スロンミーサ宙軍大学校
理語: slommirca'd kestene fon IEAx
大学ロゴ
標語 しかし、彼は槍を装備したヴェフィサイトを見つけた(pa, ni jel aturlo'it xalur euvefist liax., Skyl.4:35 1:3
基本情報
ファルトクノア共和国
スロンミーサ宙軍大学校(理:Slommirca'd kestene fon IEAX)とは、ファルトクノア共和国における高等教育機関の一つ。内戦前の名称はヘオサフィア特殊士官学校(理:heocafi'a'd fhanka xlaiserss lerssergal)。


概要

 大宇宙に接触した当初、ユエスレオネ連邦には「宙軍」という概念が無かった。殆どの戦闘はそれまでウェールフープによって直接現地に地上軍を投射するものであったからである。しかし、大宇宙における交戦法規などを鑑みたユエスレオネ連邦軍は軍政下のファルトクノア共和国に宙軍にまつわる士官教育を行う学校を設置するよう働きかけていたが、政府が直接的に統治しているうちは大々的な行動が出来ず、学校の設置は出来なかった。
 ファルトクノアがヴァルエルクに追従し、自由解放連合に一時加盟すると技術を吸収する拠点としてヘオサフィアを選択し、ヘオサフィア特殊士官学校が設立された。当初は連邦宙軍が存在しなかったことからも空軍の管轄として扱われ、数年は不遇の時代を過ごした。
 しかしながら、ヘオサフィア特殊士官学校に設立された宙艦実習艦隊は実戦において大いなる戦果を挙げ、継承する第一輸送艦隊第一輸送戦隊は現代においても最も尊敬を集める戦隊とされている。
 戦後は、ファルトクノアに高等教育機関の設立が許可されたことからスロンミーサ宙軍大学校と改名し、大学の地位を得ている。宙軍大学校と名称が付いているが、戦後は政治学部などを併設した総合大学となった。
 現在では、スラーン宙域の名だたる宙軍士官や思想家を輩出した名門校となっている。

学部・研究院等

  • 宇宙軍学部
    • 降下学科
    • 降下支援学科
    • 宙域戦闘学科
    • マクロ宙域安全保障学科
    • 機材管理工学科
    • 機材マネージメント学科
  • 政治学部
    • 政治学科
    • 軍政学科
    • 経済学科
  • 教養学部
    • 文学科
    • 数学科
    • 理工学科
  • 宇宙軍学研究院
  • 政治学研究院
  • スロンミーサ宙軍研究センター

人物

著名な卒業生

"ヘンシーシャ"エローザ・イト

 全シルア労働者連盟からの留学生。彼自身のシルアでの学習項目は機動降下戦闘であり、ヘオサフィア特殊士官学校では降下作戦支援を専攻した。
帰国後はアパ独立親衛隊の改革に関わり、現代シルアにおいては彼の名を冠した士官学校も存在する。
 旧アラニシュ貴族の生まれであるがゆえに周囲からの嫌がらせや軽蔑が日常茶飯事であった当時のシルアよりも、ファルトクノアの環境に馴染んでいたことは有名。
 同期にXXXXYYYYなどが存在する。

クラウン・リン・レヴァーニ・クラリナイト

 降下学科と降下支援学科を両専攻。
 その能力の高さから神童と看做されて多くの士官候補生に愛でられていたが、一部の不真面目な候補生からリンチに合うなど暴力を受けていた。一度は退学を意識したクラリナイトであったが、レシェール・フミーヤ・ファイユに助けられたことによって、名前も知らない候補生ですら人を助けるということに感銘を受けて学校に残ることに決めた。

レシェール・フミーヤ・ファイユ

 宙域戦闘学科を専攻。
 卒業後は第一線の士官として艦隊を指揮、後に戦艦イェスカの射撃管制長として在任。彼女の最初に指揮した第一輸送艦隊はファルトクノア共和国宙軍の中でも最も誇りを持つ艦隊となった。

レシェール・ヴィール・ユレスニヤ

 宙域戦闘学科とマクロ宙域安全保障学科を両専攻。
 レシェール・フミーヤ・ファイユとはめっぽう仲が悪く、「言動の端々が狂ってる」とまで言うほど嫌っていた。演習の時にファルトクノア軍の糧食科要員が本国から持ってきたウォルツァスカの自分の分をよそ見しているうちにファイユに横取りされた際、彼女はレシェールを「子供っぽい」と煽り、取っ組み合いの乱闘になったという。

ターフ・メブローディア

 南サニス連合王国からの留学生、リスヒューメ独立戦争後に宙軍総司令に就任。彼女の海軍士官学校時代の専攻は艦隊指揮。
 ヘオサフィアではマクロ宙域安全保障を専攻。「周りが年下ばっかだった」とのこと。

アレス・ヴィール・イレーン

 南サニス連合王国からの留学生、イシュファント・シルリスタ艦長。ヘオサフィアでは宙域支援を専攻。

著名な教育者

ラブレイ=デシ・ヘルツァーヴィヤ

 戦後に政治学部教授を担う。歴史の中で揉まれながらも、声を上げ続けた哲学者として多くの学生から慕われており、今でも彼女が出る講義の教室は受講者だけではなく聴講生で溢れ、最後尾で立ちながらノートを取る学生たちが見られることで有名である。

バルリア・ド・リーリエ・バルリハイト

 戦後に政治学部教授を担う。長らくチェディシ思想を研究していたバルリアは、ガールン暦の2節3月の初日にチェディシに対する黙祷を行う理由で休講にしたとして大学当局から「非普遍主義的権利行使である」として免職されかけたが、学生たちが大学事務局に殺到して「バルリハイト先生に学ばせろ!」と抗議し、騒動に発展。抗議の末に大学当局は折れ、バルリハイトは現在でも教鞭を執っている。

関連項目

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最終更新:2022年07月13日 18:17
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