状況を整理しよう、と黒乃は秋枝と顔を突き合わせた。
「正直なところ、どこまで理解できたあーちゃん!」
「さっぱりだゎね!明確なファンタジーの瞬間を目の当たりにしてテンションは高いけどもさ!」
「だよね!かく言うあたしもよくわかってないんだけどね!」
深呼吸を一つ。
「まぁあれだよね、『昨日』の『今日』ので食い違う物事は小夜ちゃんとこ届くかもしれないんだよね?」
「そこがいちばんさっぱりだけど、そういう話っぽかったのはわかった。そのなんだ?『落丁』させるって言えばいいんかね?」
「あと学校が『檻』になってるんだっけ? 学校の敷地内レベルで考えればいいって言ってた気がするけど、どうなんだろ、あたしたちって。『昨日』はもう学校の敷地外にいる時間だけど、『落ちる』のかなぁその虚数領域に。同じ檻のたぬたぬ?」
「まぁ今そんな変なとこにいる気はしないし、落ちてないんじゃない? ほら、『昨日あったけど今日ない』と『昨日ないけど今日ある』はベクトルも逆感あるし。」
「ぁー確かに。『落丁』というより『余剰』とか『製本ミス』とかだもんねぇ。じゃぁあれだね、何か『檻から外に出るための鍵』みたいなものを外で探して来て学校の敷地内に持ち込んで小夜ちゃんに届けるとかはできないって考えた方がいいかもだね。⋯⋯あれ?これ詰んでない?」
「学校の敷地内に実は鍵があって、それを敷地の外に持ち出す、とかじゃダメなわけ? ほら、無くなればいいわけでしょ?」
「それなんだけどねあーちゃん、冷静に考えてみよぅ。『学校』って檻の鍵が開けれそうなものってさ、『学校の敷地内』にあるのが普通でしょ?校舎の鍵とか、正門のおっきい南京錠の鍵とか。」
「そりゃそうだゎね。」
「それさ、『裏』の学校にも当然転がってそうじゃない⋯⋯? 」
「⋯⋯おぉぅ。」
「あとそれ、あたしたちが職員室から鍵盗ってダッシュってリスクやばくない!?」
「違いないわ⋯⋯さすがクー冷静だわ。その『裏』の学校に鍵がない可能性はあるけど、他に試せそうなこと全部試してから最後の手段だわそれ。」
「だから他に『これだ!』感のある手を探そうかなって思うんだけど⋯⋯」
「うん?いいんじゃない?」
できるだけ軽やかに振り返り、背中を向ける。
「⋯⋯あーちゃんは、もしアレなら帰ってもいいよ? ほら、通販届いたでしょ? これ以上あたしに付き合わなくても」
「クー。いいから、最後まで付き合わせてよ。私はなんもできない一般人だけど、目が4つに増えるって、結構違うと思うよ? そりゃ、クーほどいろいろ視えはしないけどさ。」
ぽん、と、腰を優しく叩かれた。
私にはそれが、たまらなく嬉しかった。
とりあえず、校舎内に戻ってきた。
さすがに17時が近くなると、校内の生徒は減ってきているようで、部活に使用されている部屋から離れているこの踊り場では、他の生徒の声は残響のように聴こえるばかり。
ノスタルジックな空気に攫われそうになるが、時間は限られている。とりあえず最終的には正門の施錠に来た教師を敷地の外へ誘導することを考えるにしても、それまでは別の手段を模索するのを怠ってはいけないのだ。
これがゲームであったならもっと簡単なんだろうな、と黒乃は思う。きっとやれることはもっと限られていて、しかもその中にちゃんと正解があるのだ。直前で手に入れた新しいギミックを頻繁に使わされるような、そんな不自由で優しい世界。
悲しいことにそんな都合のいい状況には置かれていない。選択肢は無限にあり、ポーズもできない。セーブやロードができればいいのにと、切に思う。
加えて今回はファンタジーに足を踏み入れている。普段なら選択肢から除けるような領域が、なんと有力候補の可能性まである。七不思議とか噂とかを、改めて教えて貰うことも行動の視野に入れないとだ。小夜ちゃんの救出には使えなくても、もう一つ謎はある。
【不死鳥がその両の眼に月を捉えし時、瞬く間に『今日』は終わりを告げん。】
