ナポレオン・ボナパルト

登録日:2019/01/31 Thu 08:33:54
更新日:2025/01/27 Mon 11:58:13
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ナポレオン・ボナパルトとは、革命フランス期の軍人であり、フランス第一帝政の初代皇帝
生年は西暦1769年、没年は1821年。




【生涯】

【前歴】


コルシカ島のイタリア系地主の生まれ。
コルシカ島はナポレオンが生まれた頃にフランス領になったばかりであった。
父のカルロが「コルシカ独立戦争」において親仏側に転向したことからフランス貴族の地位を手に入れることができた。
その過程で本土出身のフランス人と親しくなり、ナポレオンは兄とともにフランスの学校に入ることとなった。
彼が生まれた当時、コルシカ島はナポリ領だったことから、「ナポリのライオン」を意味する「ナポリオーネ」と命名され、フランス人となったことから発音も「ナポレオン」となった。
その中で陸軍幼年学校、陸軍士官学校に入学し、通常の在籍期間が4年である士官学校をわずか11か月で全行程を終了し、卒業している。
士官学校では砲兵科に所属しており、のちのち大砲を生かして多大な戦果を挙げることになる。

遺品から推測される身長は167cmで当時のフランス貴族の平均よりほんの僅かに高い程度でイメージ程小さくは無いが、「頭と顔が大きくてハンサム」と後年に側近が回想している様に、頭の大きい体形だったので本来より小柄に見られていた様である。

1789年、中世の終わりにして近代の幕開けフランス革命が勃発するも、当初ナポレオンは関係なかった。


【飛躍】

1792年、親仏派であったことからコルシカ島独立指導者パスカル・パオリの腹心ポッツォ・ディ・ボルゴら親英派によって弾劾決議を下された。
一家はコルシカを追われ、フランス本土のマルセイユに移住する。
翌年にナポレオンは原隊復帰し、中央政界でロベスピエールらジャコバン派の独裁と粛清劇に反発した王党派が反乱を起こした都市の一つトゥーロンの攻囲戦に出征。
前任者の負傷を受けて砲兵司令官となり、大砲を用いた戦術でフッド率いるイギリスとスペインの艦隊を追い払い、反革命軍を降伏に追い込むことに成功。
ナポレオンは一躍フランスの英雄として祭り上げられることになる。

イタリア方面軍の砲兵司令官となったナポレオンだったが、1794年のテルミドールのクーデターでロベスピエール以下ジャコバン派が失脚。
彼の弟と繋がりがあったナポレオンも逮捕、収監され、降格処分を受ける羽目に。
しかし1795年、パリで王党派によるヴァンデミエールの反乱が起こり、国民公会軍司令官となったポール・バラスは、知り合いだったナポレオンを副官として登用
鎮圧作戦を一任されたナポレオンは市街で大砲をぶっ放すという方法で鎮圧に成功。師団将軍に昇進した。


1796年、フランス革命に端を発するフランス革命戦争が欧州で勃発する中、
イタリア方面軍の司令官に任命されたナポレオンは連戦連勝。
ウィーンに迫られたオーストリアはカンポ・フォルミオ条約を結び、ナポレオンは第一次対仏大同盟を崩すことに成功する。

しかしイギリスだけは強力な海軍によって制海権を握り、フランス側が決定打を与えられなかったことから交戦を継続。
ナポレオンはイギリスの最も重要な植民地であるインドとの連携を絶つため、英印交易の中継地点であるエジプトを押さえることを進言し、エジプト遠征に向かったが、
アブキール湾の海戦でネルソン提督率いるイギリス艦隊にフランス艦隊が大敗し、ナポレオン軍はエジプトで孤立することになってしまった。
更にイギリスは再び対仏大同盟を結成し、1799年にはオーストリア帝国にイタリアを奪還され、民衆は総督府を糾弾するようになっていた。

それを知ったナポレオンは側近のみを連れてフランスに帰還。
フランスの民衆はそれを歓喜の声で迎え入れ、ナポレオンはブリュメールのクーデターを起こし、新たに統領政府を樹立。
自ら第一統領となり、実質的な独裁権を握った。

