登録日:2026/01/26 Mon 20:34:02
更新日:2026/07/17 Fri 16:51:28
所要時間:約 15 分で読みて彼を知れば百戦殆うからず
孫子とは
古代中国春秋時代の兵法書。
中国で古来より軍事に携わる者の必読の書とされる「武経七書」にも数えられている。
概要
古今東西あらゆる兵法書の中でも知名度の高さは群を抜いており、最も有名であると言っても過言では無い。
紀元前5世紀ごろと今を遡ること2400有余年前に著された書でありながら、21世紀の現在においても現役バリバリの兵法書である。軍人なら知っていなければ話にならないくらい重要な地位にある。
その内容が具体の戦術のみならず、大局を見据えた国家間の戦略にまで踏み込んでいることから、現代の組織間競争にも応用できるとされ、ビジネス書、ハウツー本の題材としても大変な人気を誇る。
孫子を題材とした書籍が1ジャンルとして確立しており、書店では専用の棚が設けられるほど。
孫子十三篇
現在伝わっているものは
計篇、作戦篇、謀攻篇、形篇、勢篇、虚実篇、軍争篇、九変篇、行軍篇、地形篇、九地篇、火攻篇、用間篇の十三の篇に分かれている。
文字数にして白話で4,000文字程度と意外なほど短く、簡略。そのため、おびただしい数の注釈書が存在する。
なお、篇の数と文章量は時代によって大幅に増減している。これは時代毎に主流の戦術について補筆されていたためで、一番多い時には40篇以上に及んだ記録が残っている。
全体の大まかな内容は以下の通り。
1 戦いは出来るだけ避け、勝算を見極めろ
孫子の最も大きな特徴の一つ。最初に置かれた計篇、冒頭の一文からして、
「兵は国の大事、死生の地、存亡の途なり。察せざるべからず」(
戦争は国にとって重大事だ。繫栄か滅亡か、生きるか死ぬかの分かれ道。慎重に深く考えろ)と言い切っている。
その後の記述にしても、可能な限り外交で解決することを主張し、「百戦百勝は必ずしも良いものではない」「戦わずして勝つのが上策、平地での会戦は中策、城攻めは下策」など、
兎に角、直接の武力衝突を避けることを重視している。
また、孫子では廟算によって敵と味方、どちらが優れているかを多角的に比較し分析を行った。
現代であればこのようなアプローチは当然のように思えることだが、孫武が生きた当時は戦争を行うのにも占いを行い、その結果を天命として受け入れた時代。
その当時にあって、あらゆる事象を俯瞰し、有利不利を考察する方法は極めて画期的であったといえる。これを端的に表したのが「算多きは勝つ」である。
2 徹底的に準備し、戦うなら出来るだけ素早く終わらせろ
では、孫子は戦うことを考えていないのか。
無論、否である。
むしろ孫子では徹底的な準備を整えておくように説いている。
平時から戦争になってしまった時の事をしっかり考えておき、いざ戦争が回避できない状況に至ったなら出来るだけ早く状況を収束させることを重視する。
戦争にはヒト・モノ・カネといったあらゆるリソースが必要であり、それを大量に費やして初めて勝利が得られる。
しかし、勝ったとて消耗しすぎれば更に他国に攻め込まれて滅んでしまう。また、民の心も離れてしまう。
群雄の割拠した春秋時代に即した冷徹でありながら現実的な主張である。
3 主導権を常に握れ
準備を整えろにも通じるが、いざ敵国と戦うにしても、いつ、どこで、どのような状況で会敵するかを自国がコントロールすることが出来れば、
圧倒的に有利な状況で戦うことが出来る。準備の整わない敵は十分な力を発揮できないからである。
逆に不利であったり、主導権を手放した状況ではあれば戦うことは出来るだけ避けるように説いている。
4 情報を制する者が戦いを制する
孫子は情報を得ることとその分析、情報操作についても詳しく説いている。
情報を制するものが戦場を制するのは現代に至るまで全く変わっていないが孫子ではこの点も網羅する。
間者=
スパイの用い方についても大変重視しており、用間篇として一篇を割いて述べるほどである。
各篇の概略
計篇
開戦に至る以前の判断について述べる。
冒頭から戦争は極めて重大なものであると定義しており、この思想は全編を通し一貫している。故に「開口の一句、十三篇を覆いて余り有り」とまで評される。
廟算によるシミュレーションを重視し、国力の差を政治家の能力差、将兵の能力差、司法の公平さ、軍規の徹底、
