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皇室/皇族

登録日:2026/08/08 Sat 16:57:33
更新日:2026/08/23 Sun 01:29:59
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※ 追記・修正の際は本項目が非常に繊細かつ政治的な内容も含まれていることを常に念頭に置き、特定の人物及び案件等についての記載は慎重に行い、特定の人物を誹謗中傷するような記載は控えてください。


本項目では日本における皇室・皇族について記載する。

初版時参照資料、文献:宮内庁公式ホームページ(https://www.kunaicho.go.jp/)、【パブリネット】公共施設検索 - ホームメイト・リサーチ(https://www.homemate-research.com/bc186/)、【パブリネット】内閣府の外局等 皇族のしくみ(https://www.homemate-research-public.com/useful/19122_publi_023/)、『系図でたどる日本の皇族 (TJMOOK)(著:八幡和郎)』等



【皇室・皇族とは?】

皇室は天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下と天皇陛下の親族にあたる皇族*1で構成されており、内廷にある方々とそれ以外の宮家の皇族方々に分かれている。

2026年現在、内廷にある方々は天皇皇后両陛下及び愛子内親王殿下並びに上皇上皇后両陛下の5方、宮家の皇族方々は秋篠宮が4方、常陸宮が2方、三笠宮寬仁親王妃が1方、三笠宮が2方、高円宮が2方の各宮家の11方となっている。

皇室の身位(身分・位)には日本国憲法および皇室典範にて定められ、以下に分けられる。
呼称 身分 備考
天皇 皇室のトップ
皇后 天皇(男性)の配偶者
皇太后 先代天皇の配偶者
太皇太后 先々代天皇の配偶者
上皇 退位した天皇 天皇の退位等に関する皇室典範特例法
(平成29年法律第63号)に定める
上皇后 上皇の配偶者
皇太子、皇太子妃 天皇の息子とその配偶者
皇嗣、皇嗣妃 皇太子以外の天皇の子供とその配偶者
親王、王 皇族男子
内親王、女王 皇族女子

そして天皇陛下と皇族には「姓」がない
我々がよく耳にする「秋篠宮」「常陸宮」「三笠宮」は苗字ではなく天皇から与えられる宮号であり、皇族女子は結婚で皇籍から離れ一般国民になるとはじめて姓を持つことになる。

また、天皇、皇后、上皇、上皇后、太皇太后、皇太后の敬称は「陛下」、それ以外の皇族は「殿下」と定められている。
マスメディアを中心に、「殿下」の代わりに「さま」が使用されることも多い。
一般国民が皇族に対して敬称を付けなくても法的な罰則は無いものの、不敬な行為として顰蹙を買う可能性もあるので注意が必要。SNSなどでは炎上に発展する可能性もある。


皇室は世界最古の王朝としてギネスブックに認定されていることは有名。
認定記録は紀元前660年の神武天皇から2600年以上にもなるが、これは伝説・神話が加味されており正確性には相当疑問符がつく。
ただし確実とされる継体天皇(507年頃即位)から数えても1500年以上続いており、次点のデンマーク王室(900年以降)をぶっちぎりに引き離して文句なしに世界最古。
かつてはエチオピア皇帝が紀元前10世紀頃から続くとされ、日本と最古を争う関係だったが、1974年の革命で廃位され断絶した。



【現在の皇室・皇族】

内廷

独立した宮家を持たない宮廷内部の皇族を指す。
具体的には皇后・皇太后・太皇太后の「三后」と皇太子・皇太子妃とその家族や未婚の皇族女子、及び上皇后(天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づく)を指し、天皇及び上皇を含めて彼らが営む独立の生計を「内廷」と称することから、天皇及び上皇を除いた内廷の構成員たる皇族を「内廷皇族」と呼ぶ。

皇族(宮家)

親王や諸王などの皇族男子が天皇陛下から「宮号」を賜って独立して構える家(皇族の一家)を指す。
現在は秋篠宮家・常陸宮家・三笠宮家・高円宮家が「宮家」とされ、皇位継承を支える家系として位置づけられている。

ひとことで言うならば「歴代天皇の兄弟姉妹の家系」。つまり創作物に出てくる「王族」と思った方が分かりやすいかもしれない。


秋篠宮(あきしののみや)

1990年(平成2年)6月29日、上皇陛下の第二皇子・礼宮文仁親王と川嶋紀子氏との婚姻にあわせて創設された。
宮号は和歌の歌枕として有名な奈良県奈良市の秋篠(あきしの)に由来している。

