1997年第115回天皇賞・春

登録日:2019/07/29(月) 22:10:00
更新日:2024/12/22 Sun 20:21:32
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やっぱり三強の争いだ!
三強の争いだ!


1997年4月27日に京都競馬場で行われた第115回天皇賞・春はマヤノトップガンが勝ったレースである。

馬柱

1997年京都3回4日10R 第115回天皇賞(春)
京都芝右3200m 五歳以上オープン 牡牝 定量(58kg)


馬名 騎手
1 1 タマモハイウェイ 河内洋
2 ロイヤルタッチ 岡部幸雄
2 3 メジロランバダ 熊沢重文
4 マヤノトップガン 田原成貴
3 5 ギガトン 角田晃一
6 エイシンホンコン 小池隆生
4 7 インターライナー 村本善之
8 サクラローレル 横山典弘
5 9 ローゼンカバリー 藤田伸二
10 ビッグシンボル 南井克巳
6 11 ノーザンポラリス 福永祐一
12 ユウセンショウ 松永幹夫
7 13 ポレール 和田竜二
14 マーベラスサンデー 武豊
8 15 ハギノリアルキング 佐藤哲三
16 ステージチャンプ 蛯名正義

レース概要

これ以上ない晴天の下、昨年に続き、年度代表馬対決となった天皇賞(春)。その2頭にマーベラスサンデーを加えて3強対決として戦前から盛り上がった。
1番人気は昨年の覇者で年度代表馬のサクラローレル。
2番人気は一昨年の年度代表馬マヤノトップガン。
3番人気は昨年の有馬記念2着のマーベラスサンデー。
4番人気は昨年の菊花賞で僅差の2着に敗れていたロイヤルタッチ。

昨年の覇者サクラローレルは昨年の成績こそ群を抜いていたが、年明けに軽い骨折があったり調教師の引退で厩舎が変わったりのアクシデントがあり、有馬記念からぶっつけ本番になってしまっていた。しかも、馬体重もマイナス14kg。不安要素もありながら、1番人気に支持されていた。
マヤノトップガンは昨年、前哨戦の阪神大賞典でナリタブライアンとデットヒートを繰り広げたが、本番の天皇賞(春)で戦前の盛り上がりを考えれば惨敗の5着に敗れ、宝塚記念は勝ったもののサクラローレルには完敗続きと評価が定まらなかった。
しかし、前走の阪神大賞典ではこれまでの先行抜け出しのスタイルを捨て、道中最後方からの追い込みを見せており、本番ではどういう戦法を取るのかというのも話題になっていた。
マーベラスサンデーは前走の大阪杯を楽勝。トップガンらに比べれば経験不足は否めないものの、昨年秋から本格化し安定した成績を収め充実期を迎えようとしていた。
以上の3頭が抜けた人気となっていて4番人気以下はかなり離れたオッズとなっていた。

レースが始まった。
インターライナーこそ出遅れたが、人気馬達は無難にスタートをこなした。
隊列が整ってきて、先頭はビッグシンボル。人気の3頭は中団グループ。
1週目の3コーナー辺りでマヤノトップガンが少しかかったような素振りを見せるがほどなく落ち着いた。

ビッグシンボル、エイシンホンコンがスローペースでレースを引っ張る。
サクラローレルを見るような位置でじっと武豊騎手のマーベラスサンデーが陣取る。
その後ろに、マヤノトップガンが控えるといった形でレースが進んだ。

レースが大きく動いたのは向こう正面。
かかり気味だったサクラローレルが進出を開始したのだ。
それを見てマーベラスサンデーの武豊騎手もきっちりローレルの後ろをつけ狙う。
マヤノトップガンは馬群の内に入れて進軍の時を待っていた。

第3コーナーでは先頭までは行かなかったものの、前にビッグシンボルを置いてサクラローレルが早くも2番手まで上がっていた。
そしてマーベラスサンデーも3番手まであがってきた。
そしてマヤノトップガンの田原成貴騎手は息を潜めるように中団の後ろ辺りで馬群の外にスーっと馬を持ち出していた。
その他、ロイヤルタッチやローゼンカバリーもサクラローレルに襲いかかろうとしていた。

