四五口径九四式四〇糎三連装砲

よんじゅうごこうけいきゅうよんしきよんじゅうさん(●●)ちさんれんそうほう

最初に書いておくが、日本の作った本砲は太陽神の使いの写真に出てた「大和」に写っていたであろう程度で、*1本作での主な活躍は「大和」に酷似しているというグレードアトラスター型戦艦の主砲が中心となる。
と言ってもそれでは砲の概要は書けないので大和型戦艦を前提にしますが。

多分ほとんど同じなのでこの辺は気にしなくともよいだろう。
違うのは弾種ぐらいである。


※日本を法域とするこの写真画像は、(1)1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。または、(2)1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)され且つ起算日から10年以内に公表されなかったものである。これらの二つのいずれかであるため、日本の旧著作権法第23条及び著作権法附則第2条の規定により著作権の保護期間が満了しています。

概要


誰もが知っているとおり、大和型戦艦の主砲である。
コレを知らないミリオタは居ないと言っても過言ではない。筆者は絶対に認めん。

言わずとも世界最大の艦載砲である。
搭載主砲の口径で戦後ギネスブックに認定されるほどである。最近のには載ってないけど。

46cm三連装砲とは、日本海軍の開発した砲である。
当時の各国が保有していた戦艦の砲としては最も巨大な艦砲となる。

当wikiには最大級という表現の、最大ではないが最大に限りなく近いという表現を用いてるページは多数あるが、これは最大である。
ただし、15世紀のスコットランドには口径51cmの「モンス・メグ」と呼ばれる攻城砲があり、資料は少ないが艦載化されたこともあるそうだ。もしそれが本当ならやっぱり最大級になってしまうのかもしれない……

でも同時期の日本が保有していた長門型やアメリカ海軍のアイオワ級の41cm砲と比べると、桁違いな破壊力を持っておりました。
某ブラウザゲームだと載せるだけならどの戦艦でも行けますが実際は無理です。

正式名称は「四五口径九四式四〇糎砲」である。
そう、40cm砲なんて名前になってる。
これは46cm砲の存在を隠蔽するためである。
+ なぜ「センチ」ではないのか?
メートル法の補助単位「centi」は元々フランス語で、本来の読み方に近いようにカタカナで書くと「サンチ」。
大日本帝国海軍では本来のフランス読みである「サンチ」と呼んでいた。
ややこしいのは、イギリスを範とした海軍が「サンチ」と呼んでいて、フランス・ドイツを範としていた大日本帝国陸軍では「センチ」と呼んでいた。

なお、「metre」の読みはフランス・西部ドイツ*2読みだと「メートル」、英語読みだと「メーター」。なので「サンチメートル」か「センチメーター」がより正しい読み方で、「センチメートル」はいわゆる和製外来語である。

1980年代~1990年代前半の第一次仮想戦記ブーム*3の頃は、「サンチ」呼びをしているかどうかがにわかかどうかの判別点だったのだが、その後の仮想戦記粗製乱造により、戦前の日本では公文書として使っていなかったはずの「cm」記述も出てきたりして、かえって今では知られなくなってしまった。

……どっかで見たねこれ。
ちなみにこれ、敵だけではなく味方も騙して組んだ予算である。議会すら騙してる。
それだけに機密保持は徹底しており、アメリカには実際に戦うまで漏れず、自国の兵や将には戦後まで漏れなかった。
ただ、漠然と「新型戦艦があるらしい」程度には知られていた模様。
ドックを目張りして「見るなよ!見るなよ!絶対見るなよ!」なんてやってりゃそうなる。

そもそも何でこんなでかいのを作ることになったのか。そこから行こう。
事の始まりは1921年にアメリカのワシントンD.Cで行われた海軍軍縮会議である。

米英が50万トン保有出来るのに対し、日本30万トンとされてしまいました。何この差別
+ 言い出したのがアメリカじゃなくてイギリスだからなんだよ
イギリスは当時、自国から地球の裏側の南太平洋にまで植民地を持っていて、「太陽の沈まぬ国」とか自称してた。まぁ、その後独立したとは言っても国家元首の地位は英国王として立憲君主制とする国家は現在も点在していて、それ自体は過去のものでもないんだけど。
それで、イギリスはその維持の為にとにかく大規模な海軍を必要としていた。
だけど、イギリスは第一度世界大戦でヨーロッパ大陸の権益を一部失ったり、本土攻撃を受けたりして、経済的に疲弊していた。
それをよそに、第一次世界大戦に参戦はしているけど、自国のリソースにほとんどダメージを受けていない日米が建艦競争を始めたものだから、それに追随する体力が残っていなかったので軍縮を唱え始めたわけ。

