登録日:2026/08/08 Sat 16:57:33
更新日:2026/08/23 Sun 01:29:59
所要時間:約 ? 分で読めます
※ 追記・修正の際は本項目が非常に繊細かつ政治的な内容も含まれていることを常に念頭に置き、特定の人物及び案件等についての記載は慎重に行い、特定の人物を誹謗中傷するような記載は控えてください。
本項目では
日本における
皇室・皇族について記載する。
【皇室・皇族とは?】
皇室は天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下と天皇陛下の親族にあたる皇族で構成されており、内廷にある方々とそれ以外の宮家の皇族方々に分かれている。
2026年現在、内廷にある方々は天皇皇后両陛下及び愛子内親王殿下並びに上皇上皇后両陛下の5方、宮家の皇族方々は秋篠宮が4方、常陸宮が2方、三笠宮寬仁親王妃が1方、三笠宮が2方、高円宮が2方の各宮家の11方となっている。
皇室の身位(身分・位)には日本国憲法および皇室典範にて定められ、以下に分けられる。
| 呼称 |
身分 |
備考 |
| 天皇 |
皇室のトップ |
|
| 皇后 |
天皇(男性)の配偶者 |
|
| 皇太后 |
先代天皇の配偶者 |
|
| 太皇太后 |
先々代天皇の配偶者 |
|
| 上皇 |
退位した天皇 |
天皇の退位等に関する皇室典範特例法 (平成29年法律第63号)に定める |
| 上皇后 |
上皇の配偶者 |
| 皇太子、皇太子妃 |
天皇の息子とその配偶者 |
|
| 皇嗣、皇嗣妃 |
皇太子以外の天皇の子供とその配偶者 |
|
| 親王、王 |
皇族男子 |
|
| 内親王、女王 |
皇族女子 |
|
そして天皇陛下と皇族には「姓」がない。
我々がよく耳にする「秋篠宮」「常陸宮」「三笠宮」は苗字ではなく天皇から与えられる宮号であり、皇族女子は結婚で皇籍から離れ一般国民になるとはじめて姓を持つことになる。
また、天皇、皇后、上皇、上皇后、太皇太后、皇太后の敬称は「陛下」、それ以外の皇族は「殿下」と定められている。
マスメディアを中心に、「殿下」の代わりに「さま」が使用されることも多い。
一般国民が皇族に対して敬称を付けなくても法的な罰則は無いものの、不敬な行為として顰蹙を買う可能性もあるので注意が必要。SNSなどでは炎上に発展する可能性もある。
皇室は世界最古の王朝として
ギネスブックに認定されていることは有名。
認定記録は紀元前660年の神武天皇から2600年以上にもなるが、これは伝説・神話が加味されており正確性には相当疑問符がつく。
ただし確実とされる継体天皇(507年頃即位)から数えても1500年以上続いており、次点のデンマーク王室(900年以降)をぶっちぎりに引き離して文句なしに世界最古。
かつてはエチオピア皇帝が紀元前10世紀頃から続くとされ、日本と最古を争う関係だったが、1974年の革命で廃位され断絶した。
| 代数 |
天皇名 |
諱 |
誕生日 |
在位期間 |
元号 |
時代 |
天皇陵 |
その他 |
| 初代 |
神武天皇 |
|
前711年1月1日 |
前660年~前585年 |
|
|
畝傍山東北陵/奈良県橿原市 |
|
| 2代 |
綏靖天皇 |
|
前632年 |
前581年~前549年 |
|
|
桃花鳥田丘上陵/奈良県橿原市 |
|
| 3代 |
安寧天皇 |
|
前577年 |
前549年~前511年 |
|
|
畝傍山西南御陰井上陵/奈良県橿原市 |
|
| 4代 |
懿徳天皇 |
|
前553年 |
前510年~前477年 |
|
|
畝傍山南纖沙溪上陵/奈良県橿原市 |
|
| 5代 |
孝昭天皇 |
|
前506年 |
前475年~前393年 |
|
|
掖上博多山上陵/奈良県御所市 |
|
| 6代 |
孝安天皇 |
|
前427年 |
前392年~前291年 |
|
|
玉手丘上陵/奈良県御所市 |
|
| 7代 |
孝靈天皇 |
|
前342年 |
前290年~前215年 |
|
|
片丘馬坂陵/奈良県北葛城郡 |
|
| 8代 |
孝元天皇 |
|
前273年 |
前214年~前158年 |
|
|
劒池嶋上陵/奈良県橿原市 |
|
| 9代 |
開化天皇 |
|
前208年 |
前158年~前98年 |
|
|
春日率川坂上陵/奈良市 |
|
| 10代 |
崇神天皇 |
|
前148年 |
前97年~前30年 |
|
|
山邊道勾岡上陵/奈良県天理市 |
|
| 11代 |
垂仁天皇 |
|
前69年1月1日 |
前29年~後70年 |
|
|
菅原伏見東陵/奈良県奈良市 |
|
| 12代 |
景行天皇 |
|
前13年 |
71年~130年 |
|
|
山邊道上陵/奈良県天理市 |
|
| 13代 |
成務天皇 |
|
84年 |
131年~190年 |
|
|
狹城盾列池後陵/奈良市 |
|
| 14代 |
仲哀天皇 |
|
149年 |
192年~200年 |
|
|
惠我長野西陵/大阪府藤井寺 |
|
| -- |
神功皇后 |
気長足姫 |
169年 |
201年~269年 |
|
|
狹城盾列池上陵/奈良県奈良市 |
69年間の摂政 |
| 15代 |
應神天皇 |
誉田別 |
200年12月14日 |
270年~310年 |
|
|
惠我藻伏崗陵/大阪府羽曳野市 |
|
| 16代 |
仁德天皇 |
大鷦鷯 |
257年 |
313年~399年 |
|
|
百舌鳥耳原中陵/大阪府堺市 |
|
| 17代 |
履中天皇 |
去来穂別 |
336年 |
400年~405年 |
|
|
百舌鳥耳原南陵/大阪府堺市 |
|
| 18代 |
反正天皇 |
瑞歯別 |
336年 |
406年~410年 |
|
|
百舌鳥耳原北陵/大阪府堺市 |
|
| 19代 |
允恭天皇 |
稚子 |
376年 |
412年~453年 |
|
|
惠我長野北陵/大阪府藤井寺市 |
|
| 20代 |
安康天皇 |
穴穂 |
401年 |
453年~456年 |
|
|
菅原伏見西陵/奈良県奈良市 |
|
| 21代 |
雄略天皇 |
幼武 |
418年12月 |
456年~479年 |
|
|
丹比高鷲原陵/大阪府羽曳野市 |
|
| -- |
飯豊青皇女 |
|
440年 |
