これを「八識」というが、この世界に在るあらゆる事物を生み出す原因となった識を阿頼耶識と呼ぶ。この世界の過去から未来に至る全ての因果が収められている座とも言われる。





八命陣においては四四八達が見ている夢界の最深部、第八層に存在する根源にして、その正体は人類の普遍的無意識そのものである。


夢界制覇(第八層の攻略)の暁には邯鄲の力を現実に持ち出すことを可能とし、六勢力はそれぞれの思惑で第八層の座を競っているとされる。






以下ネタバレ



















四四八以下戦真館の面々や六勢力は自由に夢界に入り邯鄲の夢を行使しているように見えるが、実は夢界に入る資格を持っているのは八命陣の作中では二人だけであり、その他の人間は彼ら二人の内どちらかの許可を得なければ夢界に入ることが許されない、言わば眷属である。



夢の中に入り、そして自身と強い繋がりを持っている者を同じく夢界に導くことができる者。

夢と現実を繋ぐ力を持った彼らを「盧生(ろせい)」と呼称する。










盧生の条件





盧生の最終目標、到達点とはそれまで夢界で行使していた夢の力をそのまま現実に持ち出すことである。その副産物として普遍無意識と繋がった「窓」を介して全人類が無意識下で共有している心の海の過去・現在・未来すべての情報を閲覧できるようになる。
なのでそれができないのであれば正確には「盧生資格保持者」と呼ぶのが正しいかもしれない。その状態でも眷属と共に夢界に入り邯鄲を扱うことはできる。


その資格は両親の片親から慈愛を、片親から悪性を注がれ生まれ育つこと。そして夢を現実に持ち出すためには八層を攻略しなければならない。その条件とは巨大な阿頼耶識そのものを理解すること。理解には人類に対する自分なりの確固たる愛の形を持ち、今まで盧生とその眷属が経験したループ分の記憶と歴史を太源に接続する必要がある。作中では数万年を優に超える記憶の統合が行われた。その情報量の前に真っ当な自我を保てる人間、それこそが盧生に他ならない。
ただし盧生資格保持者であっても邯鄲法の術者(明らかになっているのは逆十字こと柊聖十郎の係累のみ)の協力が無ければ夢界に入ることはできない。



ちなみに許可を与える眷属がいなければ八層に到達した時点で阿頼耶を理解する(八層を攻略した)ことになるが、眷属がいる場合は記憶の統合と工程の短縮の帳尻合わせのため、その盧生にとっての最大の困難、弱点。不可能というべき事象を乗り越える必要がある。
また眷属の数が多いほど周回の時間を短縮できるが一人の盧生が保有できる人数にも限界があり、そして最後の試練の難易度はそれに比例して上昇する。そのため眷属の人数は三人以下で臨むのが理想的らしい。



これは裏技によるペナルティというわけではない真っ当な攻略手段であり、そもそも単独で夢界を制覇できるような人間は存在しない。…例外として超ド級の馬鹿が存在するが、後にも先にも真似できる盧生は現れないだろう。






盧生の能力




基本能力として五常楽を極めた存在なので、眷属に存在する能力の限界が無くなり最大10までだった能力適性値が100に達する。


そして解禁された五常楽・終段により、普遍無意識の海より神話や物語に登場する古今東西のありとあらゆる空想上の存在を現実化させ、従えることができる。つまりは英雄、神、悪魔といった超常の存在を召喚する力である。
要はペルソナとかサーヴァント的なもの。


召喚される神格は元々人間の夢より生まれた存在であるため顕現している時点であらゆる協力強制を成しており、自身の設定である夢を自在に使用する事ができる。 その出力は盧生を含めて人間に太刀打ちできるものではなく、神格には神格を以て対抗するしかない。
参考までに四四八の最終的なレベルが500〜600として最上位神格である黄龍はレベル5000。


ただし、盧生と言えど神格の召喚は無条件でできるものではなく、召喚だけで凄まじい精神力の消費を伴うものであり、通常は連続的な召喚や使役は不可能。更に、召喚される神格は召喚元の盧生と気質が似ている必要があり、自身の気質から外れた存在も召喚不可能である。無理に召喚しようとすると十中八九死ぬことになる。





また盧生が有することができる眷属についてだが、彼ら眷属は基本的に盧生と同じく夢の力を行使する権利を持っている。しかし上述したように邯鄲法の成熟度に限界が存在し適正は最大値10まで、そして終段による神格召喚等は不可能、急の段に留まる。だが眷属が盧生の血を飲むことによって一時的に繋がりを強くすると、大幅に能力が強化され条件付けを無視した急段の使用すら可能になる。

前提として邯鄲法の使用許可を握っているのはあくまで盧生であり、先程の例とは逆に盧生が接続を切断すれば当然眷属は夢の力を失う事になる。そして夢界において盧生と眷属の生死はリンクしており、盧生が生きている限り眷属は夢界において不死であるが、逆に盧生がなんらかの要因で死亡した場合は眷属も死を共有する。…例外あり