この時期のナポレオンはフランス革命の行き過ぎを修正する仕事も果たしており、革命歴の廃止や地方の中小貴族の家屋敷と直営農地*1の返還、「フランスの法律を順守すると宣言した僧侶の中からローマ法王が司教を任命する」と言うカトリックとの和解などの政策を進め、数十万人の死者を出した大内戦である西部戦争を終結させている。
ヴァンデや元々はフランスと同君連邦を組んでいたブルターニュは王党派や立憲君主派、カトリックの勢力が強く、土着の中小貴族と農民との関係も余所者のブルジョワジーを協力して追い出しにかかる程度には良好だったので、革命に激しく反発し、革命政府は大虐殺で応えていた。
ナポレオンと並ぶ名将オッシュ将軍の宥和政策による反乱軍の切り崩しに、ルイ16世の弟のシャルル10世の土壇場での敵前逃亡による王党派の士気瓦解も相まってこの時期にはかなり勢いは弱まっていたが、ナポレオンが政府の最高責任者として宥和策による内乱の終結に軟着陸させた功績は小さいものではない。

また、当時のフランスでは旧特権階級の没収財産を担保としたアッシニア紙幣が乱発されて物価の暴騰が起きていたが、中央銀行であるフランス銀行を設立し、後述のナポレオン金貨を本位金貨として大量発行する事で経済混乱を抑え、崩壊した流通や生産を立て直した。
何しろ、アッシニアの信用が落ち過ぎていたせいで、農家も金銀と食料を退蔵し、都市部に十分な食料が回らなくなっていたのでこの政策は国内から大歓迎された。

統領となったナポレオンは再びオーストリア軍に大勝し、またしてもナポレオンの手で第二次対仏大同盟は崩壊
イギリスはなおも戦おうとしたが、イギリス国内の対仏強硬派が失脚し、ナポレオンとしてもフランス国内の安定に力を注ぎたかったことから、
1802年3月のアミアンの和約で講和が成立した。

が、その翌年にはマルタ島の管理権を巡ってフランスとイギリスの関係はまた悪化しており、早くも戦争状態に戻ろうとしていた。
さらにフランス国内ではナポレオンに対する暗殺未遂が激化しており、それに対してナポレオンは独裁色を強めていき、
1804年5月、国会の議決と国民投票を経てついにナポレオンはフランス皇帝の地位についた。


【フランス皇帝として】

1805年、イギリスへの上陸作戦を実行に移したナポレオンに対し、イギリスはオーストリア・ロシアなどを引き込んで第三次対仏大同盟を結成。
ネルソン率いるイギリス海軍にトラファルガーの海戦にて完敗し、イギリスへの上陸は失敗に終わった。
しかし、翌年のウルム戦役でオーストリア軍を破り、ウィーンを占領。
オーストリア皇帝のフランツ2世は北に逃れ、その救援に来たロシア帝国のアレクサンドル1世の軍と合流。
三帝会戦とも呼ばれるアウステルリッツの戦いが始まり、これにもナポレオンは完勝。
フランスとオーストリアの間でプレスブルク条約が結ばれ、第三次対仏大同盟は崩壊した。
このアウステルリッツの戦いの勝利を記念し、かの有名なエトワール凱旋門が建設されることになる。

戦場から逃れたアレクサンドル1世はイギリス・プロイセンと手を組み、1806年10月にはプロイセンが中心となって第四次対仏大同盟を結成。
これに対しナポレオンはイエナの戦い・アウエルシュタットの戦いでプロイセン軍を激しく打ち負かし、ベルリンを制圧。
これによりヨーロッパ中央をほぼ制圧したナポレオンは西南ドイツ一帯をライン同盟として保護国化。
それに伴って神聖ローマ皇帝フランツ2世は退位し、神聖ローマ帝国は名実共に消滅することとなった
その後のフリートラントの戦いでも大勝し、第四次対仏大同盟は崩壊した。

1808年5月、ナポレオンはスペイン・ブルボン朝の内紛に介入し、兄ジョゼフをスペイン王に就けたが、これに対しマドリード市民が蜂起。
7月、スペイン軍・ゲリラ連合軍の前にデュポン将軍率いるフランス軍が降伏し、皇帝に即位して以来の陸上での敗北であった。
更に8月にイギリスが英葡永久同盟により参戦して半島戦争に発展し、その苦戦を見たオーストリアがイギリスと組んで第五次対仏大同盟を結成。
これにナポレオン軍は苦戦を強いられたが、ヴァグラムの戦いでの勝利からシェーンブルンの和約を結び、第五次対仏大同盟も崩壊した。


【転落劇】

この頃、ナポレオンは対立するイギリスを経済的な困窮に落とすため、大陸封鎖令を出していたが、
当時、世界の工場と呼ばれたイギリスからの輸入の禁止は無理があり、欧州諸国は経済的に困窮。
第四次対仏大同盟の際に大陸封鎖令に加入させられていたロシアは1810年にこれを破ってイギリスとの貿易を再開。
これに対してナポレオンはロシア遠征を行い、60万の大軍でロシアに侵攻する。

