武豊

登録日:2024/10/28 (mon) 12:00:00
更新日:2025/04/11 Fri 15:00:57
所要時間:約 12 分で読めます


タグ一覧
5爺 HERO IS COMING JRA お手馬多数 たけとよ もはや人外 アドマイヤグルーヴ アドマイヤベガ イナリワン ウオッカ ウマ娘のおじさん エアグルーヴ エアシャカール エアメサイア オグリキャップ オーパーツ カネヒキリ キズナ キタサンブラック グランドライダー コパノリッキー サイレンススズカ シーキングザパール ステイゴールド スペシャルウィーク スマートファルコン スーパークリーク タニノギムレット ダンスインザダーク ディープインパクト ディープ産駒武豊 トップジョッキー ドウデュース ナリタタイシン ノーリーズン バンブーメモリー ファインモーション ベガ マーベラスサンデー メジロマックイーン ユタカ リアルチート レジェンド ヴァーミリアン 三冠ジョッキー 三男 世襲制 京都巧者 伝説 何故かなかなか立たなかった項目 偉人 優駿の横にその姿あり 千両役者 原点にして頂点 名勝負製造機 名騎手 塩試合製造機 天才 奈瀬文乃 平成の盾男 数多の優駿の鞍を知る男 日本競馬界の顔役 旧時代の扉 栗東市 武インパクト豊 武豊 気軽に会える偉人 満足度、武〜! 滋賀県 現実が虚構を超える 生ける伝説 競馬 競馬に愛された男 競馬星人 西の豊 超えられない壁 超人 長い現役時代 騎手


(たけ)(ゆたか)は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレセン所属の騎手(フリー)。
「競馬」というものを単なる賭博からスポーツへと昇華させた、日本競馬史における不世出の伝説ジョッキー

妻は元アイドルの佐野量子。
なお、本項目では愛知県知多郡にある町やそれにちなんだ鉄道路線については扱いません。


基本情報

出身: 滋賀県栗太郡栗東町(現:栗東市)
生年月日:1969年3月15日(56歳)
身長:170cm
初免許年月日:1987年3月1日(競馬学校第3期)
騎手引退年月日:いつになるのか

主な成績・達成記録

  • 中央通算勝利数:4500勝↑(歴代一位)
  • 中央通算騎乗数:25000回↑(歴代一位)
  • 中央GⅠ級勝利:83勝(歴代一位)
  • 連続GⅠ勝利記録:23年連続*1(歴代一位)
  • 重賞勝利:368勝(歴代一位)*2
  • 連続重賞勝利記録:38年連続*3(歴代一位)
  • 年間最多重賞勝利:23勝/年*4(歴代一位)
  • リーディングジョッキー獲得:18回(歴代一位)
  • JRA騎手大賞*5獲得:9回(歴代一位)
  • 年間100勝達成数:23回(歴代一位)うち3回は200勝達成(もちろん史上最多)
  • GⅠレース最年少優勝:19歳7ヶ月23日
  • GⅠレース準最年長優勝:55歳8ヶ月9日 なぜ一位ではないのか
  • 一日最多勝利数:8勝(歴代一位)*6
  • 土日最多勝利数:12勝(歴代一位)*7

  • 中央GⅠ24レース中23レース制覇*8
  • 最多勝利記録をもつ中央GⅠレースの数:14個/24個
フェブラリーステークス 5勝
大阪杯(GⅠ昇格以降) 2勝
桜花賞 5勝
天皇賞春 8勝
NHKマイルカップ 3勝
日本ダービー 6勝
宝塚記念 4勝
秋華賞 3勝
菊花賞 5勝
天皇賞秋 7勝
エリザベス女王杯 4勝(4連覇)
ジャパンカップ 5勝
チャンピオンズカップ 4勝
有馬記念 4勝

