究極召喚

登録日:2022/06/13 Mon 14:13:00
更新日:2025/02/07 Fri 18:52:53
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※この項目はFF10のネタバレを大いに含んでおります。




















究極召喚とエボンの教えは

スピラを照らす希望の光



究極召喚とはゲームFINAL FANTASY Ⅹ』に登場する用語である。


【概要】

FFⅩの舞台となるスピラでは巨大生物『シン』が暴れ回っており、定期的に文明破壊と大量の人間の犠牲が繰り返されてきた。
『シン』は通常の物理攻撃や魔法では皮膚をちょっと削るくらい*1でまともにダメージを与えることはほぼ不可能な上、
この世界に満ちる生命の核たるエネルギー「幻光体」を猛烈な勢いで吸収して瞬く間に損傷を修復する異常な再生能力を有している。
しかし、そんなほぼ不死身の身体を持つ『シン』を倒す術が1つだけ存在する。それが秘儀・究極召喚である。


『シン』は咆哮と共に閃光を放ち、大地を穿って宇宙からすら観測出来る程の断崖絶壁を成すことすら容易い力を持つが、究極召喚はその『シン』の攻撃にも耐える絶大な基礎能力を持つ。
そして何より肝心なのは、究極召喚の攻撃には上述の幻光体を猛烈な勢いで吸収する再生能力を阻害する効果がある。
究極召喚は唯一、真正面から『シン』に戦いを挑んで確実な致命打を与えることが出来る存在なのだ。


召喚士が究極召喚を手に入れるには、世界中を旅して各地のエボン寺院を巡りながら修行を積む必要がある。
そして旅の終着点、世界の最果てにある1,000年前に滅びた廃都ザナルカンドにて、エボン教の聖人ユウナレスカから究極召喚を授けられるのである。
長い長い旅路の果てに魔物を蹴散らす実力を身に付け、強い絆で結ばれた召喚士とガードによってようやく『シン』は倒されて平和が訪れる──



が、究極召喚を発動すると召喚士は死亡する。
ユウナの父であるブラスカも『シン』を倒すため10年前に究極召喚を使った代償に亡くなっており、本編では既に故人となっている。
さらに、倒しても『シン』は時を経て復活する。
それも決して長い期間ではなく、せいぜい数ヶ月から数年程度でしかない。そのわずかな時間をスピラの人々は「ナギ節」と呼び、シンがいない束の間の平和を享受するのである。
長く辛い旅路の果て、命を捨てて『シン』を倒したとしても、見返りはその程度でしかない。
無駄死にだと思う者もいるかもしれないが、それでも召喚士たちは次こそは、次こそはシンは復活しないかもしれない。
永遠のナギ節が来るかもしれないと胸に希望を抱き、その命を散らしていくのである。



しかし、その残酷な真実は…。



【真相】

究極召喚を使えば『シン』を倒せるのは事実である。
しかし、これは半分正解半分間違いというのが真実で、重要な言葉も足りない。

まず第一に究極召喚獣は『シン』を倒すことは倒すが、その後に究極召喚獣が新しい『シン』に変異し、再び破壊と殺戮を繰り返す。
『シン』の核には変な紋様のダニエボン=ジュなる存在がおり、『シン』が倒される度に究極召喚獣に乗り移って『シン』に作り変えているのだ。
つまり究極召喚で『シン』を何度倒そうが、永遠のナギ節など絶対に訪れる事は無い。召喚士たちの死に際の希望など全くの無意味なのである。
これが何度倒されても『シン』が復活する理由、終わらない殺戮の秘密である。

第二に、究極召喚を手に入れるためにはガード*2を1名犠牲にしなければならない。
スピラの召喚獣は、祈り子というエボンの秘術によって魂を取り出された人柱たちが見る夢が具現化された存在なのだが、究極召喚獣の祈り子こそがガードなのだ。
究極召喚の発動には、召喚士と祈り子の心が1つになるまで強く繋がっている必要がある。
つまるところ究極召喚とは、ガードの夢の姿を愛や友情といった絆の力でめっちゃ強くして呼び出す技といえる。
そのため、召喚士の旅とは修行だけでなく、厳しい旅の過程で召喚士とガードが絆を育むことも目的としている。