しかし、フランス軍はロシアの気候に苦しめられ、更にロシア軍がまともに戦えば負けると焦土作戦に出たことで兵站不足に悩まされることになった。
どうにかモスクワを制圧したナポレオンだったが、その日の内にロシア兵はモスクワにを放ち、三日間燃え続ける大火となってモスクワは焼け野原と化した。
この時には冬季が目前に迫っており、フランス軍は撤退を開始したが、その好機にロシア軍はコサック騎兵による追撃を加え、
更にシベリア寒気団、通称「冬将軍」が重なったことでナポレオンは大敗を喫することになった。


この大敗によって国内ではクーデターが勃発し、さらにプロイセンの呼びかけで第六次対仏大同盟が結成。
ロシア遠征で数十万の兵を失った上に、ベルナドットによる対仏大同盟への情報開示によって、フランス軍は対抗する力を喪失し、
ついにパリが陥落し、ナポレオンは無条件に退位させられ、エルバ島の小領主として追放されることになった。


しかし、ナポレオンの後に即位したルイ18世の政治は民衆の不満を受けており、
エルバ島を脱出したナポレオンはパリに戻って復位を成し遂げた

だが、もはやナポレオンには昔日の勢いはなかったようである。
連合国にも講和を試みたが当然認められず、第七次対仏大同盟が結成され、ナポレオンはワーテルローの戦いで完敗。
復位はわずか95日で終わり、文字通りの百日天下となった。


イギリス政府はナポレオンをセントヘレナに幽閉し、監禁生活を送ることとなる。
その中でもナポレオンは自身の膨大な回顧録を残し、「ナポレオン伝説」を形成することとなる。有名なのがラス・カーズによる『セントヘレナ日記』。
島の総督ハドソン・ローはナポレオンを冷遇し、そうした心労もあって病状が進行し、1821年5月5日に死去。享年51歳。
死因は胃がんと発表されたが、ナポレオンの遺髪からはヒ素が検出されており、毒殺の可能性もあるとされている。

1840年にはフランスに遺骨が返還された。



【影響】

人生をたどるだけでも伝説的な英雄だが、これ以外にも様々な伝説を持ち、「吾輩の辞書に不可能の文字はない」という言葉はあまりにも有名。
ただ、これに関しては後世の創作であるとも言われる(余談の項も参照)。
他にもピラミッドの中でイスカンダルと出逢ったとか、ギザのスフィンクスを砲撃で破壊したとか、
実際にはやってないことまで伝説になり、「ナポレオンならそのくらいやるだろう」と多くの人々に信じられている。

ナポレオンに対するあこがれはフランス人たちの情熱に宿り続け、19世紀から21世紀の現代に至るまで影響を与え続けている。
その伝説の特異な点は、ナポレオンの功罪両面に関わっている事。
ナポレオン自身は、軍神・革命の守護者といった自らのイメージを、戦況報告などを通して国民に対してアピールしていた。
一方で、同時代の王党派や反ナポレオンな文化人たち、シャトーブリアン、ド・スタール夫人、ゴヤらは、暴力的で権力的なイメージでナポレオンを見ていた*2

こうした生前からの善悪相反するイメージに加え、
  • セント・ヘレナ文学と呼ばれる死後の「記録」
  • ブルボン復古王政への革命期・帝政期を享受してきた農村・ブルジョア層の反発と革命への憧れの象徴としての理想化
  • 同時代の文化人たち特にフランス・ドイツ・ロシアのロマン派によるナポレオン像

そうした全てを含んだものがナポレオン伝説なのである。


【フランス「皇帝」ってなんだ!?】

ナポレオンは最終的に「皇帝」に上り詰めた。
これは「中世ヨーロッパの終わり」を象徴づける話であり、同時に「フランス革命の完成」を告げるものでもあった。

「万世一系」で天皇家が滅んだことのない日本や、逆に皇帝の位が安売りされる中国ではピンとこないが、そもそもヨーロッパにおいて「皇帝」とは「ローマ皇帝」であり、「帝国」は「ローマ帝国」である
アウシュテルリッツの「三帝会戦」では「フランス皇帝ナポレオン一世」と「オーストリア皇帝フランツ二世」と「ロシア皇帝アレクサンドル一世」が揃い踏みしたが、
「オーストリア帝国」とは「神聖ローマ帝国」のことであり(正確には「三帝会戦」当時、国号はまだ「神聖ローマ帝国」)、
「ロシア帝国」は「東ローマ帝国の後継国家」を自任していた。ロシア帝国の国旗が「双頭の鷲」であるのもそれゆえだ。
そして東ローマ帝国とは古代ローマ帝国そのもので、神聖ローマ帝国も「西ローマ帝国の復興」というところから始まっている。