484年~484年 |
|
|
埴口丘陵/奈良県葛城市 |
|
| 22代 |
清寧天皇 |
白髪 |
444年 |
480年~484年 |
|
|
河内坂門原陵/大阪府羽曳野市 |
|
| 23代 |
顕宗天皇 |
来目稚子 |
450年 |
485年~487年 |
|
|
傍丘磐坏丘南陵/奈良県香芝市 |
|
| 24代 |
仁賢天皇 |
大脚大為 |
449年 |
488年~498年 |
|
|
埴生坂本陵/大阪府藤井寺市 |
|
| 25代 |
武烈天皇 |
稚鷦鷯 |
489年 |
498年~506年 |
|
|
傍丘磐坏丘北陵/奈良県香芝市 |
|
| 26代 |
繼體天皇 |
男大迹彦太尊 |
450年 |
507年~531年 |
|
|
三嶋藍野陵/大阪府茨木市 |
|
| 27代 |
安閑天皇 |
勾 |
466年 |
531年~535年 |
|
|
古市高屋丘陵/大阪府羽曳野市 |
|
| 28代 |
宣化天皇 |
檜隈高田 |
467年 |
535年~539年 |
|
|
身狹桃花鳥坂上陵/奈良県橿原市 |
|
| 29代 |
欽明天皇 |
志帰 |
509年 |
539年~571年 |
|
|
檜隈坂合陵/奈良県高市郡明日香村 |
|
| 30代 |
敏達天皇 |
他田 |
538年 |
572年~585年 |
|
|
河内磯長中尾陵/大阪府南河内郡太子町 |
|
| 31代 |
用明天皇 |
池辺 |
540年 |
585年~587年 |
|
|
河内磯長原陵/大阪府南河内郡太子町 |
聖徳太子の父 |
| 32代 |
崇峻天皇 |
泊瀬部 |
553年 |
587年~592年 |
|
|
倉梯岡陵/奈良県桜井市 |
|
| 33代 |
推古天皇 |
額田部 |
554年 |
592年~628年 |
|
|
磯長山田陵/大阪府南河内郡太子町 |
女性天皇(女帝) |
| 34代 |
舒明天皇 |
田村 |
593年 |
629年~641年 |
|
押坂内陵/奈良県桜井市 |
|
| 35代 |
皇極天皇 |
宝 |
594年 |
642年~645年 |
|
|
越智崗上陵/奈良県高市郡高取町 |
女性天皇(女帝) |
| 36代 |
孝徳天皇 |
軽 |
596年 |
645年~654年 |
大化(645年〜650年) 白雉(650年〜654年) |
飛鳥時代 |
大阪磯長陵/大阪府南河内郡太子町 |
|
| 37代 |
齊明天皇 |
宝 |
皇極天皇が重祚 |
655年~661年 |
|
|
女性天皇(女帝) |
| 38代 |
天智天皇 |
葛城 |
626年 |
668年~671年 |
|
山科陵/京都府京都市 |
中大兄皇子 |
| 39代 |
弘文天皇 |
伊賀大友 |
648年 |
671年~672年 |
|
長等山前陵/滋賀県大津市 |
大友皇子 |
| 40代 |
天武天皇 |
大海人 |
631年 |
673年~686年 |
朱鳥(686年) |
檜隈大内陵/奈良県高市郡明日香村 |
|
| 41代 |
持統天皇 |
鸕野讚良 |
645年 |
690年~697年 |
|
檜隈大内陵/奈良県高市郡明日香村 |
女性天皇(女帝) |
| 42代 |
文武天皇 |
珂瑠 |
683年 |
697年~707年 |
大宝(701年〜704年) 慶雲(704年〜) |
檜隈安古岡上陵/奈良県高市郡明日香村 |
|
| 43代 |
元明天皇 |
阿閇 |
661年 |
707年~715年 |
慶雲(〜708年) 和銅(708年〜715年) |
奈保山東陵/奈良市 |
女性天皇(女帝) |
| 44代 |
元正天皇 |
氷高 |
680年 |
715年~724年 |
霊亀(715年〜717年) |
奈良時代 |
奈保山西陵/奈良市 |
女性天皇(女帝) |
| 45代 |
聖武天皇 |
首 |
701年 |
724年~729年 |
神亀(724年〜729年) 天平(729年〜749年) 天平感宝(749年) |
佐保山南陵/奈良市東大寺建立 |
|
| 46代 |
孝謙天皇 |
阿倍 |
718年 |
749年~757年 |
天平勝宝(749年) 天平宝字(757年〜) |
高野陵/奈良県奈良市 |
女性天皇(女帝) |
| 47代 |
淳仁天皇 |
大炊 |
733年 |
758年~764年 |
天平宝字 |
淡路陵/兵庫県南あわじ市 |
|
| 48代 |
稱徳天皇 |
阿倍 |
孝謙天皇が重祚 |
764年~770年 |
天平宝字(764〜765年) 天平神護(765年〜767年) 神護景雲(767年〜770年) |
|
女性天皇(女帝) |
| 49代 |
光仁天皇 |
白壁 |
709年11月18日 |
770年~781年 |
宝亀(770年〜780年) 天応(781年〜) |
田原東陵/奈良県奈良市 |
|
| 50代 |
桓武天皇 |
山部 |
737年 |
781年~806年 |
天応(〜782年) 延暦(782年〜786年) |
柏原陵/京都府京都市 |
|
| 51代 |
平城天皇 |
安殿 |
774年9月25日 |
806年~809年 |
大同(806年〜) |
平安時代 |
楊梅陵/奈良県奈良市 |
|
| 52代 |
嵯峨天皇 |
神野 |
786年10月3日 |
809年~823年 |
大同(〜810年) 弘仁(810年〜) |
嵯峨山上陵/京都府京都市 |
|
| 53代 |
淳和天皇 |
大伴 |
786年 |
823年~833年 |
弘仁(〜824年) 天長(824年〜) |
大原野西嶺上陵/京都府京都市 |
|
| 54代 |
仁明天皇 |
正良 |
810年 |
833年~850年 |
天長(〜834年) 承和(834年〜848年) 嘉祥(848年〜) |
深草陵/京都府京都市 |
|
| 55代 |
文徳天皇 |
道康 |
827年 |
850年~858年 |
嘉祥(〜851年) 仁寿(851年〜854年) 斎衡(854年〜857年) 天安(857年〜) |
田邑陵/京都府京都市 |
|
| 56代 |
清和天皇 |
惟仁 |
850年5月10日 |
858年~876年 |
天安(〜859年) 貞観(859年〜) |
水尾山陵/京都府京都市 |
|
| 57代 |
陽成天皇 |
貞明 |
869年1月2日 |