元号が「令和」に改元後は特例法の規定より当主である文仁親王は「皇嗣(皇太弟)」の地位となり皇太子に準ずる扱いとなり、秋篠宮家は事実上東宮の待遇となる。
現在の天皇陛下の実弟が当主を務め、現存する宮家の中では唯一、文仁親王と長男の悠仁親王という複数の男系男子の後継資格者がいることから直宮家、筆頭宮家とされる。

常陸宮(ひたちのみや)

1964年(昭和39年)9月30日に昭和天皇の第二皇子・義宮正仁親王と津軽華子氏との婚姻にあわせて創設された。
親王が上皇陛下の実弟となるため、現行の皇室典範の下で設けられた最初の宮家であるが、正仁親王に子女がいないことから断絶見込みとなっている。

宮号の由来は常陸国*2が親王を国司とする親王任国であったことによる。

三笠宮(みかさのみや)

1935年(昭和10年)12月2日に大正天皇の第四皇子・崇仁親王を初代として親王の成年式当日に創設された。
宮号の由来は阿倍仲麻呂の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」に出てくる奈良の三笠山にちなんでいる。

崇仁親王と百合子妃は3男2女に恵まれたが第1女子・甯子内親王と第2女子・容子内親王は婚姻により皇籍離脱しており、2002年に第三王子・高円宮憲仁親王、2012年には第一王子・寬仁親王、2014年には第二王子・宜仁親王が崇仁親王に先立ち薨去されたことで男系男子が初代当主・崇仁親王自身のみとなったが、親王も2016年(平成28年)10月に薨去したため同年11月16日に親王妃の三笠宮百合子妃が2代目当主に就任した。
その百合子妃も2024年(令和6年)11月に薨去したことで三笠宮家自体の当主も不在となっていたが、2025年(令和7年)9月30日に孫の彬子女王が3代目として継承することが決まり、彬子女王の母親の寬仁親王妃信子氏は「三笠宮寬仁親王妃家」の当主として独立した。

  • 三笠宮(寬仁親王家)
崇仁親王の長男で継嗣であった寬仁親王が婚姻を機に独自生計を営むことになり、1980年(昭和55年)11月7日に創設された家系*3
2012年(平成24年)6月6日に寛仁親王が後継者となる男子不在のまま父の崇仁親王に先立ち薨去し、後任の当主は不在のままであったが、翌年6月10日に同家職員や皇族費はそのままに本家にあたる三笠宮家に合流することになった。

  • 三笠宮寬仁親王妃家
2025年(令和7年)9月30日より百合子妃の孫にあたる彬子女王の三笠宮家当主就任に伴い、寛仁親王妃信子氏が三笠宮家を離れて新たに設立した家。

  • 桂宮(かつらのみや)
三笠宮崇仁親王の次男・宜仁親王を初代当主として創設された。
宜仁親王は生涯独身を貫いていたため、戦後初の独身での宮家設立であったが、2014年(平成26年)6月8日に親王の薨去をもって断絶となる。

  • 高円宮(たかまどのみや)
1984年(昭和59年)12月6日に三笠宮崇仁親王の三男・憲仁親王を初代当主として親王と鳥取久子氏との婚姻時に戦後初となる宮家から分かれた宮家として創設された。
初代当主の崇仁親王が2002年(平成14年)11月に薨去して以降は久子妃が2代目当主に就任したが、男子が生まれなかったことから断絶見込みとなっている。

宮号は昭和天皇から賜ったもので、父宮の宮号の由来となった奈良市東部の三笠山の近くにある高円山から採られている*4
ちなみに高校生年代が参加するサッカーのリーグ戦『高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ』の名称は憲仁親王が1987年から日本サッカー協会 (JFA) の名誉総裁を務めている高円宮家から優勝杯(高円宮杯)が下賜されていることに由来する。

秩父宮(ちちぶのみや)

1922年(大正11年)6月25日に大正天皇の第二皇子・淳宮雍仁親王を初代当主とし、親王の20歳の誕生日にあわせて創設されたが、雍仁親王には子女がいなかったことから1995年(平成7年)8月25日に勢津子妃の薨去をもって断絶となった。

宮号は明治天皇の崇めていた帝都所在の武蔵国の名山「秩父嶺」が秩父宮の住居の西北に位置し、往古日本武尊が奥羽平定の後にこの地方を通ったた歴史にちなみ選定された。
また都内にある「秩父宮ラグビー場」は元々「東京ラグビー場」という名称だったが、日本ラグビーフットボール協会名誉総裁を務めていた雍仁親王が1953年(昭和28年)1月4日に薨去された際に親王の遺徳を偲び「秩父宮ラグビー場」へと名称変更された経緯がある*5

