登録日:2024/06/21(金) 22:39:10
更新日:2024/06/28 Fri 20:25:41
所要時間:約 10 分で読めます
第101回凱旋門賞 実況:ラジオNIKKEI 小塚歩アナ
アルピニスタ(Alpinista)とは、2017年生まれの
イギリスの
競走馬・繫殖牝馬。芦毛。
クラシック未出走ながら古馬になって以降覚醒し大レースを連勝、日本の競馬ファンの記憶にも強烈に刻まれた女傑である。
馬名の意味は「登山家」で、かつ母方の馬名との韻を踏んだもの(後述)。
概要
父は14戦無敗、G1・10連勝の21世紀最強馬。種牡馬となっても数多くの強豪を輩出する名馬で、アルピニスタはその4年目の産駒の1頭である。
母は英独のリステッド競走を中心に走って4勝を挙げた馬でこれといった競走実績ではないが、
祖母のAlbanovaはドイツにてG1を3勝している。
さらにそのAlbanovaの全姉
Alboradaは1998年・99年の英G1チャンピオンステークスを連覇しており、
1999年ジャパンカップに出走すべく来日もしていた(のだが、故障により無念の出走取消となってしまった)。
母父はジョッケクルブ賞を制した仏ダービー馬で、95年ジャパンカップでも3着と活躍。種牡馬としてもあのスラマニをはじめ数多くのG1馬を輩出した名種牡馬。
馬主はテトラパック創業者の一族で、イギリス屈指の大富豪でもあるキルスティン・ラウジング女史。
ラウジング氏はイギリスジョッキークラブ会員もつとめる筋金入りの競馬パトロンで、自ら開場したランウェイズスタッドをはじめ3つの牧場を所有して馬産を行うオーナーブリーダーでもある。前述のHernandoも同氏の人脈によってランウェイズスタッドで種牡馬として供用されていたものである。
アルピニスタの血統表を見ると
牝系の馬たちは全て馬名の頭が「Al-」で統一されていることに気づくだろう。これは全てラウジング氏の生産した牝馬であることを示しており、アルピニスタはこの牝系にとって6代目にあたる。
アルピニスタの最大の特徴である
芦毛も、このラウジング氏の築いた牝系に一貫して受け継がれてきたものである。
そして極めつけは、4代血統表に登場する4本のサイアーラインがそれぞれ
サドラーズウェルズ、
ダンジグ、
ニジンスキー、
リファールの
ノーザンダンサー四天王とつながっているという芸術的なクロス。
まさに欧州競馬の神髄を結集したような、ラウジング氏会心の血統構成である。
そんな本馬を管理するのは、ラウジング氏の所有馬を長年預かってきたサー・マーク・プレスコット調教師。
これまでに調教師として2000勝以上を挙げ、ピヴォタルなどの名馬も手掛けたベテラントレーナーである。
かくしてアルピニスタは母、姉妹や祖母らと同様にプレスコット厩舎で競走生活を始めることになった。
競走生活
2歳時
2019年の7月にエプソムダウンズ競馬場の未勝利戦で、プレスコット師の愛弟子ルーク・モリス騎手を鞍上にデビュー。
2着を2馬身あまり突き放す快勝で幸先よくデビュー勝ちをおさめる。
翌8月はアダム・カービー騎手に乗り替わってグッドウッド競馬場のG3プレステージステークス(芝7F)に参戦したが、ゲート内で落ち着かなかったことと出遅れが響きブービーの6着と大敗。
9月はモリス騎手に鞍上を戻し、フランスはロンシャン競馬場のG3オマール賞(芝1600m)に遠征。
後方一気で末脚に賭けたが、1着から1馬身差の4着に敗れた。
3歳時
本来ならクラシック戦線を目指すべきところだったが、この年は前年末に中国で発生した新型コロナウイルスが全世界に拡大。
イギリスも例外ではなく、感染防止のための規制によってほとんどの大レースが延期ないし中止となってしまった。
このような情勢の中では使えるレースがほとんどなかったため、陣営はクラシック競走への出走を断念。
3歳初戦は7月にフランスのヴィシー競馬場で行われたリステッド競走となった。
ジャン=ベルナルド・ユケーム騎手に乗り替わってのこのレースは、結果から言えば4着に敗れこそしたが、直線で不利を受けてなお勝ち馬から3/4馬身のところまで詰め寄って見せた。