876年~884年 |
貞観(〜877年) 元慶(877年〜) |
神樂岡東陵/京都府京都市 |
|
| 58代 |
光孝天皇 |
時康 |
830年 |
884年~887年 |
元慶(〜885年) 仁和(885年〜) |
後田邑陵/京都府京都市 |
|
| 59代 |
宇多天皇 |
定省 |
867年6月10日 |
887年~897年 |
仁和(〜889年) 寛大(889年〜) |
大内山陵/京都府京都市 |
|
| 60代 |
醍醐天皇 |
維城敦仁 |
885年2月6日 |
897年~930年 |
寛平(〜898年) 昌泰(898年〜901年) 延喜(901年〜923年) 延長(923年〜) |
後山科陵/京都府京都市 |
|
| 61代 |
朱雀天皇 |
寛明 |
923年9月7日 |
930年~946年 |
延長(〜934年) 承平(931年〜947年) 天慶(947年〜) |
醍醐陵/京都府京都市 |
|
| 62代 |
村上天皇 |
成明 |
926年7月14日 |
946年~967年 |
天慶(〜947年) 天暦(947年〜957年) 天徳(957年〜961年) 応和(961年〜964年) 康保(964年〜) |
村上陵/京都府京都市 |
|
| 63代 |
冷泉天皇 |
憲平 |
950年6月12日 |
967年~969年 |
康保(〜968年) 安和(968年〜) |
櫻本陵/京都府京都市 |
|
| 64代 |
圓融天皇 |
守平 |
959年4月12日 |
969年~984年 |
安和(〜970年) 天禄(970年〜973年) 天延(973年〜976年) 貞元}(976年〜978年) 天元(978年〜983年) 永観(983年〜) |
後村上陵/京都府京都市 |
|
| 65代 |
花山天皇 |
師貞 |
968年11月29日 |
984年~986年 |
永観(〜985年) 寛和(985年〜) |
紙屋川上陵/京都府京都市 |
|
| 66代 |
一條天皇 |
懐仁 |
980年7月15日 |
986年~1011年 |
寛和(〜987年) 永延(987年〜989年) 永祚(989年〜990年) 正暦(990年〜995年) 長徳(995年〜999年) 長保(999年〜1004年) 寛弘(1004年〜) |
圓融寺北陵/京都府京都市 |
|
| 67代 |
三條天皇 |
居貞 |
976年2月5日 |
1011年~1016年 |
寛弘(〜1012年) 長和(あ年1012〜) |
北山陵/京都府京都市 |
|
| 68代 |
後一條天皇 |
敦成 |
10008年10月12日 |
1016年~1036年 |
長和(〜1017年) 寛仁(1017年〜1021年) 治安(1021年〜1024年) 万寿(1024年〜1028年) 長元(1028年〜) |
菩提樹院陵/京都府京都市 |
|
| 69代 |
後朱雀天皇 |
敦良 |
1009年12月14日 |
1036年~1045年 |
長元(〜1037年) 長暦(1037年〜1040年) 長久(1040年〜1044年) 寛徳(1044年〜) |
圓乘寺陵/京都府京都市 |
|
| 70代 |
後冷泉天皇 |
親仁 |
1025年8月28日 |
1045年~1068年 |
寛徳(〜1046年) 永承(1046年〜1053年) 天喜(1053年〜1058年) 康平(1058年〜1065年) 治暦(1065年〜) |
圓教寺陵/京都府京都市 |
|
| 71代 |
後三條天皇 |
尊仁 |
1034年9月3日 |
1068年~1072年 |
治暦(〜1069年) 延久(1069年〜) |
圓宗寺陵/京都府京都市 |
|
| 72代 |
白河天皇 |
貞仁 |
1053年7月7日 |
1072年~1086年 |
延久(〜1074年) 承保(1074年〜1077年) 承暦(1077年〜1081年) 永保(1081年〜1084年) 応徳(1084年〜) |
成菩提院陵/京都府京都市 |
|
| 73代 |
堀河天皇 |
善仁 |
1079年8月8日 |
1086年~1107年 |
応徳(〜1087年) 寛治(1087年〜1094年) 嘉保(1094年〜1096年) 永長(1094年〜1096年) 承徳(1096年〜1099年) 康和(1099年〜1104年) 長治(1104年〜1106年) 嘉祥(1106年〜) |
後圓教寺陵/京都府京都市 |
|
| 74代 |
鳥羽天皇 |
宗仁 |
1103年2月24日 |
1107年~1123年 |
嘉祥(〜1108年) 天仁(1108年〜1110年) 天永(1110年〜1113年) 永久(1113年〜1118年) 元永(1118年〜1120年) 保安(1120年〜) |
安樂壽院陵/京都府京都市 |
|
| 75代 |
崇德天皇 |
顕仁 |
1119年7月7日 |
1123年~1141年 |
保安(〜1124年) 天治(1124年〜1126年) 大治(1126年〜1131年) 天承(1131年〜1132年) 長承(1132年〜1135年) 保延(1135年〜1141年) |
白峯陵/香川県坂出市 |
|
| 76代 |
近衛天皇 |
体仁 |
1139年6月16日 |
1141年~1155年 |
永治(1141年〜1142年) 康治(1142年〜1144年) 天養(1144年〜1145年) 久安(1145年〜1151年) 仁平(1151年〜1154年) 久寿(1154年〜) |
安樂壽院南陵/京都府京都市 |
|
| 77代 |
後白河天皇 |
雅仁 |
1127年10月18日 |
1155年~1158年 |
久寿(〜1156年) 保元(1156年〜) |
法住寺陵/京都府京都市 |
|
| 78代 |
二條天皇 |
守仁 |
1143年7月31日 |
1158年~1165年 |
保元(〜1159年) 平治(1159年〜1160年) 永暦(1160年〜1161年) 応保(1161年〜1163年) 長寛(1163年〜1165年) |
香隆寺陵/京都府京都市 |
|
| 79代 |
六條天皇 |
順仁 |
1164年12月28日 |
1165年~1168年 |
永万(1165年〜1166年) 仁安(1166年〜) |
清閑寺陵/京都府京都市 |
|
| 80代 |
高倉天皇 |