第4コーナーで遂にサクラローレルが先頭に立った。
そこにマーべラスサンデーも馬体を合わせてきて1着を目指す壮絶なたたき合いが始まった。
そして、マーベラスサンデーが先頭に変わる。遂にサクラローレルを撃墜するかに見えた。
しかし、昨年の年度代表馬の底力は伊達ではない。
懸命の粘り腰で一旦抜け出したかに見えたマーベラスサンデーに再び並びかける。
そして残り200m、もう一度サクラローレルが先頭に立った。
さすがに王者は強い。連覇達成かと思われたその瞬間だった…

大外から何か一頭(・・・・)突っ込んでくる!

実況の杉本氏が叫ぶ。この激闘に割って入れる力量のある馬がまだ残っていた!?

トップガン来た、トップガン来た、トップガン来たー!

残っていた。

光り輝く栗毛の馬、色鮮やかな黄色と緑の縞模様の勝負服。
大外に持ち出していたマヤノトップガンが3番手集団からただ1頭物凄い勢いで前の2頭に襲い掛かってきたのだ。
既に死力を尽くした戦いを終えたその勝者のサクラローレルにも敗者のマーベラスサンデーにも抵抗する力は、否、抵抗しても勝てるほどの力はもう残ってはいなかった。
かくして、マヤノトップガンが全てを交わしきったところが栄光のゴールであった。

結果


1着 マヤノトップガン
2着 サクラローレル
3着 マーべラスサンデー
4着 ステージチャンプ
5着 ローゼンカバリー
6着 ビッグシンボル
7着 ノーザンポラリス
8着 ユウセンショウ
9着 メジロランバダ
10着 エイシンホンコン
11着 ハギノリアルキング
12着 ポレール
13着 インターライナー
14着 ギガトン
15着 タマモハイウェイ
競走中止 ロイヤルタッチ

払い戻し
単勝 4 370円 2番人気
複勝 4 130円 3番人気
8 120円 1番人気
14 130円 2番人気
枠連 2-4 420円 1番人気
馬連 4-8 440円 1番人気

勝ち時計、3分14秒4。ライスシャワーが打ち立てたレコード3秒近く縮めるワールドレコードである。
芝3200mは世界でもレース数が少なく、条件さえ合えば世界レコードが出やすいという側面があるもののスーパーレコードであることには変わりはない。
レース前半はビッグシンボルがスローペースで刻んだがサクラローレルが向こう正面で早めに仕掛けたことでレコードタイムにつながったのだ。
この記録は当時は不滅のレコードだと思われていた…のだが、2006年にディープインパクトが1秒縮め、更に2017年にはキタサンブラックがもう1秒縮めてしまった。なんてこった。
とはいえ、現在でも14秒台が出ることは少なく、やっぱり凄い時計であることには変わらない。

マヤノトップガンは昨年の屈辱を晴らす栄光だった。サクラローレルを目標に走り、最後は上がり3F34秒2。素晴らしい末脚だった。下がり続けていた評価をもう一度覆すものだった。
このレースを最後に世界に挑むサクラローレルと戦える最後のチャンスを見事にモノにしたのだった。

負けたサクラローレルも立派だった。マーベラスサンデーとの壮絶な死闘を制したその姿は王者として、そして世界に挑戦する馬として恥ずかしくないものだった。
そしてそんなサクラローレルと死闘を演じたマーベラスサンデーも素晴らしい挑戦者だった。

さらに4着のステージチャンプも素晴らしかったと言えよう。
ステージチャンプは一昨年、稀代の名ステイヤーライスシャワーのハナ差2着になった馬である。
この時すでに8歳(現7歳)。更に昨年途中から屈腱炎を発症しており、治療明け10ヶ月振りにこのレースで復帰している。
そんな逆境の中、3強に次ぐ着順を確保できたことで、ライスシャワーを追い詰めたあのレースが決してフロックではなかったことを証明した形となった。

