「行動、行動、行動。まず行動せよ。動機付けは後で良い」
――ナギェッシャルク1世
 ナギェッシャルク1世(婀: J Nagyesśark)は、アクース連合の宗教家。赤衣教の初代教祖、政治活動家、平和主義者。


概要

 出生名はナギェッシャルク・タデイ(婀: Nagyesśark Tadej)。1718年ごろに生まれたとされ、アクース内戦後は赤衣教の初代教祖・政治活動家として行動している。

生涯

生い立ち

 アクース内戦の15年前(1718年)ごろに生まれたとされているが、正確な出生年月日はわかっていない。生まれてすぐのところを捨てられていたタデイは、奇跡的にヴェルドゥン寺の住職・エムィケシャルク・シェイナスに拾われ、そこで生活するようになる。
 ヴェルドゥン寺は、チャラナギの中でも辺境にあり、政府の関心も薄い地域であった。連邦時代には、本来寺などの宗教施設は禁止されていたが、表向きは市民館ということにしておき、また、実際に住民の憩いの場としても機能していたため、検閲を免れていた。

アクース内戦

 激動の1700年代の末、ついにアクース連邦は破綻し、アクース内戦が始まる。チャラナギに位置するヴェルドゥン寺はいきなり最前線に立たされ、非戦闘市民は命の危険にも脅かされた。市街地では連日のように戦闘が行われ、解放されていない地域では旧政府側による物資の徴発が行われた。そのような中、シェイナスはヴェルドゥン寺で非戦闘市民を匿う決定をする。シェイナスは頑なに旧政府側も新政府側も中に入れず、市民の平和を維持しようと努めた。
 しかし、この対応に、特に旧政府側が激昂するのは当然であった。ある時、旧政府側の兵士が、シェイナスが新政府軍ゲリラを匿っているとしてヴェルドゥン寺を襲撃した。シェイナスは市民と共同してバリケードを築いたがまもなく破壊され、シェイナスは見せしめに殺害された。この時の殺害方法は極めて残虐だったとされ、無抵抗のシェイナスに、服が血の赤で染まるまで機関銃を浴びせて壁まで叩きつけた挙句、もはや判別がつかなくなった頭部を切断した。後にヴェルドゥン寺は取り壊され、市民は離散した。タデイもフルチャーンに逃れた。
 この話はさまざまな脚色が加えられながら各地へと広がり、チャラナギとはやや離れるが同じく最前線であったフルチャーンでは、「チャラナギでは、死んだ僧侶の弔いと摘発への反対のために僧侶と市民が赤い衣を纏って踊っている」という風に伝わり、フルチャーンの市民がこれを受け、赤い衣服を身に纏い、熱狂的に踊った。この時、タデイは当時ヴェルドゥン寺に居たシェイナスの直弟子として担ぎ出され、尊崇を集める存在となった。タデイは当初混乱したものの、シェイナスの反戦思想を受け継いでいた彼は、その名声を以て活動家として活動することを決意する。

赤衣教立教

 タデイは、赤衣衆の総括者として、平和主義志向の宗教、赤衣教を発足させる。

批判

 タデイに対する批判は多く、主に以下のようなものが含まれる:
  • シェイナスから皆伝を得たり、何か特別なことをされたわけでもないのに、その業績を奪い取り、自らのもののようにして振る舞っている。
  • シェイナスの業績を、政治的行動のために破壊している。
  • 舌禍のために行動を台無しにしている。

関連項目

+ タグ編集
  • タグ:
  • アクース連合
  • 文化・宗教
  • 政治
  • 人物

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年07月08日 23:53