マヤノトップガン(競走馬)

登録日:2021/12/07 Tue 10:02:44
更新日:2022/01/09 Sun 13:26:02
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マヤノトップガンとは、日本の元競走馬、種牡馬。
1992年3月24日生まれ。父はサンデーサイレンスに負けず劣らずの大種牡馬ブライアンズタイム、母はアルプミープリーズ。
主戦騎手は田原成貴だが、デビュー直後の4戦だけ武豊が騎乗している。


●戦歴

3歳(旧4歳)1月、のちにキングヘイローも手掛ける坂口正大厩舎でデビューしたが、脚部不安もあり当初はダートを走っていた。
ダート4戦目の未勝利戦でようやく初勝利を挙げるも、賞金が足りず春のクラシック級レースには出走できなかったため、春時点では重賞未出走の無名馬だった。

夏を終え本格化の兆しが見え始めると、「夏の上がり馬」として菊花賞トライアルレースである神戸新聞杯と京都新聞杯の両方に出走しいずれも2着と好走。そのまま菊花賞に挑むことになる。
この菊花賞だが、この年はフジキセキ*1と同じサンデーサイレンスの初年度産駒で皐月賞を制したジェニュインは距離適性の壁があり天皇賞(秋)を選択、同様にダービーを制したタヤスツヨシも不調を迎えていたこともあり、主役不在と言える状況だった。
(故にこの二頭と同じ父を持ち無敗の素質馬として高い評価を得ていたフジキセキが幻の三冠馬と後世に語り継がれ、この初年度産駒たちの活躍が日本競馬界を席巻するサンデーサイレンス旋風の序章となっているのはまた別の話)
そんな中で迎えた菊花賞。
1番人気は牝馬ながら菊花賞を選んだオークス馬ダンスパートナー、2番人気は京都新聞杯で先着を許したナリタキングオーに次ぐ3番人気に推される。

レースが始まると終始4番手を維持。第4コーナーで先頭に立つと、そのまま後続をぐいぐいと突き放しゴール。勝ち時計3分4秒4、前年度の三冠馬ナリタブライアンのタイムを上回るレコードタイムでG1初勝利を飾った。そして坂口師もこれが悲願のG1初制覇。
この時、関西テレビで実況を担当した杉本清アナは、

「神戸、京都で2着を続けたマヤノトップガン!ついにこの菊の舞台で大輪を制しました! 神戸は強い!今年は神戸だ!」

という実況を残している。
この年は1995年。1月17日に兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生した年でもある。
マヤノトップガンの馬主だった故・田所祐氏は神戸市の開業医(院長)だが、震災では自身の病院が被災したのみならず、弟夫婦も亡くすという不幸に見舞われていた。
また関西地方全体で震災復興を掲げるなか、スポーツ業界も例外ではなく燃えていた。そんな中で神戸の馬主が所有し、冠名の由来にもなった摩耶山*2の名を冠する*3競走馬が菊花賞を取ったということもあり、杉本アナの実況はこれを踏まえてのものと思われる*4

菊花賞を制した後も状態がよかったことから、陣営は年末の有馬記念を次走に選択。
しかし三冠馬・ナリタブライアンや女傑・ヒシアマゾン、5年連続有馬記念出走のナイスネイチャといった一線級の競走馬も出走しており、さらにG1を1回勝っただけで不安視されていたのか6番人気で出走。
しかしスタートから先頭に立つとスローペースに抑えて逃げ切り勝ちを収め、年度代表馬に表彰されることになった。

1996年はG2・阪神大賞典から始動。
ナリタブライアンとの年度代表馬対決に注目が集まったが、アタマ差の2着と惜敗。
しかし3着とは9馬身もの差をつけた壮絶なマッチレースを演じ、今日でも競馬の名勝負の一つに挙げられるほどのレースとなった。
続く天皇賞(春)は1番人気ナリタブライアンに続く2番人気に推されるも折り合いを欠き、ブライアンと同世代なサクラローレルの初G1勝利の影で5着に敗れる。
次に陣営が選んだのは宝塚記念。このレースは震災復興競走として興行されたほか、有力馬の出走回避もあり圧倒的1番人気に推され、鞭を一度も入れることなく快勝。被災者に勇気を与える結果になった。

