グランシュヴァリエ(競走馬)

登録日:2021/12/05 Sun 06:39:29
更新日:2025/03/26 Wed 09:06:55
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グランシュヴァリエとは、日本競走馬である。
通称「高知総大将」。
当時廃止寸前だった高知競馬場を「負け組の星」ことハルウララの後を継ぐ形で復活させたである。
馬名はフランス語で「偉大な騎士」を意味する。シュヴァルグランとは無関係。そもそもあっちの由来は「偉大な馬」である。

父タヤスツヨシはサンデーサイレンス初年度産駒のダービー馬。母ラストキッスは中央で1勝クラスの馬だがその父はマルゼンスキーと、良血というわけではないが全くの無名血統というわけでもない。

中央時代

グランシュヴァリエは2008年2月9日に行われた東京競馬場のダートのマイル戦にて中央デビュー。3番人気に推されたこのレースでは先行して直線で抜け出し、勝利した。

その後、3歳500万以下を3度走り、3度目で勝利し1000万下へ来たものの、ここから勝てなくなってしまう。
同年11月9日に行われたシンガポールTC賞(1000万下)で5着に敗れるとそこから8ヶ月ほど休養。休養理由は不明だが、これにより500万下へ降級してしまう*1

再び500万下を走ることとなったグランシュヴァリエだが2度目の挑戦で勝利し、中央3勝目を達成。
この調子ならもっと上のクラスに、もしかしたら重賞出走もできるかも…しかし2009年10月4日の江戸川特別(1000万下)。グランシュヴァリエは15頭中15着の惨敗。しかも不幸はそれだけには留まらなかった。

グランシュヴァリエは屈腱炎を発症してしまう。

競走からの長期離脱必至であり、競走馬のガンとも言われている完治不可能の怪我。

ただ、確かに数多の名馬たちを引退させた屈腱炎だが発症=引退というわけではない。
例えばオフサイドトラップは3度の屈腱炎の再発に苦しみながらも走り続け、天皇賞(秋)を制覇した。
しかしそれはオフサイドトラップが重賞に出走できる力を持っていたからこそできた選択である。

グランシュヴァリエは実績のない条件馬。怪我を持った条件馬に中央での馬房はない。
こうして、グランシュヴァリエは中央登録抹消。高知競馬場へ移籍することとなる。

偉大なる騎士、高知へ

2000年代から2010年代前半にかけて、娯楽の多様化を受けてか、地方競馬の業績は大幅に落ち込んだ。それにより数々の地方競馬場が廃止されていった。

高知競馬場も一度は廃止の危機に陥ったが、高知の怪物イブキライズアップと連戦連敗のハルウララをマスコミに売り込み、ハルウララが人気者となったことで立て直すことに成功。
しかしイブキライズアップは現役中予後不良となり、ハルウララ引退とともに高知競馬場から人は消え、ハルウララブームで得た資金は底が見え始めてしまう。
復活のために必要なものは唯一つ…。

『強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある』と僕は思っています。

これはハルウララブームの際に、武豊騎手が残した言葉である。
高知競馬場復活のために必要なもの。それは、強い馬である。
強い馬が強い馬と競い合い、それが競馬を彩るドラマを作り出すのである。

しかし、当時の高知競馬場は「馬の流刑地」と呼ばれていた。
地方競馬場ですら勝つことのできない馬達が流れ着く場所、まさに最下層の中の最下層。それが高知競馬場だったのだ。
ハルウララの連敗が話題になったのは、この高知競馬場で負け続けたからだったのかもしれない。

一頭だけでもいい、強い馬が来てくれれば…そんな時に中央から移籍してきた馬、それがグランシュヴァリエである。

中央3勝、中央での獲得賞金は4,105万円と当時の高知競馬場の馬としては破格の実績を持つ馬だった。
しかも移籍の理由は年齢による衰えでも連敗ゆえでもない。むしろ移籍する3走前の競走では勝っているのである。ただ屈腱炎を発症してしまったから中央を追われただけで、前述の通り、屈腱炎があっても走ることはできる。
元より故障経験持ちと高齢馬だらけの高知競馬場には、治療をしながら戦い続けることになる馬のための設備とノウハウが十分整っていた。
グランシュヴァリエを復帰させるため、担当厩舎である雑賀正光厩舎は入念なリハビリと調整を施した。