憲仁 |
1161年9月23日 |
1168年~1180年 |
仁安(〜1169年) 嘉応(1169年〜1171年) 承安(1171年〜1175年) 安元(1175年〜1177年) 治承(1177年〜) |
後清閑寺陵/京都府京都市 |
|
| 81代 |
安德天皇 |
言仁 |
1178年12月22日 |
1180年~1185年 |
治承(〜1181年) 養和(1181年〜1182年) 寿永(1182年〜) |
阿彌陀寺陵/山口県下関市 |
|
| 82代 |
後鳥羽天皇 |
尊成 |
1180年8月6日 |
1183年~1198年 |
寿永(年〜1184年) 元暦(1184年〜1185年) 文治(1185年〜1190年) 建久(1190年〜) |
平安時代(〜元暦) 鎌倉時代(文治〜) |
大原陵/京都府京都市 |
|
| 83代 |
土御門天皇 |
為仁 |
1196年1月3日 |
1198年~1210年 |
建久(〜1190年) 正治(1190年〜1201年) 建仁(1201年〜1204年) 元久(1204年〜1206年) 建永(1206年〜1207年) 承元(1207年〜) |
金原陵/京都府長岡京市 |
|
| 84代 |
順德天皇 |
守成 |
1197年10月22日 |
1210年~1221年 |
承元(〜1211年) 建暦(1211年〜1213年) 建保(1213年〜1219年) 承久(1219年〜) |
大原陵/京都府京都市 |
|
| 85代 |
仲恭天皇 |
懐成 |
1218年10月30日 |
1221年~1221年 |
承久 |
九條陵/京都府京都市 |
|
| 86代 |
後堀河天皇 |
茂仁 |
1212年3月22日 |
1221年~1232年 |
承久(〜1222年) 貞応(1222年〜1224年) 元仁(1224年〜1225年) 嘉禄(1225年〜1227年) 安貞(1227年〜1229年) 寛喜(1229年〜1232年) |
觀音寺陵/京都府京都市 |
|
| 87代 |
四條天皇 |
秀仁 |
1231年3月17日 |
1232年~1242年 |
承永(1232年〜1233年) 天福(1233年〜1234年) 文暦(1234年〜1235年) 嘉禎(1235年〜1238年) 暦仁(1238年〜1239年) 延応(1239年〜1240年) 仁治(1540年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 88代 |
後嵯峨天皇 |
邦仁 |
1220年2月26日 |
1242年~1246年 |
仁治(〜1243年) 寛元(1243年〜) |
嵯峨南陵/京都府京都市 |
|
| 89代 |
後深草天皇 |
久仁 |
1243年6月28日 |
1246年~1259年 |
寛元(〜1247年) 方治(1247年〜1249年) 建長(1249年〜1256年) 康元(1256年〜1257年) 正嘉(1257年〜1259年) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 90代 |
龜山天皇 |
恒仁 |
1249年7月9日 |
1259年~1274年 |
正元(1259年〜1260年) 文応(1260年〜1261年) 弘長(1261年〜1264年) 文永(1264年〜) |
龜山陵/京都府京都市 |
|
| 91代 |
後宇多天皇 |
世仁 |
1267年12月17日 |
1274年~1287年 |
文永(〜1275年) 建治(1275年〜1278年) 弘安(1278年〜) |
蓮華峯寺陵/京都府京都市 |
|
| 92代 |
伏見天皇 |
煕仁 |
1265年5月10日 |
1287年~1298年 |
弘安(〜1288年) 正応(1288年〜1293年) 永仁(1293年〜) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 93代 |
後伏見天皇 |
胤仁 |
1288年4月5日 |
1298年~1301年 |
永仁(〜1299年) 正安(1299年〜) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 94代 |
後二條天皇 |
邦治 |
1285年3月9日 |
1301年~1308年 |
正安(〜1302年) 乾元(1302年〜1303年) 嘉元(1303年〜1306年) 徳治(1306年〜1308年) |
白河陵/京都府京都市 |
|
| 95代 |
花園天皇 |
富仁 |
1297年8月14日 |
1308年~1318年 |
延慶(1308年〜1311年) 応長(1311年〜1312年) 正和(1312年〜1317年) 文保(1317年〜) |
十樂院上陵/京都府京都市 |
|
96代 (南朝1代) |
後醍醐天皇 |
尊治 |
1288年11月26日 |
1318年~1339年 |
文保(〜1319年) 元応(1319年〜1321年) 元亨(1321年〜1324年) 正中(1324年〜1326年) かりゃく(1326年〜1329年) 元徳(1329年〜1331年) 元弘(1331年〜1334年) 建武(1334年〜1336年) 延元(1336年〜)(南朝) |
鎌倉時代(〜建武) 室町時代(延元〜) |
塔尾陵/奈良県吉野郡吉野町 |
|
97代 (南朝2代) |
後村上天皇 |
憲良義良 |
1328年 |
1339年~1368年 |
延元(〜1340年) 興国(1340年〜1346年) 正平(1346年〜) |
室町時代 |
檜尾陵/大阪府河内長野市 |
|
98代 (南朝3代) |
長慶天皇 |
寛成 |
1343年 |
1368年~1383年 |
正平(〜1370年) 建徳(1370年〜1372年) 文中(1372年〜1375年) 天授(1375年〜1381年) 弘和(1381年〜) |
嵯峨東陵/京都府京都市 |
|
99代 (南朝4代) |
後龜山天皇 |
煕成 |
1350年 |
1383年~1392年 |
弘和(〜1384年) 元中(1384年〜1392年) |
嵯峨小倉陵/京都府京都市 |
|
| 北朝1代 |
光嚴天皇 |
量仁 |
1313年8月1日 |
1331年~1333年 |