つまりガード⇒究極召喚獣⇒『シン』という経緯を経て、ガードが新たな『シン』に成るのだ。
ここで序盤にティーダが港町ルカでアーロンと再会した折に「『シン』はジェクトだ」と、突拍子もなく告げられ、魚の小骨のごとくプレイヤーの喉に引っかかっていた言葉の意味がようやく繋がってくる。



犠牲を止めるために旅をしている召喚士が、旅の果てに自らが犠牲者を生む加害者になってしまう壮大な皮肉。
それでも一瞬とはいえ人々の心から『シン』の恐怖を取り去って平和な日常を取り戻すためならば、その選択をするしかない。否、選択する以外に術が無い。
『シン』出現からスピラに1,000年間蔓延る、終わりなき死の螺旋構造の核たる部分。

ユウナ一行はユウナレスカの語ったこの真実に一瞬は受け入れかけるものの、まやかしの希望ではなく本当の平和を望むユウナ自身の気持ちに加え、
アーロンの決死の呼びかけ、そして他ならぬ今代の『シン』として世界を蹂躙し続ける父を持つティーダの青くさく、なかば自暴自棄な説得により、究極召喚およびユウナレスカと決別。
死闘の末にユウナレスカを倒した事で究極召喚の技術は永久に失われる事となり、ユウナたちは今までとはまったく違うやり方で『シン』を倒す方法を模索することとなった*3

後にベベルの街へと帰還したユウナに対し、総老師マイカは「早く究極召喚を使って『シン』を倒せ」と急かすものの、ユウナがユウナレスカを討伐し、究極召喚がこの世界から永久に失われた事を告げた途端、ユウナたちに対して散々罵声を浴びせた挙句、もう誰もシンを止められないと絶望し、ショックのあまり自ら異界へと向かった。
ふざけやがって!好き勝手ほざいて逃げやがった!

この残酷な真実はエボン教最高幹部*4以外はザナルカンドにたどり着いた召喚士一行しか知らず、
『シン』復活の事情は一般人に対しては情報が完全に秘匿されている。


ナギ平原まで来て突然旅を辞めたズーク──
スピラ本土とは遠く離れた、『シン』の及ばない場所への避難を実行したベルゲミーネ――
寺院からヨウジンボウの祈り子を奪い取りナギ平原の谷底に埋めた窃盗犯――
ベベルでの戦闘の果てに一言「もう旅はやめろ」とイサールを説得したアーロン――


彼らなりに、彼女らなりに究極召喚の真実から人を救いたかったのではなかろうか。




究極召喚とエボンの教えは
スピラを照らす希望の光

希望を否定するのなら
生きても悲しいだけでしょう

さあ 選ぶのです
あなたの祈り子は誰?

希望のために捧げる犠牲を
――ユウナレスカ


【召喚術の習得者と代償】

本編中に確認できるだけで、究極召喚を習得した者は以下の通り。

まず、究極召喚でシンを倒した4名の歴代大召喚士たち
400年前のガンドフ
230年前のオハランド
100年前のヨンクン
10年前のブラスカ

そして――エボン教老師シーモア=グアド
因みに究極召喚の始祖はユウナレスカだが、彼女はエボン教でも別格の存在として扱われており、大召喚師としては扱われない。


シーモアの過去や究極召喚を得た経緯は個別項目に詳しいが、ストーリー中でシーモアが度々召喚している「アニマ」は実は究極召喚獣なのである。
「あれ? 究極召喚って使ったら死ぬんじゃないの?」と思うかもしれない。事実、ユウナレスカと大召喚士4人は『シン』を倒す際に究極召喚を使用して命を落としている。
実際の所この認識も誤りであり、厳密に言うと究極召喚を発動したら死ぬのではなく、究極召喚で『シン』を倒し、究極召喚獣にエボン=ジュが乗り移った(=新しい『シン』に転生した)時に死亡する。
上述の通り、究極召喚の際には、召喚士と祈り子の精神が通常の召喚とは桁外れに強く繋がり、まさに一心同体となることで強大な力を発揮する。
そのためエボン=ジュに乗り移られる際に、強制的に究極召喚との絆を引き剥がされる際の、その負荷に耐えられずに死んでしまうのだ。
なので『シン』以外の普通の魔物や、人間相手の戦いに使う分には何の問題も無い。