来歴

【~20代 若き天才】

1969年京都府に生まれすぐに滋賀県栗東市へ移る。祖父は元馬主協会会長武芳彦、父は二冠馬キタノカチドキ"天馬"トウショウボーイの主戦を務めた「ターフの魔術師」武邦彦であり、親戚にもホースマンの多い競馬一家で育った。後に生まれる弟武幸四郎も騎手となる。(現在は調教師)

ホースマンの世界では親類縁者が競馬関係者というのは珍しくなく、二世・三世騎手というのはよくある話。
ご多分に漏れず彼も幼いころから騎手への憧れが強く、小学校では幼馴染と競馬の話で盛り上がったという。
.......そしてその"幼馴染"こそ、後にオルフェーヴルサトノダイヤモンドなど数多くの名馬を育てる名調教師池江泰寿その人である。彼が育てた馬には一頭も「武豊を乗せてGⅠを勝った馬」がおらず、むしろ武豊を脅かすような存在が多いのは一体何の因果なのだろうか??

学年トップの成績で競馬学校を卒業すると武田作十郎厩舎に入り、当時のトップジョッキーの一人河内洋の弟弟子としてデビュー。
その手綱さばきは若いころから異次元の域にあり、デビュー年にいきなりリーディング6位を獲得その二年後にはリーディング1位を獲得するなど、見習い騎手の減量制度も有ったとはいえ、馬質が低くなりがちな新人時代にこれほどの成績を挙げるのはめったにないレベルで、「天才」として脚光を浴び続けた。(あまりにも新人離れしていたので見習い騎手の減量期間再考に影響した)

活躍は平場開催にとどまらず、GⅠをはじめとする重賞でも目立ち始める。わずかデビュー7カ月で重賞を制覇する*9と、翌年にはクラシック競走の一つ菊花賞を逆指名のおかげでスーパークリークと共に勝利。今なお破られぬGⅠ勝利史上最年少記録をマークした。

スーパースターオグリキャップ引退の花道を見事に飾ったり、スーパークリークや名優メジロマックイーンとのコンビで史上初となる天皇賞春四連覇*10を果たすなど、第二次競馬ブームの主役として大活躍。その輝きぶりは競馬界のみならず世間にも広く知れ渡るようになる。
なお、天皇賞春に限らずとも「同一GⅠ4連覇」という記録はそれ自体が唯一無二のものであったが、後に他ならぬ武豊自身がGⅠエリザベス女王杯にて新たに4連覇を達成することになる。*11

活躍の場は日本のみにとどまらず、海外にも広がりを見せる。
デビュー3年目の夏に初めてアメリカで騎乗機会を得ると、以後毎年のように海外へ遠征。
1994年にはスキーパラダイスとのコンビでフランスGⅠムーラン・ド・ロンシャン賞を勝利。JRA所属騎手初の海外GⅠ制覇を達成した。
後に武豊はこの経験に基づいて、「海外で騎乗するチャンスがあるなら日本で経験を積んでからなんて考えずにどんどん挑戦した方がいい。」と、若手騎手にエールを送っている。

古くより日本競馬界で重要とされてきた八大競走*12のうち、何と7つを20代で制覇した武豊。
しかし、あと一つだけ、一番大事なものを取り損ねたままだった。
日本ダービー全てのホースマンが夢見る最高の称号である。

デビュー以来9度挑みつつも届かなかったタイトル。普通に考えればそんなのは当たり前で、むしろ20代で勝てる方がおかしいのだが、既に名実ともにトップジョッキーとなっていた彼が中々ダービーを勝てないことへの違和感が競馬サークル内に広がっていたのもまた事実だった。
この時期の心境について武豊は後に、自分の今まで積み重ねた勝利全てと引き換えにしてもいいと思うほど、ダービージョッキーの称号が欲しくて欲しくてたまらなかった」と述懐している。

そして迎えた運命の日
デビュー以来手綱を取っていた相棒スペシャルウィークとのコンビを、ファンは期待を込めて2.0倍の一番人気に支持した。
そして......

夢を掴んだ武豊!

