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マドンナ(歌手)

登録日:2025/10/06 Mon 19:53:39
更新日:2026/08/04 Tue 15:36:30
所要時間:約 25 分で読めます


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マドンナ (MADONNA)とは1982年にデビューしたアメリカの歌手。
フルネームはマドンナ・ルイーズ・チッコーネ。

「Like A Virgin」のヒットで一気に音楽界を代表するポップ・アイコンの一人になり、その後も色んな騒動を起こしたり様々な問題提起をしつつ、ヒット曲を連発。現在まで常に第一線で活動し続けている世界的な女性歌手の一人。
あまりの功績の大きさからQUEEN OF POPと呼ばれ、ギネスに「史上最も成功した女性アーティスト」として正式に認定されているほど。レコードの総売り上げ枚数は4億枚以上。



【女王様の経歴】

1958年8月16日、アメリカはミシガン州でマドンナは6人兄弟の三番目として誕生した。
最初の転機として、彼女が5歳の時に最愛の母親が乳がんで死去。
この事はその後もずっと彼女の心に暗い影として残り続け、その後すぐに再婚した父親との間には確執も生まれた。

小さい頃からおてんば少女として周りを引っ張っていくような子だったが、一方でどこにも自分の居場所が無いとも感じていた。
高校ではチアリーディング部に所属、演劇も学んでいた彼女は成績優秀でもあり、名門ミシガン大学に入学するものの「ここじゃ合わないわ…」と感じ一年半で中退。
そして1978年、自分の夢を追いかけるためにたった35ドルだけ持ってニューヨークに単身上京。タクシーの運転手に「この世で一番華やかな場所に連れて行って」と頼み、タイムズスクエアに連れていかれたマドンナが「私は神よりも有名な存在になってみせる」と誓ったという話は現在でも語り草になっている。
当然の事ながら当時ニューヨークという大都会でダンススクールの月謝を払いながら若い女性が一人生活していくのは大変な事であり、生活費を捻出するためにドーナツ屋のバイトやヌードモデルなど様々な職をこなした。それだけではなくこの時期には様々な怖い・惨い目に遭っているが、それによってマドンナは自立した女性として生きていく決心をより固めていくこととなった。
この後バンドを組んでドラムを担当していた事もあったが、本人的にやはり違うと思ったようでバンド活動からは離れ、ソロのシンガー/ダンサーとしての活動に落ち着く。
クラブのドサ回りやDJ達への営業など地道な売り込み活動を続けたマドンナはワーナーブラザーズ*1との契約にこぎつけ、1982年にようやくシングル「Everybody」でメジャーデビューする。

最初こそはクラブでウケが良いぐらいの人気だったが、徐々にクラブやダンスフロアでの評判が伝わり、1983年のシングル「Holiday」が初ヒット、その後も「Borderline」「Lucky Star」などが連続ヒットし、どんどんチャートの上位に入るようになる。

そうして期待の新人歌手として注目を浴びるようになったマドンナは1984年、2枚目のアルバム「Like A Virgin」を発表。
すると同名タイトル曲はアメリカのシングルチャート(Billboard Hot 100)で6週連続1位、世界各国のチャートでも次々に1位を達成しアルバム共々爆発的にヒット。
このヒットの要因の一つに同時期に放送が開始されたアメリカの音楽チャンネルMTVの影響も大きく、それまでの音楽ビデオといえば単純にプロモーション用の素材としてただ歌っているだけのシンプルな内容が多かったのだが、マドンナは当時としては画期的ないわば「魅せる」内容のビデオを制作。当時マイケル・ジャクソンなどと並んで目と耳の両方で楽しめる新しい音楽スタイルを提供した存在だった。MTVとしてはマドンナやマイケルのビデオ目的に新たな視聴者の集客が多く見込めるし、アーティスト側としてもMTVでジャンジャンビデオを流してもらえる宣伝効果は大きく、まさにwin-winな関係を築くことができたというのも大きい。

人気は社会現象になり、マドンナの格好を真似た女子、通称「ワナビー」が続出。1985年には初の全米ツアー開催、同じ年には国際的なチャリティー・ライヴ「ライヴ・エイド」にも出演。