正慶(1332年〜1334年) |
山國陵/京都府京都市 |
|
| 北朝2代 |
光明天皇 |
豊仁 |
1322年1月11日 |
1336年~1348年 |
暦応(1338年〜1342年) 康永(1342年〜1345年) 貞和(1345年〜) |
大光明寺陵/京都府京都市 |
|
| 北朝3代 |
崇光天皇 |
益仁興仁 |
1334年5月25日 |
1348年~1351年 |
貞和(〜1350年) 観応(1350年〜1352年) |
大光明寺陵/京都府京都市 |
第一皇子・栄仁親王は旧宮家の宗家・ 伏見宮家の祖 |
| 北朝4代 |
後光嚴天皇 |
彌仁 |
1338年3月23日 |
1352年~1371年 |
文和(1352年〜1356年) 延文(1356年〜1361年) 康安(1361年〜1362年) 貞治(1362年〜1368年) 応安(1368年〜) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 北朝5代 |
後圓融天皇 |
緒仁 |
1359年1月11日 |
1371年~1382年 |
応安(〜1375年) 永和(1375年〜1379年) 康暦(1379年〜1381年) 永徳(1381年〜) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
100代 (北朝6代) |
後小松天皇 |
幹仁 |
1377年8月1日 |
1382年~1412年 |
永徳(〜1384年) 至徳(1384年〜1387年) 嘉慶(1387年〜1389年) 康応(1389年〜1390年) 明徳(1390年〜1394年) 応永(1394年〜) ※明徳までが北朝 |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 101代 |
稱光天皇 |
躬仁実仁 |
1401年5月12日 |
1412年~1428年 |
応永(〜1428年) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 102代 |
後花園天皇 |
彦仁 |
1419年7月10日 |
1428年~1464年 |
正長(1428年〜1429年) 永享(1429年〜1441年) 嘉吉(1441年〜1444年) 文安(1444年〜1449年) 宝徳(1449年〜1452年) 享徳(1452年〜1455年) 康正(1455年〜1457年) 長禄(1457年〜1460年) 寛正(1460年〜) |
後山國陵/京都府京都市 |
伏見宮家第3代当主・貞成親王の子 弟は伏見宮家第4代当主・貞常親王 |
| 103代 |
後土御門天皇 |
成仁 |
1442年7月3日 |
1464年~1500年 |
寛正(〜1466年) 文正(1466年〜1467年) 応仁(1467年〜1469年) 文明(1469年〜1487年) 長享(1487年〜1489年) 延徳(1489年〜1492年) 明応(1492年〜) |
室町時代(〜文正) 安土・桃山時代(応仁〜) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 104代 |
後柏原天皇 |
勝仁 |
1464年11月19日 |
1500年~1526年 |
明応(〜1501年) 文亀(1501年〜1504年) 永正(1504年〜1521年) 大永(1521年〜) |
安土・桃山時代 |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 105代 |
後奈良天皇 |
知仁 |
1497年1月26日 |
1526年~1557年 |
大永(〜1528年) 享禄(1528年〜1532年) 天文(1532年〜1555年) 弘治(1555年〜) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 106代 |
正親町天皇 |
方仁 |
1517年6月18日 |
1557年~1586年 |
弘治(〜1558年) 永禄(1558年〜1570年) 元亀(1570年〜1573年) 天正(1573年〜) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 107代 |
後陽成天皇 |
和仁周仁 |
1464年11月19日 |
1586年~1611年 |
天正(〜1592年) 文禄(1592年〜1596年) 慶長(1596年〜) |
深草北陵/京都府京都市 |
|
| 108代 |
後水尾天皇 |
政仁 |
1596年6月29日 |
1611年~1629年 |
慶長(〜1615年) 元和(1615年〜1624年) 寛永(1624年〜) |
江戸時代 |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 109代 |
明正天皇 |
興子 |
1624年1月9日 |
1629年~1643年 |
寛永 |
月輪陵/京都府京都市 |
女性天皇(女帝) |
| 110代 |
後光明天皇 |
紹仁 |
1633年4月20日 |
1643年~1654年 |
寛永(〜1644年) 正保(1644年〜1648年) 慶安(1648年〜1652年) 承保(1652年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 111代 |
後西天皇 |
良仁 |
1638年1月1日 |
1654年~1663年 |
承保(〜1655年) 明暦(1655年〜1658年) 万治(1658年〜1661年) 寛文(1661年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 112代 |
靈元天皇 |
識仁 |
1654年7月9日 |
1663年~1687年 |
寛文(〜1673年) 延宝(1673年〜1681年) 天和(1681年〜1684年) 貞享(1684年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 113代 |
東山天皇 |
朝仁 |
1675年10月21日 |
1687年~1709年 |