高知のグランシュヴァリエ

年が明け2010年。競走に復帰したグランシュヴァリエは鞍上に高知のトップジョッキーである赤岡修次騎手を乗せ、川崎競馬場の「報知オールスターカップ(ダート2100m)」に挑むことに。

この競争は、各地方競馬場トップクラスの馬が集う南関東競馬場の年明け一発目のビッグレース。グランシュヴァリエは休養明け、高知競馬場所属であったことを受けてか8番人気に推される。
「高知の馬が勝てるはずがない。」誰もがそう思っていた…が。

4番手につけたグランシュヴァリエは第3コーナーを回ると先頭に立つ。しかしゴール手前で3番人気マズルブラストに差され、半馬身差の2着。
高知の馬が馬券に絡み、それどころかあわや勝利というこの結果は、ファンたちを大きく驚かせた。

地元のレースでもグランシュヴァリエは強かった。2戦連続単勝オッズ1.2倍という圧倒的人気で支持され、これらを圧勝。残念ながら高知唯一のグレード競走である「黒船賞」では11着となってしまったものの、実力は十分。グランシュヴァリエはこの後、全国を巡り
4/29 笠松競馬場 オグリキャップ記念 重賞 4着
6/30 大井競馬場 帝王賞競走 GⅠ 11着
8/12 門別競馬場 ブリーダーズゴールドカップ GⅡ 6着
9/23 船橋競馬場 日本テレビ盃 GⅡ 8着
と、体調を崩すことなく走り続けた。「高知のグランシュヴァリエ」の名は出馬表の【高知】の文字、実況の「高知代表グランシュヴァリエ」とともに、知名度を上げていった。

マイルチャンピオンシップ南部杯

そして2010年10月11日、日本最高峰の地方GⅠ「マイルチャンピオンシップ南部杯」に出走することに。
この競争は地方馬と中央馬が入り乱れる勝負であるが、地方馬と中央馬のレベルが違いすぎるためか、大体は中央の馬達が上位を占めることとなる。

しかも当時の中央はまさに大ダート時代と言っても過言ではないほどダートの強豪たちがひしめき合っていた*2
このレースに出走した中央馬6頭だけでも
  • GⅠ級競走5連勝中でアメリカ遠征を控えている同期のエスポワールシチー
  • 2009年のジャパンダートダービーを2馬身差で制したテスタマッタ
  • 兵庫チャンピオンシップやユニコーンSの勝ち馬バーディバーディ
  • エルムS2着の同期のオーロマイスター
  • 佐賀のGⅢ競走サマーチャンピオンを勝利した同期のセレスハント
  • 様々な重賞を制している10歳の牝馬メイショウバトラー
と強い馬達のオンパレード。
この競走では上述の中央馬が上位人気を占め、地方馬最上位の人気であるクロスウォーターですら単勝456.4倍と、地方馬達は期待されてなかった。
というか一番人気であるエスポワールシチーが単勝1.0倍であり、完全にエスポワールシチーのアメリカ遠征前の叩きのような雰囲気であった。

そんな中でグランシュヴァリエは12頭中11番人気。完全に注目されていなかった。

スタート直後は大方の予想通り中央馬6頭が先頭を切り、地方馬は後方でついていくのがやっと。しかし、中央の馬達に喰らいつく地方馬がいた。そんな馬がいるわけ…

「このグループにはグランシュヴァリエも加わりました!」

いた。グランシュヴァリエである。
大外を回されたグランシュヴァリエだったが外からいい手応えで伸びてくる。先頭を走るオーロマイスターとエスポワールシチーに喰らいつき、一度は先頭に立つ。
しかし大外を回された影響か、最内を回ったオーロマイスターとエスポワールシチーが差し返し…