しかしフランスが帝国だったことは史上一度もないし、ナポレオンの皇帝位はローマ帝国には全く由来しない
ナポレオンはこれまでのヨーロッパの象徴というべき「ローマ帝国」を否定したのだ
またナポレオンの称号は正式には「フランス"人民の"皇帝」であり、その地位が民衆の支持に基づくものとして王権神授も否定した。

何気なく名乗っただけに思える「フランス皇帝」という称号だが、実は「ローマに由来しない皇帝号」とは、まさしく「中世の終わり」「近世の始まり」を象徴する一大事件だったのだ。

皇帝を選んだ理由としてはもう一つ理由があると言われている。
それは皇帝は王よりも民主的な称号だから。
ローマ人はかつて王政を打倒した歴史から「王」と言う称号には強い嫌悪感を持っていた。
そのため初代ローマ皇帝アウグストゥスは既存の役職を兼任することで権力を手に入れたのである。世に言う元首政である。
その中にインペラートル(ローマ軍最高司令官)と言うのがあったが、これがアンプルール(フランス語で「皇帝」)の語源となった。
ナポレオンが国王ではなく皇帝を称号にしたのもそうした歴史的事情を踏まえてなのかもしれない。

ついでに言うと、ナポレオンの存在を含む「フランス革命」は単なるクーデターではなく、様々な意味で「新しい時代の始まり」「中世の終わり」を志向するものだった。
例えば「メートル法」。革命政府は旧来の単位を排して「メートル」を定めたのだが、その基準は地球の円周を割り出した上で、40000分の一とするというところから始まっている。
「革命政府がフランスを支配する」「フランスが世界を支配する」というのではなく、「新しい時代にふさわしく、どこでも使える単位を希求する」という意識がそこにはあった。

そうした数々の試行錯誤は、ナポレオンによる「ローマ帝国の否定」で一つの終局を迎えたといえる。



【関連人物】

  • ジョゼフィーヌ
嫁その1。6歳年上で二人の子持ちの未亡人の貧乏貴族な上、総裁政府のバラスのお古。
結婚したころは浮気三昧のビッチ嫁だったことなんかで知られるが、エジプト遠征中の浮気バレ以降は忠実だったそうな
社交界でのコネもナポレオンの権力掌握の助けになった。
最終的には皇后にまでなるが子供ができなかったので離婚。しかしお互い思い出は大切にしていたという。

  • マリー・ルイーズ
嫁その2。神聖ローマ及びオーストリア皇帝フランツ2世の娘でつまり元は敵。
年齢差は20歳以上年下。
なんやかんやで待望の息子までできるが、エルバ島送りの時はオーストリア宮廷に戻り恋人もでき、2度と会うことはなかった。

  • ナポレオン2世
唯一の息子。愛人との間に子供いるけどね!
オーストリア風だとライヒシュタット公。
親と引き離れた挙句21歳で死ぬかわいそうな人。
父親を尊敬し、母親のマリー・ルイーズのことは嫌いだったそうな。

  • ウジェーヌ・ド・ボアルネ
養子となった継子。ジョゼフィーヌと前夫ボアルネ子爵の子。イタリア副王。
ナポレオンに可愛がられ、兵たちの信頼も厚く、ナポレオン2世が生まれるまで後継者候補の一人だった。
同盟国バイエルンの王女と結婚、母の離縁後もナポレオンを尊敬し、イタリアの実権を任されて義父を支えた。
百日天下のときには軟禁されたものの、妻の家族にも気に入られ、ナポレオン失脚後はバイエルン王国の貴族として過ごした。

  • オルタンス・ド・ボアルネ
養子となった継子2。ジョセフィーヌと前夫ボアルネ子爵の子。ウジェーヌの妹。ルイ・ボナパルトの妻。ナポレオン3世の母。
ナポレオンに可愛がれ、持ち前の賢さと母親譲りの社交的な性格を武器に多くの国内外の諸侯と交流していた。その中の一人であるロシア皇帝アレクサンドル1世が想いを寄せていたとかいなかったとか…
生まれた時に実父から不義の子であると疑われたり、付き合っていた恋人と泣く泣く別れてその恋人がナポレオンが出した結婚する条件を飲めずに勝手に諦めたというものだが…ルイ・ボナパルトに嫁いだものの、夫婦仲が悪く、幸せな結婚生活を遅れなかった幸薄い姫君。
ナポレオンがセントヘレナ島に追放される最後まで娘として義父を支え続けた。
ナポレオン亡き後はルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)の教育に尽力し、スイスで晩年を過ごす。