直線で並ぶ間もなくかわすと、後続を突き放す5馬身差の圧勝劇を披露。見事ダービージョッキーの称号を手にし、史上二人目の八大競争完全制覇騎手となった。
この時の武豊は後に自分で見て恥ずかしくなるぐらい何度もガッツポーズをしており、喜びの大きさが見て取れる。
"ユタカ"コールに湧き上がる東京競馬場の光景について、彼は後に「今までの人生で最大、最高の瞬間」と振り返っている。

【30代 英雄との出会い】

齢30にして既に当代最高のジョッキーとしての名声を確かなものとした武豊。
その勢いはとどまることを知らず、2002年には騎乗拠点の大部分をフランスに置きながら、29.1%というとんでもない勝率でリーディングジョッキーの座を獲得。
2003年には長きにわたり不可能と言われ続けてきた年間200勝という快挙を成し遂げると、当然のように翌年も達成する

まさに絶頂期にいたそんな時、彼は人生を変える一頭と出会うこととなる。

ディープインパクト

ずっとずっと逢いたかった、最大で最強、最速のヒーロー
彼はそんな英雄と共に、皇帝以来となる無敗三冠、GⅠ7勝を達成した。
詳細は当該項目に譲るが、彼のディープへの親愛は傍から計り知れないほど大きいものであった。

彼とターフで別れを告げてもその勢いに陰りは見られず、2007年にはJRA史上初となる通算3000勝GⅠ通算60勝を達成。
2005年にそれまでの最多となる通算2943勝を以て引退した岡部幸雄は55歳(2024年時点の武豊と同じ)までのキャリアでこの記録を打ち立てたが、武豊はこの時何と38歳であり、40代にすら入っていない。
「勝つたびに記録を更新する」立場にたち、その未来は洋々になるものと誰もが疑わなかった。

【40代 艱難汝を豊にす】

2010年、GⅢ毎日杯のレース中、頭から地にたたきつけられるように落馬してしまう。この事故で負った傷は非常に重く、再復帰するのに半年以上を要した
ただ、この「復帰」は怪我を無理に誤魔化しながらのものであり、事実思うように勝てない日々が続く。

2011年、2012年は年間64勝(16位)、56勝(19位)と、100勝が当たり前だったころと比べれば不振を感じてしまう結果におわる。上位20位以内で不振とされるのもおかしい気がするが....
後に武豊はこの時期について、「年間200勝していたのが数年後に年間50勝になるのは正直きつかった」と回顧している。
また、デビュー2年目から続いていたJRAGⅠ連続勝利記録も2011年で途絶えてしまう。

苦境のトンネルにいたそんな時、彼は新たな相棒と出会う。
かつて共に金字塔を築き上げた盟友ディープインパクトの息子、キズナである。
同じく落馬で重症を負い、そのまま引退してしまった後輩佐藤哲三から託された手綱。そのどうしようもない重みを感じつつ、彼は再び勝負に挑む。

ダービーを目指すキズナ陣営が選択したのは、GⅢ毎日杯。そう、今に至る不調のきっかけとなった、因縁の競走である。
賞金不足から出走せざるを得ない立場であったとはいえ、武豊の心境を考慮し彼のエージェントは他のトライアル競走を希望したという。しかし彼は覚悟を決めて騎乗を決断。

結果、見事なエスコートぶりを発揮し三馬身差の圧勝。クラシックへの参加切符を手中に収めた。
この勝利で嫌なイメージを払拭し、吹っ切ることができた。彼は後にそう述懐している。

そして本番日本ダービー。14万人にもおよぶ観衆は、15年前と同じく彼とキズナのコンビを一番人気に推した。絶好枠とも言われる一枠一番*13を引き、視界は良好。
最後の直線、彼の手腕で進路を開いたキズナにエンジンが点火。末脚を爆発させ、親愛なる後輩福永祐一が操るエピファネイア半馬身抑え優勝

ぼくは、帰ってきました!

