登録日:2025/10/09 Thu 19:57:32
更新日:2025/10/20 Mon 20:11:30
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松田聖子、それは80年代から現在まで活躍し続ける日本の「永遠のアイドル」。
類まれなる歌唱力、愛らしいルックス、それでいて強靭なメンタルを持って歌い続けること、45年以上。
元夫は俳優の神田正輝で、神田との間に一人娘の
神田沙也加を設けている。
◇経歴
1962年3月10日、福岡県の久留米市で生まれる。本名は蒲池法子。
高校生の時、親に黙って出場したミスセブンティーンコンテストの九州地区大会で優勝。しかし親にバレてこっぴどく叱られた法子は全国大会への出場は諦めた…のだが、地区大会で歌った法子の歌を聴いた当時CBSソニーのプロデューサー・若松宗雄がその歌声に惚れ込んだことでデビューに向けて動き出す。法子も歌手としてデビューしたがったが、特に父親が芸能界入りを反対し続ける状況が続く。だがその内に法子の熱意に折れて、晴れて上京。サンミュージックに所属し、「松田聖子」の名を与えられることになる。
本格的な歌手デビューの前にはテレビドラマ「おだいじに」に出演、
レッツゴーヤングのサンデーズの一員に選ばれたりしつつ、1980年4月1日に「抱きしめたい!ミスソニー」のキャッチコピーで歌手デビュー。2枚目のシングル「青い珊瑚礁」でブレイクすると、その次の「風は秋色/Eighteen」からはオリコンのシングルチャートで24曲連続1位の記録を作り出すなど聖子は一気に80年代を代表するトップアイドルとして躍り出る。
なお80年代には、殆どのシングルの作詞(『白いパラソル』~『ハートのイアリング』、『Strawberry Time』~『Marrakech〜マラケッシュ〜』とアルバム曲の多く)を『ルビーの指輪』等で名を上げた松本隆が担当していた。
その当時の聖子の髪型は「聖子ちゃんカット」として親しまれ、世の女性がこぞって真似するなど社会現象の一つにもなり、アニメにおいても「
魔法の天使クリィミーマミ」の主人公・森沢優が変身したクリィミーマミの髪型が聖子ちゃんカットだったりした。ただ当の聖子は『赤いスイートピー』を機に「聖子ちゃんカット」は卒業。以降はショートヘアを経て、1983年頃からはイメージ脱却も兼ねてメイク・衣装も含め大人な顔立ちへと変化していく。
こうして聖子は時代の寵児になった一方でアンチの数も一定数いたため、メディアに出た際の聖子の立ち振る舞いが「ぶりっ子」であると批判されたりもした。
恋愛面ではデビューする前から憧れていたCBSソニーの先輩で同じ福岡県出身の郷ひろみとデビュー翌年頃から交際を始め、1984年の
NHK紅白歌合戦では聖子→郷の順で登場し登場前の解説や郷の『二億四千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-』エンディングで「前の出番の歌手二人」と合わせて
噂のカップルなんて煽りで紹介されたが、その直後の1985年初めに破局。
破局会見では「生まれ変わったら一緒になろうね」と約束した、と涙ながらに語ったものの、それから間もなくして主演映画で共演した神田正輝と交際、そして一気に結婚まで進む。
そして1985年の紅白では綺麗にもう一組や郷共々前年の紹介は無かった事になり普通に結婚を祝われ、もう一組が後に最悪な形での破局を迎えた事もあり、『二億四千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-』が紹介される際も1984年紅白映像(「噂のカップル」2組がエンドで軽いダンス)は再放送が希少になった…。
結婚に伴い一旦休業し、この頃には海外進出を目論んでいたものの英語詞のアルバム「SOUND OF MY HEART」を日本国内で発売しただけで終わった。1986年に娘の沙也加を出産。
女性アイドルは結婚したら引退すると考えられていた時代だったが、出産から半年後の1987年春に復帰。結婚・出産してもアイドルであり続ける「ママドル」という新たなポジションを開拓した。
また1987年のアルバム『Strawberry Time』では、タイトルチューン担当の土橋安騎夫(REBECCA)や『ピンクの豹』の米米CLUB、『雛菊の地平線』の大江千里に『Kimono Beat』の小室哲哉(
TM NETWORK、後に別歌詞でセルフカバー)等、CBSソニーとその姉妹レーベルEPICソニーの若手アーティスト達が主に作曲を担当。聖子本人もSEIKO名義で『シェルブールは霧雨』を作曲している。