しかし、壮絶な死闘の代償は大きかった。
勝ったマヤノトップガンはその後宝塚記念を出る余力はなく、秋に備えるが屈腱炎を発症しこの天皇賞を最後に引退となった。
サクラローレルも凱旋門賞を目指しフランスへ遠征をするも前哨戦のフォワ賞で故障を発症。引退となった。
マーベラスサンデーも次の宝塚記念を貫録で勝つものの、秋に故障を発症。有馬記念2着を最後に引退する。
4着のステージチャンプと6着のビッグシンボルもこのレースを最後に故障で引退、7着のノーザンポラリスも次走で故障を発生し競走中止、そのまま引退に追い込まれた。最後の直線でロイヤルタッチが故障を発生して競走中止になっており、出走馬の実に半分が深刻なダメージを負っていたことになる。

余談

このレースは実況や映像が局によって大きく異なり、全く違った印象を抱くことでも知られている。
フジテレビは名物アナウンサーの杉本清が事前の座談会や取材で武邦彦*1から「サクラローレルとマーベラスサンデーの位付けは済んでいる。怖いのはマヤノトップガンの一発」、境勝太郎*2から「ローレルは仕上がりすぎ。勝つのはおそらくマヤノトップガン」という回答を得ていたこともあり、レース前カメラマンに「何をしでかすかわからないマヤノトップガンからカメラを外すな」と厳命。
レース中も後方待機をしていたマヤノトップガンに対し「うまく折り合っているんではないでしょうか」と終始肯定的な一方、サクラローレルが前に出た際には「あっと、掛かった掛かった」「これはどうなんだ横山」とやや否定的。最後の直線で猛然と仕掛けてきた時には「大外から何か一頭(・・・・)突っ込んで来る!」とわざとトップガンの名を言わずにアナウンスし、レースを盛り上げた。杉本アナ自身も「自分の中でも会心の実況」と自賛している。
カメラもデッドヒートを繰り広げるサクラローレルとマーベラスサンデーのズームではなく、大きく引いた状態で馬群を写していたためマヤノトップガンがスムーズに大外に出て直線一気の仕掛けをする一部始終が完全に捉えられている。
この事もあってこちらの映像を見た人は「最強サクラローレルに勝つにはこの手しかない田原騎手の完璧な騎乗」「横山騎手のミス」が強く印象付けられている。
ただし、田原成貴はこの天皇賞(春)の騎乗については競馬最強の法則という雑誌(現在は廃刊)において、マヤノトップガンはかかり癖があったことと博打覚悟の騎乗で勝利は幸運だったことを明かしている。

一方、NHKの方は、刈谷富士雄アナがサクラローレルとマーベラスサンデーが前に出た際に馬群の中団から後方で動かないマヤノトップガンに対して「マヤノトップガンは内の方でちょっと苦しい」とハイペースについて行けない否定的な印象を抱かせている。第4コーナーでもまだ前に出ないため「マヤノトップガンはちょっと苦しくなってきた」と言及し、カメラも直線で先頭に出たサクラローレルとマーベラスサンデーにズームインしていたためマヤノトップガンは画面から消えており、視聴者は「後方の馬群に沈んだ」と完全に思い込んでいた。
ところが急に画面外からスーッとマヤノトップガンが伸びて一気に交わした上、刈谷アナもギリギリになるまで言及できず「外の方から、外の方から、外の方からマヤノトップガン!外からマヤノトップガン!外からマヤノトップガン!外からマヤノトップガン!交わした交わした交わした!!!」と声を裏返しながら絶叫したため、マヤノトップガンの凄まじい爆発力と、近走はかかり癖によって自滅を繰り返して「もう終わった馬」と侮られていたこともあって意外性が強調される内容となっている。

12着のポレールは(97年時まで年2回開催だった)中山大障害3連覇の障害競走の雄だったが、稼ぎ過ぎたせいで障害レースに出ると斤量約65kgと酷いハンデを背負う羽目になるため、やむなく平地の天皇賞に出たとされる。
それでも本レースの約1か月後障害4歳上オープンで勝利するも、その後は計2回挑んだ平地重賞も含め勝ちに恵まれず故障も相次ぎ、2000年に引退。以降は誘導馬となり、2010年に誘導馬勇退から三か月後にこの世を去った。


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最終更新:2024年12月22日 20:21

*1 マーベラスサンデー鞍上の武豊騎手の父で当時は調教師

*2 前年に定年で引退したサクラローレルの調教師