人事の良し悪し、生産力の高低、世論の安定に至るまであらゆる要素での比較検討を説いている。
「兵は詭道なり」(戦いは騙しあいである)と述べたのもこの篇。
出来るのに出来ないように、遠くにいるように見せて近くになどあらゆる方法で欺いて勝ちにいく。いざ始まれば戦争に卑怯も何もないのである。
作戦篇
開戦を決めて以降、どのように戦闘準備を行うかを説く。
戦争は人員のみならず武器の調達、糧食の調達などあらゆるコストを投入して初めて勝利を得られることに触れ、なるだけ短期決戦に留めることを主張する。
たとえ勝ったとしても、他に漁夫の利を狙った他国がワラワラといる以上、コストを掛けすぎて余力が無くなっては元も子も無いのだ。
「兵は拙速を貴ぶ」の元はこの篇である。
謀攻篇
武力行使以外で勝つためにはどうすれば良いかを説く。
戦争が始まってもその規模を最小限に抑えることを目的とすることが窺える。
謀を以って制し、武力を行使せず勝つことを最上としつつも、武力行使を否定してはおらず彼我の兵力差に応じてどのように戦うべきかなども述べている。
ここでも戦争の目的は国の存続であることを再確認し、「彼を知れば百戦殆うからず~」で結ぶ。
形篇
戦争における流れについて説く。
戦争で勝つ者は勝てる状況を作ってから戦うもので、実際の戦闘は勝ちを確定させる作業であるという内容。
ともすれば傲慢とも取れるが、孫子で説く戦争の勝敗は既に廟算によって検討され、ほぼ分かっているものである。
「馬鹿な…ボクの計算ではこんなはずでは…!」などということはないのだ。勿論現実はそう上手くはいかない訳だが。
次篇とも深く関連するが、勝つ軍は多量の水が流れ落ちるような形を持つものだという。これに限らず、孫子では水を例にした表現が多く見られる。
勢篇
戦場における勢いについて説く。
戦いとは正攻法を以って対峙し、奇策を交えて勝利を掴むものでその組み合わせに限りはない。(およそ兵は正を以って合し、奇を為して勝つ。組み合わせに関しては、本文では色や音階や味覚に例えて説明している。)
意外なようだが孫子は勢いもかなり重視している。勢いづき、止められない程になった者の強さを知っていたのだろう。
勿論、単なる精神論・根性論では決してなく勢いづくのはこういう時と理路整然と述べている。
本文では丸い巨岩が山から深い谷へ勢い良く転がり落ちる様子に例えている。
虚実篇
変幻自在に対応し、如何にして主導権を握るかについて説く。
攻撃しようとしている場所を悟られないこと、逆に本当に守りたい場所を偽装すること、
戦いの場所・日時までも掌握してこそ勝ちを得られると述べる。
この篇においても軍を水に例えてその形の自在さを表現している。
軍争篇
実戦で会敵するにあたっての対応を説く。
この篇では輜重、兵站確保の重要性にも触れ、これを軽視した軍は負けると断言している。
世界中の軍隊の指揮官に言って聞かせたいものである。尤も分かっていてなお困難であるのは事実なのだが。
当時の道路事情や輸送技術の限界からそもそも糧食は最低限度分以外は敵国内において「100%OFFセールによる現地調達」(意味深)すべきものであって、自国から輸送するようなものではないのがというのが常識であった。実際孫子でもそのように説いており、全ての物資を運べとまでは書いていない。
統治後のことまで考えて反感を買わないように敵国内で購入するといった行動は歴史的にはかなり新しい。現代においても全ての物資を自国や勢力圏から持ち込めるのは自由を標榜する某国ぐらいなものである。
戦場では言葉で言っても聞こえない。目でも見えない。故に金鼓を打ち鳴らし、旗印を掲げることによって統率すること、敵軍の士気を削ぐことを説く。
やる気に満ちた軍には攻撃するな、逃げる兵を深追いしてはならない、完全包囲してはならないなど戦術にも言及がある。
九変篇
後述される「九地」における軍の動かし方、将が陥りやすい誤りについて述べる。
同時に攻めてはいけない土地や城についても言及がある。
後述の九地篇との関連も強く、古くはそちらと一組だったのではとも考えられている。
行軍篇
軍を進め、駐屯・布陣、攻撃、迎撃する際の注意すべき点や定石を説く。