そんな中、ソニーがアメリカのCBSレコードを買収したことでレコード会社の方から日本の歌手を海外デビューさせようという話になり、聖子に白羽の矢が立った。こうして聖子は本格的な海外進出に動き出さなくてはいけなくなり、1988年の『旅立ちはフリージア』でシングル曲初作詞を経験した後、単身ニューヨークでレッスンやレコーディングに励むことになったのだが…、海外進出のため家族を日本に残してきたことで「育児放棄」「妻失格」のレッテルをも貼られ、マスコミから酷いバッシングを受けることになる。この時聖子は海外進出の話に乗るか乗らないかを巡ってサンミュージックから独立して個人事務所に移っていた為、大手事務所の後ろ盾が無い状態だった。奥居香(PRINCESS・PRINCESS)の曲に自作詞を乗せた1989年のシングル「Precious Heart」は曲造りの才はあっても歌唱力は…と評される小室哲哉の2ndソロシングル「GRAVITY OF LOVE」の前に2位となって連続1位記録がストップする等、人気が一気にトーンダウン。
1990年にアルバム「Seiko」で世界デビュー、New Kids On The Blockのメンバーとデュエットしたシングル「The Right Combination」は全米54位・カナダ2位・オーストラリア11位…と最初にしては悪くない成績を残したのだが、この当時の日本国内は聖子に対して悪いイメージしか無いような状態で、今よりもコンプライアンス無視だったテレビや週刊誌による連日の聖子バッシングは過熱、それに影響されて世の中や同業者も聖子に対して以前より冷たい態度をとった。これまで出せば1位だったアルバムは1位を獲れなくなり、シングルの順位にいたっていえば16位までしか伸びないほど売り上げも減少した。
しかし聖子はこんなことで負けるような女ではなかった、そもそも歌手を目指していた頃もラ行が今よりも上手く発音できず「これではデビュー出来ない」と講師から言われた聖子はすぐさま下の裏側の筋を短くする手術を受けたりした、そんな聖子なのだ。
一説にはこの頃聖子への楽曲提供を渋る作家陣も少なからずいたことから、聖子は作詞作曲も本格的に自分で手掛けるセルフプロデュースへと舵を取る(作曲は小倉良という当時のバンドメンバーとの共作)。海外進出で得た経験を基に、サウンドは洋楽寄りになり、マスコミで盛んに報じられた「魔性の女」「奔放な女」のイメージをあえて作品や舞台にも取り入れた。外国のダンサーとともに踊りながら歌うところなどが一部では「
マドンナかぶれ」とも言われたが、一方で既存のアイドル的イメージもそのまま残していたところが聖子らしさでもあった。この頃からディナーショーも開催するようになる。
バッシングは相変わらず続いたものの、やがて負けない女・聖子は主に女性から再び共感や尊敬を集めるようになり、90年代中盤、落選していた紅白に再出場したり、コンサートの動員数が自己最高を記録したり、風向きが明らかに変わった。そして自作のシングル「あなたに逢いたくて~Missing You~/明日へと駆け出してゆこう」がCM効果もあって8年ぶりに1位になったどころか、聖子初のミリオンセールスになるほどのメガヒットを記録し、新たな全盛期を迎えた。この頃には2度目の海外進出でブラコン/R&Bのアルバムを出したり(アルバム「WAS IT THE FUTURE?」)するなど、海外への挑戦も止めず、アメリカのB級サスペンス映画「サロゲート・マザー」に主演したり、ちょい役で「
アルマゲドン」に出たりしている
I Want To Go Shopping!!!。
しかし神田と離婚して歯医者と再婚した頃に再び暗雲が立ちこめる。再婚報道で使う結婚式映像の二次使用を巡ってテレビ局と対立したことで、一部の局を除いてテレビに出演出来ない事態に陥る。当然プロモーションが出来ないのでCDの売り上げも再び下がり、またもやピンチに陥る聖子。
だが20周年を間近に控えていた聖子はやはり負けなかった、若松の事務所に一時的に身を寄せた聖子は騒動のバタバタでアリーナやホールの使用許可が取れなかったことからライブハウスでツアーを開催。テレビ局と和解後はジャニーズJrの番組にレギュラー出演してみたり、聖子の事をこれまで悪く言い続けていたゴッド姉ちゃんこと和田アキ子との音楽番組共演を快諾、
それどころかゴッド姉ちゃんの冠番組に乗り込むなど話題を振りまく。歯医者とも結局離婚し、3度目の全米進出にはまさかのエレクトロ系のクラブ音楽路線で挑戦(アルバム「Area62」)、アメリカ現地のクラブでは受けがよく、ランキング上位に入った。
