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更新日:2025/10/06 Mon 21:00:51NEW!
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マドンナ (MADONNA)とは1982年にデビューしたアメリカの歌手。
「Like A Virgin」で一気に1980年代を代表するポップ・アイコンの一人としてのしあがり
その後も様々な騒動を起こしつつ、常に第一線で活動し続けている世界的な女性歌手の一人。
あまりの功績の大きさからQUEEN OF POPと呼ばれ、ギネス世界記録では「史上最も成功した女性アーティスト」として正式に認定されているほど。レコードの総売り上げ枚数は3億枚以上。
目次
【経歴】
1958年8月16日、アメリカはミシガン州でマドンナは6人兄弟の三番目として誕生した。
最初の転機として、彼女が5歳の時に母親が乳がんで死去。
この事が人生通して彼女の心に暗い影を落とすこととなり、その後再婚した父親との間には確執も生まれた。
小さい頃からおてんば少女として周りを引っ張っていくような子だったが、一方でどこにも自分の居場所が無いとも感じていた。
高校ではチアリーディング部に所属、演劇も学んでいた彼女は成績優秀でもあり、名門ミシガン大学に入学するものの「合わないわ…」と感じ一年半で中退。
そして1978年、自分の夢を追いかけるためにたった35ドルだけ持ってニューヨークに単身上京。タクシーの運転手に「この世で一番華やかな場所に連れて行って」と頼み、タイムズスクエアに連れていかれたマドンナが「私は神よりも有名な存在になってみせる」と誓ったという話は現在でも語り草になっている。
当然の事ながらニューヨークという大都会でダンススクールの月謝を払いながら生活していくのは大変な事であり、生活費を捻出するためにドーナツ屋のバイトやヌードモデルなど様々な職をこなした。
この他にも様々な怖い・惨い目に遭っているが、それによってマドンナはより自立した女性として生きていく事への決心を固めていくこととなった。
バンドを組んでドラムを叩いていた事もあったが、本人的にやはり違うと思ったようでバンドからは離れ、ソロのシンガー/ダンサーとして活動していくことになる。
クラブ廻りやDJ達への売り込みなど地道な活動を続けたマドンナはワーナーブラザーズ(レコード会社)と契約。
1982年にシングル「Everybody」でようやくデビューする。
最初こそはクラブ受け程度に落ち着いていたものの、クラブやダンスフロアでの評判が徐々に人気を呼び、1983年のシングル「Holiday」が初ヒット、その後も「Borderline」「Lucky Star」などうなぎ上りにヒットチャートの階段を駆け上がっていくことになる。
シングルのヒットに連動してデビューアルバム「Madonna」もアメリカのアルバムチャートで8位まで上昇。
期待の新人歌手として注目を浴びるようになったマドンナは1984年、2枚目のアルバム「Like A Virgin」を発表。
タイトル曲のシングルはアメリカのチャートで6週連続1位、世界中のチャートでも1位を獲りまくりと爆発的にヒット。
このヒットの裏には同時期に放送が開始されたアメリカの音楽チャンネルMTVの影響も大きく、それまでの単純にプロモーション用の素材としてただ歌っているだけ~などといったようなシンプルな内容でない、いわば当時としては画期的な「魅せる」内容のビデオを制作。マドンナは
マイケル・ジャクソンなどと並んでその代表格であり、MTVとしてはビデオ目的に新たな視聴者の集客が多く見込め、アーティスト側としてはMTVでジャンジャンビデオを流してもらえるというまさにWin-winな関係を築くことができたのも大きい。
1986年、3枚目のアルバム「True Blue」を発表。全世界で2500万枚を売り上げ、「Like A Virgin」の一発屋でないことを証明。1980年代のポップアイコンの一人としての座を揺るぎないものにした。
1987年には初の来日公演を含むワールドツアーを開催し、全世界のスタジアムを満杯にするほどの集客力を提示。この時の来日は「マドンナ旋風」としてワイドショーや週刊誌などでも大きく取り上げられた。
「True Blue」の発売前に俳優のショーン・ペンと結婚していたが、1989年に離婚。
続けて発売された4枚目のアルバム「Like A Prayer」は十字架を燃やしたタイトル曲のビデオで一悶着あったりしたものの、相変わらずの大ヒットを記録。
