久保建英

登録日:2023/09/25 Mon 21:20:41
更新日:2025/02/25 Tue 19:01:17
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久保建英(たけふさ)は、日本のサッカー選手。2001年6月4日生まれ。
日本人ながらにFCバルセロナのカンテラ(下部組織)に入団した経歴で知られ、2020年代の日本サッカーを背負って立つことを期待されるプレーヤーである。

海外ではタケタケ・クボという呼称が定着しており、日本のクラブや日本代表でのプレー時は背ネーム「KUBO」だが海外クラブでは「TAKE」と使い分けている。
日本では神童時代のイメージから「久保君」と呼ばれがちであるが、成人したことを理由に本人は「君付けはやめて」と言っている。
とはいえ、かなり童顔なので君付けになる気持ちもわからんではない。


選手としての特徴

テクニックと創造性に長けた、いわゆる10番タイプ。左利き
一芸ではなく、その技巧でゲームメイクもドリブル突破もラストパスもフィニッシュもこなす万能アタッカー。
元々細やかな連携も得意とするが、スペインに渡ってからの「1人で何とかすることを求められる立場」を経て、実際に1人でも割と何とかできてしまう凄みを持つに至り始めている。

ポジションは一昔前であればトップ下で落ち着いていたかもしれないが、久保の生きる時代のサッカーは強度が重視され、「司令塔」の居場所は狭められている。
そういった都合に加え、そこまで立ち位置に依存せず活躍できるオールラウンドな能力もあって様々なポジションに回されがちである。
中心選手として扱われているレアル・ソシエダ内においてですら、フォーメーションによって両ウイング・2トップの一角・トップ下と二転三転が見られる。
一応、「内側に入り込む前提で右ウイング」が最適というのが専らの評価となっている。

人物

過酷な戦いを勝ち抜いてきた図太く強靭なメンタリティ、一方で国内メディアの前では丁寧な対応を見せるプロ意識の持ち主。
そんなメディア対応だけ見てると優等生に見えるが、仲間内の交流の一幕を見ると割とクソガキ・生意気キャラでもある。
また、ピッチ上でのインテリジェンスとは裏腹にサッカー以外ではなんか大雑把な行動がしばしば見られ、ネット上では「脳筋」と評する声も。

スペイン文化にも完璧に馴染んでおり、スペイン語はネイティブ級、スペイン国内ではインタビューでウィットなジョークを飛ばしたり、ラテン全開な行動も見られ、これはこれで日本での久保のイメージとはかなり異なる。
日本人選手が活躍するうえで避けられない海外適応という壁を完全に突破しているのは選手としてもガチな強みではある。


経歴

神童として

2歳の頃から四六時中ボールを蹴っていたという建英少年は、6歳の頃には「バルサに入る」という目標を掲げた。
これだけならどこにでもいるようなサッカー少年だっただろう。

8歳の時、日本で開催された「FCバルセロナキャンプ」に参加。
これはMVPに選ばれればバルサのスクールに招待されトレーニングに参加できるというものであり、
見事それを勝ち取った建英少年はスペインに渡り、スクール選抜として出場した大会でもMVPに選ばれるという大活躍を見せた。

とはいえ一時的な招待にすぎないため、すぐに川崎フロンターレの下部組織へと入団したが、翌年には改めてバルサのカンテラ「ラ・マシア」の入団テストに挑み、合格。

実はラ・マシアには「カタルーニャ州(地元)出身者を除く13歳未満の選手とは契約しない」という規定があるのだが、それを弱冠9歳にしてぶち破ってしまっている。
全世界から有望なサッカー少年を集わせる世界最高峰の育成組織に特例を認めさせたのである。

入団後も飛び級で実績を積みまくっていたが、12歳の時、本人と関係ないところで思わぬアクシデントに見舞われる。
有望な少年達の獲得に好き勝手やりすぎたバルサがFIFAから「18歳未満の外国人選手獲得・登録に関する違反」を突きつけられてしまい
結果、建英少年は18歳まで公式戦に出場できないという立場になってしまう。
いくらなんでもキャリア的に耐えかねる事態であり、やむなく帰国。日本でプロへの道を歩み直すこととなった。