それからもちょくちょく紙面を騒がせる事はあったものの、2000年代からは聖子の功績や長年に渡る活躍が全世代から素直に評価されるようになっており、毎年の夏のコンサートツアーは大盛況、ディナーショーは高額にも関わらずチケットが取れない人気であることから「ディナーショーの女王」とも呼ばれたりしている。2005年、台湾でコンサートを開催。
2010年代に入ってからは更に再評価が進み、2017年にはジャズに挑戦して4度目の海外進出。「SEIKO JAZZ」は全米ハイレゾ最大手の配信会社でジャズ部門2位、ベストセラー4位の好成績を残した。その他にも2010年にはアメリカの人気ドラマ「
BONES」にまさかのゲスト出演。ちなみに2012年には違う歯医者と再々婚している。
2021年末、娘・沙也加が急逝。これまで主に個人的事情で仕事に穴を開けることはほぼ無い聖子だったが、直後のディナーショーの予定はキャンセル、出場予定だった紅白も辞退した。心配の声が寄せられる中、翌年に活動を再開すると「娘とともに歌っていきたい」とコンサートやディナーショーでファンに誓った。
近年では若者や海外からも改めて人気を集め、日本の歌謡曲がブームになっている韓国ではそのブームの代表格とされていて、K-POPグループのNewJeansのメンバーが東京ドーム公演で聖子になりきって「青い珊瑚礁」をカバーするなど影響力を増していることから、2026年には韓国公演を開催することも決定している。
◇代表曲
代表曲は有り余るほどにあるため、厳選して紹介する。知られているヒット曲が実はB面やアルバム曲だったというのも特徴の一つ。
初期の代表曲。翌年春のセンバツ高校野球大会の行進曲にも選ばれている。
夏のコンサートの定番、観客が一丸になってフレッシュフレッシュする。
大瀧詠一がプロデュース。大瀧の指導が厳しかった為、スタジオに行くのが辛かったらしい。
ユーミンが呉田軽穂名義で提供した一発目。最早日本のスタンダードナンバーであり、教科書にも掲載されている。
赤いスイートピーのB面。B面ながら卒業シーズンを代表する曲として知名度が高い。
ユーミン提供二発目、聖子自身も大好きな1曲。
細野晴臣作曲。この曲の頃の聖子を推す人も多い。
元々は『ガラスの林檎』のB面だったが、歌手名を伏せてサントリービールのCMソングに使われたところ評判になったことから両A面に昇格した。
CMを元にしたアニメ映画『ペンギンズ・メモリー 幸福物語』にも引用された他、防災行政無線チャイムのBGMとして使われることもある。
結婚発表直前に発表した曲で、シンガーソングライターの尾崎亜美が制作。
1985年紅白では当時結婚直前だった森昌子の紹介で登場し、「洋館玄関にオープンカーで招待され、執事とメイドに出迎えられる貴婦人」なんて演出で使用人たちと舞い踊っていた(後の3組も洋館セットで歌唱)。
また『ドラえもん』てんとう虫コミックス版45巻の「人間すごろく」では、作中でスネ夫がこの歌を披露していた(雑誌・大全集版では西城秀樹の「傷だらけのローラ」)。
休業中に発表したアルバム「SUPREME」に収録されていた曲、丁度妊娠中に録音した。世界平和を願う内容から社会的にテロやパンデミックなどあった時に取り上げられる事が多い。
2017年「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」で広瀬すず演ずるなずながこの曲を歌ったことが記憶に新しいアニヲタ諸君もいるだろう。
アメリカの名プロデューサー、デヴィッド・フォスターがプロデュースした「Citron」に収録されている不倫テーマのバラード。当時からカラオケ人気が高い。
自作曲で、自身が主演したテレビドラマの主題歌になった。当時久々に可愛らしいポップソングだったことから女性を中心に人気を集め久々にヒット、その後再浮上するきっかけにもなった。未だに結婚式などで使われることも多い。
エステ会社のCMソング。この曲で紅白に再出場したが、
2001年宇宙の旅のテーマ曲に乗って上から現れたミラーボール、その中から天使の恰好で華々しく登場するというオープニング演出に度肝を抜かれた視聴者が多かった。
- あなたに逢いたくて~Missing You~(1996)
90年代最大の代表曲にして聖子最大のヒット曲。本人としても思い入れが強い。
◇アニヲタ的代表曲