1986年、3枚目のアルバム「True Blue」を発表。全世界で2500万枚を売り上げ、アルバムからのシングルカットも次々にヒット(全米1位3曲含む)。「Like A Virgin」の一発屋ではないことを証明し、80年代のポップアイコンの一人として揺るぎない地位を得た。
1987年には初めてのワールドツアーを開催し、全世界のスタジアムを満杯にするほどの集客力を見せた。ツアーのスタートはここ日本であり、後楽園球場と大阪スタジアムで4日に渡って行われた初来日公演は「マドンナ旋風」としてワイドショーや週刊誌などでも大きく取り上げられ、体力作りの為皇居の周りをマラソンするマドンナを連日テレビ局が追いかけるほどだった。勿論チケットは即売し4日間で15万人を動員した。

「True Blue」の発売前には俳優のショーン・ペンと結婚していたが、1989年初頭に離婚。
続けて発売された4枚目のアルバム「Like A Prayer」は十字架を燃やしたタイトル曲のビデオで一悶着あったりしたものの、相変わらずの大ヒットを記録。
1990年にはシングル「Vogue」を発表し世界中で大ヒット、同年に開催された2度目のワールドツアー「Blond Ambition」も大成功した。

と、ここまで順調にスーパースターとして成功していたマドンナだったが、同時に何かとスキャンダラスな話題を提供するマドンナに対して、世の中からは「やりすぎじゃねーの?」という声も少なくはなかった…。

そんなマドンナは1992年から1993年にかけてアダルトかつ非常にハードな内容の18禁ヌード写真集を発売、同じく18禁でSMシーン等を含む過激な内容の主演映画も公開された。写真集は当時の記録を更新するほどにめちゃくちゃ売れたものの、このエロ全開路線が本格的に世間の反感を呼び、同時期に発売したアルバム「Erotica」はこれまでの作品と比べて暗い作風だったことも相まってマドンナのアルバムの売り上げとしては低迷。

流石にヤバイと思ったマドンナは「Like A Virgin」から続いていたセックスシンボル路線の返上を公言。
続けて「私はアーティストとしての正当な評価がされていないように思う」ともこぼしたマドンナはアメリカで7週連続1位の大ヒットになったバラード「Take A Bow」やバラードベストを発売して体制を立て直すことに。

そして1996年、アルゼンチンのファーストレディを題材にしたミュージカルの映画化「Evita」に主演。
マドンナはこの映画でいかにエビータを演じたいかという熱い思いを手紙にして監督に直談判したり、改めて本格的なボイトレをやり直したりとこの映画に並々ならぬ情熱をかけた。
その甲斐もあって映画は大好評。これまでも映画には何本も主演してきていたが、その度にゴールデンラズベリー賞の最低女優賞に選ばれるなど女優業は不評だったマドンナにとって悲願となるゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞。マドンナにとっては女優として手にする初の栄冠だった。
映画の舞台アルゼンチンではエビータは聖女のように崇められており、セックスシンボルとして有名だったマドンナがエビータ役を演じる事は民衆の猛烈な反発を生み、「マドンナ帰れ!」と街の壁に落書きされるほどだったが、マドンナの熱演によって民衆から認められ、後日アルゼンチンでのスタジアム公演も大成功させている(DVD化もされている)。

同時期にはシングルマザーとして第一子女児を出産していたマドンナ。加えてカバラを信仰するなどスピリチュアルな方面へと傾倒していたマドンナは1998年にアルバム「Ray Of Light」を発表。
ボイトレによって深みを増したヴォーカル、内省的かつアンビエントやエレクトロニカを取り入れた作風はこれまでマドンナの作品を軽視してきた音楽関係者からも軒並み高い評価を受け、アルバムは2000万枚近い売り上げを記録。
さらにこれまで数多くの賞を受賞しながらも、グラミー賞についてだけはノミネートこそあってもとことん冷遇されてきたマドンナだったが、このアルバムで「最優秀ポップアルバム」をはじめとする3部門を受賞。主要部門の受賞をようやく達成する事が出来た。

こうして新たな全盛期を創出したマドンナは2000年に次なるアルバム「Music」を発表。こちらも世界中で大ヒットし、タイトル曲はアメリカで5年ぶりのシングルチャート1位(4週連続)、アルバムも11年ぶりの1位を獲得(前3作は2位から3位留まりだった)。同年には第二子男児を出産し映画監督のガイ・リッチーと再婚*2

2003年、「American Life」問題でラジオ局からの締め出し・ボイコットを食らうなど音楽業については「Erotica」ぶりのピンチに立たされるが、一方で児童書を執筆、こちらはまたまた記録破りに売れてシリーズ化もされた。