例えば「河や湖を背にして布陣してはならない」、「渡河中の敵軍を迎え撃つときは半ば渡ってから」「鳥が飛び立つのは伏兵がいる為」などは誰もが聞いたことのあるセオリーであろう。
このように敵軍の位置や動向を探るための兆候も列挙している。
関連する著名な逸話では韓信の背水陣があるが、これが語り継がれているのはセオリーに反しながら戦果を挙げたからに他ならない。
地形篇
地形に合わせた戦い方、行軍について説く。
土地を広い、狭い、高低差の有無、河・森林などの障害物の有無によって分類し、その対応法を述べている。
三国時代、蜀漢の武将で「泣いて馬謖を斬る」の主役(?)である
馬謖が街亭の戦いでやらかしたとされる
山上への布陣はこの地形篇等で述べられた戦術を根拠にしており、馬謖自身も全く何も考えていなかった訳ではない。融通が利かない?それはそう。
九地篇
土地を九種類に分類し、その対応について説く。
篇名から前篇と重複しているように思えるがこちらはその土地の持つ性質、地勢に着目して述べている。
自国領か否か、国境からどれほど深く入り込んでいるか、進む余地があるのかなど複数の要素から考察する。
近現代の戦争においても敵国内に深く攻め入って占領したは良いが、その維持に四苦八苦している例は枚挙に暇がない。
前述の九変篇との関連も強く、古くはそちらと一組だったのではとも考えられている。
火攻篇
火攻めについて説く。
具体的に何処を、何を焼くのかで5つに大別し、その効果を説明している。
火を用いた攻撃は極めて効果的であるが失敗した場合には味方にも損害を与えてしまうため詳細に述べている。
現代では火器の発達により火を放つことがより容易になり、航空機からの焼夷弾投下などで広範囲を効率的に焼き払えるようになっている。
より大規模となった”火攻”が非常に効果的であることは近現代で各国が経験した数々の空襲においても証明されている。現代の実戦において最も意味を持つ篇の一つだろう。
用間篇
間者(スパイ)の用い方を説く章。
他国にスパイを紛れ込ませて情報収集するのみならず、虚偽の情報を流しての攪乱、戦闘準備を悟らせない偽装工作、
さらには自国内に入り込んでいるスパイを見つけ出したら、更に良い待遇を提示して寝返らせる二重スパイの手法も説く。
果ては敵国に捕縛されて故意に書状を見つけさせ、処刑されること前提の偽造工作の手法まで事細かに載っている。
著者について
本書を記したのは紀元前5世紀頃、春秋時代の中国・斉の兵法家、孫武とされている。
他の古代中国の文献の例に漏れず、孫武が原型となる書を著したのち、弟子や子孫が順次肉付けしたと考えられている。
そのため、版によっては孫武の時代には一般的ではなかった戦法についての記述が混じっている。
それ以外にいったい何をした人なのかというと実は詳しいことは殆ど分かっていない。
それでも有名なエピソードとしては以下のものがある。
ある国に招かれて王に練兵を見せて欲しいと請われた時のこと。
孫武は後宮の女たちを召し出し、半分ずつの組に分け、王の寵妃2 人をそれぞれの司令官に任じた。
孫武は太鼓の合図とそれに合わせてどう動くかを懇切丁寧に説明した上で、実践。太鼓で号令を発したが女たちは笑うばかりだった。
そこで孫武は「説明が分かりづらかったのだろう」と再度同じ説明を行い、改めて太鼓で号令を発したが、また女たちは笑うばかりであった。
ここに至って孫武は表情を変え、「前回は私の落ち度であったが、今回は司令官の責であるから、軍法に照らし司令官を死罪に処す」とし、
王の懇願も聞かず司令官の寵妃2人を斬り、次席の妃を新たに司令官に任じた。
果たして女たちは太鼓の号令により機敏に動くようになり統率の取れた軍団となったという。
現代の価値観で捉えたならばクレイジー極まりないが、規律を重んじること、少なくとも王に招聘されるくらいの名声を得ていたことが分かる。
このエピソードは司馬遷の史記に記されたものなのだが、それ以前の書物では彼に関する記載が見当たらず、広く知られた事績はこれがほぼ全てと言って良い。
孫子は史記が編纂された当時も既に一般常識とされる古典としての地位を確立していたにも関わらず、その著者の記述としてはかなりあっさりとしている。
同時期、共に活躍した相棒ともいえる
伍子胥には胸焼けするほど超特濃エピソードが残っているのとは対照的。あんなにイカれた奴はそう居ない?ごもっともで。
もう一人の「孫子」