Jリーグ

今度はFC東京の下部組織に入団した建英少年。
バルサのラ・マシアですら飛び級できる彼が日本でそうそう躓くはずもなく、飛び級でのステップアップを果たし続ける。
そして2016年、15歳5ヶ月1日でFC東京U-23(J3)の一員としてプロ初出場を果たす。これはJリーグの史上最年少出場記録となった。
同時期、U-19日本代表にも中学生として史上初めて選出された。

翌年にはトップチームにも招集され、プロ契約を締結。なお、J1での初出場年齢は最年少とまではいかず史上3番目となっている。
しかしトップチームでは守備面での貢献不足などを理由に戦力として高く評価されず、基本的にはU-23側での出場が主になってしまっていた。
2018年ロシアW杯ではU-19代表としてA代表に帯同するなどして、現状に危機感を募らせた建英少年は8月という中途半端な時期ながらクラブ側にローン移籍を直訴。
クラブ側は移籍させるとしてもJ2への移籍という方針であったが、あくまでJ1でのプレーに拘り頑として譲らず、結果クラブ側が折れて横浜F・マリノスへのローンが決定した。

2018シーズン終了まで、すなわち4ヶ月弱という非常に短い期間であったが、J1初得点・初アシストも記録して確かな実績を残す。
この時の挫折と打破の経験は大きな収穫になったと後に語っている。
FC東京で求められるだけの運動量も発揮できるようになり、2019シーズンは開始直後からFC東京の主力として活躍した。

しかしシーズン真っ最中の6月14日、4日時点で18歳になった建英少年改め久保の移籍が発表される。
「加入する時点から、久保選手の海外でプレーしたいという想いが強く、18歳を迎える時にはもう一度その可能性を確かめるべく、クラブとの契約期間はその日までとなっておりました」――FC東京代表取締役社長・大金直樹
……というクラブ側の粋な計らいがあったのである。
もちろん、FC東京としても欠かせない戦力であるため契約延長のオファーは一応出したとのことだが。

で、問題は、どこへの移籍なのかということであった。
そうは言ってもバルサが特例扱いにしてまで獲得した少年がトラブルこそあれ順調に成長してきたのだ、当然バルサに戻る――と、誰しもが思っていたことであろう。
……が、その移籍先は――バルサ終生のライバル、レアル・マドリードCF
極東の超新星は、変則的な形で「禁断の移籍」を果たすこととなった。

曰く、久保は「1年目はBチームで構わないが、2年目までにはトップチーム昇格を確約してほしい」という条件を望んでいたが、
バルサがそれに難色を示し、一方マドリーは「2年目には昇格、あるいはトップレベルのクラブへの移籍」という条件で応えたのが決定打であったと言われる。

ところが、プレシーズンマッチで試験的にトップチーム起用された結果を見てマドリーは方針を変更する。
「(スペイン3部に属する)我がBチームではなく、もっと高いレベルの経験を積む方が相応しい」と判断され、1年目から同じスペイン1部を戦うクラブへのローンを行うこととしたのであった。


RCDマジョルカ(19-20)

マジョルカは7シーズンぶりに2部から昇格したばかりのクラブであり1部としては明らかな格下ではあったが、それでも1部は1部である。
日本人選手では過去に大久保嘉人や家長昭博も在籍したことがあり、比較的日本と縁があるクラブである。

シーズン前半ではベンチスタートが多かったものの、その中で着実に信頼を勝ち取り、シーズン後半では絶対的な主力と言っても過言でないまでになり、その実力を知らしめた。
しかしマジョルカ自体が総合的にかなりの不振に陥っていたため、得手とは言い難い守備に奔走させられる場面も多く、数値上は4ゴール4アシストと寂しい結果に終わっており、クラブも降格となってしまった。
ラ・リーガ1部の経験を積ませたいマドリー側としても2部のクラブに貸し続ける選択肢はなく、また久保がちゃんとアタッカーとしてのパフォーマンスを発揮できる環境を与えるという点も含めてのステップアップが必要と考えられ、マジョルカでのプレーは1シーズン限りとなった。


数値はともかく、立派にラ・リーガで通用する選手であることが証明されたことで選択肢は大きく広がり、オファーもかなりの数があったとされる。

ビジャレアル(20-21)