ファンの「おかえり」を耳にして、自然にこぼれた魂の弁
"武豊"が、みんなの前に「ただいま」を告げた瞬間だった。

結局この年は前年から大きく成績をあげ、年間97勝の成績をあげる。
二年後の2015年には6年ぶりに年間100勝を達成。
海外から来たクリストフ・ルメールミルコ・デムーロ、地方競馬出身の戸崎圭太といった通年免許中途取得組、福永祐一川田将雅といった後輩らの勢いに押されながらも、安定してリーディング上位に位置しつづける。

2016、2017年にはみんなの愛馬キタサンブラックとのコンビでGⅠを6勝。様々な競馬場に「まつり」の凱歌を響かせた。
また、長年にわたる一線級での活躍が評価され、日本人初のロンジンIFHA国際功労賞を受賞。
彼はもはや、日本だけでなく世界中のホースマンが憧れるような存在となっていた。

そしてついに2018年、通算勝利数4000勝を達成。
感嘆の声こそ上がれども、驚きの声は上がらない。
誰しもが、「武豊ならできるはず」と、そう思っていたからだ。

【50代 紡ぎ終わらぬ伝説】

一説では、騎手という職業の平均引退年齢は30代後半と言われている。
そもそも走るのは人ではなく馬なので、アスリートの一種としては継続的な負荷は少なく、50代の身体で続けること自体は非常識というほどではない。
なんなら地方には50代どころか60代後半で現役騎手という凄まじい人物*14までいる。
とはいえ、騎手の仕事に定収はなく、衰えたと見られれば勝てないどころか人気馬も大レースも機会自体を回してもらえず稼ぎが激減するため、大きな衰えを見せることは許されない。
また、騎手は常に危険と隣り合わせの、非常にハードな仕事である。
不本意な形で騎手人生を絶たれることも少なくないし、最悪の場合、殉職という形でキャリアを終えることも十分起こり得る。

そして、騎手にはある種の既定路線として(……と言っても厳しい資格試験を伴うが)調教師という第二の人生がある。
同期の名手蛯名正義、10歳近く離れた実弟武幸四郎、背中をずっと追いつづけられ、晩年は並んで競い合った福永祐一など、身体的な問題の有無を問わず彼以下の年齢で調教師に転身した者はすでに数多い。

しかし武豊という男に、そんな常識は通じない。
孔子が天命を知る年でも、彼がいるのは馬の上。
衰えがでても不思議でないのに、はたしてその手綱さばきは冴えわたる。
ちなみにビジュアルや肌ツヤも何故か一切衰えない。

2021年には、新たな相棒ドウデュースと出会う。
馬主の松島正昭は武豊の知人にして大ファンであり「自分の馬に武豊を乗せて凱旋門賞を勝つ」ことを目標として公言し、所有馬には可能な限り武豊を乗せるスタンスというファンボーイの極み培われた人脈から与えられたこの出会いで、
初めて朝日杯を優勝すると、ダービー有馬記念天皇賞秋ジャパンカップと、ビッグレースを次々制覇。
ゼンノロブロイ以来史上3頭目の秋古馬三冠がかかった、2度目の有馬記念は調教中の跛行により無念の出走取消となったが、多くのファンに夢を見せ続けたのであった。

2024年に通算勝利数4500勝を達成するも、まだまだ欲は満たされない様子。
一番勝ちたいレースを問われた武豊は、「次の一勝です」とにっこり答えた。
きっと明日も明後日も、彼はどこかで鞭を振るう。






これだけ偉大なレジェンドに、一度会いたくなったなら
次の土日は早起きして、競馬場へと行ってみよう
こんなに気軽に会える偉人は、中々いない


騎手としての強み



全部




真面目に話すと、馬上でフォームを全く崩さない体幹、鞭を持ちかえる俊敏性、伸びる部分を見分ける馬場読み、スムーズなスタートなど、騎手に求められるほぼ全ての技術で日本トップクラスの域にいる。
もちろん、近年は加齢による筋力や体力の衰えが見られる部分もあるが、有り余る技術と経験があるせいでそれをある程度カバーできていると言ってよい。