翌8月からはこの年いっぱい手綱を託すことになるライアン・テート騎手に乗り替わり、地元
イギリスのリステッド競走に出走。
これまでとは打って変わってスタートから先頭を奪う積極的な競馬で、
2着に3馬身差の快勝を果たした。
それから1週間後、陣営はG1へのステップアップを敢行。
ヨーク競馬場の祭典であるイボアフェスティバルの目玉レースの1つ、G1ヨークシャーオークス(芝11F118y)に参戦した。
ここは6頭中6番人気と最低評価だったが、それをくつがえして2位に突っ込む力走を見せ、G1でも戦える実力があることを示した。
とはいえ同レース勝ち馬にしてこの年の英オークス馬であるラヴからは5馬身突き放された完敗でもあり、悲喜こもごもなG1初挑戦であった。
9月には地元ニューマーケットのG3プリンセスロイヤルステークス(芝12F)に出走。
1番人気で挑んだものの終盤に引っかかったのが災いし、勝ち馬から半馬身差の2着に敗れた。
しかし、結果的にこれが生涯で最後の敗戦となった。
4歳時
ルーク・モリス騎手を鞍上に戻し、4月のリステッド競走から始動。最終直線での長い叩き合いを短アタマ差制して初戦を勝利で飾る。
休養を挟んで7月のG2ランカシャーオークス(芝11F175y)に出走すると、先行して2番手から競馬をすすめる王道スタイルで約1馬身差の快勝を見せた。
ここからアルピニスタはこのシーズンの残り期間を使ってドイツ遠征を敢行。母、そして祖母のキャリアをなぞる意味があったと思われる。
手始めにドイツ競馬の上半期最強馬決定戦である8月のG1ベルリン大賞(芝2400m)に出走。
中盤4番手で道中を進み、最終直線で一気に加速。2着に2 3/4馬身差をつける完勝をおさめた。
+
|
余談:ベルリン大賞―その後 |
ドイツ競馬は英愛仏に比べ格が落ちるともっぱら評されるものである。
だがこの時の3着馬は同年のカナダG1カナディアンインターナショナルステークスを、
2着馬は直後に連戦で挑んだドイツG1バーデン大賞を勝利したため、この時のアルピニスタの勝利の価値は高まった。
ちなみにその2着馬の名はトルカータータッソ。このベルリン大賞から2ヶ月後に、凱旋門賞を大波乱の中で制し世界を驚かせる馬である。
|
翌9月にはかつて祖母Albanovaも制したドイツ伝統のG1オイロパ賞(芝2400m)に参戦。
ドイツダービー馬シスファハンとの対決となったが、残り200mで先頭に立つとシスファハンら後続を寄せ付けず、2着に1 1/4馬身差で快勝した。
11月にはドイツ競馬の中距離総決算となるG1バイエルン大賞(芝2400m)に参戦。
逃げるネリウムの直後2番手につけると最終直線でこれを抜き去り、追い込んできた翌年のバーデン大賞馬メンドシーノを叩き合いで競り落として貫禄勝ち。
この年は無敗の5連勝、G1・3連勝という華々しい成績を収めた。
シーズン終了後、陣営は翌年の現役続行を決定。また
凱旋門賞を大目標にすることも発表された。
5歳時
6月のG1
コロネーションカップ(芝12F)をシーズン初戦とする予定だったが
馬場状態が悪化したため直前で回避。
フランス中距離界の大レースである7月のG1
サンクルー大賞(芝2400m)に参戦した。
このレースの1番人気は昨年の愛ダービー・パリ大賞・セントレジャーステークスとG1・3連勝し
凱旋門賞でも3着に入った、同じフランケル産駒の
ハリケーンレーン。アルピニスタは臨戦過程や、G1馬とはいえドイツ中心の勝ち鞍も疑問視され4番人気だった。
しかしレースでは後方にポジションをとると直線で外に持ち出し、伸びないハリケーンレーンら
他馬を桁違いの末脚で一掃。
鮮やかに勝利をつかんでみせた。
翌8月は3歳時のリベンジも兼ねて
ヨークシャーオークスに再挑戦。
出走メンバー中最大の
61kgの斤量を負いながらこの年の英オークス馬
チューズデー、愛オークス馬
マジカルラグーンとの対決となった。
レースでは前走とは変わって3番手の好位をゆき、