「1着オーロマイスター2着エスポワールシチー、そして高知のグランシュヴァリエ続いています!」

なんと3着でゴール。この光景に雑賀正光さんも信じられなかったと言っていたそうな。
そんなグランシュヴァリエの単勝オッズは636.3倍。あのサンドピアリスのエリザベス女王杯の単勝オッズよりも遥かに高いオッズである。2勝しかしていない馬がG1を勝つことよりも期待されていなかったのだ*3
このレースでグランシュヴァリエはその名を更に全国へと轟かせることとなった。

復活の高知競馬場

グランシュヴァリエはその後も全国の地方競馬場で走り続けた。
格の高いグレード競走にも精力的に出走し、2011年JBCクラシック(GⅠ)では8番人気で4着、2013年佐賀記念では6番人気で5着、同年の浦和記念(GⅡ)では10番人気で4着と、数回掲示板を確保している。

2012に行われた重賞レースであるファイナルグランプリ(ダート1800m)を一番人気に応え制覇、重賞勝利馬となると地元高知における最も位の高い競争である高知県知事賞(ダート2400m)を連覇。
そしてグランシュヴァリエの活躍に応えるかのように、高知競馬場は業績をどんどんと回復させていった。

グランシュヴァリエ移籍前後の数々の施策

  • 全国初のナイター競馬実施
高知競馬場は高知市街から離れており公共交通機関のアクセスが良くないことで客離れに繋がった。
だが回りに民家が少ない山の中にあったからこそナイター競馬は全国でもやりやすい環境があった。
ナイターであれば自家用車所有率の高い仕事終わりのサラリーマンなども呼び込みやすくすぐさま対策に乗り出した。
しかし改修費に16億もかかるなどは既にハルウララ貯金が底をつきかけてる状況ではとても賄えず、職員一丸となってアイデアを出しあったところ
自分たちが調教の時に使ってる照明でも補えることが分かりすぐさま必要数を確保、こうして全国初のナイター競馬が実施された。*4
ナイターも中央は勿論、他地方のメインレースの後の時間に目玉となるレースを配置、目を引き付けるイベントを開催している、中でも以下の物は高知の名物となっているレース。


  • 電話・インターネット馬券販売とレース中継
JRAが導入した電話投票システム「IPAT」を全国でも早期に導入、競馬場に行かなくても馬券を買えるようになり、ケーブルテレビでレースをリアルタイムで見れるようにした。
更にグランシュヴァリエが活躍してる頃にはスマホの普及によりネット社会に移行しつつありネット投票には追い風、ネット配信も実施されるようになった。
これにより仕事終わりの全国のサラリーマンが家でも気軽にレースを観戦・投票できる環境が整えられた。

  • 子供向けアトラクションの設置
ナイター開催に振り切ったことで逆に昼が閑散とすることになったが、公共交通機関のアクセスは悪いものの高知市街からは車で20分程度とそこまで離れてもいない。
子供がいるファミリー層は自家用車所有率が高くその程度の所要時間なら十分客を呼び込める、更に広大な駐車場もイベントスペースに活用できることに着目し昼間はイベントを開催。
更に2023年には中央の競馬場にあるような遊具盛りだくさんの公園も整備されたことで、ファミリー層も来やすい一種のレジャー施設になっている。


グランシュヴァリエが走り続けることで高知にも目が向けられ、徐々にその魅力が周知されることでブームに頼らない黒字運営が可能となっていった。高知は体質を新しい時代に合わせた形に適応させ、その波に乗ることに成功したのである。
2015年にはどん底だった売上を5倍にまで伸ばし、完全復活を遂げた。