夏を挟み、秋はオールカマーから始動。
サクラローレルとともに単勝の倍率1倍台と人気を二分するもサクラローレルの4着と完敗。本命の天皇賞(秋)は先行し粘ったものの、バブルガムフェローの史上初の三歳馬による天皇賞制覇の偉業の前に2着。
連覇を狙う有馬記念ではまたしてもサクラローレルの前に7着と惨敗に終わる。

翌1997年も現役を続行し、阪神大賞典から始動。
なんと最後方からのレースとなり、観客からもどよめきが起きるほどであったが第3コーナーから馬なりのまま追い上げていくと、第4コーナーで先頭に立ち後続を引き離して圧勝。
そして二度目の天皇賞(春)はマーベラスサンデー、サクラローレルと共に三強を形成。阪神大賞典に続き後方からレースを進め、レース終盤では前方で叩きあいを演じていたマーベラスサンデーとサクラローレルを大外から直線一気の末脚で豪快に差し切って勝利。
勝ちタイム3分14秒4は1993年のライスシャワーの記録3分17秒1を大幅に更新するレコード勝ちであった。

秋はジャパンカップを見据え京都大賞典から始動予定だったのだが、調教中に左前脚に浅屈腱炎を発症し引退、種牡馬入りすることになった。通算戦績は21戦8勝。

●引退後

種牡馬としてはブライアンズタイムの後継として期待され、彼譲りの長距離適正を持つチャクラ、ダートで中央地方交流重賞問わず活躍したメイショウトウコン、障害戦の雄デンコウオクトパス。母の父としてもマヤノ系初のG1級勝利をあげた2021年ジャパンダートダービー馬キャッスルトップを輩出。
ナリタブライアンが早逝し重賞ウィナー産駒を輩出出来なかったこともあり、ブライアンズタイム系では初年度産駒からウオッカを輩出したタニノギムレット(2002年ダービー馬)に次ぐ実績を挙げた。
傾向としてはG1馬こそ出なかったものの、短距離から長距離まで幅広い産駒を送り出し、重賞勝ち馬も多く輩出。晩成気味だが息の長い活躍を見せた産駒が多かった。
ただ後継種牡馬には恵まれず、チャクラが数十頭産駒を輩出するも重賞馬が出ずサイアーラインの継続は絶望的。

2015年には種牡馬も引退し功労馬として余生を過ごしていたが、2019年11月3日に老衰で死亡。享年27。北海道の「優駿メモリアルパーク」に墓碑が立てられている。

●余談

  • 馬の脚質という物は能力や気性からくるものだが、本馬は逃げから追い込みまであらゆる展開で勝利している。これは気性難から主戦騎手の田原が事前の作戦を決めず直前の馬の気分に合わせた騎乗を心掛けていた為。
  • いわゆる野生型の天才騎手であった田原成貴に最も多くのGⅠ勲章をもたらした馬として知られ、不祥事で競馬界から引退後のインタビューでも特に質問される事が多く、騎手の生き方・馬の走り方の破天荒さから田原のベストパートナーとして語られる。
    • ちなみに田原は勝利の際派手なパフォーマンスも披露しており、人によっては「馬より鞍上の方が目立っていた」とも言われていたり。
  • 香川県・金刀比羅宮の神馬であるルーチェはこの馬の産駒である。


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最終更新:2022年01月09日 13:26

*1 サンデーサイレンス初年度産駒で圧倒的な強さで同世代初の無敗G1馬となったが、皐月賞開始前に無敗のまま故障で早期引退を余儀なくされてしまいマヤノと対戦することはなかった。後にフジキセキ産駒で活躍した馬達に短距離・マイル系が多かったため、「もしマヤノトップガンとフジキセキが菊花賞で対決したらマヤノの方が強かったのでは?」なんて声が一部から挙がっているが、今となっては神のみぞ知るであろう。

*2 神戸市にある山。標高702m。

*3 「トップガン」の由来はもちろん同名のアメリカ映画

*4 球界でも関西に拠点を置くオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)が優勝しており、これも踏まえたのかもしれない。