中でも突出して優れているといわれるのは、正確無比な体内時計である。
特に、自らラップメイクを行う「逃げ」を行うときにその真骨頂が発揮される。
具体例として、2016年天皇賞春、キタサンブラックで逃げ切ったレースでは、前半1000m61.8秒、次の1000m61.7秒と、精密機械のようなラップを作り4cm差の接戦を制した。
また、2023年大阪杯、ジャックドールで同じく逃げ切ったレースでは、勝利後のインタビューで「前半59秒くらいで入りたかった」とコメントした。そして後に発表された前半1000mタイムは、何と58.9秒。

そもそも逃げ馬の戦いは心理戦の側面が大きい。後方の騎手は、「逃げ馬を放置したくはないが無理についていってバテたくもない」と思っている。
武豊の逃げはそれを逆手にとり、一旦緩め息を入れた後、締まったペースで逃げることで、「後ろが捕まえたいほど遅くはないが放置しておくと最後まで持つ」逃げを打つことが多い。
もちろんこれは馬のスタミナが足りて初めて成立する戦法であり、実際キタサンブラックやジャックドールはGⅠで上位人気に推されるような実力者ではあるものの、彼の恐るべき体内時計がなければなしえない技であることもまた確かである。

しかしこれは裏を返せば、「武豊が刻むペースでいけば間違いはない」ということでもあり、"武豊の後ろ"が"人気馬の後ろ"に等しいベストポジションとなるケースは数多い。
最近の例だと、2024年菊花賞では最後の直線で武豊騎乗アドマイヤテラ(7番人気)の後ろにいたアーバンシック、その後ろのヘデントールがワンツーフィニッシュを決めた。(アドマイヤテラも3着で馬券に絡んだ)
その誰もが認める技術が、他馬を利する要素にもなってしまうのだから難しいものである。

さらに、「先読み」能力に関しても図抜けたものをもっている。体内時計の正確さに起因するペース読みはもちろん、目の前のジョッキーのわずかな挙動、予め把握していた出走馬の癖などを秒単位で整理し、開く進路を見出す能力が非常に高い。
長年の経験で身に着けた冷静さ、強心臓も相まり、逃げだけでなく差しや追い込みでも多くの結果を残してきている。

また動体視力も非常に優れており、時速約60kmで走行するレースの最中にコース脇に蛇を発見して、レース後「あそこに蛇いて気持ち悪かったよなぁ」と他の騎手に話しても誰ひとり蛇に気付いてなかったというエピソードがある。

ただ、彼にも一つだけ騎手向きではない才能がある。170cmという身長である。
近年、日本の成人男性の平均身長は172cm程度と言われているため、世間一般で言えば極めて平凡な値に映るが、騎手という職業に限定すると、実は稀な長身である。長身は手足が長い事から騎乗馬をコントロールする上でそれが有利に働くこともあるのだが、それ以上にデメリットとなることが多い。
というのも、競馬に斤量という概念がある都合上、騎手はどうしても大体50kgくらいまで体重を絞っておかなければならない。ゆえに小柄であればあるほど都合が良いのである。
この身長で体力仕事をするのに50kg程度を維持、しかもそれを50代まで続けているということの困難さは言わずもがなであろう。
この体型は遺伝の面もあり、父・邦彦は更に高い172cmで、弟・幸四郎は177cmもあったばかりに騎手時代は健康に支障が出るレベルの減量を強いられることとなり、ジョッキー引退の一因になったとも噂される。

競馬場の中でも特に京都競馬場は得意なようで、ファンからは「庭」呼ばわりされるほど。
2024年には、京都競馬場での通算勝利数が1400勝を突破した
ちなみに2025年現在、現役騎手でJRA通算1400勝を突破しているのはわずか11名*15である。何を言っているのかわからない......