ビジャレアルはヨーロッパリーグ圏内常連の上位クラブであり、かなりのステップアップとなった。

移籍当初とフォーメーションが変更され、得意の右サイドがクラブのエースであるジェラール・モレノと競合することとなってしまう。
贔屓目に見ても、実力・信用ともに頭一つ抜けておりビッグクラブも狙っているほどの選手であるモレノとのポジション争いは無理がある。
しかも同時に、クラブ生え抜きの若手であり同じく右ウイングであるサムエル・チュクウェゼが台頭してしまう。
久保とチュクウェゼ、能力的には甲乙付け難く、久保が優位と見る者も少なくなかったが、
買い取りの見込みは無に等しいレンタルの久保と生え抜きのチュクウェゼ、クラブとしてどっちの若手をレギュラーとして運用し育成したいか……という決定的な問題があった。

そんなこんなで、初先発で決めた1点が唯一のゴールとなり、エメリのラブコールとはなんだったのかという感じで早々にカップ戦要員・リザーバーに落ちてしまった久保は、冬の移籍市場で早々に再レンタル移籍を決意することとなる。

ヘタフェ(20-21)

格としてはビジャレアルとマジョルカの間くらいである。
同時期には同じくラ・マシア育ちのカルレス・アレニャもローンで獲得。
また、同じく19-20シーズンでマジョルカにローンされており久保と息の合ったプレーを見せていたクチョ・エルナンデスが先んじてローンで在籍しており、動機の一つになったとされる。

しかし、現在のヘタフェはホセ・ボルダラス監督の指揮のもとロングボール多用のパワープレーを持ち味とする、スペインでは異端のクラブ。
本来こんなところで久保の持ち味など出せようもないのだが、不調に喘ぐヘタフェはあえてチームに欠けているテクニシャンとして久保とアレニャを採用して流れを変えようという考えだったのだ。
そんな2人は、アレニャは入りたて、久保はクラブ練習に参加すらしていない状態での初陣で大活躍を見せ、今後に期待が高まった。

……が、結局上手く行かなかったという評価になったようで早々に戦術変更は放棄され、いつものパワープレーサッカーに戻ってしまう
アレニャはなんだかんだ適応を見せたのに対して、久保はすっかりリザーバーとなってしまい、メディアからは移籍は失敗と断じられることに。
結局スタメンは8試合、途中出場10試合、2ゴール0アシスト。ただしその2得点のうち1点はヘタフェの残留を決める決勝点という金星であった。
クラブを変えられなかった久保(とアレニャ)の実力不足とも言えるが、3連続で「満足に活用してくれない指揮官」を引いてしまったという不運も無視はできないところであろう。

2クラブ渡って両方失敗、とどめにオフシーズンに開催された東京五輪でもメダルを逃すという何もかも失意のシーズンに終わった久保。
当然、この状況で今期マドリーに残留し活躍するというのは非現実的な話であった。
それでも久保はまだ20歳。関係者からの期待はさして変わらなかったようで、相変わらずオファーは多数舞い込んできていたようだ。

マジョルカ再び(21-22)

2部落ちしたマジョルカは一発で昇格を決め、21-22シーズンは1部でのプレー。そんな彼らも再び久保にオファーをかけており、合意に至った。
さすがにチャレンジ失敗の連続が堪えたか、出場機会を重視する選択。
監督は前シーズンで交代しており、良きパートナーのクチョが保有元に帰っていたりと全く同じ環境ではないものの、1シーズンを過ごした環境というアドバンテージは有益と言えた。
また、偶然か必然か、同い年かつ幼い頃からスペイン1部バレンシアで育ったという来歴で久保とよく比較されていた「韓国の至宝」イ・ガンインが同時期にマジョルカへ完全移籍。アジアの「至宝」が共演を果たすこととなった。

……が、出場機会は得たものの今ひとつインパクトを残せず、リーグ戦では僅か1G1A。
クラブ自体は何とか1部残留したものの、前マジョルカ時代と大差ないグダグダ感でシーズンを終えることになってしまった。


なお、一見すると落ちた天才に見えるここまでの久保の境遇も、ラ・マシア上がりという「上澄み」の中で見ても十分上澄みの部類である。
ビッグクラブのユースにおいて選別を乗り越えてBチームまでこぎつけ、トップチームまであと一歩……と見られた若き才能であっても、そこでキャリアが停滞して3部あたりから抜け出せないというケースも数多い。
ビッグクラブは厳しいとしても同じ1部リーグの中位下位なら確実に欲しがられるレベル、というのは全然良い方なのだ。