イギリスほどではないとは言え、アメリカもそこそこ植民地を持っていたし、国の両側が大洋なのでその防衛のために海軍力を必要としていた。
一方、大日本帝国海軍は、実は外征能力はかなり限定的で、この時点では自国付近を防衛するための海軍という性格が強かった。
第一次世界大戦でドイツから掠め取ったの植民地だった南洋諸島の一部を国際連盟信託統治領となるものの、アメリカやイギリスに比べればその範囲はかなり狭かったし、島国と言ってもその西側は、清もロシアも自身の手でフルボッコにした後、どちらも革命騒ぎで金のかかる海軍整備などしている余裕などなかった。中華民国海軍に至っては敵対関係にある日本に承知で軍艦を発注している有様だった*4
だから、その状況で日本の主張する35~40万トンの保有を認めるとか、逆に米英にとっては「やめてください、しんでしまいます」ということになってしまうんだよね。

実際、アメリカはある程度力技でなんとかしたけど、イギリスは「長期外征航海のための航続距離と居住性」*5が求められると、日米と同じ性能を同じ枠内に収めることが困難になって、結果竣工時のカウンティ級重巡なんかは紙装甲だったりする。
まだ条約が切れるかどうかわからない時期に設計されたキング・ジョージV世級戦艦なんかもこれらを両立しつつなんとかコンパクトに収めようと努力した結果、巡洋艦のような性格になってしまった。もっとも、逆に計画初期段階から巡洋艦の拡大型としての大和型を計画していた日本にとっては、29.5ノットの高速を出せるキング・ジョージV世級は気になる存在だったんだけど。

あ、あとこれも重要なんだけど現代日本では「敵対国」と「仮想敵国」がごっちゃになってる
「敵対国」は外交的に険悪な関係の国だけど、「仮想敵国」ってのは自国を攻撃しうるすべての国
しかもだいたいにして、イギリスとアメリカは元々宗主国と植民地の関係。
だから当時だって100%信頼してたわけじゃなくて、お互い戦争になる事態は想定してた。
むしろ日本が独伊を信頼しきってたのが異常。まぁ、この2ヶ国の海軍程度なら日本1国でも鎧袖一触なんだけど。
ちなみに言っとくと今の日本も、ハワイは無理でもグアムあたりは攻撃できたり、静粛性世界一と言われる潜水艦持ってたり、ブラックボックス契約のはずのイージスシステムを即行でNECに分解させたりするので、当然アメリカは日本を「仮想敵国」だと思っています。

日本海軍が大東亜戦争では、潜水艦も含めると東はアメリカ西海岸から西はマダガスカルまで遠征して暴れられたのは、まず、そもそも日本近海自体が台風の通過もあって時化やすいため、凌波性*6が高く、その余録で巡航時の燃費が良かったため。
さらにこれは、後述する個艦優勢主義とそれによって発生した問題の解決の過程で高められた。

コレのせいで当時計画していた戦艦8隻に巡洋戦艦8隻からなる八八艦隊計画は粉々に……
まぁ予算通っちゃってて経済的にやばかったからある意味良かったとも言われてますがな。

ちなみに当時の日米の国力比は大体1:10ぐらいである。本編にもこんな記述あったねパーパルディアあたりで。
こんな嫌がらせ……があったせいで日本は数ではなく質を求めることになりました。
つまり一艦あたりの戦闘力の強化である。

こんな考えを個艦優勢主義、もしくは大艦巨砲主義といいます*7

当時日本海軍の保有していた主力艦は扶桑型、伊勢型、長門型などの老朽艦しか無く各国の新鋭戦艦に対抗するには不十分であったため、マル三計画で戦艦2隻とマル四計画でも戦艦2隻計4隻の新戦艦の新造が最も古い巡洋戦艦金剛型4隻を代替するために計画されてたんですよ。
この戦艦系4隻が大和型の4隻である。