ちなみに、強い精神力を持つ人間が未練を残して死ぬと、魔物や死人*5になるが、とりわけ精神力の強い大召喚士達が死人になることは無い。
この時、エボン=ジュによる引き剥がしと乗っ取りは、大召喚士ですら知覚出来ない程に高速で行われる。
その身に何が起こっているのか分からず、「自分は出来る限りのことを尽くした」ことは確信している大召喚士達は、それまでの苦労から解放されるように未練を残すことなく、究極召喚に関する残酷な真実を何も知らされないまま死ぬからである。

また、エボン=ジュが究極召喚獣を乗っ取った時点で、その力の核たる召喚士との繋がりを断たれているので、『シン』を打倒する際に発揮した究極召喚としての超常の力を発揮することは出来ない。
作中でティーダたちがブラスカの究極召喚獣を相手に正面から戦って討伐する事が出来たのは、これが理由。
エボン=ジュが乗っ取った直後は元究極召喚だった一介の召喚獣に成り下がるので、『シン』としての巨大怪獣めいた肉体を再構築する為に、大気中の幻光体を吸収し続ける潜伏期に入る。
こうして力を蓄えるのに専念して破壊活動を休止する期間を、スピラの人々は「ナギ節」と呼び、充電を完了した『シン』が再び暴れ出すまでの束の間の平和を享受する。
千年間、その繰り返しである。
繰り返しとは言ってもユウナレスカからブラスカまでナギ節は1000年で5度しか訪れていない。
合算でも100年に及ばす、ナギ節を知らず生涯を終えた住人もかなりの数に登ると思われる。


尚、アニマも厳密には究極召喚獣ではあるが、現在のシーモアと母親の間に最早絆と呼べるようなものはなかった。
そのため、互いの心が致命的にすれ違っていれば究極召喚としての力を引き出しようが無いと考えられており、それが本編での微妙な強さとして表れていると推測されている。



【究極召喚成立の経緯】

1,000年ほど前、ザナルカンドとベベルのスピラ2大都市は戦争状態にあった。
この戦争は初めから決着が着いていたようなものであり、ベベル側の機械兵器の猛攻でザナルカンドは滅亡寸前にまで追い詰められていた。
当時のザナルカンドの統治者、召喚士エボンは敗北を目前にしてある事を決定する。
それは生き残っている住民全員を祈り子にして「豊かで平和だったザナルカンドの世界」をエボンが召喚する事だった。*6

こうして生き残った住民達を祈り子とした後ガガゼト山の山頂に埋め込み、エボンは『夢のザナルカンド』を召喚。
その際に得意の重力魔法を用いて大量の幻光虫をかき集め、召喚中に無防備な己を守る鎧を生み出だした。
その鎧こそが『シン』と呼ばれるものである。

『シン』は人の消えた現実のザナルカンドを破壊した後、ベベル軍を殲滅。
ベベルの民は当然、突如として現れた『シン』とガガゼト山の夥しい数の祈り子とを結び付け、『シン』はエボンが召喚した召喚獣だと悟り恐怖する。
また、同時期にエボンの娘ユウナレスカによって『シン』は人の罪が具現化した存在であり、機械を捨て、罪を贖えばいつかは消え去るという、現代のエボンの教えの原型を流布しはじめる。
最終的にユウナレスカは、最愛の夫のゼイオンを祈り子として一心同体となる召喚……究極召喚を行い『シン』を討伐。『シン』の災害は彼女の死と共に一旦収束した。

ユウナレスカの行動を見たスピラの人々は「召喚士エボンを讃え、倒したユウナレスカ&ゼイオン夫婦を聖人に列挙した新たな宗教」を設立した。
これが究極召喚の誕生と、エボン教誕生の流れである。*7



なお現在まで究極召喚を伝承し続けているユウナレスカだが、別に正義感から究極召喚をしたわけではないのでは?という説も出ている。
詳しくはユウナレスカ撃破後にガガゼト山に赴くことで、メイチェンから1,000年前当時の詳しい話が聞けるのだが……

  • 『シン』及び大量の祈り子象の出現から「召喚士エボンがザナルカンドを滅ぼされたことに激昂して大量の祈り子を使って『シン』を召喚した」という構図的にほぼ間違ってない噂が持ち上がったが、それを上塗りするような急速さでエボンの教えが広まっていった
  • ザナルカンド側の文化である「勝利の祈り」や、反エボンの象徴であった「祈りの歌」をエボンの教えに習合して、それらが始めからベベルのものであったかのように組み込む
  • すべての元凶であるエボン=ジュの存在を一切表沙汰にせず、寺院の始祖として自身やゼイオン共々神格化
  • 第一、究極召喚を考案したのも娘に伝授したのも他ならぬエボン本人