直線でのチューズデーとの熾烈な叩き合いを1馬身差で制して勝利。
ついに地元
イギリスのG1も手中におさめた。
そしてその勢いのまま、かねてよりの大目標にしてアルピニスタが主戦場としてきた欧州中距離戦線の頂点であるG1
凱旋門賞(芝2400m)に向かった。
この2022年の第101回凱旋門賞は
史上最多4頭の日本馬が出走するということで、戦前から高い注目を浴びることとなった。
イギリスダービーを圧勝し一時は大本命だった
デザートクラウンや、
「フランケルの再来」とも呼ばれマイル~インターミディエート路線を連勝中だった
バーイードの出走は敵わなかったものの、最終的には
- この年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS、バーデン大賞も2着と安定感を見せる前年覇者トルカータータッソ
- 2歳G1フューチュリティトロフィーを制し3歳勢筆頭と目されるクールモアの秘蔵っ子ルクセンブルク
- エクリプスSで古馬も撃破したフランスダービー馬ヴァデニ
- 3着以下になったのはキングジョージのみと安定した戦績の愛ダービー馬ウエストオーバー
- 近年奮わないもののサウジC、ドバイSC、インターナショナルSと数々の大レースを制した2年前のフランスダービー馬ミシュリフ
と、この路線の頂点を決するにふさわしい面々が集結。ここに日本からは、
- 昨年の菊花賞馬で、この年も天皇賞春・宝塚記念とG1を強い勝ち方で連勝し総大将として挑むタイトルホルダー
- 名手武豊と馬主の夢を背に参戦したこの年の日本ダービー馬ドウデュース
- G1未勝利ではあるが凱旋門賞と同コースのG2フォワ賞を昨年勝っている実力馬ディープボンド
- 国内重賞未勝利ながらこの年サウジとドバイで重賞連勝、フランスG2ドーヴィル大賞も2着と覚醒の気配を見せるステイフーリッシュ
らが出走。そのなかでもアルピニスタは実績と血統面を評価され1番人気に推された。
レース時の馬場状態は懸念されるところの一つだったが、プレスコット師も「良馬場向きの馬だが、道悪でも十全に戦える」と太鼓判を押し、自信をもっての参戦となった。
凱旋門賞当日は晴天だったものの、
レース直前になって雨空に一転。
大雨降りしきる中での発走となった。
スタートが切られると日本総大将
タイトルホルダーが宣言通り好スタートでハナを奪って逃げ、それをルクセンブルクのラビットであるブルームが追走。アルピニスタはその後方5番手の好位に、
ディープボンドともどもつける形となった。
レース後半フォルスストレートに入るとするりと前進し、アルハキームの内側4番手を確保しつつ、
逃げるタイトルホルダーらとの間合いを詰めていく。
そして余裕を保ったまま好位で最終直線に進入すると抜群の手応えで反応。
すでに鞭が入って必死で粘る
タイトルホルダーを
残り300m地点で馬なりのまま交わし去り、一気に先頭を奪った。
そんななかでアルピニスタとアルハキーム以外の先行勢は道悪に脚を削がれたかことごとく沈没。
代わって後方からヴァデニと、去年を思わせる豪脚でトルカータータッソが飛んできたが、
アルピニスタの脚色はこの馬場でも衰えることがなかった。
最後は追いすがるヴァデニを半馬身差に封じきって見事勝利。
G1・6連勝で欧州中距離界の頂点へと登り詰めた。
5歳牝馬が凱旋門賞を勝つのは、1937年のコリーダ以来85年ぶり2頭目という歴史的偉業だった。
またモリス騎手、プレスコット師、ラウジング女史ともに初の凱旋門賞制覇。
とくにラウジング氏にとっては競馬場に足を運んで観戦するのは久々のことだったため、たいへんな馬主孝行となった。
また前月9月にはイギリス国王のエリザベス2世が崩御されたばかりであり、競馬をおおいに愛した亡き女王への手向けをイギリス調教の牝馬が捧げる形にもなって反響を呼んだ。
その後
もとより
凱旋門賞を最大目標とし続けていたため、それを制覇した後どのレースに出走するのか、はたまた引退するのかについては競馬ファンの視線を集める話題となった。
とくに日本のG1