日本は軍縮前の1916年に極秘裏に50cm砲を製造してたりしました。実験研究もしてます。
つまり大和以上の砲を実現するだけの技術はあったと。

1934年から本格的にアメリカ対抗策として、50cm砲と46cm砲のどっちにしようっていう討議をして、新戦艦の大きさやら速度維持やらなどの問題から最終的に46cm砲になりましたとさ。

何でロマン捨てた、と思うことだろう諸兄は。
仮に50cm砲を8門搭載したとしよう。全長300mの幅40mになるぞ。
だいたいミッドウェー級航空母艦と同じ大きさになる。空母と同サイズになるというあたりで色々とお察しください。
ちなみに護衛艦最大のいずも型でも全長248メートルです。

で、軍縮条約の期限明けの1937年、基本計画番号「A-一四○」の予算が成立して、建造の正式命令が下り、呉海軍工廠にて起工。これによって本頁の主題となる46cm砲は工廠内の砲熕部にあった方針製造工場で製造されました。

砲身を削り出すのに使われたのはドイツ製の大型旋盤。
現存してます。こちら
兵庫県播磨市にあるよ。具体的には株式会社きしろの播磨工場。

そして1940年、呉海軍工廠で新型戦艦「大和」は進水しました。
艤装工事が始まって、製造された砲身や砲塔なんかが給兵艦樫野に載せられて艤装場所まで運搬しました。

1941年10月から「大和」は更新運転を開始、12月7日に徳山湾沖で初の主砲射撃の公試をしました。
例によってこんなでかい大砲を無予告でぶっ放したもんだから沿岸の徳山市民はパニックです。

発射の際、近くの乗員は口を開けて耳を塞ぐ必要がありました。こうしないと発射の際の轟音と衝撃で肺が破裂して死に至る。

1941年12月16日、「大和」就役。
ちなみに、世界最大の戦艦なんて言われてるけど、実際のところ排水量の割に船体は小さく、その排水量も、性能の割にはかなり小さく造られてる。アメリカで同じ性能の艦作ろうとしたら1.5倍にはなってたそうな。
あとは設計ミスが多数有りすぎて、発表されていた性能よりも高い性能になってた。
低く見積もってる要素が多すぎたのが原因。普通は落ちるもんなんだけどね……「大和」は逆に上っていたという例。

「武蔵」なんかは建造期間半年繰り上げとか色々やってる。比喩抜きの超人的努力で何とか達成しました。月月火水木金金(リアル)。お陰で姉妹艦なのに性能が違う。端数だから気にするほどではないが。

一応書いておくが、大和型不要論者の「大和型造らなければもっと航空機やら水雷戦隊やらを増強できたのでは?」という無粋な意見があるが、そもそも使う金属も技術者も違うからな。まったくないとは言わないがそこまで変わらんぞ。金剛型も代艦必要な時期だったし。
それに駆逐艦たくさんの方が国庫の負担になるぞ。

そうして出来上がったにせよ沈んでしまったわけだが、9時間の米軍総攻撃に耐えきれる艦だからねこれ。航空機の支援が万全であれば正しく不沈艦である。万全であればだが。

さて……本題だ。本項は主砲の解説が主である。

重量 2,510t
初速 780m/秒
最大射程 41.852km
発射速度 1.8発/分
俯仰範囲 -5~45度

この重さ、当時の大型駆逐艦……つまり陽炎型とほとんど同じ重さだったりする。
金剛型の35.6cm砲4基分でもある。
なんでも、今の技術でコレを作れば重量は半分ぐらいに出来るらしいが。
ちなみに砲塔の装甲は、前盾650mm、天蓋250mm、側盾250mmという厚さで、砲塔防御甲鈑だけで790t。すげぇ。

砲塔の旋回は砲室の左右にある5,000馬力の水圧ポンプで旋回歯車を回転させて行います。1分間に180度回転出来る。
この回転機構がすごいのです。
どのくらいすごいのかというと、ホテルニューオータニ東京の最上階にある回転レストランのようにすごい。
これの回転には46cm砲の旋回機構が使われている。