ここらへんを踏まえるとユウナレスカの項目にも記述してあるとおり、以下のようなちょっと笑えない解釈が可能となる。

  • 『シン』は本能的に機械などの高度文明を破壊する*8。過剰な文明の進化が無ければ大規模戦争はもう起こらない。
  • 『シン』を倒せる方法を示し、最低限の希望を与える。人々は粛々と生きる。
  • しかし究極召喚獣が次の『シン』の転生先となるため、『シン』を倒そうとする者がいるかぎり無限に『シン』は生まれ変わる。
  • そして『シン』がいる限りエボンは永遠に夢のザナルカンドを召喚し続ける。



【究極召喚の真相を知った者はどうなるのか?】

この中の誰かが死ななければ倒せません と言われたとき召喚士とガードはどうする?

答え1:命を捨てても世界が救えるなら安い! 犠牲になろう!
答え2:親しい人が死ぬのは耐えられない。あきらめて旅を辞めよう……
答え3:ふざけるな! ただの気休めではないか! ブラスカは 教えを信じて命を捨てた! ジェクトは ブラスカを信じて犠牲になった!


1を選択した人が歴代の大召喚士4名なのは周知の事実。
3を選択した10年前のアーロンは、ユウナレスカに反抗したが一撃も浴びせられず返り討ちに遭い瀕死の重傷を負う。

誰も犠牲にしたくないなら2――となるだろうが、残念ながら難しい。
アルベドのホームから飛空艇で脱出したときに一緒に乗り合わせたドナは、旅をあきらめた召喚士について「使命から逃げた って後ろ指をさすのよ」と語る。


つまり召喚士になった時点で『シン』を倒して死ぬか、惜しくも道中で死ぬかの2択を住民から負わされる残酷な運命にある。*9
身勝手にも思えるが、この人が倒してくれれば平和になるかもしれないと期待をかけて送り出した人が何もできず戻ってきたら――と考えると、その気持ちも一概に否定できない。それでも重責すぎるが。

では、2を選択した召喚士やガードが「究極召喚はエボン教の闇なんだ!!」と真実を振りまき始めたら……?


プレイヤー諸君は思い出してほしい。ゲーム中盤のマカラーニャ寺院で、シーモア老師およびエボン教の考え方に反目したティーダ達はどうなっただろう。
そう、反逆者として指名手配されてしまった。

現実の一党独裁政治や独裁者統治の国の情勢を見てみればわかる通り、国のやりかたに反抗した人間は問答無用で犯罪者とされ処罰される。本当のことを言ったとしても。
聖ベベル宮内部には数多くの吊り下げ牢屋のほかに、「浄罪の路」「浄罪の水路」と呼ばれる贖罪の部屋(という名目の処刑場)が備わっていた。
エボン教が世界宗教かつ政治を取り仕切っているのだから……つまりそういうことである。
まぁその辺はあくまで想像の域だが、本編中の寺院の腐敗具合から実行しそうなのが恐ろしい。

仮に宗教の闇がどうのこうのを言ったところで、旅を辞めた一行に指をさして罵る人に召喚士達が何を言ったところで聞く耳を持たないし、
一般人が事実を確かめようにも大陸の最果てまで歩いて行かなければならないため無理。

さらに寺院からは犯罪者として目を付けられ、ユウナレスカ本人に直訴し反抗しても抹殺される。

そして一番重要なのは、真実を知ったところで何の解決にもならないことである。
『シン』を倒すために真っ当に文明を発達させようとしても先んじて『シン』が潰しに来るので実質不可能だ。
問題の根幹である『シン』を排除する手段がないのに究極召喚を手放したらどうなるか?
仮に真実が広まったらエボン教は求心力を失うだろうが、教え無しでどうやって秩序を維持するのか?『シン』の脅威は変わらず存在し続けるのに。