飛躍の時へ――レアル・ソシエダ(22-23~)

22-23シーズンを前に、熱烈なオファーをかけたのはレアル・ソシエダ
ビジャレアルと同様、2強の下で上位を目指すポジションのクラブとなる。
かつ、いかにもスペインらしい、久保と相性が良いであろうパスサッカーをひときわ重んじるクラブでもある。

しかし、ソシエダはあくまで完全移籍での獲得を希望。
事ここに至っても、まだ久保の可能性を信じているのはソシエダも、マドリーも同じであった。
星の数ほどのスター候補を抱えるマドリーともなれば3年も伸び悩んだ若手などさっさと換金してしまいそうなものだが、よほど久保の才能を買っていたらしい。
そのためあくまでローン移籍にこだわるマドリーとの間で、交渉は難航することとなった。

対するソシエダは前シーズン、マドリーから借りて才能を開花させた若手MFマルティン・ウーデゴールがマドリーに戻され、挙げ句持て余してすぐ売却され、
ソシエダからしたら選手も資金も残らないという事案があった。
久保の獲得はウーデゴールの穴埋めでもあり、そして同じことを繰り返すのは御免という意思は当然固かった。
もっとも、ソシエダは3年前の時点でもオファーをかけていたとのことで、単なる代替案という扱いではないようだが。

結局、マドリーが妥協する形で移籍は成立。「完全移籍だが、保有権の半分はマドリーが持つ」という形態での移籍となった。
背番号は14番となり、以降もソシエダではこの番号をつけている。
また、横浜F・マリノスの下部組織でプレーしていた6つ下の弟・瑛史も少し遅れてソシエダの下部組織に加入している。

そして久保がソシエダに渡るうえで、重要な要素が一つ。
ソシエダの中心選手、かつてマンチェスター・シティで活躍した大ベテランのダビド・シルバと近いスタイルを持っていると見做され、
久保にはフル稼働の難しいシルバの代わりとなり、そしてシルバを手本とさせ、ゆくゆくはネクスト・シルバとなってもらう――そんなイメージも持たれることとなった。
背格好的な意味でもスタイルが似ていて遠目に見間違えやすいと話題に。

果たして結果は、あっという間にフィット。
見込み通り久保はソシエダのサッカーと抜群のシナジーを見せ、瞬く間に絶対的な戦力に。
ソシエダはシルバとタケのチーム」とまで言われるようになるのに大した時間はかからず、ファンが選ぶチーム年間MVP・専門誌のリーグベストイレブンに選出され、ソシエダ自体もリーグ戦で4位となり10年ぶりにチャンピオンズリーグ出場権を獲得。
数年来の「燻る神童」という評価を払拭し、頑なに手元から離そうとしなかったマドリーの選択は間違っていなかったこと、そしてみすみす彼を手放したバルサの判断は誤りだったことが証明された。

しかし、シーズンを終えたところに飛び込んできたのは、ダビド・シルバ引退の報。
プレシーズン中に前十字靭帯断裂の重傷を負い、シーズン開始前に今季絶望という事態になってしまったことでの決断となった。
師たり得る男との共闘は1シーズン限りで終わりを告げてしまい、ソシエダにとっても久保にとっても辛い別れとなった。

そうして悲報を背負って始まった23-24シーズンだが、久保の勢いは留まるところを知らず、ソシエダの絶対的エース……を通り越した存在と化し始めた。
あまりにも存在がデカすぎて、優勢で終盤に久保を交代させた途端にひっくり返されて「なおソ」になりがちであった。
チームはCLとの二足の草鞋に苦戦し、CLも決勝トーナメント進出は果たせたものの初戦で敗退、リーグ6位で何とかヨーロッパリーグ参戦圏をキープ。
久保は冬にアジアカップが重なってしまったのもあって後半はやや不調で、リーグ戦7G4Aと数字もやや伸び悩んだ。