ここに書いてある事柄だけで彼の騎手としての凄さが伝わらないのであれば、2023年からJRAがYoutubeにアップしているジョッキーカメラ動画を是非ご覧いただきたい。
これは騎手のヘルメットに超小型カメラを装着して撮影した、いわば「レース中の騎手の視点をそのまま体感できる映像」である。
これまでに幾人もの騎手によるジョッキーカメラ動画が多数アップされているが、そのほとんどの動画で映像が激しくブレている。
激しく体を揺らして時速60km以上の速度で疾走する馬に騎乗しているのだから当然のことで、大半は今現在で武豊よりも重用されるような現役トップジョッキー達の騎乗であるため、実力不足ということは有り得ない。
しかし武豊のジョッキーカメラだけは、映像がほとんどブレないのだ。これこそ、前述の「体幹が全く崩れない」ことのこれ以上ない証左である。
その他、ここぞという時の鞭捌きや位置取り、レース展開の読みなどの全てを体感することができる。加えてレース後の騎手間やオーナー、厩務員さんなどとのやり取り等、彼の人柄も垣間見えるお宝満載動画であるので、ファン必見である。

人物

武豊は高い技術をもつ騎手であると同時に、世間一般でも名の通る「競馬の顔」として一線を画した存在感を放っている。
これは若い時から積極的にメディア露出へ応じてきたこと、そしてなによりその圧倒的なトーク力に由来するものだといえる。*16
性質上ブラックやグレーな物事が多くなりがちな競馬界において、彼個人は目立った不祥事もなく*17クリーンなイメージを守っているのも、顔役たる所以であり顔役として偉大な部分といえよう。

優しく落ち着いたビジュアルや声色、思わずニヤリとしてしまうようなセンスあふれるトークが彼の最大の魅力だと言う人も数多い。たまにスベることもあるが
2021年には年齢を自虐ネタにした5爺*18なるユニットを提唱している。2024年には2爺がGⅠを勝利した。まだまだ元気いっぱいである。

本人としても競馬界における自身の役割を意識する部分は大きいようで、「武豊というキャラクター」としての行動を通じて競馬の普及、発展に尽力していきたいと語っている。
アニヲタ的な観点だと、やはりウマ娘への影響は大きいだろう。プロジェクト初期から公式プロモーターとしてCMなどに度々登場しては火を吐いたりタップダンスをしたりして話題をさらい、一般層や競馬界・競馬ファンへのアプローチに少なからず貢献したと言える。また、アニメ版1期の第5話では本人役*19で声優として出演した。しかも単発ゲストなのにやたら上手い。挙げ句、プリティーじゃないコミカライズでは事実上の女体化までする始末。

今更だが、1文字・1文字のフルネームゆえに大体「武豊」とフルネームで表記されがちである。
競馬一家なので姓で表記するわけにはいかないし、名前に関しても6つ下で現役騎手の吉田豊*20がいて混同を招くという都合もあるが。