1990年にはシングル「Vogue」を発表し大ヒット、同年の2度目のワールドツアーも大成功。
と、ここまで順調にスーパースターとしての座に就いていたマドンナだったが
リリースの度に過激な話題を提供するマドンナに対して、世間から「やりすぎじゃね?」の声も少なくなかった…そんな中、1992年から1993年にかけて大事なところがスッポンポンかつハードな内容の18禁写真集の発売、同じく18禁な内容の主演映画が公開された。
写真集はめちゃくちゃ売れたものの、このエチエチ路線が本格的な反感を呼び、同時期のアルバム「Erotica」は暗い作風だったことも相まってマドンナのアルバムの売り上げとしては低迷。
「やべっ」と思ったマドンナは「Like A Virgin」から続いたセックスシンボル路線の返上を公言。
続けて自身に対して「アーティストとしての正当な評価がされていないように思う」とも打ち明けたマドンナは、アメリカで7週連続1位の大ヒットになったバラード「Take A Bow」やバラードベストの発売で体制を立て直すことに。
そして1996年、アルゼンチンのファーストレディを題材にしたミュージカルの映画化「Evita」に主演。
マドンナはいかにこの映画でエビータを演じたいかという熱い思いを手紙にして監督に直談判したり、改めて本格的なボイトレをし直したりとこの映画にただならぬ熱意をかけた。
その甲斐もあって、映画は大好評を収め、ゴールデングローブ賞では主演女優賞を受賞。
これまで映画に何本も主演してきては、ゴールデンラズベリー賞の最低女優賞を受賞してきたマドンナにとって女優としての初の栄冠だった。
「Evita」でのトレーニング、そしてこの頃にはシングルマザーとして第一子女児を出産するなどの経験を重ね、更にカバラを信仰するなどスピリチュアルな方面に傾倒していたマドンナは1998年にアルバム「Ray Of Light」を発表。
ボイトレによって深みを増したヴォーカルと内省的かつアンビエントやエレクトロニカを取り入れた作風はこれまでにマドンナの作品を軽視してきた音楽関係者からも高い評価を受け、アルバムは2000万枚の売り上げを記録。
更にこれまで数多くの賞を受賞しながらも、グラミー賞ではとことん冷遇されてきたマドンナだったが、このアルバムによって「最優秀ポップアルバム」をはじめとする4部門を受賞、マドンナにとって主要部門の受賞は念願叶っての達成となった。
こうして新たな全盛期を創出したマドンナは2000年に次なるアルバム「Music」を発表。こちらも世界中で大ヒットし、タイトル曲はアメリカで5年ぶりのシングルチャート1位(4週連続)、アルバムも11年ぶりの1位を獲得した(前3作は2~3位留まりだった)。同年には第二子男児を出産、ガイ・リッチー監督と再婚。
2003年には「American Life」問題でラジオ局からの締め出しやボイコットを食らうなど音楽活動としては「Erotica」ぶりのピンチに立たされるが、同年には児童書を執筆しシリーズ化、売れた。
2005年、当時47歳のマドンナがレオタード姿で踊りまくるMVも印象的な「Hung Up」を発表。
起死回生の大ヒットになるどころか、自身がこれまでに発表してきたシングルの中で最多の売り上げを記録。
転んでもただでは起きない姿を再び世間に見せつけた。(この頃には落馬して骨折したりもしているが、MV撮影を強行している)
同年のアルバム「Confessions On A Dancefloor」も世界40カ国で1位になるというモンスターヒットを記録。
翌年から始まったワールドツアーも大盛況の内に終わり、日本でも13年ぶりの来日公演が東京ドームと大阪ドームで開催された。
2008年、アルバム「Hard Candy」の発売を最後にワーナーとの契約を終了し、Live Nationと契約。
同年から2年がかりで行った「Sticky & Sweet Tour」で当時のソロアーティストとしての最高ツアー収益を叩き出す。ちなみにこの時期にガイと離婚。
2012年にはスーパーボウルのハーフタイムショーに満を持して登場、ヒットメドレーを披露すると当時の最高全米視聴者数を記録。瞬間最高視聴率を記録したのはまさかの試合でなく、マドンナのハーフタイムショーだった。
2010年代後半になってからも定期的なライヴ活動は行っているものの、長年の酷使による膝の故障(後に手術)などもあって、それまでと比べれば緩やかな活動ペースになっている。
そもそも2008年の時点で50歳を超えており、それでも尚世界中をツアーして、踊りまくっていたことからこの時点で驚異的な50代と言われていた。