  • マリア・レティツィア・ボナパルト
ナポレオンの母。息子の皇帝即位には反対していた。
若い頃に苦労していた経験から息子の出世で大金が得られても散財はせず、そのおかげで百日天下後に一族の家計を助けることが出来た。
自称「史上最も皇帝や国王を引っ叩いた人間」。

  • ルイ・ボナパルト
ナポレオンの弟。
兄の命令でフランスの影響下にあったオランダの国王「ローデウェイク1世」として即位する。
徴兵制の施行や大陸封鎖令にはオランダにとって利益が無いと反対しており、それに不満がった兄によって退位させられた。

  • ナポレオン3世(シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト)
甥っ子。上のルイとジョゼフィーヌの娘オルタンスの息子。即位までは主にルイ・ナポレオンと呼ばれていた。
第二共和政のブルジョワ/プロレタリア間の対立が高まる時代に亡命から帰ってきてナポレオン伝説を大いに利用して人気獲得した人。
クーデターも駆使して大統領、そして第二帝政下の皇帝までなるが、普仏戦争で大敗。捕虜となる大失態を見せてしまい失脚。結果的にフランス最後の君主となった。
伯父のような圧倒的カリスマと軍功を誇る大将軍ではなく巧みな外交などによる政治的成功でのし上がった政治家タイプで、
功績としては自由貿易によるフランスの産業革命を促進したり、近代的な銀行や鉄道建設の推進、パリ等の大都市の再開発等が挙げられる。
歴史的には長らく無能のレッテルを貼られていたが、決して伯父の威光に肖っただけの人間とは言えないだろう。

  • チャールズ・ジョセフ・ボナパルト
ナポレオンの弟ジェロームの孫。
父親ジェローム・ナポレオン1世が米国に移住し結婚した為、フランスではなく米国生まれ。
セオドア・ルーズベルト米大統領に登用され、同政権では海軍長官と司法長官を務めた。
捜査局、後の連邦捜査局(FBI)の前身を作った人として知られている。

  • レオン伯シャルル
庶子その1。フランス人のメイドの愛人との間にできた子。
ナポレオンにも息子として認知されており養子にすることも考えたらしい。それは実現しなかったが代わりに伯爵の位を与えている。
ナポレオン3世と決闘未遂を起こしたりもしたが、ナポレオンの子供の中では最も長生きした。

  • アレクサンドル・ヴァレフスキ
庶子その2。ポーランド人貴族の愛人との間の子でナポレオン3世時代には側近として活動した。
写真を見てもらえば分かるが実父によく似ている。なので彼がナポレオン3世に勘違いされた事もあるとか。
ちなみにナポレオンの血を引く子孫は嫡子の2世が早世してしまった為、以上の二人の庶子の子孫のみ続いている。

  • デジレ・クラリー
ナポレオンの元婚約者。
ナポレオンと婚約していたがジョセフィーヌにゾッコンとなった彼に婚約破棄されてしまう。二人が結婚した時にはナポレオンに恨みとも言える手紙を出し、因縁の相手であるジョセフィーヌに対しては良くない感情を持っていた。が、ジョセフィーヌの娘でナポレオンの継子であったオルタンスとは仲が良かった模様。
その後はナポレオンの副官でもあったベルナドットと結婚し、彼がスウェーデン王国のカール14世ヨハンとして即位すると王妃となった。

ベルナドット
  • 26元帥
皇帝になった1804年に号を授与された18人と以降の8人で構成された元帥の皆さん。
能力も忠誠度も本人たちの運命もピンキリでしかもそれらが一致するわけでもない。各人面白いエピソードがいっぱいなのでググれ。
以下一覧
  • ベルティエ
  • ミュラ
  • モンセー
  • ジュールナー
  • マッセナ
  • ブリューヌ
  • スールト
  • ベルナドット
  • ランヌ
  • モルティエ
  • ネイ
  • ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼー
本隊から分遣され作戦行動中だったがマレンゴ会戦の砲音を聞きつけるや独断専行を決断。
敗北寸前だったナポレオンの下に駆け付け、自ら先頭に立ち敵陣へと突入。
ナポレオンを敗北から救い出した代わりに自らは戦死した。
  • ルイ=二コラ・ダヴー
ナポレオン旗下の元帥の中では最も優れた将軍とされている人物。
軍事的な才能はナポレオンが嫉妬したほどで、軍事以外にも行政や組織運営など様々な分野で才能を発揮した。
  • ベシェール
  • ケレルマン
  • ルフェーヴル
  • ペリニョン
  • セリュリエ
  • ペラン
  • マクドナル
  • ウディノ
  • マルモン
  • スーシェ
  • サン=シール
  • ポニャトフスキ
  • エマニュエル・ド・グルーシー
ナポレオン帝国最後の元帥。
ワーテルローの戦いにおいて本隊から分遣され作戦行動中だったが、ドゼーとは逆に砲音が聞こえているにも関わらず命令を遵守し結果的にナポレオンの失墜を決定づけた。
命令墨守が必ずしも正しいのではないと語られる典型例。
一度の失敗で歴史書では散々に書かれている不運な人物ではあるが、実際の所は優秀な人物だった模様。


