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笮融

登録日:2025/12/26 Fri 23:30:13
更新日:2026/08/10 Mon 19:55:23
所要時間:約 6 分で読めます




(さく)(ゆう)は、漢末期の人物。揚州丹陽郡で生まれ、陶謙や劉繇に仕えた。

漢末の乱世の中で中華における仏教の功労者であり、仏教へ並々ならぬ寄付を行った偉人である。
立派な伽羅寺を建て、釈迦の誕生節には盛大な法会を行い、その力の入れようは後の時代の仏教波及にも多大な影響を与えたとされる。
なんという立派なブディストであろう、古事記にも記されるべきだ。
しかし世は儒教全盛であり、また黄巾党や五斗米道なる道教系の新興宗教らが乱を起こし独自勢力となる世紀末。
そんな中にあって彼のこうした善行は実を結ぶことなく、最期には予章の住民に捕らえられ殺されてしまった。ナムサン!





















で、寺や法会の資金源は?






















実際の笮融


彼は陶謙に仕え、兵糧輸送などの監督官を務めていた。
が、目の前には大量の物資。ちょっとくらい、ちょろまかしてもバレへんか・・・


ちょっとくらい、ちょっとくらい、ちょっとくらい・・・



そして仏教に全ブッコミ!ドゥンドゥン派手にやろうじゃねえか!


仏教サイド「えぇ・・・(ガチ困惑)」


これには陶謙もさすがに気付いた。物資が足りてないやん!鈍すぎだろ
ゲロ甘寛大な陶謙は「じゃあさ、別の仕事してくれたら、許したるから・・・」と疎んだだけで済ませたが、狂信的なブディストである笮融は寄進ができないことに困った。

というわけで陶謙が曹操に攻められたら絶望的戦力差だったこともあってとっとと同僚の薛礼と共に劉繇に通じ、広陵太守の趙昱を頼った。
賓客としてもてなされた二人だったが、広陵はとても豊かで素晴らしい土地だ。これもブッダの思し召し、ありがたく使わせてもらうぞ。
ということで趙昱=サン、サヨナラ!「アバーッ!」
そして略奪の限りを尽くしブッダのために使う。おお、ゴウランガ!

劉繇が孫策に攻められた際には劉繇を支援し、孫策に矢傷を負わせるという殊勲を挙げた。ワザマエ!
が、その傷が元で孫策が死んだという偽情報に惑わされたことで劉繇軍は大敗。ウカツ!そして薛礼、劉繇と共に劉表を頼った。


彼らは揚州西南部にあって荊州と接する予章郡にいたが、ここでもマッポーめいたことが起きかけていた。もともと予章郡の太守だった周術が病死していたが、問題はその後任である。

朱皓「ドーモ、諸葛玄=サン、予章太守の朱皓です。」
諸葛玄「ドーモ、朱皓=サン、予章太守の諸葛玄です。」

アイエエエエエ!?太守が二人!?二人ナンデ!?一つの郡に二人も太守がいるのはあからさまにおかしいのだ!
後漢朝廷は後釜として黄巾の乱の鎮圧で活躍したスゴイ名将朱儁の息子である朱皓を派遣した。
だが予章郡の支配を狙う袁術クランも、その後釜として諸葛玄を任命して送り込んできたのである。この諸葛玄こそ、諸葛亮の叔父であり、一族のまとめ役でもあった。

劉繇=サンたちを打ち倒した孫策=サンは袁術クランの一味、もちろん劉繇=サンは朝廷側の朱皓=サンに助力したいが劉繇=サンに自前の兵力は残されていない。
というわけで、劉繇=サンは笮融=サンに頼むことにした。
笮融=サンはアイアイサー!と諸葛玄=サンを戦死させるが、これは予章をブッダに差し出すべきだという思し召し、ありがたく使わせてもらうぞ。
ということで朱皓=サン、薛礼=サン、サヨナラ!『アバーッ!!』
そして略奪の限りを尽くしブッダのために使う。おお、ゴウランガ!


当然劉繇=サンは激怒!笮融=サン許すまじ!
しかし笮融=サンの味方はいない!劉表=サンの支援を受ける劉繇=サンの前に敗走を余儀なくされる笮融=サン。
だが弱ってきたらさらに棒で叩く。略奪を受け続けてきたしがない村人に補足された笮融=サン、ヤメロー!ヤメロー!と叫ぶも遅し。
死神を三度欺くことはできない。一介のブディストでしかない笮融=サンはハイクを読むことも許されずしめやかに殺害され、その後無事死亡が確認された。
インガオホー!