貞享(〜1688年) 元禄(1688年〜1074年) 宝永(1074年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 114代 |
中御門天皇 |
慶仁 |
1654年7月9日 |
1709年~1735年 |
宝永(〜1711年) 正徳(1711年〜1716年) 享保(1716年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 115代 |
櫻町天皇 |
昭仁 |
1720年2月8日 |
1735年~1747年 |
享保(〜1736年) 元文(1736年〜1741年) 寛保(1741年〜1744年) 延享(1744年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 116代 |
桃園天皇 |
遐仁 |
1741年4月14日 |
1747年~1762年 |
延享(〜1748年) 寛延(1748年〜1751年) 宝暦(1751年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 117代 |
後櫻町天皇 |
智子 |
1740年9月23日 |
1762年~1770年 |
宝暦(〜1764年) 明和(1764年〜) |
月輪陵/京都府京都市 |
女性天皇(女帝) |
| 118代 |
後桃園天皇 |
英仁 |
1758年8月5日 |
1770年~1779年 |
明和(〜1772年) 安永(1772年〜年) |
月輪陵/京都府京都市 |
|
| 119代 |
光格天皇 |
師仁兼仁 |
1771年9月23日 |
1779年~1817年 |
安永(〜1781年) 天明(1781年〜1789年) 寛政(1789年〜1801年) 享和(1801年〜1804年) 文化(1804年〜) |
後月輪陵/京都府京都市 |
|
| 120代 |
仁孝天皇 |
恵仁 |
1800年3月16日 |
1817年~1846年 |
文化(〜1818年) 文政(1818年〜1830年) 天保(1830年〜1844年) 弘化(1844年〜) |
後月輪陵/京都府京都市 |
|
| 121代 |
孝明天皇 |
統仁 |
1831年7月11日 |
1846年~1866年 |
弘化(〜1848年) 嘉永(1848年〜1854年) 安政(1854年〜1860年) 万延(1860年〜1861年) 文久(1861年〜1864年) 元治(1864年〜1865年) 慶応(1865年〜) |
後月輪東山陵/京都府京都市 |
|
| 122代 |
明治天皇 |
睦仁 |
1852年11月3日 |
1867年~1912年 |
慶応(〜1868年) 明治(1868年〜1912年) |
明治時代 |
伏見桃山陵/京都府京都市 |
|
| 123代 |
大正天皇 |
嘉仁 |
1879年8月31日 |
1912年~1926年 |
大正(1912年〜1926年) |
大正時代 |
多摩陵/東京都八王子市 |
|
| 124代 |
昭和天皇 |
裕仁 |
1901年4月29日 |
1926年~1989年 |
昭和(1926年〜1989年) |
昭和時代 |
武藏野陵/東京都八王子市 |
|
| 125代 |
上皇陛下 |
明仁 |
1933年12月23日 |
1989年~2019年 |
平成(1989年〜2019年) |
平成 |
|
|
| 126代 |
今上天皇 |
徳仁 |
1960年2月23日 |
2019年~ |
令和(2019年〜) |
令和 |
|
|
【現在の皇室・皇族】
内廷
独立した宮家を持たない宮廷内部の皇族を指す。
具体的には皇后・皇太后・太皇太后の「三后」と皇太子・皇太子妃とその家族や未婚の皇族女子、及び上皇后(天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づく)を指し、天皇及び上皇を含めて彼らが営む独立の生計を「内廷」と称することから、天皇及び上皇を除いた内廷の構成員たる皇族を「内廷皇族」と呼ぶ。
皇族(宮家)
親王や諸王などの皇族男子が天皇陛下から「宮号」を賜って独立して構える家(皇族の一家)を指す。
現在は秋篠宮家・常陸宮家・三笠宮家・高円宮家が「宮家」とされ、皇位継承を支える家系として位置づけられている。
ひとことで言うならば「歴代天皇の兄弟姉妹の家系」。つまり創作物に出てくる「王族」と思った方が分かりやすいかもしれない。
:
┣━━━━━━━⋯
大正天皇・皇后
┣━━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━┓
昭和天皇・皇后 旧秩父宮家 旧高松宮家 三笠宮家
┣━━━━━━━━━━━┓ ┣━━━━━━┳━━━━┓
上皇陛下・上皇后陛下 常陸宮家 (寬仁親王家) 桂宮家 高円宮家
┣━━━━━━━━┓ ┣━━━━━━━━━┓
天皇陛下・皇后陛下 秋篠宮家 三笠宮家 三笠宮寬仁親王妃家
┃
:
秋篠宮
1990年(平成2年)6月29日、上皇陛下の第二皇子・
礼宮文仁親王と川嶋紀子氏との婚姻にあわせて創設された。
宮号は和歌の歌枕として有名な
奈良県奈良市の
「秋篠」に由来している。
元号が「令和」に改元後は特例法の規定より当主である文仁親王は「皇嗣(皇太弟)」の地位となり皇太子に準ずる扱いとなり、秋篠宮家は事実上東宮の待遇となる。
現在の天皇陛下の実弟が当主を務め、現存する宮家の中では唯一、文仁親王と長男の悠仁親王という複数の男系男子の後継資格者がいることから直宮家、筆頭宮家とされる。
常陸宮
1964年(昭和39年)9月30日に昭和天皇の第二皇子・義宮正仁親王と津軽華子氏との婚姻にあわせて創設された。
親王が上皇陛下の実弟となるため、現行の皇室典範の下で設けられた最初の宮家であるが、正仁親王に子女がいないことから断絶見込みとなっている。
宮号の由来は常陸国が親王を国司とする親王任国であったことによる。
三笠宮
1935年(昭和10年)12月2日に大正天皇の第四皇子・崇仁親王を初代として親王の成年式当日に創設された。
宮号の由来は阿倍仲麻呂の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」に出てくる奈良の三笠山にちなんでいる。