直径45mの巨大構造体を、コップになみなみと注がれた水が一滴もこぼれない程スムーズに回転させる技術は世界を驚かせた。
なんでも「大和型の主砲より軽いんだし余裕」なんだそうな。
まぁ46cm砲と比べれば、確かに大概のものは軽いだろうけどさ……

なお、開業以来50年以上経ってますがまだ現役である。現役である。
大事なことなので二度書きました。

話を戻そう。
そのすぐ下に弾薬庫が有りまして、上部二層を給弾室、下部二層を給薬質に分離しています。
つまりだ、飛んでく弾と飛ばす火薬が別で、それぞれ違う所に仕舞ってると思えば良い。
この構造は安全性を高めるためのもので、大和型戦艦で初めて採用された。

射撃の手順を紹介しましょう。
まず一個60kgの薬嚢をジュラルミン製の火薬缶から出して搬送コンベアで回転装薬筒まで運びます。
運ばれた薬嚢は回転装薬筒を通じて砲塔内に移されて、揚薬位置まで移動。ラマーで薬嚢筺って呼ばれてるエレベーターに押し込まれて、電動ウィンチで砲室まで送り込まれる仕組みである。

次は砲弾の準備だ。
46cm砲の給弾室は、日本の戦艦としては初めて砲弾を立てた状態で移動させることが出来た。
46cm砲で使われた砲弾で最も有名なのが九一式徹甲弾と三式焼夷弾である。零式通常弾ってのもあったけど。
……まぁGAだと近接信管なのだから、これらとは別の弾丸のようなのであまり考えなくても良いでしょう。

砲弾は給弾室から揚弾筒に移されるとせり上げ方式で連続的に砲室へ給弾されます。
ちなみに砲室と給弾室と給薬室の間には開閉用のシャッターが設置されてる。
これは砲室内で火災等が発生した時に下の給弾薬室への被害を防ぐためね。

砲室に達した砲弾は、換装筒と呼ばれる機械で砲弾を直立状態から装填角度に回転させて、換装台で信管を取り付けて弾丸装填機へと移される。
弾丸を載せた弾丸装填機は砲尾へと前進。ラマーにより砲身内へと挿入し、最後に装薬室から送り込まれてきた装薬が、揚薬筺から薬筒へと移され、装薬装填機により砲身内に移されて尾栓が閉鎖。そして砲の俯仰は、砲身下部の仰角用水圧作動筒で行われた。

これで準備完了である。長いように思いますか? 発射速度1.8発/分だからねコレ。
命中を考慮せずに取り敢えず撃てるようになるまでの時間ではあるが。

射撃用測距儀は長門型に搭載されてた10m重測距儀よりも巨大な15m重測距儀を搭載。より遠距離からの高精度測距が可能となっていた。
ちなみにこの測距儀、日本光学製。そう、カメラや望遠鏡・顕微鏡のメーカーとして有名な、あのニコンが作ったのである。当然のごとく、精度は世界最高レベルだったそうな。
そして1942年に二号一型電探、1943年に二号二型電探を測距儀の上に装備することでレーダー射撃が可能になった。二号一型は最大で43km先の戦艦を探知可能な性能をしており、二号二型は米艦隊のレーダー射撃と大差ない精度だった。
ただし、射撃指揮所の高さという制約から、艦上観測での有効射距離は他の戦艦と同じく30,000mである。
実際、レイテ沖海戦では金剛が「24kmより遠くは観測困難でうまく発射できない」なんて証言しているなど、超長射程の威力が発揮できる場面は少なかった模様。
まぁこの海戦だと、スコールやら煙幕やら航空機による攻撃やらで、元々観測が困難な状況だったんだけどね。

大和型戦艦の測距儀は海面から約40mの高さにあり、敵艦の全体像をはっきりと確認出来るのは約24km程度が限界。日本国召喚の世界だと水平線が地球よりも遠くなので、もっと狙えるかもしれませんがね。
だから敵艦が水平線の向こうにあるという遠距離や、煙幕越しでも砲撃を実施するための、観測機などの実用化が進められたのです。零式水上観測機である。

