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ヴァーユ(インド神話)

登録日:2025/11/16 Sun 11:20:22
更新日:2026/04/07 Tue 09:56:08
所要時間:約 4 分で読めます




『ヴァーユ/ワーユ(Vāyu)』は、インド神話に登場してくる風の神。



【概要】

『リグ・ヴェーダ』にて讃歌を捧げられている風と大気の神であり軍神。
非常に異名が多く、アニラ(Anila)/マルト(Marut)/ガンダヴァハ(Gandhavaha)/プラーナ(prāṇa)/パヴァナ(Pavana)……等と呼ばれている。
また、ヴァーユはアーユルヴェーダにて“5つのヴァーユ”としてプラーナ(生命エネルギー)の通り道を示す名称としても知られている。
風のように疾く駆けることの出来る駿足(神速)の神であり、白い旗と鹿に乗った姿である、とも説明されている。

『リグ・ヴェーダ』が編纂された頃には雷帝インドラと太陽神スーリヤと並ぶ威勢を誇っていたようで、その二神と並ぶ軍神としても評価されているものの、後の民間人気ではインドラに水を開けられていくようになる。

ヒンドゥーに移行してからは信仰上の存在感こそ薄れてしまったものの、大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』でも名前が持ち出されており、英雄ビーマや猿神ハヌマーンの父親としても知られる。
特に、ハヌマーンは単独でも非常に人気の高い神格となったこともあってか、ハヌマーンの最初のを悼んだヴァーユが世界の風の動きを止めてしまったとするなど、親子関係を強調した神話も語られるようになっている。

ちなみに、『リグ・ヴェーダ』には“ヴァータ”という、よく似た名前の別の風神の名前も記されていたのだが、後にはヴァーユの別名か表記揺れとして扱われるようになった。

尚、ヴァーユは単純に風の神というだけでなく大気そのものの支配者として捉えられ、物質界の天空をインドラと二分していた。
実際に、ヴァーユの異名は殆どがサンスクリット語で“風”を意味するとされるものの、厳密には単に風だけでなく“大気”や“息吹”や“気”といった意味合いの強い名詞も含まれている。

バラモン時代には、配下として天空を住処とする“モンスーン”を神格化したマルト神群を支配下に置いていた。
この、マルト神群を率いるのが暴風神ルドラであり、バラモン時代にはヴァーユの軍勢の副官的な立場であった。
しかし、前述の民間でのインドラとの人気の格差から、後代にはマルト神群やルドラがインドラの軍勢として紹介されるようにもなってしまった模様。


【由来】

ヴァーユの由来については幾つかの説があり、前述の『リグ・ヴェーダ』ではインドラやスーリヤと共に天空神ディヤウス(デウス)の子とされている。
特に、支配領域が近いインドラとは仲良しで、ヴァーユの赤い二頭の駿馬が引く戦車の御者をインドラが務めることもあったと云う。

また、一方ではアーディティヤ神群にも加えられているのだが、インドラと同様に後付け的に加えられた面子であるためか、大女神アディティは勿論のこと、首魁のヴァルナミトラとの関係性は浅い。

このことからも、何方かといえばアーリア人系の神々=デーヴァ神属の出身とも思われが、一方では後のバラモン〜ヒンドゥーにて上書きされた世界の大元となった原初の巨人プラハの息吹(プラーナ)から生まれたとするものがあり、この神話からすると元はアスラ神属だったのか、とも思えるが、単に元から存在していたアスラ神属の風の神の誕生譚がヴァーユに上書きされただけの可能性もある。
実際に異名の一つであるガンダヴァハは“香を運ぶ者”を意味するとされるが、これはアーリア人流入以前よりの古代インド神話の土着神の一つであるガンダルヴァと同じである。

何れにせよ、アーリア人の価値観に合致するイケイケ(死語な神様と捉えられていたようだ。
実際、相当に気性の荒い性格であることを窺わせる讃歌も多く、文字通りに暴風のように周囲にも被害を与えたと語られている。
隣国ペルシャにて興った世界初の世界宗教ゾロアスター教でもインドラやシヴァと同じく悪魔ダエーワと見なされてしまっており、「ワユ」の名で悪風を吹き込む暴風の悪魔として扱われてしまっている。


【風天】

仏教では、順当に他のバラモン〜ヒンドゥーの神々と共に天部諸尊として迎え入れられて風天となった。
風天は十二天の一つであり北西の守護者。
これは、ヒンドゥーにて方角神となった後の役割と同じである。
姿は老人とされることが多く、やっぱり鹿に乗っている。

また、異名のアニラから十二神将の一つである頞儞羅(アニラ)大将はヴァーユに由来すると考えられる場合もある。

ちなみに、有名な風神雷神図は仏教由来と解説されるということで当然のように風天=ヴァーユ(及びインドラ)のことを……指さない

全くの無関係ではないのだろうが、日本に仏教が伝来してくるまでの間に仏教が経由した土地々々の風の神と雷の神の姿が集約されていったものであるらしく、2世紀のガンダーラ美術の中に袋を抱えた風神の姿が見られたり、6世紀の敦煌遺跡の中に袋を抱えた風神と太鼓を叩く雷神の姿が描かれているものの、それを鬼神の姿で描いたのは日本独自の解釈であるようである。



追記・修正はヨガでプラーナを整えてからお願い致します。

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最終更新:2026年04月07日 09:56