【ナポレオンの名を冠する色々】

  • ナポレオン法典
別名「フランス民法典」。全文2281条
私有財産制度を始めとした近代資本主義市民国家の基礎を形作る原理を読みやすく盛り込んだ。
1804年のナポレオン戦争とともにヨーロッパ、果ては世界中に広まり、あらゆる民法の基礎になった。

  • ナポレオン(ブランデー)
ブランデーは貯蔵年数によってランク付けされる。
もちろん長ければ長いほど価値を与えるわけだが、その最高ランクにナポレオンの名前を冠する。
これと同等以上となるとXO等級のみしかない。

  • ナポレオン(ケーキ)
ぶっちゃけるとミルフィーユのこと。ナポレオンの帽子の形から名づけられた。
日本では特にイチゴ添えの時を言う。


  • ナポレオン金貨
1803年にナポレオンが規格化した20フラン金貨。
特に大量に製造された甥にして義理の孫であるナポレオン三世の肖像が打刻されたものを指す事も多いが、ナポレオン一世の肖像が打刻されたものもフランスだけ*3で最盛期である1811年だけで400万枚以上、合計で1500万枚超が製造され、精緻に規格化された事から信用も高く多数が残存している。
90%純度の金で出来た直径21mm、最大厚さ1.3mm、量目6.45gの金貨で5.8gの純金を含む。
フランスのみならず、ベルギー、イタリア、スイスのラテン通貨同盟諸国とオーストリアで採用されている。
因みに、1フランが「90%純度の銀でできた量目5gの銀貨」なので、金銀比価は15.5で70年近くこの価格比が保たれていた。
金本位制時代に経済大国が主力本位金貨として大量製造したので、イギリスのソブリン金貨を始めとする8g級の金貨*4と並んで、世界的に信用の有る貨幣だった。
因みに、ナポレオン本人も自分の顔が打刻された20フラン金貨は大のお気に入りであり、周囲に気前よく振舞ったり、逆に葬儀の際に側近が棺の中に入れたりというエピソードが残っている。

2種類ある。基本は強いカードを見せて取り合うトリックテイキングゲーム。
ナップとも呼ばれる、取るトリック数をビッド(宣言)してその結果がスコアに影響するゲーム
日本生まれの、一人のプレイヤーが副官を決めて残りメンツと比べ合うゲーム
どちらもナポレオン戦争由来の名称を用いる。

  • ナポレオン(サクランボ)
17世紀に開発されたサクランボの品種。佐藤錦などの先祖。

  • ナポレオンフィッシュ
ナポレオンの帽子の形に似ているこぶを頭に持ったベラ科の海水魚。
香港では食べられるらしい。

  • ナポレオン岩
無色部分と有色部分が交互の同心円状に見える閃緑岩。別名「コルサイト」。コルシカで産出することから
全然関係ないが見た目がナポレオンの横顔っぽい鹿児島無人島も同じ名前を持ってたり。

  • ナポレオンズ
1977年にデビューした2人組のプロマジシャン。2人の芸名もボナ植木とパルト小石とナポレオンにあやかっている。
マジシャンとしての腕前は一流だが、寄席や笑点でトークを交えたお笑い系のマジックを披露することが大半。
更に名前の由来もナポレオン・ボナパルトと見せかけて、実はたまたま目に入ったブランデーのナポレオンが由来。


【ナポレオンの名を冠するキャラクター】

ナポレオンは近現代日本においてもフランスの象徴的存在であり、
いわゆる国別代表もの等ではしばしば安直なナポレオン系キャラクターが登場する。

GOD悪人軍団の一人でナポレオンの死体に蜘蛛の能力を与えた怪人(まんまやな)。
軍服姿でサーベルや蜘蛛の糸を操る。
仮面ライダーX、V3を一度は倒した強者。

ナポレオンゴースト眼魂による仮面ライダーダークゴーストの一形態。
ナポレオン帽子でマントで剣士。顔面もの横顔にカットラスと、「ナポレオンといえば」な要素をこれでもかと詰め込んだ非常にカッコいいデザイン。