参考として、当時最も進んだ射撃管制装置を持っていたアイオワ級戦艦の主砲命中率は、同航する戦艦大の目標に対して距離27,000mで2.7%、18.000mで10.5%、9,000mで32.7%と計算されていた。
コレに対して大和は、距離30,000mで5%、距離25,000mで14%と見積もられていたという説もある。戦艦砲の命中率は条件の良し悪しによって大きく変動するため、単純比較できるものではないが。

なお、間接射撃というのは「公算射撃」と言いまして、例えば大和が斉射したらその9発の砲弾は散布界と呼ばれる円形エリアのどこかに着弾する。砲弾の行き先に敵艦がいれば命中するという大雑把な砲撃である。

つまり散布界の中に敵艦がいても、命中しない時は命中しない。ちなみに公算射撃というのは20世紀に入ってからの新戦術であり、19世紀までは戦艦も直接射撃で戦っていた。これを変えたのは「三笠」が大活躍の日本海海戦であったとされている。
なお、公算射撃をすることを前提として造られた最初の戦艦が、あのドレッドノートだった。

一応現代のと比較すると、こんごう型のオート・メラーラ127mm砲が最大射程23kmとなる。
……あまり変わらない? と思ってはいけない。
そもそも主砲の用途が変わってるし徹甲弾を飛ばしてるわけでもない。

現代砲は置いといてだ。
試算によれば、扶桑型戦艦を標的にした場合、廃艦所要弾数は45口径40cm砲で12発に対し、45口径46cm砲では9発と見積もられていた。

こうして完成した46cm砲ですが……真珠湾攻撃以降、航空機での攻撃が増えて、艦隊決戦の機会が減りました。
大和型戦艦は来る艦隊決戦に向け温存。ソロモン海戦などの場で活躍することがなかった。

1944年10月25日、サマール沖にてようやく46cm砲は艦への攻撃に使用。
カサブランカ級護衛航空母艦ガンビア・ベイに砲弾が命中。
本項執筆中にやってる某ブラウザゲームのあのイベント海域とあの報酬艦である。

でもこの護衛空母、装甲薄いのよ。週刊空母の一隻なのよね……
だから砲弾が爆発する前に貫通しちゃいまして、想定していたような爆発は起きませんでした。沈没はさせたけど。

……似たようなのをどっかで読みましたね、うん。
ただ金剛説と鳥海説もある。戦時だし味方と敵で言ってること違うし、射程も何十キロとかそういう規模なので、しょうがないと言えばしょうがない。
基本大和と言われてる場合が多いが、真相はタイムマシンが発明されるまでお預けです。

この戦い以降、艦艇同士の大規模な砲戦は無く、1945年4月7日の戦艦大和の沈没により46cm砲を搭載した戦艦は全て失われ、ここに大艦巨砲主義の時代は幕を閉じました。

御存知の通り、コレ以降は航空母艦や航空機が海戦の勝敗を握るようになりまして、戦艦が海戦で使われることはありませんでした。
戦艦は太平洋戦争以降は地上砲撃等が主任務になりましたけど、もし46cm砲が沖縄戦で米軍の地上部隊に撃たれてたらかなりの被害を出していたことでしょう。
でも100発撃ったら内径1cm広がるとかで、寿命の短いこれを維持できたのかというと、それも怪しいところがある……

ちなみに、当時工業力が日本を遥かに凌ぐアメリカが、なぜ46cm砲を造らなかったかというと、地理的な問題があったから。
北米と南米の間のパナマ共和国、そこにあるパナマ運河が、その地理的要員である。

パナマ運河を通過するには、船体幅は最大でも33mが限界。16インチを超える砲を載せると、技術的にどうしてもそれを超えてしまう。だからアメリカの戦艦は、主砲は最大16インチという制約があったわけ。
一応モンタナ級という、大和対抗用にパナマ運河通過をあきらめた戦艦は、案としてはあったんですけどね。建造されませんでした、これ。

余談だけど、実は日本が大和型を建造する前に46cm砲を搭載した艦があったりした。
それが、大型軽巡洋艦「フューリアス」である。軽巡である。イギリス艦である。何やってんだ。