2021年に正式にワーナーに復帰することを発表し、2023年にはキャリア初となるベストツアー「The Celebration Tour」を開催したり、若手アーティストの作品に客演したりするなど現在でも存在感を発揮。
2025年には翌年ワーナーから7年ぶりのニューアルバムを発売することを発表した。
【功績】
移り変わりが激しい音楽シーンにおいて、初ヒットから5~10年もしたらチャートに登場しなくなるような女性アーティストも多かった中で、マドンナが1980年代から30年以上に渡って世界中のチャート上位に登場し続けたことはまさに革命的であった。
事実、マドンナの登場以後もブレイクのちヒットアーティストとしては短命に終わる女性アーティストが多かったり、数多くの若手がそれぞれの時代で台頭する中で長年に渡ってそこに張り合えた女性アーティストというのはマドンナを含め数少ない。
また女性差別や年齢差別も激しい業界において第一線で活躍し続けることは相当の覚悟や努力が必要であり、現在でこそテイラー・スウィフトらが長年に渡って安定したポジションを築いてるものの、後進にとって活躍しやすい道を開拓したという意味でもマドンナの功績は大きいものがある。
更にそれまで女性に対して保守的な表現方法が求められていた中、マドンナが提示した自立した女性像であったり、セクシャルな表現というものが現在では女性アーティストの表現方法の一つとして当たり前になっているという意味でいかに先駆者の一人であったかがお分かりだろう。
著名なゲイアイコンの一人でもあり、LGBTQ層からはロールモデルの一人として殿堂入りのような形で崇められている。
マドンナ自身もLGBTQ層によって自分の個性が発揮できたと語っており、デビューした1980年代からそういった層への支援活動を欠かさなかった。
ゲイのダンサーを多数起用したり、権利を声高らかに主張したり、今では当たり前に女性アーティストによって主導的に行われていることもそもそもマドンナがいち早く始めていたことだったりする。
実業家としても香水、化粧品、フィットネスジムの運営など多岐に渡って手掛けている面があり、音楽活動において時に炎上商法に近いやり方であったとしても、世間の注目をコントロールしながら、自身のプロモーションや鮮度に繋げていくというのも経営者的な考えで行う戦略なのかもしれない。
【事件簿】
先に述べたように時に炎上商法のような形で、様々な論争を引き起こすマドンナ。
各首脳陣に喧嘩を売ったり、MVが放送禁止を食らうことも多い。
本人は「私が問題を起こすことで議論のきっかけを作りたい」とも語っていたが…。
■「十字架炎上問題」(1989年)
「Like A Prayer」のMVの中で十字架を燃やしたことでその層から猛烈な反発を食らう。
当時ペプシとCM契約を交わしており、翌年のワールドツアーのスポンサーにもなっていたが、この件でCMは放送中止になり契約も解除された。但し契約金はそのまま貰えたよう。
■「放送禁止用語」(1994年)
アメリカの有名トーク番組にゲスト出演したマドンナは放送禁止用語を連発、更には司会者に自分の使用済み下着をプレゼントした。
■「アジサイ嫌いなのよね」(2011年)
2011年、ベネチア国際映画祭の記者会見に登場したマドンナはファンからアジサイの花を贈られた。
その場ではにこやかに礼を述べたマドンナだったが、「私アジサイ嫌いなのよね」とぼそっと呟いたのをマイクが拾ってしまい炎上。
だがマドンナはYouTubeに「アジサイへのラブレター」と題した動画を投稿。メランコリーなBGMに乗せてアジサイのブーケを抱きながら登場したマドンナは謝罪の言葉を述べた…かと思いきや、「言葉を取り消せたらいいけどそれは出来ない。そうすると私に残る事実は何?…そうアジサイが嫌いという事実よ!そしてこれからも嫌い続けるわ!」と一気に音楽が変わり、アジサイの花を踏みつけ始めた。マドンナ曰く「ここは自由の国」であり、「私は薔薇が好きなのよ!!」との事。
この他にも色々とあるのだが、かなりエチエチ(コンサートで性的な演出をしたために逮捕されかける等)や政治的な内容も含むためここでは割愛する。
一つ言えるのは政治的な内容については、マドンナ自身反戦主義者であり、自身が世界中の貧困・孤児問題に対して多額の寄付やサポートを行ったりしていることも背景にある。
【代表曲】
MVは「紳士は金髪がお好き」の
マリリン・モンローに扮したマドンナが登場。こちらも日本では板尾の嫁のテーマ曲として有名、
天才てれび君のMTKでカバーされていたことで知っている世代も多いだろう。全米・全英2位。
メインキャストとして出演した映画「マドンナのスーザンを探して」の主題歌にもなった80'sダンスナンバー。全英では自身初の1位を記録。