高松宮(たかまつのみや)

17世紀初頭から続く宮家{
『有栖川家』}を前身とし、1913年(大正2年)7月6日に大正天皇の第三皇子・光宮宣仁親王を初代当主として創設された。

有栖川家は1913年7月10日に10代威仁親王が栽仁王に先立たれたことで嗣子が居ない状態で薨去。
当時の皇室典範では養子縁組が禁じられていたため断絶となっていたが。宮家歴代の功から大正天皇の特旨により、宣仁親王が有栖川宮家の祭祀を継承、宮家の土地などの財産や一部の旧臣を相続して有栖川宮の旧称である高松宮を名乗った。
宣仁親王に子がいなかったことから、2004年(平成16年)12月18日、喜久子妃の薨去をもって断絶となった。


【旧宮家】

南北朝時代の北朝3代・崇光天皇の第一皇子・栄仁(よしひと)親王を祖とする伏見宮家を本家とし600年以上続くが、太平洋戦争終結後の占領下で1947年にGHQの意向を受けた皇室制度縮小方針と皇室財産への重い課税などによる経済的逼迫を背景に「皇室典範に基づく離脱願い」という形式で11宮家51人が皇族身分を離れている。

明治維新の時点で皇室とは6親等以上離れた超が付くほど遠縁の親族となり現在では法的には民間人であるが、一部の旧宮家には明治天皇や昭和天皇の内親王が嫁いでいるなど現在の皇室とは近縁となる家もある。


皇籍離脱した11宮家

  • 伏見宮(ふしみのみや)
11宮家の宗家に当たる宮家で約400年の歴史を有する。
先述の通り創設者は北朝3代崇光天皇の第1皇子・栄仁親王で第3代当主・貞成親王の子が後花園天皇、後花園天皇の弟が第4代当主・貞常親王となっている。
家紋は裏菊で皇室本家の菊紋とは表裏一体であることから、皇籍離脱までは「世襲宮家の中で一番格上の家系」と見做され江戸時代の四世襲親王家では唯一戦後まで同じ血統で存続していた。
現在の26代目当主・伏見博明氏には女子3名しかいないため男系断絶が確定している。

また伏見宮家の邸宅跡には1964年の東京オリンピック直前に敷地面積約7ヘクタール*6を誇る東洋一の規模を誇る国際ホテルとして「ホテルニューオータニ」がオープンしている。

  • 山階宮(やましなのみや)
伏見宮家第20代当主邦家親王の第1王子・晃親王により創設された家。
宮家としての本家は既に断絶しているが複数の分家は残っている。

  • 北白川宮(きたしらかわのみや)
伏見宮邦家親王の第9王子・嘉言親王が聖護院宮、次いで第13王子・智成親王能久親王によって継承されてきた家で、能久親王の子孫が現在の家系。
2018年(平成30年)に当主であった北白川道久氏が81歳で薨去したことにより絶家した。
男系の続く分家では竹田宮家の他に小松侯爵家(小松宮家の祭祀を継承)などがあり、小松家当主の小松揮世久氏は前伊勢神宮大宮司。

  • 竹田宮(たけだのみや)
北白川宮能久親王の第1王子・恒久王により創設された家。
二代目当主の恒徳王は後にIOC委員などを務め、現在の本家当主・竹田恒正氏は日本ゴルフ協会会長、恒徳王の三男・竹田恒和氏がJOC会長・IOC委員を務めるなどスポーツと縁のある家。
恒徳王の男子3人全員に男子孫があるが、宮家・華族として分家した家が他になく、他家に嫁いだ者を除き全員竹田姓を名乗っている。

  • 久邇宮(くにのみや)
伏見宮邦家親王の第4王子・中川宮朝彦親王により創設された家。
第4代当主は上皇陛下の従兄にあたる他、多くの宮家が分家しており賀陽宮家と東久邇宮は共に久邇宮家の分家にあたる。

  • 賀陽宮(かやのみや)
久邇宮朝彦親王の第2王子・邦憲王により創設された家。
親王は病弱であったために久邇宮の継嗣から外れたものの、後に宮家創設が認められた。宮家の名はかつて朝彦親王が一時期名乗った宮号に由来する。
宮家としては第3代当主・賀陽邦寿氏の逝去で断絶しているが、宮家成員の男子の多くが未成年のため分家が無い。
現在は邦寿氏の甥にあたる賀陽正憲氏が継いでいる。