崇仁親王と百合子妃は3男2女に恵まれたが第1女子・甯子内親王と第2女子・容子内親王は婚姻により皇籍離脱しており、2002年に第三王子・高円宮憲仁親王、2012年には第一王子・寬仁親王、2014年には第二王子・宜仁親王が崇仁親王に先立ち薨去されたことで男系男子が初代当主・崇仁親王自身のみとなったが、親王も2016年(平成28年)10月に薨去したため同年11月16日に親王妃の三笠宮百合子妃が2代目当主に就任した。
その百合子妃も2024年(令和6年)11月に薨去したことで三笠宮家自体の当主も不在となっていたが、2025年(令和7年)9月30日に孫の彬子女王が3代目として継承することが決まり、彬子女王の母親の寬仁親王妃信子氏は「三笠宮寬仁親王妃家」の当主として独立した。
崇仁親王の長男で継嗣であった寬仁親王が婚姻を機に独自生計を営むことになり、1980年(昭和55年)11月7日に創設された家系。
2012年(平成24年)6月6日に寛仁親王が後継者となる男子不在のまま父の崇仁親王に先立ち薨去し、後任の当主は不在のままであったが、翌年6月10日に同家職員や皇族費はそのままに本家にあたる三笠宮家に合流することになった。
2025年(令和7年)9月30日より百合子妃の孫にあたる彬子女王の三笠宮家当主就任に伴い、寛仁親王妃信子氏が三笠宮家を離れて新たに設立した家。
三笠宮崇仁親王の次男・宜仁親王を初代当主として創設された。
宜仁親王は生涯独身を貫いていたため、戦後初の独身での宮家設立であったが、2014年(平成26年)6月8日に親王の薨去をもって断絶となる。
1984年(昭和59年)12月6日に三笠宮崇仁親王の三男・憲仁親王を初代当主として親王と鳥取久子氏との婚姻時に戦後初となる宮家から分かれた宮家として創設された。
初代当主の崇仁親王が2002年(平成14年)11月に薨去して以降は久子妃が2代目当主に就任したが、男子が生まれなかったことから断絶見込みとなっている。
宮号は昭和天皇から賜ったもので、父宮の宮号の由来となった奈良市東部の三笠山の近くにある高円山から採られている。
ちなみに高校生年代が参加する
サッカーのリーグ戦
『高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ』の名称は憲仁親王が1987年から日本サッカー協会 (JFA) の名誉総裁を務めている高円宮家から優勝杯(高円宮杯)が下賜されていることに由来する。
秩父宮
1922年(大正11年)6月25日に大正天皇の第二皇子・淳宮雍仁親王を初代当主とし、親王の20歳の誕生日にあわせて創設されたが、雍仁親王には子女がいなかったことから1995年(平成7年)8月25日に勢津子妃の薨去をもって断絶となった。
宮号は明治天皇の崇めていた帝都所在の武蔵国の名山
「秩父嶺」が秩父宮の住居の西北に位置し、往古日本武尊が奥羽平定の後にこの地方を通ったた歴史にちなみ選定された。
また
都内にある
「秩父宮ラグビー場」は元々「東京ラグビー場」という名称だったが、日本ラグビーフットボール協会名誉総裁を務めていた雍仁親王が1953年(昭和28年)1月4日に薨去された際に親王の遺徳を偲び「秩父宮ラグビー場」へと名称変更された経緯がある。
高松宮
17世紀初頭から続く宮家{
『有栖川家』}を前身とし、1913年(大正2年)7月6日に大正天皇の第三皇子・光宮宣仁親王を初代当主として創設された。
有栖川家は1913年7月10日に10代威仁親王が栽仁王に先立たれたことで嗣子が居ない状態で薨去。
当時の皇室典範では養子縁組が禁じられていたため断絶となっていたが。宮家歴代の功から大正天皇の特旨により、宣仁親王が有栖川宮家の祭祀を継承、宮家の土地などの財産や一部の旧臣を相続して有栖川宮の旧称である高松宮を名乗った。
宣仁親王に子がいなかったことから、2004年(平成16年)12月18日、喜久子妃の薨去をもって断絶となった。
【旧宮家】
南北朝時代の北朝3代・
崇光天皇の第一皇子・
栄仁親王を祖とする伏見宮家を本家とし600年以上続くが、
太平洋戦争終結後の占領下で1947年にGHQの意向を受けた皇室制度縮小方針と皇室財産への重い課税などによる経済的逼迫を背景に「皇室典範に基づく離脱願い」という形式で11宮家51人が皇族身分を離れている。
明治維新の時点で皇室とは6親等以上離れた超が付くほど遠縁の親族となり現在では法的には民間人であるが、一部の旧宮家には明治天皇や昭和天皇の内親王が嫁いでいるなど現在の皇室とは近縁となる家もある。
:
┃
崇光天皇
┃
栄仁親王(初代伏見宮家)
┃
貞成親王
┣━━━━━━━━━┓
後花園天皇 貞常親王
┃ ┃
: :
┃ ┃
大正天皇 邦家親王(伏見宮家第20代・第23代当主)
┃ ┃
昭和天皇 ┣山階宮家(皇室離脱の後、現在までに断絶)
┃ ┣(久邇宮家)┳賀陽宮家(皇室離脱の後も存続)
上皇陛下 ┃ ┣久邇宮家(皇室離脱の後も存続)
┃ ┃ ┣梨本宮家(皇室離脱の後、現在までに断絶)
天皇陛下 ┃ ┣朝香宮家(皇室離脱の後、現在までに断絶)
┃ ┃ ┗東伏見宮家(皇室離脱の後も存続)
┣(北白川宮家)┳竹田宮家(皇室離脱の後も存続)
┃ ┗北白川宮家(皇室離脱の後も存続)
┣伏見宮家(皇室離脱の後も存続)
┣閑院宮家(皇室離脱の後、現在までに断絶)
┗東伏見宮家(皇室離脱の後、現在までに断絶)
皇籍離脱した11宮家
11宮家の宗家に当たる宮家で約400年の歴史を有する。
先述の通り創設者は北朝3代崇光天皇の第1皇子・栄仁親王で第3代当主・貞成親王の子が後花園天皇、後花園天皇の弟が第4代当主・貞常親王となっている。
家紋は裏菊で皇室本家の菊紋とは表裏一体であることから、皇籍離脱までは「世襲宮家の中で一番格上の家系」と見做され江戸時代の四世襲親王家では唯一戦後まで同じ血統で存続していた。
現在の26代目当主・伏見博明氏には女子3名しかいないため男系断絶が確定している。
また伏見宮家の邸宅跡には1964年の東京オリンピック直前に敷地面積約7ヘクタールを誇る東洋一の規模を誇る国際ホテルとして「ホテルニューオータニ」がオープンしている。
伏見宮家第20代当主邦家親王の第1王子・晃親王により創設された家。
宮家としての本家は既に断絶しているが複数の分家は残っている。