笮融の評価

三国志に自伝は立てられておらず、これらは劉繇伝・孫策伝・諸葛亮伝などからの引用である。

仏教などという当時まだカルトでしかない宗教のために横領や略奪、裏切りを行い恩を仇で返し、自身の身が危うくなったらすぐ逃げるような輩。当たり前だが当時から評価はすこぶる悪かった。
劉繇が頼りにしていた許劭は儒教に則った評価をする名士で、曹操について「治世の能臣、乱世の奸雄」と評し劉繇に太史慈の起用を「断念させた」というほどの人物である。
なので当然彼も「笮融というのは、軍を率いても名義を顧みない男だ。朱皓は善人だが他人を信用しすぎる。危険な組み合わせだ」として危惧していた。この懸念はやはり的中している。

また南宋の僧侶である志磐は言った。「仏教者とは善行を成す者。宗教や身分を問わず誰からもクズと言われているのなら仏教者としてはなおのことクズである」と。
そしてこいつが仏教の功労者みたいに言われることは殊更に嫌悪された。
土着していない宗教を自勢力に組み込む、というのはよくある話なのでたまたま利用しようとしたのが仏教だったことは否めない。
なんでもよかったけど結果的に仏教だったからこうして名前が残ったのではないだろうか。
善人よりも悪人こそがブッダになれるのだ。


ただ真面目な話をすると、仏教には「悪人正機」という言葉がある。
ここで指す「悪人」は阿弥陀仏が救済し浄土に往生したい対象である「衆生」、それは今を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」、その中でも「自身がそうであると目覚めさせられた悪人」である。
しかし「悪人」がいるからには「善人」もいるわけであり、その「善人」とは「本願他力に頼らず地道に修行する人」である。
だが「悪人正機」というのは「仏から見ればみな悪人なのだ、自分を省みなさい」という意味である。
仏は全てを見通している。あらゆる行為も、それによって生まれる因果もだ。
ならば二つは矛盾している。何故「善人」も「悪人」なのか?「悪人」は阿弥陀仏によって救済されるのにどうして省みなければならないのか?

その真意は「善人は自力で往生できるんだよ、でもみんな悪人だから念仏を唱えて阿弥陀仏の本願にかなうよう頑張るしかないんだよ。そうなれるよう善人に近づこう。そして極楽浄土へ往生しようね」という仏教のスローガンにある。
この世に生を受けた以上あらゆる煩悩や因果を捨て去り「善人」になれるわけがない。故に阿弥陀仏にかなうよう「悪人正機」、自己を省みなくてはならないのだ。
しかし「仏から見ればみな悪人なのだ?じゃあ今生でどんな悪をしたって念仏唱えりゃセーフってことだろう、これから毎日悪行をやろうぜ!」と自分勝手な解釈をする者もいる。
これこそ笮融が仏教というものを狂信し、悪行を重ね続けた源ではないだろうか。
本来の「南無阿弥陀仏」というのは「私は阿弥陀仏に全てをお任せします」という意味であり、そして阿弥陀仏も

「十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚」
(本当に疑いなく我が国に生まれると思って何度でも念仏しておくれ、必ず極楽浄土に生まれさせる)

と答えている。
必ず往生し極楽浄土に生まれさせる・・・・・・!極楽浄土に生まれさせるが・・・今回まだその時や順番の指定まではしていない。我々「悪人」は自己を省み慎ましく生き、そして死後も幾度も念仏を唱えていつか阿弥陀仏へと往生を願い叶うようにするのだ。果たして「悪党」はいつ往生させてもらえるのだろうか?
全ては仏のみぞ知ることである。


創作での笮融


  • 三国志演義
劉繇部下の一人でしかなく、孫策に敗北し処刑されそうになった張英を弁護したり普通の優しいモブ扱いされている。
でもモブなので劉繇と落ち延びてそのまま終わり。

  • 光栄三国志
武力がちょっと高めなだけのサンシタ。中立にいることがある人材だが、あんまり役に立たない。まあ孔伷とか武官不足の勢力でも数合わせぐらいにいてもいいかな程度。
但し義理は終わっているのですぐ裏切る。魏延が4、孟達ですら2の『8REMAKE』でも貫禄の0。
個性が強化された14でも仏教面の追加はなかったが、その個性は調達・強奪・徴税・賊徒・強欲という寄進のために物質を集め続けた彼らしいものとなっている。
また英雄乱舞シナリオではあろうことか最弱クラスの武将ばかりで構成された最弱勢力夏侯楙軍に放り込まれることに。
恐ろしいことに夏侯楙軍では周りがヤバすぎてこんな能力ですら準主力級の武将となっている。

リブート版から登場。前述の五斗米道・黄巾党と同じ群雄勢力所属。坊主頭で撤退時には南無三!と言うなど仏教語を使う。
ちなみにどういうことか「融」と名前を間違えられている。は簡体字の竹的な意味だがとは狭い的な意味*1であり、これはカナリ・シツレイである。セガのケジメ案件だ。
カラテは5/2勇猛持ちとかなり物足りない。一応、低いカラテの補強のために征圧力が3と高め。
ジツである計略「完殺剛弓戦法」は武力と走射ダメージを上げ、撃破した敵の復活時間を伸ばす……と言うものだが、効果に対して士気消費が重い。お布施
荒らし向けだが群雄はもっと荒らしに向いた弓がいるため、なんとも肩身が狭い。ナムサン!





「やめろ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!」
「笑止! 己はブザマに命乞いてか! 追記・修正してなんとする! 申してみよ!」
「き、決まってらァ! 略奪してブッダに寄付すんだよォーッ!」

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最終更新:2026年08月10日 19:55

*1 視野狭「窄」とかに使われる