スピラと究極召喚の真実は1,000年ものあいだ世界に広がらなかったのではない。"広げようが無かった"のだ。

因みにシーモアは旅の果てに出した結論は2に近いが(厳密には異なるが)、その後僧官として働き実績を重ねて老師まで出世しているので別に旅を諦めたからといって出世街道から外れるというわけでもないようである*10。ただシーモアに関しては、当時老師だった父ジスカルが妻と息子を見捨ててしまった罪悪感から取り立てていたこともあり、そこから成り上がったのは彼自身の実力であろう。
他にも、ワッカとルールーが前回ガードを務めたズークは、寺院の僧官に転身している。
また、ビサイドに戻ってヘレティック・ヴァルファーレを倒した際、ビサイドの住人たちは召喚者をみんなで睨んで追い返すという、反逆者とされているユウナに味方する行動をとっているところを見るに、やはりそこは時代や地域性によって大きく異なるのだろう。


また、究極召喚や寺院による統治が1000年スピラを永らえらせたのも否定しようのない事実である。
腐敗や思惑があったのも事実であるが、青臭い正義感でそれらを揺るがせにして安穏である程シンのいる世界というのは優しくはない。


【余談】

究極召喚獣を使わず正面から殴り合って『シン』に勝つことは可能なのか? と言われることがあるが、
勝てることは勝てる。一応。

『シン』の表面には強力な重力場が発生しており、本編中もそれを利用した「テラグラビトン」「ギガグラビトン」などの攻撃をしてくる。
序盤のミヘン・セッションに使われた機械兵器ヴァジュラは、重力場の突破まであと一歩まで迫ったことから、重力場を破壊できるほどの攻撃を加えられるのなら理論上は可能。
終盤の決戦では、飛空艇の主砲――改良した高出力ヴァジュラで『シン』の両腕をもぎ取る快挙を成し遂げているので*11、理論上はこのどうしようもない脳筋攻撃力至上主義でも問題無い。
というか究極召喚そのものはこの力押しの極致なのだが。


が、FFⅩ本編の『シン』=ジェクトは、まだ『シン』になって日が浅いため、本能に抗いある程度制御が効くようで、ティーダに引導を渡してほしいという思いから手加減していた節が見られる*12ため、
そうじゃない完全に本能に飲まれた100%中の100%状態『シン』に機械を投入して勝てたかどうかは怪しい。
前述の通り、『シン』は高度な文明の発達を探知すると真っ先に潰しにかかる上に、本編中でも見せたように地平線の彼方からの砲撃も可能なため機械兵器では太刀打ちする事はほぼ不可能。
だから結局は召喚獣には召喚獣をぶつけるしかないのかもしれない……。

少なくとも最盛期の機械都市ベベルを超える技術力を要求されるのは間違いない。



さあ どうする! 今こそ決断する時だ
項目作成を待つか 更新ページを読むだけか!
自分の心で感じたままに項目を書き足す時だ!


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最終更新:2025年02月07日 18:52

*1 その際に『シン』のコケラと呼ばれるミニverの『シン』が分離出現する

*2 召喚士の旅に同行する護衛

*3 つまり首尾よく最良の方法と結末に至ることができなければ、今度こそスピラの人々は夢も希望もない生き地獄を絶滅まで過ごす事になっていた

*4 おそらく老師レベル

*5 簡単に言えば、肉体を持つ幽霊。原理としては召喚獣や魔物に近く、実質的に人型の理性ある魔物と言っても差し支えない

*6 この召喚が決定した経緯は不明だが、住民達も夢の形であれ自分達の故郷の存続を願ったのではないかと推測されている。

*7 ゲーム中では「召喚士エボンが広めた教え」として扱われているが実際にはエボンがエボン=ジュとなってしまった後に成立した教えなのでエボンは関わっていない。キリスト教みたいなもんである。

*8 夢のザナルカンドの召喚を続けるエボン=ジュを脅かす存在として認識するため。

*9 ガードはこの限りではない

*10 旅をしていた事自体知られていないのでは?と推測する人もいるが『アニマ』は一般的な召喚獣ではなくシーモア老師の召喚獣と認識されているため旅をしていた事自体は知られているものと思われる。

*11 バリアを展開していない状態だったため、バリアの上からブチ抜けるかは不明。

*12 ミヘン・セッション時にアーロンは「おまえに殺されるためだ」「おまえに止めてほしがっている」と説明し、ザナルカンドで遭遇した時は『シン』にとって最優先攻撃目標のはずの機械、ファーレンハイトを見逃している。またベベルで倒されたあとわざと口を開けて彼らを体内に招き入れるなど一行に協力的な行動を多く見せている