前後に18インチ単装砲を一基ずつ搭載する予定だったんだけど、建造途中に急遽前部主砲を撤去して、砲塔の穴塞いで飛行甲板を設置して就役した、という巡洋艦である。
「お前何がやりたかったんだ」と言いたくなるが、実はこれ、バルト海から当時(第一次世界大戦時)のライバルだったドイツ国内を砲撃するつもりだったのである。対地砲撃専門の単能艦なのである。トンデモ兵器に近いな。
なお、どんなに強力な主砲を持っていても、フューリアスは戦艦ではなかった。なぜか? 装甲が薄かったからである。充分な装甲を持っていない艦は、主砲がどんなに強力でも戦艦と呼ばれることは無いのだ。

最終的に主砲全部撤去して空母になりました。でもなぜか飛行甲板のど真ん中に艦橋がありました。本当に何やってんだ。
……まぁ日本もひゅうが型がこんな感じになりかけましたけどね。航空戦艦ではなく護衛艦の方ね。

ちなみに、流石に46cmは無理があるとわかったようで、二番艦と三番艦には38cm砲が搭載されました。
これ、ビスマルク級の砲ですね。だから何やってんだ……というかこんなの三隻も作ったのか。

そして、架空戦記でおなじみの51cm砲ですが、コレよりも更にぶっ飛んだ80cm連装砲4基搭載の戦艦を構想していた国があったりする。ドイツである。お前も何考えてんだ。
要するに、有名な列車砲グスタフ/ドーラの艦載版である。言い出したのはヒトラーさん。70万トンの戦艦作る気だったそうな。
有名になってないからわかると思うけど承認にすら至ってない。

最後に46cm砲は、「大和」と「武蔵」が搭載したもの以外に三番艦の「信濃」に搭載する予定のものが有りました。
戦後、米軍は倉橋島の[呉海軍工廠亀ヶ首試射場]を調査。
46、48、51cm砲(射撃した有)を発見した。多分、
46cm砲は信濃用で7本完成していて、うち2本がアメリカ軍に押収されてアメリカ本土に運ばれましたが、試射すらされずに分解されスクラップにされました。
嫌がらせですかね? と言いたくなるけど、アメリカの軍人も技術者も試射してみたかったはず。そのための費用が予想外にかかるとわかって、予算がおりなかったのだろう、多分……

四番艦は「紀伊」という名前が予定されていたそうですが、起工してすぐに伊勢型の飛行甲板になりました。

作中での活躍


日本製

上でも書いたが「大和」の写真に写っていたであろう程度で現物は一切登場していない。
多分こちらでは活躍したのでしょうきっと。と思われていたが実は極秘に建造された41cm砲装備の紀伊型と見間違えていたというオチだった…

グラ・バルカス帝国

詳細はグレードアトラスター型戦艦のページに譲るのでこちらでは主に大和型との違いについて。

こちらのは測距儀ではなく、レーダーで照準している。
測距儀というのは大雑把に解説すると三角測量と同じ原理である。
左右の視覚差から三角関数を使って距離を測るというもの。

詳しいことは数学の授業におまかせしますが、大雑把に言うと目で見て測る装置だと思えば良い。
目で見るから夜間とか雨とか煙幕とか、とにかく視界に悪影響を与える要素にとことん弱い。

一方のレーダー照準はと言うとだ。
電波が目標から反射されて返って来る時間を計ることで、極めて正確にその距離がわかる。
光の速度は常に一定だから計算で求められるわけね。
今の世界の主流になってるあたり、どれほど良いかは解説するまでもないかと。ただし当時の技術だと昼間だと光学照準と差はないと言われてる。

で、「グレートアトラスター」の主砲はこのレーダー照準に切り替わってる。
あと弾種に近接信管が採用されてるのがあったりと、大和より性能が高いことがわかる。

……でもあの「大和」同様に、巨大な測距儀があるんですよねどういうわけか。4巻の表紙で間違いなく存在してることが判明。
おそらくは大和型と同じで、当初はレーダー照準が備わっておらず就役後に改装したため測距儀が残っていると思われる。