2005年、当時47歳のマドンナがレオタード姿で踊りまくるMVが印象的な「Hung Up」を発表。
これが起死回生の大ヒットになるどころか、自身がこれまでに発表してきたシングルの中で最多の売り上げを記録。
転んでもただでは起きない姿を再び世間に見せつけた(ちなみにこの頃には実際落馬して骨折したりもしているが、MV撮影を強行している、元々コンサートをする為にストイックに体を鍛えていたのが功を奏した模様)。
同年のアルバム「Confessions On A Dancefloor」も世界40カ国で1位になるというモンスターヒットを記録。
翌年から始まったワールドツアーも大盛況の内に終わり、日本でも13年ぶりの来日公演が東京ドームと大阪ドームで開催された。

2008年、アルバム「Hard Candy」の発売を最後にワーナーとの契約を終了し、Live Nationというコンサートの運営会社と契約。同年から2年がかりで行った「Sticky & Sweet Tour」で当時のソロアーティストとしてツアー収益の最高記録を叩き出す。ちなみにこの時期にガイと離婚。この年にはロックの殿堂にも選ばれている。

2012年にはスーパーボウルのハーフタイムショーに満を持して登場、新曲含むヒットメドレーを披露すると当時の最高全米視聴者数を記録。瞬間最高視聴率を記録したのはなんと試合でなく、マドンナのハーフタイムショーだった。

2010年代後半になるとライヴ活動は行うものの、長年の酷使による膝の故障などもあって、アルバムの発売含めてそれまでと比べて緩やかな活動ペースになっている。そもそも2008年の時点で50歳を超えており、それでも尚世界中をツアーして、踊りまくっていたことからこの時点で驚異の50代と言われていた事を考えれば致し方ない。

2021年に正式にワーナーに復帰することを発表。2023年にはこれまでのキャリアで初となるベスト的内容のツアー「The Celebration Tour」を開催したり、若手人気アーティストの作品に客演したりするなど存在感を発揮。ちなみにツアー前には感染症で倒れ意識不明になり一時ICUに入っていたものの、無事に回復しツアーをやり切っている。

2026年、ワーナーから7年ぶりのニューアルバム「Confessions II(コンフェッションズ II)」を発売。マドンナにとって久々のダンスアルバムでもあるこの作品はアメリカ、イギリス含む世界中で1位を記録。特にアメリカでは4つの年代で1位を獲得した事のある史上初のアーティスト、イギリスでも5つの年代で1位を獲得した事のある史上初のアメリカ人女性アーティストになるなど女王の貫禄を見せつけた。

【女王様の功績】

移り変わりが激しい音楽業界において、初めてのヒットから5~10年もしたらチャートや表舞台から消えてしまう女性アーティストも少なくない中、マドンナが1980年代から40年以上に渡って世界中のチャート上位に登場し続けたことはまさに革命的であった。
事実、マドンナの登場以降でも、ブレイクしたとしてヒットメーカーとしては短命に終わる女性アーティストが多かった。更にそれぞれの時代で数多くの若手スターが台頭する中、長年に渡ってそこに張り合えた女性アーティストというのはマドンナを含め非常に少ない。
また女性差別や年齢差別も音楽業界に未だ蔓延る中、第一線で活躍し続ける事は相当の覚悟や努力が必要であり、現在でこそテイラー・スウィフト等長年に渡って安定したポジションを築く後進のアーティストも出てきているものの、後進にとって活躍しやすい道を開拓したという意味でもマドンナの功績は大きいものがある。
更にそれまで女性アーティストに対して保守的な表現をする事が強く求められていた中、マドンナが提示した自立した女性像やセクシーで大胆な表現というものが現在では女性アーティストの表現方法の一つとして当たり前になっているという意味でいかに先駆者の一人であったかがお分かりだろう。

著名なゲイアイコンの一人でもあり、LGBTQ層からはロールモデルの一人として殿堂入りのような形で崇められている。
マドンナ自身もLGBTQ層によって自分の個性が発揮できたと語っており、デビューした1980年代からそういった層への支援活動を欠かさなかった。ゲイのダンサーを多数起用したり、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーらの権利を声高らかに主張したり、今では当たり前に女性アーティストが主導的に行っている事もそもそもマドンナがいち早く始めていた事だったりする。

実業家としても香水、化粧品、フィットネスジムの運営など多岐に渡って手掛けており、音楽活動において時に炎上商法に近いやり方であったとしても、世間の注目をコントロールしながら、自身のプロモーションやアーティストとしての鮮度に繋げていくというのは経営者的な考えで行う戦略なのかもしれない。ちなみに映画の監督もしている。