以上から盧生は親機であり、眷属はそれに直結している子機と言った具合に明確な上下関係がある。








盧生同士の戦闘



従って夢界において盧生に対抗できるのは盧生だけである。そして盧生同士の戦闘の勝敗を分けるのは両者の意志力の差、繰り出す神格同士の相性とは別にその思想がどれだけ人類に望まれているかが重要になる。

盧生の力はそれぞれの盧生の主義主張に潜在的に賛同する者が多ければ多いほど強化される性質がある。
ゆえに盧生同士の戦いとは、普遍無意識に内在する「人類の意志」がどちらの思想に賛同的か、どちらがより人類にとって普遍的な思想なのか、という主義主張のぶつかり合いによって行われる。全人類を対象とした純然たる民主主義であり、盧生の持つ急段は人類への指標を形にしたものとなっている。そのため、その盧生の思想にどれだけ賛同できるかという点が協力強制の条件にもなっている。









歴代の盧生





単独で前人未踏の邯鄲に挑みこれを制覇した最初にして最強の盧生。
困難に立ち向かう人々の輝きを何よりも愛し、そのために人々に試練を課し、乗り越えさせることで愛と勇気を育む天地「ぱらいぞ」を理想とする。

盧生としての属性は「審判」。人を裁く神々の召喚に特化する。
性質上それぞれの神話の最高神に適性を持ち、曰く「一人で全人類と戦える」とされる規格外の意志力を有するため、その武力は他の追随を許さない。
五法としては創法・咒法を得手とし、中でも創形は複雑な超兵器や巨大な建造物を一瞬で創り上げられるほど突出している。

単独での攻略であるため夢界の攻略にかかった時間は盧生中で最長の10年。





戦神館シリーズを通しての主人公であり第二の盧生。
仁義八行を規範とする我らが英雄。
自身の生き様を後続の者達に見せることによって未来を少しずつより良いものに変えていく「継承」を理想とする。

盧生としての属性は勇気の化身たる「英雄」。善性のそれら、特に八犬伝の英雄達に強い適性がある。
五法としては偏って得手不得手のない高水準バランス型。だが彼の場合、眷属の力を借りてその適性を変動させることができる。
戦いの果てに夢を繋ぎ夢を閉じた、ある意味で最も盧生に相応しい精神を手に入れた男。

夢界の攻略にかかった時間は1週間。戦真館の仲間だけでなく、彼らを夢界へと導いた貴族院辰宮・神祇省、何より強引に眷属に割り込んできたキーラ率いる鋼牙兵3000人を眷属としていたため、八層へ到達する時間を大幅に短縮できた。




○クリームヒルト・ヘルヘイム・レーベンシュタイン

稀代の殺人鬼、破滅に走る人類史の代表とされる闇の盧生。第三にして唯一の女性の盧生。
だが邯鄲を制覇し盧生として覚醒するにあたり、「死を想え(メメント・モリ)」という理念に辿り着く。

盧生としての属性は「死神」。破壊神ではなく死を安らぎとするような神に適性を持つと思われる。
五法としては戟法と循法を得手とする白兵特化型。反面咒法の資質は極めて低い。

夢界の攻略にかかった時間は1か月。眷属の数は不明。





歴代で最も優しく、そして最も悪しき愛を持つ第四の盧生。
阿片窟で生まれ育った生まれながらの阿片中毒者。「人は閉じた自分の中で幸福になれる」という持論を持ち、それを以って人々を阿片中毒に落とし、その閉じた世界で個々人に幸せな夢を与えることを理想とする。
そもそも精神的に自己に閉じこもっているため、それが邯鄲の力として発現するとそもそも干渉ができないという無敵の特性を持つ。
また、「夢を見せる」という極めて単純かつ気持ちのいい理想を掲げているため、盧生の力に密接に影響する支持者が桁違いに多い。

邯鄲の性質上、彼以外の三人の盧生が組んで挑んでも正攻法では勝つことができない


盧生としては他者に都合の良い夢を見せる「万仙陣」、そしてその核となる「四凶渾沌・鴻鈞道人」を有する。
五法に関してはおそらく咒法、解法、創法を得意とするが、戦闘に使用したことが無く、素の戦闘経験も皆無であるため武力という意味では最弱。

夢界の攻略にかかった時間はわずか数時間。300万人の眷属を伴った歴代最短記録である。

















元となったのは中国の故事「邯鄲の枕」。

その主人公、盧生は人生に迷う折に名僧の噂を聞き、人生の意味について尋ねようと旅に出た。
盧生は旅の途中で邯鄲という町の宿に泊まり、宿で女主人に夕飯までの間、仙人に頂いたという「邯鄲の枕」で一眠りすることを勧められる。

盧生はその夢の中で皇帝となって栄華を欲しいままにし、そこから五十年の「夢のような」年月を過ごす。
だが、ふと目覚めると宿の女主人が彼を起こしに来ていた。皇帝在位五十年の栄華は一炊の夢でしかなかったのだ。


盧生はそこでこの世はすべて夢のように儚いものだという悟りを得る。
迷いの霧が晴れた盧生はその翌日帰路についたという。






夢の力を知りながら、夢をただ夢であるとしてその一切を封印した柊四四八もまた、彼に倣う悟りを得たと言えるだろう。








追記修正は人類愛に溢れた方にお願いします


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最終更新:2022年07月20日 22:39