  • ナポレオン (放課後のカリスマ)
明るい性格で本物より長身のクローン。リーダーシップ発揮して頑張るのだが陰謀にはまり…

巨大な大砲を扱うアーチャークラスのサーヴァント。人々のイメージするナポレオン伝説を反映した「理想のナポレオン」として呼ばれた、一般的なナポレオン像とはかなり異なる快男児。
詳細はリンク先参照。

チビでデブなフランス出身なデュエルアカデミアの教頭。

巴里華撃団グランマの飼う黒猫。

  • ルイ・ナポレオン(キャプテン翼Jr.ユース編)
フランスユース代表のFW。粗暴な性格だが実力は確かで、キャッチの困難な回転シュート「キャノンシュート」を使う。
ナポレオン3世を思わせる名前だが、この表記だと姓がナポレオンということになるが……。

マスターアリーナのトップランカー

  • ナポレオン(あっきのじかん)
攻撃的性能で火属性の、戦場では活躍してるが見栄っ張りの英雄。
多分司令官時代がモチーフ。

  • ナポレオン(ラヴヘブン)
攻撃的性能で、傲慢で愉快な支配者。
多分統領時代以降がモチーフ。

  • ナポレオン・ボナパルト(イケメンヴァンパイア)
クールで傲慢な革命家。

  • ナポレオン(千銃士)
フリントロック式の古銃がモチーフのナポレオングループのリーダーでマスケット銃の貴銃士
というわけで銃なはずだが自分を皇帝ナポレオンだと思い込んでいる。あれ?やばい子?

帽子にサーベルにウサギのぬいぐるみが特徴の水属性でドリルロールな女の子

火属性ドロップの強化に長けた竜騎士。サブでの攻撃能力だけは一線級。

"四皇"ビッグ・マムソルソルの実の能力で生命を与えられた二角帽(パイコーツ)
中にはが仕込まれており有事の際は剣に変形してビッグ・マムの武器となる。

【関連作品】

  • ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト
教科書でも見たことがあるかもしれない肖像画。
作者はコロコロ政治活動してるジャック=ルイ・ダヴィッド
オーストリア占領下のイタリアに進撃するべくアルプスを越えるさ中雄々しく白馬を乗り回している様子を描くが、実際にはロバに乗っていてちょっとダサめだったそうな。

  • 交響曲第三番「英雄」
ベートーベン作曲。「エロイカ」とも。
全4楽章50分の演奏時間、各楽章の変則的構造、力強い調性と和音などは当時の交響曲としては破格のものだった。
フランス革命に共感したベートーベンが革命の英雄としてのナポレオンに捧げるつもりだったが、皇帝になったことでキレて題名を書き換えたとかいう伝説で知られる。(あくまで伝説)

  • 戦争と平和
レフ・トルストイの小説。
ナポレオンのロシア侵攻における戦争描写とその周辺で生き抜こうとするロシア人たちを描く世界文学史上の傑作。
でもロシア視点であることは留意しておこう。

  • ナポレオン交響曲
アントニー・バージェスの小説
ベートーベンの「英雄」の4楽章の構造をエジプト遠征を中心としたナポレオンの伝記に応用したジャンル融合系実験小説。
わけわかんないって?でしょうね

「皇帝」の名を冠する光栄のSLG。
プレイヤーはナポレオンとなり、出世しながら司令官・政府コマンドを駆使してヨーロッパ制覇を目指す。
長射程の砲兵の利用や外交戦略の活用などが特徴。
百日天下が題材の隠しシナリオは特に難易度が高い。

  • ナポレオン(GBA)
元気開発のRTS。今はバーチャルコンソール版もある。
とっつきにくいRTSというジャンルを戦闘パート特化して分かりやすくアレンジしているのだが、シナリオがなぜかファンタジー入って超展開気味なのも特徴。
ナポレオンは兵の召集や指示、加えて士気上げを行える言わば「生きるカーソル」だが、戦闘力がないので敵に近づかれるとすぐに死ぬ。
要素だけ見ると典型的なマイナーゲーなのだが、ローンチタイトルだったことが手伝って直撃世代からの知名度は地味に高い。