怪盗セイント・テール後期OPテーマ。原作者の立川恵が聖子のファンであり、聖子のアルバム曲「ピンクの豹」に着想を得てセイント・テールを描いた事からオファーされた。同様に聖子もセイント・テールのファンだった。あなたに逢いたくてと両A面で発売された。
Tama&Friends 探せ! 魔法のプニプニストーンのOPテーマ。松田聖子名義じゃなくPawpaw名義。曲の作者、上原純は実は娘の沙也加。
2020年には人気声優が聖子の曲を歌う企画盤「VOICE~声優たちが歌う松田聖子ソング~」が男女それぞれで発売された。
◇人物
ぶりっ子イメージが強い80年代の頃からラジオ等ではサバサバした素顔を見せており、本人は自分で自分の事を「男っぽい」としている。あくまで曲のイメージや場の雰囲気に合わせていた姿がぶりっ子に見えるというだけのようだ。
笑い方も特徴的であり、大口を開けて思いっきり笑う通称「ガハハ笑い」も聖子らしい。
90年代から続けているセルフプロデュースにはファンから批判の声もあり、それは主に自作曲の作詞の面でボキャブラリーが陳腐だとか使いまわしだと指摘されることが多い。例として聖子の詞は花びらが舞っていることが多い。
女優としてドラマや映画に出ることもあり、最初の結婚も映画が切っ掛けだったのだが、演技についてはあまり褒められない傾向がある。
だが90年代に自身の強い女像をそのまま投影したような役を演じた時には「とってもナチュラル」と褒められたらしい。一応2004年にダウン症を扱ったスペシャルドラマ「たったひとつのたからもの」に主演した時は視聴率30%を記録した。
◇余談
デビュー初期は、ほぼ同期にあたり『レッツゴーヤング』で計2年間一緒にレギュラーだった田原俊彦との共演が多い傾向にあった。
『ザ・ベストテン』でも度々同じ回にランクインする事があったため、一部ファンからは二人の距離が近い事への反発の声があがり、番組側で態々「二人の距離はちゃんと物理的に離してます!(意訳)」と解説した事もあったそうな。
聖子ちゃんカットの膾炙ぶりは先に記した通りで、後輩のアイドルもこのヘアスタイルでデビューする例が多かった。とある新人アイドルはこのヘアスタイルに嫌気がさし、ある日事務所を通さずに髪を切って短髪姿に変身した。そのアイドルこそが小泉今日子で、これ以降小泉は自らセルフプロデュースし、松田聖子とは全く異なる独自路線で成功を収めることとなる。
ストリートファイターEXに登場する「ドクトリン・ダーク」は聖子のファンという非公式設定がある。
というのも彼の顔グラは瞳孔の開いた目で前を向いているという独特なものであり、それが雑誌ゲーメストの投稿コーナーで「松田聖子の離婚を聞いてショックを受けた顔のまま撮影されたから」と読者にネタにされた。「うっウソだろっ!? 聖子ちゃんが!?」(パシャ)
このように最初はファンが言ってるだけの非公式だったが、カプコンがエイプリルフール企画のクイズで
問題:ドクトリン・ダークの好きなもの、ではないものは?
選択肢「ワイヤー」「ナイフ」「火薬」「聖子ちゃん」
というのを出して半ば公式のネタとなってしまった。
あくまでエイプリルフールのネタかつ、流石に上の答え=好きではないものは「聖子ちゃん」であり、ファンであることまでは公式化しなかったが。
「FIGHTING EX LAYER」のLINEスタンプの一つとして、ドクトリン・ダークが「う、ウソだろっ? 聖子ちゃんが!?」と微妙にセリフと表情を変えたものが発売された。なお、このスタンプのみ「EX LAYER」を出した会社・アリカ副社長の三原一郎氏が無理矢理追加による進言によって出来たもの。
ウマ娘 プリティーダービーに登場するハイセイコーは、モチーフ馬が
「元祖アイドルホース」だった事と名前に
「セイコ」が含まれている事から、
ウマ娘化したら聖子ちゃんカットでぱっちりお目々の
「元祖アイドルウマ娘」という姿になった。勝負服も松田聖子のイメージカラーに合わせて史実勝負服の紫色に
ピンク色の補正があしらわれている。
セントライト、スピードシンボリと共に名前を伏せて先行登場した際、聖子ちゃんカットのせいでハイセイコーが真っ先に特定されたのは秘密だ。時代的には同じCBSソニーでも百恵・キャンディーズ世代だけど…
近年は額が見える髪型が多く、ひっつめもそれなりの頻度で見かけるが、2021年には40周年記念アルバムのジャケット写真で聖子ちゃんカットを披露して話題を呼んだ。
追記修正は夏の扉を開けながらお願いします。
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最終更新:2025年10月20日 20:11