詳しい戦果は当該項目におまかせします。

(随時加筆をお願いします)
関連項目
兵器日本国グラ・バルカス帝国太陽神の使いしきしまグレードアトラスター型戦艦


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過去のコメント
  • しきしま「、、、まさか、ガンビア・ベイみたいな目に合うとは、、、」 - ドリフ提督 2018-03-03 08:44:09
  • GAと大和の主砲は全く同じなのかは興味があります。 - 名無しさん 2018-03-03 08:45:22
  • ガンビア・ベイ「俺大和の主砲弾当たった記憶無いんだけど」←大和の主砲は全弾外れという記録もあります。 - 名無しさん 2018-03-03 08:48:07
  • 武蔵「対空機銃の人お許しください、撃っちゃった(てへぺろ)」[レイテ沖海戦] - 名無しさん 2018-03-03 09:25:07
    • 13.2mm&25mm機銃&盾なし連装高角砲「化けて出てやる・・・」(警告くらいしてあげなよと思った) - 名無しさん 2018-03-03 10:42:51
      • 主砲発射を知らせるブザーが故障した為だそうですが、そもそも主砲を対空射撃に使う事じたいが間違いなのですけどね。 - 名無しさん 2018-03-06 08:52:57
        • 三式弾「、、、」 - ドリフ提督 2018-03-06 10:37:46
  • 設計ミスで性能上がるとかすごいな。 - 名無しさん (2020-03-02 00:46:19)
    • 大和魂の存在のおかげ。大和魂あってこそ出来る神業である。(日本人並感) - 名無しさん (2020-08-03 03:40:36)
    • 具体的にはバルバスバウのせいで航続力過大だったり、装甲盛りすぎて防御力過大だったりした - 名無しさん (2020-08-19 16:10:47)
  • 性能を過小評価···最近見た事あるような····スズキやん - 名無しさん (2024-01-07 06:55:44)
    • ダイハツじゃなくてよかったやんと言えればいいが時間ガナイーでダイハツみたいな瑕疵のほうが大きいと思う - 名無しさん (2024-01-08 01:20:08)

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〔最終更新日:2024年01月07日〕
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最終更新:2024年01月07日 06:54
添付ファイル

*1 後に写真に写っていたのは紀伊だったことが判明し人違いならぬ艦違いだったことが分かったので、厳密には大和は登場すらしていない。

*2 ドイツ連邦共和国の1990年10月3日(ドイツ民主共和国解体に伴う東部5州及びベルリン市の編入)までの通称「西ドイツ」のことではない。

*3 檜山義昭の『本土決戦』シリーズ、『大逆転』シリーズ、荒巻御大の要塞シリーズ、『紺碧の艦隊』など。

*4 寧海級

*5 日本の軍艦が、大和型や利根型など第二次世界大戦に向けて建造された大日本帝国海軍時代の比較的後期の艦を除くと、たちかぜ型まで総じて居住性が酷いのは、そもそも長期航海をあんまり重視していなかったから。ただ日本とイギリス以外の海軍強国はどうだったかと言うとアメリカのペンサコラ級重巡とかフランスのシュフラン級とかそりゃもう酷いなんてもんじゃ……

*6 大雑把に言うと、どれだけ波が高い状態を乗り越えることができるかどうか。日本は大戦末期に苦し紛れで建造した簡易型の松型駆逐艦ですら、『竹』が米軍の新鋭艦隊型駆逐艦(アレン・M・サムナー級)3隻との戦闘で僚艦『桑』を失いつつも1隻(『U.S.S. DD-695 クーパー』)を返り討ちにした後、その戦闘での損傷を修復するために佐世保に帰還する行程の途中、フィリピン近海航行中に激甚台風「コブラ台風」に遭遇するも、やり過ごして日本に帰還している。ちなみに米軍側はこの台風で駆逐艦3隻が沈没、軽空母・護衛空母5隻が損傷する被害を受けている。

*7 大艦巨砲主義とはその前の八八艦隊計画やそのカウンターと言われるダニエルズ・プランのように、とにかくでっかい戦艦つくりまくって守るも攻めるも鉄の……というノリである。特I型(吹雪型初期グループ)駆逐艦に始まる個艦優勢主義とは直接リンクしていない。大和型の設計は大艦巨砲主義としては裏メニューで、「コンパクトに纏められた高速艦で主兵装は前方を重視して配置する」という思想は戦艦と言うより重巡洋艦のものである。