しかしその2015年、10歳となったグランシュヴァリエは長期休養明けに地元の競走である高知城特別に出走するも2着、その後の競走でも8着、しばらく休養を挟んでからの競走も3着…。
グランシュヴァリエはもう限界だった。
というか4歳がピークと言われる競走馬で10歳、しかも屈腱炎を持ちながら、よくぞ無事に走ってくれたというべきだろう。

2015年10月31日、高知競馬場でファンたちに見守られながら引退。
通算成績74戦17勝[17-10-6-41]、地方での獲得賞金は3,663万円*5。先程も言ったがほんと屈腱炎持ちでありながら…と感激すら覚える、まさに「偉大な騎士」の名に違わぬ馬だった。

その後

その功績から個人所有の種牡馬として1、2年活動。
そのため、産駒は8頭とかなり少ないが、その産駒のうちの1頭リワードアヴァロンが高知版日本ダービーとも呼べる「高知優駿」を5番人気で制覇。
しかも父を調教した雑賀正光調教師、父の背に乗り様々な競走へ挑んだ永森大智騎手とともに…である*6

高知競馬場は経営の危機を脱し、業績を見事にV字回復させた。
そして2021年3月16日の黒船賞ではついに武豊がハルウララに騎乗したレース単独の売得金記録を17年ぶりに塗り替える快挙を達成。高知競馬が復活し、新たな一歩を踏み出し始めた象徴とも言える出来事だった*7
ハルウララがいなければ、グランシュヴァリエが移籍する前に高知競馬場は廃止となっていたかもしれないし、逆にグランシュヴァリエがいなければ、ハルウララブームが去った後、やはり廃止となっていたかもしれない。そしてそもそもイブキライズアップがいなければ、ハルウララが取り上げられることもなかったはず。
高知競馬場を救ったのはハルウララとグランシュヴァリエだけでなく、高知競馬場に関わる人や馬達の努力が結実したものであることは間違いない。

2023年現在、グランシュヴァリエは札幌市のモモセライディングファームで乗馬として活動中。気が強いので初心者向けではないそうだが馬場馬術競技に出場しながら元気いっぱいに過ごしているそうな。

これからは北の大地で、高知やそこで走る子どもたちを元気に見守ってほしいものである。




追記・修正は高知競馬場で馬券を買ってからお願いします。

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最終更新:2025年03月26日 09:06

*1 当時は4歳馬が夏季開催の競走を迎えると収得賞金学が半減されることになっていた。

*2 グランシュヴァリエの同期のダート馬だけでも後述のエスポワールシチー、「砂のサイレンススズカ」ことスマートファルコン、ネット上で大きな人気を集めたGⅠ級競走3勝の「!!!!!!」ことサクセスブロッケンなどがおり、特にエスポワールシチーとスマートファルコンは2005年生まれの競走馬の獲得賞金でワンツーを決めている。ダート中心の世代である。

*3 ちなみにグランシュヴァリエ以下の12番人気だった馬は同厩の帯同馬、ジョインアゲン。彼の着順は8位だった。そう、グランシュヴァリエを除く地方勢の中ではトップの順位でゴールしたのである。彼もまた全国を飛び回り、勝利を上げて高知の知名度アップに貢献している。高知の地方重賞「黒潮マイルチャンピオンシップ」を連覇している確かな実力者であり、グランシュヴァリエの戦友だったのだ。

*4 勿論現在は全国の地方競馬場同様ナイター設備が整えられている

*5 グランシュヴァリエが高知県知事賞を連覇した当時、2012年は一着賞金135万円、2013年は同150万円だった。2006年から2012年の賞金135万円は同レースにおける史上最低金額である。グランシュヴァリエが引退した後の2016年以降は賞金額が急上昇しており、2022年で2000万にまで増額している。グランシュヴァリエがいかに高知の苦しい時期に走っていたかがうかがえる。

*6 雑賀調教師は彼の母のデイトナを調教した事もある。

*7 この直前の2021年1月にはグランシュヴァリエがNHKの「逆転人生」で特集されたのが、最後の一押しを担ったと言える。