- Papa Don't Preach (1986年)
10代の妊娠・未成年の母問題を題材にした曲で、この頃から社会問題を曲に取り入れ始める。全米・全英1位。
ラテン系のエキゾチックなナンバーで現在でも世代を問わず人気が高い1曲。サブスクにおけるマドンナ曲の中では常に再生回数が上位だったり、公式YouTubeチャンネルでは再生回数10億回を超える一番人気の曲として君臨している。全米4位・全英1位。
先述のMV問題もあった一曲。曲自体はゴスペルを取り入れた内省的な一曲で、現在でも非常に高い評価を受けており、コンサートの定番曲でもある。2024年には
デッドプール&ウルヴァリンのメイントラックとして使用され再び脚光を浴びた。全米・全英1位。
積極的な女性像を歌ったナンバー。「Material Girl」に対してのアンチテーゼともいえる内容でもある。MVはメトロポリスを下敷きにしたお金がかかったビデオになっている。全米・全英2位。
全世界で600万枚以上を売り上げたシングル。当時ゲイの間で流行っていたヴォーギングをいち早く主流として取り入れ、デヴィッド・フィンチャー監督の先鋭的なMVとともに爆流行りした。音楽性の変化としてはこの頃からハウスを取り入れ始めた。現在でもマドンナの代表曲として親しまれる。全米・全英1位。
ホテルの中で色んな人がピーするエチエチなMVが放送禁止になった。歌うというより全編囁き声で通す、いわばラップ的な曲であり、官能的な1曲。全米・全英1位。
「Justify My Love」の流れを汲む1曲であり、MVは同時期の18禁写真集の撮影風景をメインとした内容。なのでJustifyと比べると時間帯によっては許されたもののやはり放送禁(ry。全米・全英3位。
「Erotica」の商業的失敗からの建て直しに一役買ったBabyface作のバラード。アメリカでは7週連続1位を記録しこれは自己最長。反対にいかなる時も安定してチャート上位に入っていたイギリスでは16位止まりというコケシングルの一つ。
聴いているだけで寒くなってくるような冷たく幻想的なナンバー。あなたの冷たくなった心を溶かしたい…というような内容を歌っている。MVも青白い色味の映像の中、黒髪のマドンナがウネウネしている内容だが、意外にも撮影場所は砂漠。全米2位・全英1位。
同名アルバムの中では唯一といっていいほどのアップテンポな1曲。MVは世界の日常風景を目まぐるしく早回しにした手間がかかった内容で、その斬新さからその筋の賞も受賞している。全米5位・全英2位。
エレクトロ系ダンスナンバー。カウボーイを被ったマドンナがリムジンを乗り回すMVの撮影当時、丁度息子を妊娠中だったため激しい動きは見合わせられた。全米・全英1位。
カントリーとエレクトロを混ぜ合わせたような斬新なナンバー。全米・全英4位。
世界中で900万枚近い売り上げを記録した自身最大のヒットシングル。ABBAの「Gimme! Gimme! Gimme!」をサンプリングしており、MVではレオタード姿で踊り狂うマドンナが印象的だった。全米7位・全英1位。
「もうこれ以上あなたのごめんなさいを聞きたくないわ」という曲で、世界各国の「ごめんなさい」が曲中に使われている中、日本語で「ゴメンナサァーイ」と言うマドンナが聴ける。MVはHung Upの続編的内容。全英1位。
元*Nsyncのジャスティン・ティンバーレイクとコラボした曲。全米3位・全英1位。
キムタクこと木村拓哉主演のフジテレビ月9ドラマ『CHANGE』の主題歌。
マドンナにとって初の連続ドラマタイアップ曲となり、日本ゴールドディスク大賞の「着うた/着うたフル・ソング・オブ・ザ・イヤー」「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」の洋楽部門に輝いた。
■ その他の曲
そこまで大きなヒットにはならなかったものの日本でMV撮影するという内容のMVであり、坂本龍一が監督役で出演しているのが日本的に最大のトピック。曲は何とも綺麗なバラード。全米14位・7位。
- Nothing Really Matters (1999年)
こちらも日本的なビデオの一つ。和装で踊り狂う真っ白な顔のマドンナが印象的であり、同じく真っ白な顔のエキストラが多数登場するなど不気味な雰囲気漂う一作。全英7位。
- What It Feels Like For A Girl (2001年)
ガイ・リッチーが監督、初の夫婦共同作業となったビデオ…だが、その内容はというとマドンナが奪った車で市街を暴走して、犯罪的なことをやりまくる内容でありこちらも放送(ry。全英7位。
