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珠月 #5

 
紅茶の湖面を、じっと見つめる。
保温性に優れていると謳うカップは触っても熱くなかったが、内に注がれた液体はついさっきまで沸騰していた"暫定まだ凶器"だ。安易に口を付ければ、負傷は免れない。
夕飯の前なので、お茶請けはアルファベットチョコレートのビターにして、エクレアは冷やすことにした。食後のデザートにしては少しヘビーかもしれないが、それはそれ。スイーツはときに、別腹だったりゼロカロリーと計上されたりするのだ。
「今日の放課後のことなんだけど、」
チョコを一つ頬張りながら、秋枝が小春に語る。
「私がクーを誘って桃李道に向かって歩いてるとき、ちょうどこの家の手前くらいで千夏っていう小さい子に会ったんだわ。でその幼女が『今日桃李道に行くのはやめたほうがいい』って言うわけ。まだ3時過ぎ、地震も爆発騒ぎも起きる前なのに、しかも私たちがそこに向かってることを知ってるような口振りでさ。偶然にしちゃ、⋯⋯ぃゃ、偶然じゃないって、私は思ってる。」
秋枝はその瞬間の、言い表しようのない違和感を視線で伝える。
小春はそんな秋枝に、『それは確かに不思議なお話ですね』と表情だけで返した。
テレビは爆発事件の話題で持ちきりだ。地震によるガス管の破裂という推測を立てるパネラーと、プレートテクトニクスの観点から地震の異常性を説く専門家、被災者とその家族に同情の意を示す司会者。警察と消防によれば、テロの可能性を危惧し、警戒を強めながら調査が継続されるらしい。
千夏が止めなければ、自分たちは爆発現場に居合わせることになっただろう。もしかしたら被害に遭っていたかもしれない。
少しの間、沈黙が保たれる。
二人の視線が、一向にカップを見つめたままの自分へ静かに向けられる。
無言のまま、私が語り出すのを待っていてくれる。
語らなければ、打ち明けなければいけない。
だがそれが、とても怖い。


まだ熱い紅茶に、口を付ける。
気を付けないとやけどになるであろう液体を、少し、自傷気味に飲み下した。
ふぅ、と、一息つく。落ち着いているつもりだが、更にもう一段、落ち着きたかったのかもしれない。
「⋯⋯何から話そうか悩んだんだけど、さ、」
カップの紅茶を見つめたまま、黒乃は切り出した。
「二人は、サンタさんっていると思う?」
もちろん黒乃が話そうとしているのは、千夏や自分のこと、である。
秋枝は想定していた話題とかけ離れた切り口に一瞬戸惑ったが、
「ぃゃ、本国のは置いとくとして、日本に空飛ぶソリやトナカイはいないわなぁ。」
と応えた。小春は双方の論点に疑問を抱きつつも同調するように頷く。
「じゃぁ幽霊は?」
黒乃は質問を続ける。
「いてもいいけど見たことはない。」
「超能力者や魔法使いは?」
「98%はペテンじゃない? 魔法使いに至ってはいないだろうねぇ。」
「そっか。」


「じゃぁ次なんだけど、」
黒乃は棚に手を伸ばして紙と色鉛筆を取ると、
「⋯⋯例えば、見るからに怒ってる人がいたとして、」
黒の色鉛筆で、デフォルメされた人間のようなものを紙に書きながら黒乃は問う。
「どんなとこを見たら『ぁ、怒ってるんだなあの人』って感じる? 例えばーーーー」
黒乃は紙上の人型に吊り上がった眉と眉間のシワを描き加えた。
「こういう特徴の話なんだけど。」
あぁ、とようやく質問の内容を理解した二人が五月雨に挙げる。
「目が血走るとか、鼻息が凄くなるとか?」
「足取りとか荒くなる人いますね。」
「静かに怒る人はあれか、目が笑ってない、みたいなやつ。」
「漫画とかのあの、血管が浮いてる感じのやつは実際どうなんでしょう⋯⋯」
黒乃はコミカルな絵と文字でそれを紙に落としていく。
「⋯⋯⋯だいたいそんなもんじゃないか⋯?」
一通り、ぱっと見てわかる特徴は挙げた気がするなぁと、秋枝は小春とも視線で同意を取る。
「⋯⋯あとは⋯⋯」
黒乃が書き足していく。
「目は少し見開いて、表情筋が強張る、下顎に力が入るけど引き気味になる、手足に力が入って脇が開く、少し大股になる、視線は⋯⋯」
次々と羅列され、箇条書きで添えられていく特徴に、二人は軽く呆気に取られてしまい、何を言ってるのかあまり理解できなかった。この会話が本来の論点にどう繋がるかもさっぱり理解できない。
「でもね⋯⋯?」
黒乃が唐突に、流れを切る。
黒の色鉛筆をケースに戻す、その手すら震える。息が詰まる。逃げ出してしまいたい衝動を、それでも理性で抑えつける。
手には、これまでとは違い、褐色の色鉛筆。
見るからに激怒している紙上の人型の背景に、描き加えられる "異物" 。
「あたしには、こんな⋯⋯余分なものまで見えてる⋯⋯」
それは、赤褐色で塗り潰された、浮かぶやや大きな円だった。