孫子には内容の一部が共通しながらも別の内容のテキスト群も存在している。
こちらは孫武の子孫、孫ピンの著と考えられている。
元々原典がどれか分からない程古い書であること、元々の著者とされた孫武の事績があまりにも不明瞭だったために現代に至るまでその実在すらも疑問視されていたが、
1970年代に入り、前漢代の支配者層と推定される者の墓から別々に編纂された複数種の竹簡孫子が発掘されたことで事態は急変。
既に知られていたテキストとの比較研究の結果、前漢の時代には既にそれぞれが別の書物として存在しており、かつ先に孫子兵法が成立し、その後に孫ピン兵法が成立したと判明した。
なお、この他、後漢時代、呉に拠った
孫堅の一族も孫武の子孫であると称していたが箔付の為と思われ、信憑性はかなり薄い。
現代における活用
孫子の特筆すべき点は現代に至ってもなお廃れず、現役で活用されている点にある。
もちろん時代の変化で陳腐化したり適用できなくなった内容はあるものの、
大部分は現代においても十分通用しうるものとなっている。
各国軍の高級将校養成課程においてはクラウゼヴィッツ著の「戦争論」等と並んで必修のテキストとなっている。
また、孫子の論理の骨子は徹底的な準備をしながら相手の失着を待つものであるため、ゲーム理論との類似性も指摘されている。
繰り返しになってしまうが、孫子が著されたのは2400年以上前である。その時点でこれまでにも普遍的な内容であったことは驚異的と言える。
日本での活用
平安時代には伝来していたと考えられ、源平合戦の頃には日本においても武家の教養として数えられていたことが窺える。
以来、戦乱期には積極的に用いられてきたが、明治維新後、西洋式軍隊を整備したあたりから西洋式の戦術が持て囃されるようになっていく。このころになると孫子は所詮古代中国の古臭い兵法書と軽んじられ、活用は限定的となっていた。
しかし近代でも一部巧みに活用した者もおり、東郷元帥が日本海海戦で取った戦法は軍争篇で述べられた「近を以って遠を待ち、佚を以って労を待ち、飽を以って餓を待つ」そのもの。
この時、バルチック艦隊本隊は一応スエズ運河を航行できる大きさの軍艦で組まれていたのだが、物資の積み直しを敬遠してスエズ運河を航行せずに当時の汽船では常識外れの喜望峰回り航路を取っている。
それによって、実に地球を半周して到達している上、航海中は英国植民地での寄港が出来ず洋上補給を余儀なくされている。
ロシア軍のやったことは孫子的には絶対やってはいけないこと積み重ねの数え役満状態だが、日本側も海外拠点での監視と綿密な連携からバルチック艦隊の位置と航路を割り出して迎え撃っている。日本軍斥候は数日前の上海でバルチック艦隊から離脱した石炭補給船入港を発見していた。東郷はこの報を受けてバルチック艦隊の航行位置を推定し、対馬海峡での迎撃を決断したという。
特に輜重・兵站の軽視は甚だしかった。
昭和期以降の大陸での戦争や
太平洋戦争は孫子の内容に照らせば廟戦の時点で勝算は無かったはずであり、「やるべきでない戦争」だったとの意見も根強い。
戦後においてはその価値が見直され、防衛省や
自衛隊内においても盛んに研究が続けられている。
フィクションにおいて
近世、近代まででアジア圏の戦争を描く作品では数の多寡はあれどほぼ間違いなく内容が引用されている。
あまりに有名であるため、作中で孫子に通じていない者はそれだけでボンクラ扱いされるほど。
例えば、
三国志演義や戦国時代での戦闘描写ではごく当たり前に孫子の内容に即した戦術が披露されている。
戦わずして勝つなどの特徴的な内容は最早擦り切れるほど擦られ続けている。
その中でアニオタ的になじみ深いのは
ジョジョの奇妙な冒険第2部で
ジョセフ・ジョースターが一節を引用し、
相対する柱の男
エシディシもまた一節を諳んじてみせた場面だろうか。
異世界転生、転移系作品でも「それまで思いつかれることのなかった超画期的な戦術を披露したが、それは孫子をなぞっただけ」のような扱いをされる。
(ドンパチ戦争してたらそれに気づいて纏める奴いるだろうというのはツッコまないお約束)
戦争以外への応用
冒頭に記したように戦争以外の分野にも応用可能で実用書も多数出ている。