伏見宮邦家親王の第9王子・嘉言親王が聖護院宮、次いで第13王子・智成親王、能久親王によって継承されてきた家で、能久親王の子孫が現在の家系。
2018年(平成30年)に当主であった北白川道久氏が81歳で薨去したことにより絶家した。
男系の続く分家では竹田宮家の他に小松侯爵家(小松宮家の祭祀を継承)などがあり、小松家当主の小松揮世久氏は前伊勢神宮大宮司。
北白川宮能久親王の第1王子・恒久王により創設された家。
二代目当主の恒徳王は後にIOC委員などを務め、現在の本家当主・竹田恒正氏は日本ゴルフ協会会長、恒徳王の三男・竹田恒和氏がJOC会長・IOC委員を務めるなどスポーツと縁のある家。
恒徳王の男子3人全員に男子孫があるが、宮家・華族として分家した家が他になく、他家に嫁いだ者を除き全員竹田姓を名乗っている。
伏見宮邦家親王の第4王子・中川宮朝彦親王により創設された家。
第4代当主は上皇陛下の従兄にあたる他、多くの宮家が分家しており賀陽宮家と東久邇宮は共に久邇宮家の分家にあたる。
久邇宮朝彦親王の第2王子・邦憲王により創設された家。
親王は病弱であったために久邇宮の継嗣から外れたものの、後に宮家創設が認められた。宮家の名はかつて朝彦親王が一時期名乗った宮号に由来する。
宮家としては第3代当主・賀陽邦寿氏の逝去で断絶しているが、宮家成員の男子の多くが未成年のため分家が無い。
現在は邦寿氏の甥にあたる賀陽正憲氏が継いでいる。
久邇宮朝彦親王の第8王子・鳩彦王により創設された家。
現在も男系で続いている宮家の一つ。
久邇宮朝彦親王の第9王子で皇族としては唯一の首相経験者である稔彦王によって創設された家。
稔彦王は明治天皇の第9皇女である聡子内親王と婚姻し、第1王子・盛厚王には昭和天皇の第1皇女(上皇陛下の姉)・成子内親王が嫁いでいる。
伏見宮邦家親王の第17王子・依仁親王により創設された家。
親王は長兄・山階宮晃親王の養子を経て8兄・小松宮彰仁親王の養子となるが、晃親王とは51歳もの年齢差があった。
当初は小松宮を継承する予定だったが、兄との仲の悪さから新たに東伏見宮を創設し独立するも継承者はおらず、戦前の親王の薨去で既に絶家が確定していた。
伏見宮邦家親王の弟・守脩親王により創設され、その後久邇宮朝彦親王の第4王子・守正王によって継承された。
「梨本家」としては守正王の甥で久邇宮別家出身にあたる龍田徳彦元伯爵が継承したが、更にその死後は龍田氏の実子ではなく皇室と無縁の養子が後を継いだ為に実質絶家となる。
四世襲親王家の一つで現在の皇室のルーツでもある家。
東山天皇の第6皇子・直仁親王によって創設され、明治期に家系が断絶すると伏見宮邦家親王の第16王子・載仁親王が継承した。、
閑院宮家自体は離脱後の1988年(昭和63年)に当主・純仁氏の薨去で絶家している。
世襲親王家
当代の天皇との血縁の遠近に関係なく代々天皇の猶子(養子)となって親王宣下を受けることで親王の身位を保持し続け、天皇に世継ぎがない場合に次の天皇を立てることになっていた宮家の総称。
始まりは1428年に時の天皇だった
称光天皇が嗣子を授かることなく崩御した際、宮家の一つであった伏見宮の嫡男・
彦仁親王が
後花園天皇として皇位を継承した。
その際天皇の勅命により、伏見宮は
「永代親王家」と定められ、宮号の継承者(当主)は親王の身分と称号を代々世襲することで皇位継承資格を持つことを予定され、皇室内での皇位継承者が絶えた時に皇位を受け継ぐ宮家ことを定めた制度として確立された。
鎌倉時代以降は邸宅や所領の伝領とともに家号としての宮号が生まれ、さらに傍系の皇族が代々にわたって親王宣下を受けて宮号を世襲していく世襲親王家が誕生し、伏見宮家に桂宮・有栖川宮・閑院宮の3家が新たに加わり、
「四親王家」となった。
【皇室に関わる機関】
内閣総理⼤⾂の管理の下にあり、皇室をお世話するという仕事に携わる官庁。
天皇皇后両陛下・皇族⽅の様々なご活動をお世話する宮内庁の業務は、宮中における儀式・⾏事や国内・国外へのお出ましに係る事務、皇室⽤財産の管理など⾮常に幅広い。
皇宮警察本部は天皇皇后両陛下や皇族各殿下の護衛と皇居、御所、御用邸などの警備を専門に行う警察。
職員は皇宮護衛官、警察庁事務官及び警察庁技官で構成され、身分はいずれも国家公務員となる。
明治19年(1886年)に宮内省に皇宮警察署として誕生し、その後幾多の組織的な変遷を経て昭和29年 (1954年)の新警察法制定に伴い警察庁の附属機関となり、「皇宮警察本部」 と改称されて現在にいたる。
創立以来、皇室守護を目的とした国家機関で、大きな使命と伝統を持つ機関。
追記・修正は内容を慎重に理解してからお願いします。
- 皇位継承問題の項目は正後草案で触れないことで賛成を集めたはずですが、そのまま追記してしまうのは早急では?しばらくは記載しない方がよいと思います -- 名無しさん (2026-08-17 17:53:51)
- ありがとうございました -- 名無しさん (2026-08-17 20:03:50)
- ↑2「草案時での議論の結果、皇位継承問題の項目は追記禁止(もしくは要相談)」という旨の注意書きについてどこか(記事中もしくはCO内)で注意書きしておいた方が良いかもしれません。 -- 名無しさん (2026-08-18 14:50:39)
- 皇位継承問題について触れないのは理解できますが、あくまで一般的な用語として「男系(天皇)』の説明(≠男性/女性天皇)くらいはあってもいいかなと思うのですが、どうでしょうか? -- 名無しさん (2026-08-18 15:22:06)
- 今更ながら初版を拝見しましたが、皇位継承問題・皇室典範改正の部分については改正反対派の目線で書かれていたように見受けられました。(特に”国民の多くが愛子内親王殿下の皇位継承…つまり女性天皇を望んでいる中”といった部分)また、問題点で赤字にされている箇所は改正反対派の意見を主眼にした内容に思われます。ここでの話し合いで皇位継承・皇室典範改正には触れないと取り決めた中で、当初の皇室典範改正反対といった文脈上の理由で赤字にしていた部分を丸々残したうえで、強調した表現として旧宮家の段落に残したままにするのは個人的にはいかがかと思います。 -- 名無しさん (2026-08-21 14:49:34)
最終更新:2026年08月23日 01:29