反戦をテーマにした内容であり、戦争の悲惨さを伝えるような衝撃的なシーンが相次ぐ。ブッシュ元大統領のそっくりさんまで登場させたこのビデオは当時のアメリカ国内で反感を買い放(ry。それから間もなく世界各国の国旗をバックに歌う修正版が一応作られた。放送禁止になり修正版も作られたことで事実上封印されていたが、20年後の2023年に公式YouTubeチャンネルで解禁されている。全米37位・全英2位。
【アルバム】
基本的には世界中のチャートで1位を獲得することが多い。アメリカでは意外にも「Erotica」から「Ray Of Light」までの間惜しくも1位を逃しているが(2~3位)、それ以降は「Rebel Heart」を除いて全て1位。
才能あれど名がまだ知られていないアーティストをプロデューサーとして起用することも多く、マドンナのアルバムに参加したことによって名が知られ有名になったケースも多々ある。これはマドンナの曲のリミックスを手掛けるDJも同様。
デビューアルバム。クラブ受けするダンスナンバーが多く、その後の飛躍に大きな役割を果たした1枚。現在でもマドンナのクラシックとして愛されている曲が多く収録されている。
爆売れしたブレイク作。Nile Rodgersなどが参加。80'sのキラキラ感が詰まった1作。
Like A Virginのアルバムを超えて、オリジナルアルバムとしては最多売り上げを記録している爆売れ作パート2。ここからマドンナ自身も本格的に曲作りに参加するようになり、社会問題なども反映するようになった。
母の死、父親との確執、ショーンとの離婚などパーソナルな事柄が反映された私小説的アルバム。プリンスとのデュエット作も収録されている。こちらも爆売れアルバムパート3。
タイトル通りエチエチな内容の曲も収録されているものの、エイズで亡くなった友人を偲んだ歌や、愛することはどうして難しいのか?と歌う曲など実は内省的で深いアルバム。サウンド的にはハウスやヒップホップをメインにした味付け。現在でもカルト的人気を誇る1枚。
R&Bやヒップホップをメインに、癒しの雰囲気を纏ったアルバム、その一方で「Human Nature」などではマドンナらしい毒も忘れない。Bjorkが手掛けたタイトル曲のMVは製作費もかかった芸術的な出来。
各界から高評価を受けた爆売れアルバムパート4。鬼才William Orbitと共同で水のイメージを念頭にスピリチュアルな世界観を構築。自身の人生観に深く突っ込んだ内容。生まれたばかりの娘に捧げる曲もある。
Mirwaisを新たに迎え、エレクトロやらカントリー/アコースティックやら正に音楽ジャンルの垣根を超えたような斬新な作風。爆売れアルバムパート5。
タイトル曲のMVの件もあり、反戦アルバムというイメージを持たれ、アメリカのラジオ局からボイコットを受けたりしたことが原因で商業的に失敗した作品(それでも1位は獲った)。実はアルバムの内容としてはマドンナ自身の人生を振り返るような内容。
- Confessions On A Dancefloor (2005年)
ダンスミュージック路線への回帰、爆売れアルバムパート6。全編ダンスミュージックながらアルバムタイトルの「告白」に象徴されるように歌詞の内容はやはり私的なのがマドンナらしい。
前作の成功を受けてもっと軽いタッチで臨んだ1枚。これまでと違い今回はTimbalandやPharellなど当時既に世界的に有名なプロデューサーと組んでいる。
レーベル移籍後一発目。当時流行りのEDMを展開しながら、デビュー30周年だったこともあり過去曲を思わせるような仕掛けも曲中に散りばめている。
発売前にはリーク騒動があり、マドンナをカンカンに怒らせた曰く付きの1枚。タイトルは自身の反逆的な部分と脆い部分を表しているとのこと。
久々にビジュアル面に力を入れ、Madame Xなる存在に扮した本作は当時居住していたポルトガルの音楽からの影響をふんだんに取り入れつつ、社会問題やら自問自答やらを扱った極めて暗い作風のアルバム。Maluma、Swae Leeなど若手アーティストも参加。
- その他にベスト盤(3000万枚売れた「The Immaculate Collection」他)や、サントラなどもある。
追記修正はポーズを取りながらお願いします。
- 「セックスシンボル」という言葉の擬人化みたいな存在。後にも先にもこの人みたいなカリスマのある存在は居ないだろうな… -- 名無しさん (2025-10-06 20:49:33)
- ↑男性ならプリンスを挙げたい。 -- 名無しさん (2025-10-06 21:00:51)
最終更新:2025年10月06日 21:00