ジャパンカップ(芝2400m)は有力な次走候補としてメディアに取り上げられていたものの、日本の競馬ファンにとってはこれまで何度も「出走を検討→結局来ない」というパターンが繰り返されたこともあって半信半疑の風潮が強かった。
しかしプレスコット師はかねてよりジャパンカップ参戦に前向きなコメントを残しており、マイケル・スタウト師やエド・ダンロップ師から渡日について情報収集するなど積極的に動いていた。
もともとアルピニスタの祖母Alboradaでジャパンカップに参戦すべく来日したものの故障で無念の出走取消となった経験があり、
そのリベンジマッチという思いもあったと思われる。
馬主のラウジング氏は日本への直行便がないことや年齢と実績を考慮してあまり前のめりではなかったが、
凱旋門賞後のアルピニスタの状態が良好であることや魅力的な賞金もあって、「少しでも不順なことがあれば引退する」という条件つきで、ついに参戦を決断。
その旨が11月9日に記事となるに至り、2012年のソレミア以来10年ぶりに凱旋門賞馬が府中にやってくるということで、ファンにも大きな興奮がもたらされた。
のだが―
翌10日、一転してアルピニスタがジャパンカップへの出走を取りやめるとのニュースが発表。
10年ぶりの凱旋門賞馬のジャパンカップ参戦は幻と消えてしまった。
これは調教中に軽いケガを負ってしまったことによるもので、大事に至るような傷ではなかった。とはいえそのような状態で遠征のリスクは犯せないこと、ジャパンカップに出られない以上すでに5歳のアルピニスタが今年走るべきレースも他にないということで、これにて引退となった。
奇しくも、ここでもまた母たちをなぞることになった。
このような形になってはしまったが、2022年のロンジン・ワールド・ベスト・レースホース・ランキングでは牝馬として世界1位の123ポンドを獲得。セックスアローワンスを考慮すれば126ポンドで、牡馬ふくめて事実上この年の世界3位である。
3歳時には裏街道を強いられクラシックホースのラヴに一蹴されたアルピニスタだが、いつの間にかその差は逆転していた。
かくしてアルピニスタは名実ともに世界最強牝馬と認められて、競走生活を終えることになった。
評価・エピソード
じっくり育て上げられたためか晩成型ではあったが4歳以降の快進撃はまさに向かうところ敵なし。
プレスコット師の言葉通りそのパフォーマンスは馬場状態にも左右されず、脚質にしても王道の先行競馬だけでなく後方からの追い込みも可能と操縦性も高かった。
精神面でも粘り強さがあり、それは相手より重い斤量を負いながら追撃を封じた凱旋門賞やヨークシャーオークスでの走りによく表れている。
フランケル産駒として初めて凱旋門賞を勝った馬であり、また現時点ではフランケル産駒の中で最も多くのG1を勝った馬でもある。
このような高い競走能力とは裏腹に、垂れ目がちな顔つきなどでやたらかわいいということでも評判になった。
凱旋門賞のレース後には我らが日本のステイフーリッシュがアルピニスタに反応しまくって男気を見せてしまったほどである。交配できたらいいなぁ…。
ちなみにピルグリムダンサーというセン馬がアルピニスタと大の仲良しで、遠征の際も僚馬として常に付き添っていた。ステフ涙目。
引退後
やはり母らがそうであったように、ラウジング女史のランウェイズスタッドに繁殖牝馬として繋養された。
1年目は
大種牡馬ドバウィと交配し、2024年に初仔を出産。ちなみに牝馬だったということで、牝系の跡継ぎになれるとラウジング氏も喜んでいたとか。
そして2年目は、現役時代にフランスダービーを制した
ディープインパクト産駒の
スタディオブマンとの交配が予定されている。ラウジング氏の牝系と日本の
三冠馬の血脈がどう合わさるか注目されるところだ。
また2023年にはアルピニスタの
全妹が誕生した。
この牝系の今後の発展、そしてその血統6代目の物語はまだまだ続きそうである。
追記・修正は母方ゆかりの地で覚醒してからお願いします。
最終更新:2024年06月28日 20:25