チャリティー活動にも積極的、その為の支援財団も設立している。

ファッションやカルチャーへの影響も凄まじく、下着をファッションの一部として見せて着る事や「コーンブラ*3」等を流行らせた。今や世界的ファッションブランドのゴルチエやドルチェ&ガッバーナとはデビュー初期から衣装担当として付き合いがある。

【女王様の事件簿】

先に述べたように時に炎上商法のような形で、様々な論争を引き起こすマドンナ。
各首脳陣に喧嘩を売ったり、権力や慣習に刃向かったり、「Justify My Love」や「American Life」などMVが放送禁止処分を食らって問題になることも多い。
本人は「私が問題を起こすことで議論のきっかけを作りたい」とも語っていたが……

■「十字架炎上問題」(1989年)
「Like A Prayer」のMVの中で十字架を燃やしたことで特定の層から猛烈な反発を食らい大問題になる。
当時ペプシとCM契約を交わしており、翌年のワールドツアーのスポンサーにもなっていたが、炎上に恐れをなしたペプシによってCMは放送中止になり契約も解除された。但し契約金はそのまま貰えたよう。ちなみにCMの内容はいたって無難なもので、2023年にはペプシ側が封印を解いてテレビで記念放送された。

■「危うく逮捕」(1990年)
「Blond Ambition」のコンサートの中に一人で楽しい事をしているような演出がある事が問題視され、一部の国では警察が出動し逮捕寸前までいきかけた。しかしマドンナ本人は舞台裏で「警察来てるってよww」と余裕の様子を見せていた。このコンサートの舞台裏の様子は「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」というドキュメンタリー映画にもなっている。ちなみにこれ以降もコンサートでの行動が問題になって逮捕をちらつかせられた事はある(この時の原因は政治的発言や行動)。

■「ファッションショーで…」(1992年)
1992年、当時エロ路線全開で活動していたマドンナは1985年からマドンナの衣装デザインを手がけていたデザイナーのジャン・ポール・ゴルチエのファッションショーのランウェイに登場した…のだが、コートを脱ぐとおっぱいが丸出しであり、その模様は(もちろんぼかしを濃く施したり、黒いバーで隠された上で)各地でテレビ放送もされた。このファッションショーはエイズ研究財団へのチャリティーイベントとして開催されていた為、エイズ問題に昔から積極的に取り組んでいるマドンナとしてはそうする事でそういったショーへ人々の関心を引き付けたいという意図もあったらしいが…。

■「放送禁止用語」(1994年)
アメリカの有名トーク番組にゲスト出演したマドンナは放送禁止用語を連発し問題になる。後日同番組に改めて出演したマドンナだったがその時は司会者に自分の使用済み下着をプレゼントした、全く懲りていない。

■「伝説のキス」(2003年)
2003年、開局20周年を記念したMTVの授賞式に出演。前座のような形で当時アイドル的人気を誇っていたブリトニー・スピアーズとクリスティーナ・アギレラが白いウェディングドレス姿で「Like A Virgin」を歌うと巨大なケーキの中から黒いタキシード姿のラスボスマドンナが降臨。当時の最新曲を歌い始めるとブリトニーやアギレラと舌を入れたディープキスをかまし、客席に居たその他のアーティスト、テレビを見ていた視聴者を唖然とさせる。ちなみに客席にはマドンナの当時の旦那やブリトニーと別れたばかりの元カレも居た。ちなみにブリトニーとは同じ年にブリトニーからの熱烈ラブコールで「Me Against The Music」というコラボ曲を発表し、ブリトニーが再婚した時は結婚式に出席しキスの再現もしている。

■「アジサイ嫌いなのよね」(2011年)
2011年、ベネチア国際映画祭の記者会見に登場したマドンナはファンからアジサイの花を贈られた。
その場ではにこやかに礼を述べたマドンナだったが、「私アジサイ嫌いなのよね」とぼそっと呟いたのをマイクが拾ってしまい炎上。
だがマドンナはYouTubeに「アジサイへのラブレター」と題した動画を投稿。メランコリーなBGMに乗せてアジサイのブーケを抱きながら登場したマドンナは謝罪の言葉を述べた…かと思いきや、「言葉を取り消せたらいいけどそれは出来ない。そうすると私に残る事実は何?…そうアジサイが嫌いという事実よ!そしてこれからも嫌い続けるわ!」と一気に音楽が変わり、アジサイの花を踏みつけ始めた。マドンナ曰く「ここは自由の国」であり、「私は薔薇が好きなのよ!!」との事。