孫子は大きな組織間の外交や交渉を主眼にしており、敵対組織に損害を与えて勝利を得ることを厭わず、最終的には武力行使も念頭に置いた内容であるため、主に経営陣の経営戦略決定や組織運用、市場戦略に応用できる部分はあるものの、個人レベルにおいてはそぐわない部分も多々あることには注意が必要。
孫子の記述内容は兎に角策謀で貶めることを是としている。これを元にガチでやりあうと十中八九信頼関係が粉々に砕け散るため、参考程度にすべきだろう。
もちろん巧みな事前交渉によって味方側に引き入れるなどの有効な戦略は存在する。
サッカーやラグビー等、同時に複数人が動くタイプのチームスポーツともすこぶる相性が良く、手薄なところを攻撃しろ、裏をかけ、少数に対しては多数で当たれなど、
戦術本を読んでみると書いてあることは孫子や他の兵法書で語られていることだったりする。
著名なエピソード
古代中国戦国時代末期には既に武人必携の書としての地位を確立していたため、戦で用い戦果を上げたエピソードには事欠かない。
ここでは直接の戦果以外について紹介する。
中国三国時代、魏の創設者、
曹操は当時注釈が付きすぎて雑多になっていた孫子を整理して改めて注釈を付け、配下の将官の教育に用いていたという。
曹操は極めて優れたセンスを持った軍事家、政治家でありながら優れた文筆家でもあったことから生じた説であり、自らが編纂したという説には疑問の声がある。
しかし、少なくとも曹操陣営において整理された孫子注釈本が将官の教育用テキストとして用いられていたことには疑いの余地がない。
統一のテキストを用いて将官を教育するという発想は近現代の軍隊の高級将校に対する教育法に通じるものであって、時代を1600年も先どったものであった。
この注釈書は彼の諡号から「魏武注孫子」と呼ばれており、これこそ現代まで伝わっている孫子の標準形式である。
日本の戦国時代、
武田信玄が旗印に用いた風林火山は軍争篇の一節をとったもの。
「疾きこと風の如し、徐かなること林の如し、侵掠すること火の如し、動かざること山の如し」
原文ではこの後は「知り難きこと陰の如し、動くこと雷の震うが如し」と続く。緩急の重要性を説く一節である。
- 元ドイツ皇帝が第一次世界大戦後に孫子を知り「20年前にこれを知っていれば」と嘆いた
孫子の優秀さを補強するために語られがちなエピソード。尤も、本当にこのような発言があったかは怪しいようで、
当時の情勢を鑑みれば開戦前の時点で知っていたところで最早どうこうなるような状況では無かった可能性が濃厚という点にはあまり触れられない。
また、古代中国の兵法書の金字塔であったことから欧州へも既に伝わっていたようで、かの有名な
ナポレオン・ボナパルトも孫子を活用したと言われている。
軍の最高司令官たる皇帝が本当に知らなかったのかという疑問も残る。
追記修正は五事に通じた方にお願いします。
- 記事立て乙。これはまた大きい記事が立った… -- 名無しさん (2026-01-26 22:13:06)
- 確かに孫武って功績ぱっと思い浮かばんな。同時期の伍子胥は強烈なんだが -- 名無しさん (2026-01-26 22:36:41)
- 項目名って括弧は半角のが良かったんじゃなかったっけ -- 名無しさん (2026-01-26 23:30:01)
- ページ名の括弧を半角に変更しました。 -- 副管理人truthisalways1 (2026-01-27 07:51:58)
- 注釈がつきすぎて雑多になった←まるでアニヲタwikiの項目みたいだ -- 名無しさん (2026-01-28 00:14:40)
- 孫武は相方の春秋時代最凶のリヴェンジャー伍子胥が色々強烈すぎてなあ。ナポレオンに関しては某ナポレオン漫画でもナポレオンがバイトしてた本屋で勝手に読んでた本で孫子が登場してたな(ナポレオンからは「兵法書と呼べん」とボロクソだったが) -- 名無しさん (2026-01-31 15:53:08)
- 本の方ばっか有名になった人 -- 名無しさん (2026-04-19 00:23:26)
- ↑2 いやあれナポレオンが売りたくなくて「戦うな、が主旨の軍事書なんぞ役に立たんぞ」と言ってただけだ。結局そこを気に入られた(部下になる前の)ベルティエに買われて悔しがっていたし。 -- 名無しさん (2026-04-21 11:13:36)
最終更新:2026年07月17日 16:51