他に余談的な観点でいうと......
  • 食べ物の中ではカレーが好物でにんじんが苦手。幼少期から馬と共に過ごしていたせいで、にんじんは馬の食べ物という先入観が強いとのこと。カレーに関しては、自分の好きな味を再現した「Yuta curry」を監修するほど。第二弾はとてつもなく辛いらしい
  • JRA所属なので法律上JRAの馬券は買えないが、地方競馬や海外レースの馬券はよく買う勝負師。しかしめっきり当たらないとのこと。
  • 野球は阪神ファン。2023年は大怪我での休養中に38年ぶりのアレをテレビで見て、パワーをもらったという。勢いそのまま当年の有馬記念を勝つのは流石千両役者といったところか。
  • ゲーム『筋肉番付vol.2〜新たなる限界への挑戦!〜』に隠し選手として登場したことがある。2000年のゲームなので当時31歳。もし現実に出演していてもそうおかしくはないのだがマニアックな選出である…。
  • 実は「タケユタカ」という名前の競走馬が実在していたことがある(1971年生まれの鹿毛牝馬。父パーソロン・母ハヤススム・母父グレーロード。戦績3戦1勝)*21。この名前が付けられた頃の武豊(1969年生まれの人間)は騎手デビューどころではない幼児であるためわざわざ名前の由来にされるはずもなく騎乗しようもなかったが、「後にフルネームの読みが同じ騎手が大成したことで知られるようになった元競走馬・元繁殖牝馬」なんてのもそういないのではなかろうか……。
  • なお2024年11月時点で最年長JRA・G1勝利の記録を持っているのは56歳3ヶ月3日で2024年日本ダービーを制した横山典弘騎手。
    競馬学校2期生で武豊の一つ上の先輩、武豊の持つ数々の勝利記録の裏でGI・2着が通算57回、うちJRAでは48回、GI・2着を1995年から2012年連続達成という珍記録を持っているが、同時に武豊に次ぐJRA勝利数2900勝越えという大記録を持つレジェンドでもある。
    彼も父*22が騎手だった2代目だが長男・和生、三男・武史の2人の息子*23も騎手となり両者ともG1を勝利し親子3代でG1を制している。*24



追記・修正は、GⅠを80勝してからお願いします

この項目が面白かったなら……\でした。/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 何故かなかなか立たなかった項目
  • 競馬
  • 騎手
  • 三冠ジョッキー
  • JRA
  • レジェンド
  • 伝説
  • 千両役者
  • ユタカ
  • ディープインパクト
  • キタサンブラック
  • 天才
  • 超えられない壁
  • 原点にして頂点
  • トップジョッキー
  • サイレンススズカ
  • スーパークリーク
  • ドウデュース
  • スペシャルウィーク
  • アドマイヤベガ
  • ウマ娘のおじさん
  • 滋賀県
  • 栗東市
  • 生ける伝説
  • たけとよ
  • 武インパクト豊
  • オーパーツ
  • もはや人外
  • 競馬星人
  • 5爺
  • 現実が虚構を超える
  • リアルチート
  • 偉人
  • マーベラスサンデー
  • エアグルーヴ
  • ファインモーション
  • メジロマックイーン
  • タニノギムレット
  • ディープ産駒武豊
  • 西の豊
  • シーキングザパール
  • エアメサイア
  • ナリタタイシン
  • バンブーメモリー
  • キズナ
  • 世襲制
  • 日本競馬界の顔役
  • エアシャカール
  • ベガ
  • 平成の盾男
  • 武豊
  • スマートファルコン
  • オグリキャップ
  • イナリワン
  • 旧時代の扉
  • 奈瀬文乃
  • 満足度、武〜!
  • ノーリーズン
  • ウオッカ
  • アドマイヤグルーヴ
  • コパノリッキー
  • 競馬に愛された男
  • 名騎手
  • 長い現役時代
  • 数多の優駿の鞍を知る男
  • 超人
  • グランドライダー
  • 京都巧者
  • ステイゴールド
  • 三男
  • ヴァーミリアン
  • ダンスインザダーク
  • カネヒキリ
  • お手馬多数
  • 気軽に会える偉人
  • 名勝負製造機
  • 塩試合製造機
  • 優駿の横にその姿あり
  • HERO IS COMING
最終更新:2025年04月11日 15:00

*1 1988年から2010年まで

*2 1987(京都大賞典)~2024(ジャパンカップ)+交流119勝(~'25クイーン賞)+海外26勝

*3 デビューした1987年から2024年まで。すなわち、今なお更新中

*4 ディープインパクトやカネヒキリなど、芝にもダートにも有力馬がそろった2005年の記録。GⅠ6勝、GⅡ6勝、GⅢ11勝という恐るべき成績を残した伝説の年。

*5 同一年度で勝利数・勝率・獲得賞金額全てでトップに立った時に贈られる、騎手界最大の栄誉ともいえる賞。武豊以外には長年トップジョッキーとして活躍し、現代競馬の礎を築いた名手岡部幸雄(2)、現在日本競馬の第一線で活躍するクリストフ・ルメール(2)、川田将雅(1)しか受賞例がない。