この他にも色々とあるのだが、政治的な言動についてはマドンナ自身が反戦主義者であり、世界中の貧困・孤児問題に対して多額の寄付やサポートを行ったり、世界平和や人権平等を常に訴えているという背景がある。


【女王様の楽曲】

■ 代表曲

  • Holiday(1983年)
コンサートではラストを飾る事も多かったファン人気の高い曲。

  • Like A Virgin (1984年)
言わずとしれた初期の代表曲。日本では『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の板尾の嫁のテーマソングとしてもお馴染み。全米6週連続1位。

  • Material Girl (1985年)
MVは「紳士は金髪がお好き」のマリリン・モンローに扮したマドンナが登場。こちらも日本では板尾の嫁のテーマ曲として有名だったり、天才てれび君MTKでカバーされていたことで知っている人も多いだろう。全米・全英2位。

  • Crazy For You (1985年)
マドンナにとって初のバラード・シングル、そもそもは青春映画のサントラの為に作った曲だった。マドンナ本人もチョイ役で出演したこの映画はコケたものの、曲は売れて全米1位。

  • Into The Groove (1985年)
メインキャストとして出演した映画『マドンナのスーザンを探して』の主題歌にもなったダンスナンバー。全英では自身初の1位を記録。

  • Papa Don't Preach (1986年)
10代の妊娠・未成年の母問題を題材にした曲で、この頃から社会問題を曲に取り入れるようになった。全米・全英1位。

  • La Isla Bonita (1987年)
ラテン系のエキゾチックなナンバーで現在でも世代を問わず人気が高い1曲。
サブスクにおけるマドンナ曲の中では常に再生回数が上位だったり、公式YouTubeチャンネルでは再生回数10億回を超える一番人気の曲として君臨している。全米4位・全英1位。
日本では三菱のコマーシャルや1995年のサイコスリラー刑事ドラマ『沙粧妙子 最後の事件』に使われた事もある。

  • Like A Prayer (1989年)
先述のMV問題もあった一曲。曲自体はゴスペルを取り入れた内省的な一曲で、現在でも非常に高い評価を受けており、コンサートの定番曲でもある。全米・全英1位。
2024年には俺ちゃんの映画『デッドプール&ウルヴァリン』のテーマソングとして使用され、再び脚光を浴びた。

  • Express Yourself (1989年)
積極的な女性像を歌ったナンバー。「Material Girl」に対してのアンチテーゼともいえる内容でもある。
MVは『メトロポリス』を下敷きにマドンナ流の解釈を加えたお金がかかったビデオになっている。全米・全英2位。

マドンナの代表的シングル。詳しくは当該記事へ。

  • Justify My Love (1990年)
歌うというより全編囁き声で通す、いわばラップ的な曲であり、非常に官能的な1曲。全米・全英1位。
ホテルの中で色んなタイプの人が色んな「ーー自粛ーー」を繰り広げる芸術的かつ非常に性的なMVは放送禁止処分を食らったが、それならばとビデオを収録したVHSシングルを発売すると当時VHSシングルとしては異例の売り上げを記録した。

  • Erotica (1992年)
「Justify My Love」からの流れを汲む1曲であり、MVは同時期の18禁写真集の撮影風景をメインとした内容で「Justify」と比べると時間帯によっては*4放送を許されたものの、それでも全体的な処遇としてはやはり放送禁(ry。全米・全英3位。

  • Take A Bow (1994年)
「Erotica」の商業的失敗からの建て直しに一役買ったBabyface作のバラード。
アメリカでは7週連続1位を記録しこれは自己最長記録。反対にいかなる時も安定してチャート上位に入り続けていたイギリスでは16位止まりに終わったという不発シングルの一つ。

  • Frozen (1998年)
聴いているだけで寒くなってくるような冷たく幻想的なナンバー。
あなたの冷たくなった心を溶かしたい…というような内容。MVも青白い色味の映像の中、黒髪のマドンナがくねくねしている内容、だが撮影場所は意外にも砂漠。全米2位・全英1位。

  • Ray Of Light (1998年)
同名アルバムの中では唯一といっていいほどのアップテンポな1曲。
MVは世界の日常風景を目まぐるしく早回しにした手間がかかった内容で、その斬新さから当時多くのビデオ賞も受賞している。全米5位・全英2位。