  • 朝香宮(あさかのみや)
久邇宮朝彦親王の第8王子・鳩彦王により創設された家。
現在も男系で続いている宮家の一つ。

  • 東久邇宮(ひがしくにのみや)
久邇宮朝彦親王の第9王子で皇族としては唯一の首相経験者である稔彦王によって創設された家。
稔彦王は明治天皇の第9皇女である聡子内親王と婚姻し、第1王子・盛厚王には昭和天皇の第1皇女(上皇陛下の姉)・成子内親王が嫁いでいる*7

  • 東伏見宮(ひがしふしみのみや)
伏見宮邦家親王の第17王子・依仁親王により創設された家。
親王は長兄・山階宮晃親王の養子を経て8兄・小松宮彰仁親王の養子となるが、晃親王とは51歳もの年齢差があった
当初は小松宮を継承する予定だったが、兄との仲の悪さから新たに東伏見宮を創設し独立するも継承者はおらず、戦前の親王の薨去で既に絶家が確定していた。

  • 梨本宮(なしもとのみや)
伏見宮邦家親王の弟・守脩親王により創設され、その後久邇宮朝彦親王の第4王子・守正王によって継承された。
「梨本家」としては守正王の甥で久邇宮別家出身にあたる龍田徳彦元伯爵が継承したが、更にその死後は龍田氏の実子ではなく皇室と無縁の養子が後を継いだ為に実質絶家となる。

  • 閑院宮(かんいんのみや)
四世襲親王家の一つで現在の皇室のルーツでもある家。
東山天皇の第6皇子・直仁親王によって創設され、明治期に家系が断絶すると伏見宮邦家親王の第16王子・載仁親王が継承した。、
閑院宮家自体は離脱後の1988年(昭和63年)に当主・純仁氏の薨去で絶家している。

世襲親王家

当代の天皇との血縁の遠近に関係なく代々天皇の猶子(養子)となって親王宣下を受けることで親王の身位を保持し続け、天皇に世継ぎがない場合に次の天皇を立てることになっていた宮家の総称。

始まりは1428年に時の天皇だった称光天皇が嗣子を授かることなく崩御した際、宮家の一つであった伏見宮の嫡男・彦仁親王後花園天皇として皇位を継承した。
その際天皇の勅命により、伏見宮は「永代親王家」と定められ、宮号の継承者(当主)は親王の身分と称号を代々世襲することで皇位継承資格を持つことを予定され、皇室内での皇位継承者が絶えた時に皇位を受け継ぐ宮家ことを定めた制度として確立された。
鎌倉時代以降は邸宅や所領の伝領とともに家号としての宮号が生まれ、さらに傍系の皇族が代々にわたって親王宣下を受けて宮号を世襲していく世襲親王家が誕生し、伏見宮家に桂宮・有栖川宮・閑院宮の3家が新たに加わり、「四親王家」となった。


【皇室に関わる機関】

  • 宮内庁
内閣総理⼤⾂の管理の下にあり、皇室をお世話するという仕事に携わる官庁。
天皇皇后両陛下・皇族⽅の様々なご活動をお世話する宮内庁の業務は、宮中における儀式・⾏事や国内・国外へのお出ましに係る事務、皇室⽤財産の管理など⾮常に幅広い。

  • 皇宮警察
皇宮警察本部は天皇皇后両陛下や皇族各殿下の護衛と皇居、御所、御用邸などの警備を専門に行う警察。
職員は皇宮護衛官、警察庁事務官及び警察庁技官で構成され、身分はいずれも国家公務員となる。

明治19年(1886年)に宮内省に皇宮警察署として誕生し、その後幾多の組織的な変遷を経て昭和29年 (1954年)の新警察法制定に伴い警察庁の附属機関となり、「皇宮警察本部」 と改称されて現在にいたる。
創立以来、皇室守護を目的とした国家機関で、大きな使命と伝統を持つ機関。










追記・修正は内容を慎重に理解してからお願いします。

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最終更新:2026年08月23日 01:29

*1 つまり天皇・上皇陛下やその后を指して「皇族」と呼ぶのは間違い。ちなみに「王室(王家)」と「王族」の区別も同様。

*2 現在の茨城県

*3 三笠宮を継承予定であったため宮号創設はなし。

*4 宮号は皇室とゆかりのある山・寺などから取るという慣例がある。

*5 親王はラグビー場建設工事の際に病身を省みずにゴム長ぐつを履かれて現地を訪問され、関係者に励ましの言葉を送って頭を下げられたという話がある。

*6 東京ドームの面積の1.5倍にもなる。

*7 盛厚王の孫で現当主の征彦氏は愛子内親王殿下のはとこにあたる。