EURO2024ではしれっとバルサやマドリーより多くのスペイン代表選手を輩出するという、地味に有力選手の宝庫となっていたソシエダ。
それがいよいよバレてきた結果、次々に主力がビッグクラブからの引き抜きを食らってしまい、戦力不安を余儀なくされる。
一方で久保は24年始めに新契約を締結したものの、ソシエダ移籍時に設定された6000万ユーロの契約解除条項(最大でもこの額で移籍交渉可能)は意外にも据え置き。
2024年時点、「24年6月で23歳、継続的に実力を見せているリーガ屈指のアタッカーの一人」というプロフィールで最大6000万ユーロはお手頃価格と言ってよく、多くの噂が飛び交ったものの、具体的な話が浮上することはなかった。
また、バルサでは右ウイングに新たな神童ラミン・ヤマルが台頭、マドリーにはついに世界最強アタッカーの一角キリアン・エンバペが加入と、久保が加わる余地は薄まっており、主に他国からの関心が中心となっている。

そんなところで状況は昨シーズンの繰り返し、かつやや悪化。
移籍の穴を埋めきれないソシエダはさらに苦戦し「久保頼み」と言われるような内容が目立つが、イマノル・アルグアシル監督は久保をその重要性の割には温存する傾向が強く、無理をさせないのは良いにしても采配に疑問を呈される場面が増えることに。一方で久保はどこ吹く風で冷静にクラブへのリスペクトを示し続けている。


日本代表

代表では各年代のチームで選出された経験があり、A代表デビューは2019年。18歳5日での初陣は市川大祐*1に次ぐ史上2番目の若さ。

2021年には東京オリンピックのU-24日本代表メンバーに選出。中心選手としての役割が期待された。
それに応えるように予選リーグでは3戦連続ゴールを決めるなどチームを牽引するも決勝トーナメントでは不発に終わり、チームも準決勝でスペインに敗戦。さらにはメキシコとの3位決定戦にも敗れ、メダル獲得を逃してしまった。
本人としても期するところがあったのか、メキシコ戦後にはピッチに崩れ落ち号泣。インタビューでは「今までサッカーやってきてこんなに悔しいことはない」とまで口にした。

カタールW杯では、ドイツ・スペイン戦でスタメンだったが「前線の選手を入れ替える交代策で勝負」ながら「前半は攻撃でいいところなし」というバッドシナジーにより、どちらも久保はほとんど守備に駆け回っているだけで交代。
コスタリカ戦はターンオーバー気味に出場がなく、そして決勝Tのクロアチア戦では発熱で出場できなくなってしまったため、チームの金星ぶりとは裏腹に割りを食ったまま終わってしまった。
クロアチア戦は逆に前半で主導権を握っていたので、ここで同じように出れれば活躍の機会もありそうだったのだが……

そして久保がクラブでさらなる飛躍を遂げたカタールW杯以後、久保は当然絶対的なスタメンに……なっていなかった。
23年9月のドイツとの再戦ではなんとベンチスタートだったのである。
久保の前に立ち塞がったのは、カタールW杯でも貢献した右ウイングの伊東純也。
神童・久保とは対照的に森保JAPAN主軸の中でも遅咲き極まる彼は、一通りの仕事ができる正統派の俊足ウイングであり、久保に比べればスター性は劣るが、久保より勝る運動能力からくる献身性と、正統派ゆえの戦術への組み込みやすさがあった。
トップ下はより中盤の専門家に近く実力も折り紙付きな鎌田大地との争いになり、左は三笘薫が絶対的評価を確立し、それを押し出してまで適性ポジションでない久保を使うメリットは多くない……と、熾烈極まる2列目ポジション争いの渦中に立たされていた。
果たして久保はいずれかのポジションを奪い取るのか、大いに注目されるポイントとなるだろう。

ちなみに、背番号10番をつけたことはなく、カタールW杯後では20番を主につけている。
本人も10番をつけたいという意思はあるようだが、カタール後はW杯でのスコアもあってかぶっちゃけアタッカー陣の中でも10番感はない堂安律が10番となり身を引いている。近年の代表10番は呪いの番号気味なので逆に良かったというファンの声もある。
20番については、以前に久保がプレーについて語ったことのあるもう一人のシティのシウバ、ベルナルド・シウバが20番のイメージを持つためそれが理由か?と噂されたが、実際には特に意味はないらしい。


追記・修正は二大ビッグクラブの板挟みにされてからお願いします。

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最終更新:2025年02月25日 19:01

*1 清水エスパルスなど、17歳322日でA代表デビュー