「⋯⋯は⋯⋯⋯⋯?」
秋枝も小春もその円が何を表すのかわからず、困惑したまま紙を見つめている。
黒乃の視界が不意に滲んだ。しかし、構わず話を続ける。
「これはその人の怒りの感情なの。⋯⋯ううん、これだけじゃない。もっとたくさん、色んな感情が、私には、こう見えてる。」
様々な色鉛筆で、大小さまざまな『浮遊する円のようなナニカ』を先ほどよりも荒々しく描き加えていく黒乃は、必死に堪えていた。
まだだ、まだ、泣いてしまうわけにはいかない。
考えるな。この話を終えた後のことなんて、考えたところで苦しくなるだけだ。
あぁされど、まばたきすれば溢れてしまう。
「⋯⋯⋯感情も、欲求も、衝動も葛藤も、観察して推測する必要なんてない。見えてるんだもん。なんで怒ってるかはわからなくても、どれくらい怒ってるかはすぐわかるんだよ⋯⋯?」
ほら、私っておかしいでしょ? と軽く笑ってみせた。
溢れた涙が、頰を濡らした。
自分は他人の感情を勝手に覗き見る最低な奴だと、
二人の感情だって今までずっと見えていたのだと、
それを隠して今まで付き合って来たのだと、
こんな人間は、避けられて当然なのだと、
そう、喚いて逃げ去ってしまいたかった。
だが、まだ話さなければならないことは残っている。全てを伝えなければいけないと、脳が無理やり身体を律していた。
二人の反応を確かめるのが怖いので、一方的に話を続ける。
「でも、こんなのはまだ普通なの。だって推測できなくはないもん。人の表情をすごく読める人と変わらない⋯⋯かもしれないでしょ?」
これは、無意味な自己弁護だ。
得られる結果が一緒だとしても、手順が違えばそれは異常なのだ。
マッチやコンロとパイロキネシスは同等には扱えない。後者は理由の付かないヤバい奴だ。紛うこと無き異端なのだ。そのことを私は、よくわかっている。
黒乃は息をやや大きく吸い込み、今一度覚悟を決める。
「⋯⋯だけど、一部の人⋯⋯千夏ちゃんとかにはね? 普通の人には見えないようなものも見えるんだ⋯⋯。」
黒乃は紙に多面体のようなものを描いてみせた。透明で、少し黄味掛ったラインストーンを大きくしたようなクリスタル様の物体。
これは感情や衝動ではない。その人が持つ"異能"の象徴だ。
「こんなのはね、普通の人にはないの。千夏ちゃんとか、2年の灯ちゃんとか、1年の頃の日本史の先生とか⋯⋯ごく一部の人には、こういう普通じゃないのも見えて、それぞれ全然違うの。」
先ほどの多面体の横に、茶褐色で塗り潰されたやや不恰好な球体を描いた。最初の"怒り"の球に似ていたが、こちらの方が暗く嫌な印象を与えた。
「⋯⋯千夏ちゃんにはね、たぶん未来とか見えてるんだよ。私が危険なことに巻き込まれそうになるとね、これまでもああやって止めてくれたことがあったの。千夏ちゃんには不思議な力があるんだって、これが見えるから私は信じられるーーーー」


述べるや否や、唐突に会話を切り、紅茶に口を付けた。
まだまだ熱を湛えたそれを先ほどより多めに口に含むと、躊躇わずに飲み込む。
喉が熱い。胸にも熱が宿ったような感覚。
今、私はどんな顔をしているだろう。
ちゃんと微笑んで、いられているだろうか。
二人の顔が見えるよう、視線を上げる。背後の球体から、必死に目を逸らす。
「ーーーーだからね、」
もう、勢いに任せるしかなかった。この流れでしか、自分は言えない気さえした。
「この世界はね、二人が思ってるより少しだけファンタジーで、」
口を開けば、心よりも早く、堰を切ったように、何かを崩しながら、言葉が溢れる。
「その世界の中に、普通の人間と普通じゃない人間がいるとして、」
躊躇う言葉が、胸の熱気と共に吐き出されていく。
「"普通じゃない人間"を見ただけで区別できるあたしはきっと、」
ーーーー 瞬間、言葉が声にならなかった。だけどもう一度深く息を吸って、絞り出すように、告げた。
「⋯⋯⋯あたしもきっと、普通じゃない人間なんだ⋯⋯⋯⋯!」


それは、自分自身への断罪だった。
二人への、精一杯の懺悔だった。
力なく椅子に座ったまま俯く。
深く、可能な限り深く、息をすることを意識した。
そうでもしないと、苦しくて死んでしまいそうだった。
「⋯⋯⋯よく、わからないんだけど、」
切り出したのは秋枝だった。
「クーは人の感情が『視えて』るんだな?」
黒乃は下を向いたまま頷く。
「んで、なんか普通じゃない奴も視分けられるんだな?」
再度、頷く。
「基本的に視えっぱなしなんだよな?」
強く、頷く。この"余分な機能"をOFFにすることはできない。
「ーーーなんで、黙ってた。」
秋枝の声は本気だった。
普段は聞かないほどに、低く、怒りを孕んだ声だった。
黒乃は耳を塞ぎたかったが、手が動かなかった。
ごめん と謝りたかったが、声が出なかった。
ただどんな言葉を浴びせられようと、泣き崩れないように覚悟を決めた。
秋枝が、口が開く。

「⋯⋯一人で抱え切れるわけないだろ。潰れたいのかねこのお馬鹿クーは。」

ーーーそんなもの見えたって、人間の汚い部分が目に付くだけじゃないか。
と、秋枝は吐き捨てた。
小春は慈しむように、黒乃の肩にそっと触れた。
覚悟も虚しく、黒乃はそのまま泣き崩れた。






 

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最終更新:2019年01月30日 21:04
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