  • Music (2000年)
エレクトロ系のダンスナンバー。カウボーイハットを被ったマドンナがリムジンを乗り回してストリップバーを訪れるMVは撮影当時丁度息子を妊娠中だったため激しい動きは見合わせられた。全米・全英1位で「Hung Up」に次ぐ売り上げを記録している。

  • Don't Tell Me (2000年)
カントリー音楽とエレクトロを混ぜ合わせたような斬新なナンバー。全米・全英4位。

  • Die Another Day (2002年)
007シリーズの同名作『007/ダイ・アナザー・デイ』の主題歌。MVではマドンナが映画冒頭さながらに拷問に遭っている。ちなみに映画にもフェンシング講師役でチョイ役出演しているが、ゴールデンラズベリー賞からは徹底的に嫌われている為か、ほんの少ししか出てこないチョイ役なのに最低女優賞が贈られた。全米8位・全英2位。それまで007の主題歌曲は意外にチャート上位に入る事が少なかった為、このヒットは当時の007シングルとしては異例だった。

  • Hung Up (2005年)
世界で900万枚近い売り上げを記録した自身最大のヒットシングル。
ABBAの「Gimme! Gimme! Gimme!」をサンプリングしており、MVではピンク色のレオタード姿半ケツで踊り狂うマドンナが印象的だった。
全米7位・全英1位。世界中で1位を獲ったものの、アメリカではそうでもない順位なのは例のAmerican Lifeボイコット運動が尾を引いていた為。

  • Sorry (2006年)
「もうこれ以上あなたのごめんなさいを聞きたくないわ」という内容の曲で、間奏では世界各国の言語で「ごめんなさい」と言う、日本語でも「ゴメンナサァーイ」と言っている。MVはHung Upの続編的内容。全英1位。

  • 4 Minutes (2008年)
元*Nsyncのジャスティン・ティンバーレイクとコラボした曲。全米3位・全英1位。

  • Miles Away(2008年)
キムタクこと木村拓哉主演のフジテレビ月9ドラマ『CHANGE』の主題歌。マドンナにとって初の連続ドラマタイアップ曲となり、日本ゴールドディスク大賞の「着うた/着うたフル・ソング・オブ・ザ・イヤー」「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」の洋楽部門に輝いた。

  • Bring Your Love(2026年)
マドンナファンを公言している若手アーティスト、サブリナ・カーペンターとコラボした曲。サブリナへのコラボ打診はInstagramのDMという今時のやり方で行われた。曲は令和のVOGUEといえるサウンドでマドンナ健在をアピール。向こうの国では40~50代以上になると女性歌手の多くがラジオで曲をかけてもらえないというハンデがある中、Billboard Hot 100では59曲目のチャートイン。イギリスでも73曲目のトップ40シングル(イギリスではトップ40に入るとヒットとみなされる)。

■ その他の曲

  • Spotlight(1987年)
リミックス・アルバム「You Can Dance」に収録されていた新曲。当時CMキャラクターをしていた三菱のコマーシャルソングに使われていたので当時の世代には馴染み深い。日本限定でシングルカットもされている。

  • Rain (1993年)
そこまで大きなヒットになった訳ではないが、日本でMV撮影するという内容のMVであり、坂本龍一が監督役で出演しているのが日本的には最大のトピック。曲は綺麗なバラード。全米14位・7位。

  • Nothing Really Matters (1999年)
こちらも日本を題材にしたビデオの一つ。
芸者に扮して和装で踊り狂う真っ白な顔のマドンナが印象的であり、同じく真っ白な顔のエキストラが多数登場するなど不気味な雰囲気漂う一作。全英7位。

  • What It Feels Like For A Girl (2001年)
MVは当時の夫ガイ・リッチーが監督し、初の夫婦共同作業となったビデオ……なのだが、その内容はというとマドンナが奪った車で市街を暴走、老人ホームから連れ出した老婆を連れて犯罪を重ねるという内容でありこちらも放送(ry。全米23位・全英7位。

  • American Life (2003年)
MVが反戦をテーマにした内容であり、戦争の悲惨さを伝えるような衝撃的なシーンが相次ぐ。
ブッシュ元大統領のそっくりさんまで登場させたこのビデオは当時のアメリカ国内で反感を買い放(ry。それから間もなく世界各国の国旗をバックに歌う修正版が一応作られた。
放送禁止になり修正版も作られたことで元のビデオは長らく封印されていたが、20年後の2023年に公式YouTubeチャンネルでようやく解禁されている。全米37位・全英2位。