*6 2002年12月7日、阪神競馬場にて記録。なお、後にクリストフ・ルメールが二度も一日8勝を達成している。

*7 2005年9月24,25日、阪神競馬場にて記録。「伝説の12勝」の最後の勝ち星は、英雄ディープインパクトの神戸新聞杯である。

*8 残りは2017年にGⅠとなったホープフルステークスのみ。なおGⅠ昇格前の当レースを武は5勝しており、これは史上最多記録となる。

*9 京都大賞典をオークス馬トウカイローマンで勝利。なおトウカイローマンの妹トウカイナチュラルは後に不屈の帝王トウカイテイオーの母となる。

*10 1889年イナリワン、1990年スーパークリーク、1991〜92年メジロマックイーン。

*11 トゥザヴィクトリー、ファインモーション、アドマイヤグルーヴ(連覇)とのコンビで4連覇達成

*12 皐月賞・日本ダービー・菊花賞・桜花賞・オークス・天皇賞春・天皇賞秋・有馬記念の8つ。なお、現在牝馬三冠最終戦となっている秋華賞は設立が1996年と遅く、クラシック競走の中で唯一該当していない。

*13 ダービーはCコース変わりの週に行われるため、内ラチ沿いが有利な馬場となりやすい。過去にもエイシンフラッシュやロジャーバローズなど、穴馬が勝った例がいくつもある

*14 大井競馬の的場文男騎手。25年現在、齢68という高齢ながら現役騎手を務め続けた「大井の帝王」。24年2月に膝の靭帯を損傷する怪我を負ってしまい、同年度いっぱいで引退予定

*15 横山典弘、柴田善臣、川田将雅、クリストフ・ルメール、岩田康誠、幸英明、戸崎圭太、和田竜二、北村宏司、池添謙一、そして武豊。

*16 幼少期から感じていた「競馬への偏見」を自分が前に出ることで払拭したい、という本人の考えによるもの。

*17 不倫をすっぱ抜かれた事はある

*18 50歳以上の現役騎手の総称として、携帯の通信回線速度の現行域5Gを捩った呼び方であり、当時のJRA所属騎手の年長順に柴田善臣、小牧太、横山典弘(2024年日本ダービー制覇で最年長中央G1勝利騎手に)、熊沢重文、武豊の5人。現在では熊沢は既に引退し、小牧は兵庫競馬に再移籍しているため、繰り上がりで内田博幸と岡田祥嗣が参入した……のだが、岡田は既に半引退状態のため、さらに繰り上がりで江田照男がカウントされることが多い。

*19 競走馬、もとい競走ウマ娘が人を載せず自分の判断で走る同作の世界には「騎手」という概念が存在しないため、レースの解説として登場。なお他の回や作品でも解説役は実在の競馬関係者が本人役で出演している。

*20 通称『東の豊』。彼もG1を複数回制した名手であり、メジロドーベルやパンサラッサなどがお手馬として有名。武豊のほうは『西の豊』とも。

*21 子孫からキタサンチャンネル・キタサンヒボタン・キタサンミカヅキといった北島三郎所有の重賞馬を輩出している。

*22 横山富雄、障害レースの名手として名を馳せ、平地競走でも今のG1競走を勝ったレジェンドの一人でもある

*23 次男は高身長なこともあり一般人として暮らしている。なお父や兄弟の応援のためにレース場を訪れる姿が度々目撃されている。

*24 和生が春天・宝塚、武史が秋天勝利で親子3代制覇を達成、更に朝日杯FS・オークスが親子3代制覇の可能性が残っている、富雄はビクトリアカップも勝利しており現在のエリザベス女王杯の前身だが、距離が違う・回数が引き繋がれなかったなど別物ではあるがこれも極めて特殊な親子3代がかかっているレースでもある