  • Napoleon Total War
The Creative Assembly開発のRTS、Total Warシリーズの一つでタイトル通りナポレオン時代のヨーロッパを舞台とする。
プレイヤーはヨーロッパ各国を選んで戦っていくわけだが、やはりフランスの性能は高め。

  • アサシンクリードシリーズ
ユービーアイソフト開発の様々な時代を題材にしたステルスアクションゲーム。
フランス革命の時代を題材にした「アサシンクリード ユニティ」では兵隊時代の彼が登場し、任務中に出会った主人公アルノ・ドリアンと協力する。
司令官として大成する前の時代だが、既に知略と指揮力に長けた人物である様子が描かれている。
公式サイトではさも重要キャラのように扱われているが、残念ながらチョイ役程度の出番だった。
過去作ではシリーズに登場するキーアイテム「エデンの果実」を手に入れて大成したことが示唆されている。

  • 栄光のナポレオン
ベルサイユのばらの池田理代子が、その後のナポレオンの時代を絢爛豪華に描いた歴史漫画。
舞台はテルミドールの反動からワーテルローまで。
アレンジはあれどナポレオン時代の歴史的流れをドラマチックに知れるナポレオン漫画の代表。
ついでに同じ作者の『女帝エカテリーナ』と『天の涯まで』を読むともっと理解が深まる。
なおベルばら終盤にもナポレオンはオスカルと一瞬邂逅する形で出ている。

  • ナポレオン 獅子の時代
「大陸軍<グラン・ダルメ>は、世界最強ォォ!!」
『栄光のナポレオン』と『北斗の拳』と軍事コラムを足してできたような、(濃ゆさ的な意味で)絢爛豪華な歴史漫画。作者は長谷川哲也
舞台はジャコバン派の暴れまわるフランス革命時代からナポレオンの栄枯盛衰(現在進行形)まで。
アレンジはあれどナポレオン時代の戦争と情熱と残虐さをシリアスな笑いじみて知れるナポレオン漫画の代表。
これ以前に描いた未単行本の関連作『青年ナポレオン』『1812・崩壊』はもうちょっと薄味。

スミソニアン博物館の展示物として登場。演じるのはアラン・シャバ。
作中のキーアイテムであるアクメンラーの石板の魔力で生命とナポレオンの意志を吹き込まれ動き出す。
ギャング王アル・カポネ、ロシアの暴君イワン雷帝と肩を並べ、「歴史上有名な悪役」として敵役カームンラーと手を組み主人公ラリーの行く手を阻んだ。
背が低いことを気にしているようで(俗にいう ナポレオン・コンプレックス )実際、周りの人物と比べても背が低い。


【余談~「余の辞書に不可能の文字は無い」について~】

出典にスペイン独立戦争説(1808)、ドイツ・フランス戦役説(1813)などいくつか説があるため、複数の場面で言っていた可能性も考えられるが、明確な一次出典があるのは後者。
「マクデブルクの維持は不可能」と訴えるル・マロワ将軍にナポレオンが返答した手紙が現存していて、それによると原文は"Cela n'est pas français"である。
直訳すると「(不可能と君は言うが)その言葉はフランス語にはない」または「その言葉はフランス的ではない」という発言なので、「余の辞書に」の部分は意訳。
完全にナポレオンの言葉ではない事はないが、少なくとも前半部は実は言ってない台詞と言えよう。
ちなみにこの言葉を流行らせたのは文豪バルザックである。彼が1838年に出版したナポレオン語録に「不可能という言葉はフランス語にはない("Impossible n'est pas français")」が収録されている。


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最終更新:2025年01月27日 11:58

*1 元々、貴族の直営農地は豪農レベルと旧体制下で決められていた

*2 逆説的ではあるが、此等の王党派を中心とした反対派を殺しまではしなかっただけ、自分が最も正しいと確信して反対派を処刑して行ったロベスピエールと比べるとマシと言う証明である。特に、シャトーブリアンは反革命軍に身を置いて病院送りにされた経歴を持つ王党派貴族ながらも初期のナポレオン政権で厚遇されていたが、ナポレオン暗殺事件への関与の容疑でアンギャン公が冤罪処刑された事に激怒して辞表を叩き付けている。ナポレオン自身は「今の自分でもあの状況では処刑の決断を下すだろう」と晩年までアンギャン公の処刑を必要悪扱いしていたが、アンギャン公の処刑や折角一旦は和解したバチカンとの諍いを挙げて自分を非難するシャトーブリアンに対してはパリ追放だけで済ませている。

*3 イタリアのリラ貨として発行されたものやスイスやオランダで委託製造された

*4 米ドルや日本円、ドイツマルクも8g級の金貨が主力本位貨幣として量産された