  • Jump(2006年)
マドンナが来日した時に撮影されたMV。…しかし当のマドンナ本人はロケ撮影ではなくスタジオ撮影で、日本語の看板の前に建てられた鉄骨を使って逆上がりしたりするだけの質素な内容。ダンサー達のロケ撮影では松浦亜弥(あやや)の自動販売機が特別出演している*5

  • Danceteria(2026年)
デビュー前の下積み時代を振り返った内容のダンスナンバー。当時の時代背景やマドンナと当時仲良しだったアーティストの名前をラップで歌い、こちらも令和版VOGUEといった装い。ラップの中に出てくる名前の多くがエイズや薬物で命を落としているが、存命で現在も仲良しの女優デビー・メイザーはビデオにも出演している。


【女王様のアルバム】

基本的には世界中のチャートで1位を獲得することが多い。アメリカでは意外にも「Erotica」から「Ray Of Light」までの間惜しくも1位を逃しているが(2~3位)、それ以降は「Rebel Heart」を除いて全て1位。
才能あれど名がまだ知られていないアーティストをプロデューサーとして起用することも多く、マドンナのアルバムに参加したことによって名が知られ有名になったケースも多々ある。これはマドンナの曲のリミックスを手掛けるDJも同様。

  • Madonna (1983年)
デビューアルバム。クラブ受けするダンスナンバーが多く、その後の飛躍に大きな役割を果たした1枚。現在でもマドンナの原点として愛される曲が多く収録されている。

  • Like A Virgin (1984年)
爆売れしたブレイク作。Nile Rodgersなどが参加。80'sのキラキラ感が詰まった1作。

  • True Blue (1986年)
Like A Virginを超えて、オリジナルアルバムとしては最多売り上げを記録している爆売れ作パート2。
ここからマドンナ自身も本格的に曲作りに参加するようになり、社会問題等も反映するようになった。

  • Like A Prayer (1989年)
母の死、父親との確執、ショーンとの離婚などパーソナルな事柄が反映された私小説的アルバム。プリンスとのデュエット作も収録されている。こちらも爆売れアルバムパート3。

  • Erotica (1992年)
タイトル通りエッチな内容の曲も収録されているものの、エイズで亡くなった友人を偲んだ歌や、「愛することはどうして難しいのか?」と歌う曲など実は内省的で深いアルバム。
サウンド的にはハウスやヒップホップをメインにした味付け。現在でもカルト的人気を誇る1枚。

  • Bedtime Stories (1994年)
R&Bやヒップホップをメインに、癒しの雰囲気を纏ったアルバム、その一方で収録曲の「Human Nature」などではマドンナらしい毒も忘れない。ビョークが手掛けたタイトル曲のMVは製作費もかかった芸術的な出来。

  • Ray Of Light (1998年)
各界から高評価を受けた爆売れアルバムパート4。
鬼才ウィリアム・オービットと共同で水のイメージを念頭にスピリチュアルな世界観を構築。
自身の人生観に深く突っ込んだ内容。生まれたばかりの娘に捧げる曲もある。

  • Music (2000年)
フランスのプロデューサー、ミルウェイズを新たに迎え、エレクトロやらカントリー/アコースティックやら色々取り入れた正に音楽ジャンルの垣根を超えたような斬新な作風のアルバム。爆売れアルバムパート5。

  • American Life (2003年)
タイトル曲のMVの件もあり、反戦アルバムというイメージを持たれたり、アメリカのラジオ局からボイコットを受けたりしたことが原因で商業的に失敗した作品(それでも1位は獲った)。
実はアルバムの内容としてはマドンナ自身の人生を振り返るような文学的な内容でアコースティック風味。

  • Confessions On A Dancefloor (2005年)
ダンスミュージック路線への回帰、爆売れアルバムパート6。全編ノンストップのダンスミュージックながらアルバムタイトルの「告白」に象徴されるように歌詞の内容は前作に引き続き私的。

  • Hard Candy (2008年)
前作の成功を受けてもっと軽いタッチで臨んだ1枚。
これまでと違い、今回はティンバランドやファレル・ウィリアムスなど当時既に世界的に有名だったプロデューサーと組んでいる。

  • MDNA (2012年)
レーベル移籍後一発目。当時流行りのEDMを展開しながら、デビュー30周年だったこともあり過去曲を思わせるような仕掛けも曲中に散りばめている。

  • Rebel Heart (2015年)
発売前にはリーク騒動があり、マドンナをカンカンに怒らせた曰く付きの1枚。タイトルは自身の反逆的な部分と脆い部分を表しているとのこと。

  • Madame X (2019年)
久々にビジュアル面に力を入れ、Madame Xなる存在に扮した本作は当時居住していたポルトガルの音楽からの影響をふんだんに取り入れつつ、社会問題やら自問自答やらを扱った極めて暗い作風の実験作。マルーマ、スウェイ・リーなど若手アーティストも参加。

  • Confessions II(2026年)
7年ぶりという過去最長のインターバルで発売されたワーナーへの復帰作。「Confessions On A Dancefloor」の続編を謳っており、プロデューサーも同じスチュワート・プライスがカムバック。アルバム発売の数カ月前、「ダンスフロアはもう死んでいる」と発言した若手歌手に「ダンスフロアが死んでいると感じるならそれはかける音楽を間違えてるのよ」と言い放ったダンスフロア出身のマドンナが令和に贈るダンスアルバムであり、アメリカ、イギリス、イタリア、オーストラリア、カナダ、スペイン、フランス…と軒並み1位、批評家達からも高評価を受けた。娘もアルバムに参加している。



その他にベスト盤(3000万枚売れた「The Immaculate Collection」他)や、リミックス・アルバム、サントラなどもある。

【女王様の映画と演技】

デビュー初期から映画にはいくつも出演してきたものの、最低な映画や女優を選ぶゴールデンラズベリー賞からは目の敵にされており、映画に出たら必ず最低女優賞を贈られてきた。あまりに毎回選ばれるので「これじゃあ映画を撮っても労力に見合わないわ」と2002年を最後に女優として活動する事は止めている。ちなみに低評価の理由は「何を演じてもマドンナのPVにしか見えない」という理由が挙げられる事が多く、マドンナ本人のキャラクターの強さが仇になっている模様。

ちなみに脇役で出演したウォーレン・ベティー主演の『ディック・トレイシー』、トム・ハンクス主演の『プリティ・リーグ』等はそこまで酷評されず、あくまで主役として出演した映画に限って低評価を受けている場合が多い。そして先述のように本業も兼ねた「エビータ」のみ唯一正反対の高評価を受けている(ゴールデンラズベリー賞にはノミネートすらされなかった)。

しかも本業が歌手である為出演したもの含めて映画の主題歌を担当する事も多かったのだが、こちらは「Crazy For You」(『ビジョン・クエスト』)「Live To Tell」(『ロンリー・ブラッド』)「Who's That Girl?」(『フーズ・ザット・ガール』)「This Used To Be My Playground」(『プリティ・リーグ』)が全米1位、他にも「Into The Groove」(全英1位、『マドンナのスーザンを探して』)「I'll Remember」(全米2位、『きっと忘れない』)「Beautiful Stranger」(全英1位、『オースティン・パワーズ・デラックス』)「American Pie」(全英1位、『2番目に幸せなこと』)とこちらは演技面の評価とは打って変わって大ヒットを飛ばしまくっている。

【女王様の余談】

日本文化が好きであり、コンサートで衣装替えしている間の映像に「PERFECT BLUE」と「超神伝説うろつき童子」を採用した事もある。

『SMAP×SMAP』に出演した時は香取慎吾のカツケン*6を気に入り、ビストロスマップでは魚のしゃぶしゃぶを気に入った。当時マドンナのプライベートシェフには日本人の西邨マユミが就任していたが、帰国後マドンナから魚のしゃぶしゃぶを作ってくれないかしら?とリクエストがあったという。ちなみに『SMAP×SMAP』がマドンナにとって日本のバラエティー番組初にして唯一の出演。


追記修正はピンク色のレオタードを着て踊りながらお願いします。


この項目が面白かったなら……ライクアヴァージン \Hey!/

最終更新:2026年08月04日 15:36

*1 大手レコード会社

*2 代表作に「シャーロック・ホームズ」シリーズ、「アラジン」の実写版等。

*3 先端の部分が異常に尖ったブラジャー、弾丸ブラとも呼ぶ。

*4 もちろん深夜帯。

*5 松浦は当時午後の紅茶のCMキャラクターで、MVに映ったのはその午後の紅茶の自動販売機。

*6 マツケンサンバのパロディ。