本来の時間軸と同期するために必要、と言っていたが、字面通り、謎を解けば明日がやって来るという解釈で良いのだろうか。
気になるのはやはり不死鳥のくだりだが、まぁ
「これはなんか⋯⋯わかっちゃった気がするけどね⋯⋯。」
とぼやきながら、スマホで不死鳥をググる。
不死鳥、火の鳥、フェニックス、鳳凰、鸞、鵷鶵。
モチーフとなったのはキンケイと呼ばれる鳥か、キジ科の鳥類だと推察されている。
中には火の精、サラマンダーに羽が生えたものとする解釈もあるらしい。校内にウーパールーパーなんて飼われていただろうか。
これらに結びつきそうなものが見付からない限りは、自分のひらめきを信じることにしよう。ビビっと来るものが見付かるまではとりあえず忘れて、囚われのお姫様を解放することに専念する。
まずは、
「とりあえず、もっかい売店行こっか。」
「いいね、飲み物買い足したかったとこなんよ。」
と秋枝の了承を取り付け、2人は階段を降りて行った。
唐突だがここで購買の説明をしよう。
本校の購買は、学校から徒歩10分程度のところにあるコンビニベーカリー「ブランシュ・コム・ネージュ」が、校内に食品と雑貨を売るためのスペースを提供されている、というスタイルのものである。
雑貨や菓子類と違い、ベーカリーで焼いて持って来ているパンと弁当類は日持ちがしないので、夕方の17時以降では安売りになるという、スーパーみたいなタイムサービスがある。
店先に立つのは「店長さん」と呼ばれるている若い白髪の男性で、ミステリアスな雰囲気と落ち着いた立ち居振る舞いで女生徒からさりげなく人気がある。女生徒側からすると、会いに行くたびに摂取カロリーが増える結果になって悩ましいらしいが、
黒乃が改めて購買に来たのは他でもない。
この「店長さん」に会うためだった。
それは恋慕によるものではなく、彼が「異能」を持っていたためである。
更に付け加えるならば、
『“彼が異能を持っていることを黒乃が知っている”ことを、彼も知っている』からである。
こういう話を持ち掛けることのできる相手の一人として、購買に行けば会える彼は得難い存在なのだ。
とは言えど、公衆の面前で堂々とファンタジー全開の会話はもちろんしないわけだが。
そんな頼れる店長を訪ねに、黒乃は本日3度目となる購買に足を踏み入れた。
そのまま雑貨のコーナーをぐるりと回る。『学校の備品』でないこの購買の商品であれば、裏の学校には存在しない可能性があるのではないかと踏んだからだ。しかし、当然だが文房具と清潔用品ばかりでどうにもピンと来ない。小夜が持ち歩いている可能性も大いにある。
ふと、まだ売れ残っているパンが黒乃の目に留まった。
このパンを今すぐ買って学校の敷地外に持ち出せば、裏の学校にパンが『落ちる』のかもしれない。だがその結果に、一体どれほどの意味が生まれるだろうか。
裏の学校の食糧事情はてんで見当が付かないが、例えば表の学校の保健室と職員室には災害時用の食料と水分、消耗品業界トップの紙類が備蓄されている。これらが裏にもあり、且つその存在に気付いていれば、パンが『落ちた』ところでそれは大きな意味は為さないだろう。そうでない可能性は大いにあるので試してみてもいいが。
黒乃はそのままパンを通り過ぎ、無糖の紅茶のペットボトルを手に取ると、そそくさと白髪の男の立つレジへ進む。
「店長さん店長さん、」
カウンターに商品を置きながら話しかける。
「いらっしゃい。袋は?」
男が答える。
「ぁ、いらないです。ちょっと訊きたいんですけど、」
男は目線で続きを促した。
「檻に囚われたお姫様を助けるには、どうしたらいいと思いますか?
唐突を通り越して交通事故みたいな質問である。
それでも男は驚いた様子もなく、短い沈黙を挟むと、
「⋯⋯手段としては3つ。檻としての機能を無くしてしまう、お姫様を檻では捕えられない存在にしてしまう、お姫様の檻から出たいという欲求を無くしてしまう。どんな状況だろうと、この3つで殆どのお姫様は助けられるのではないかな。」
と答えた。
「はぁ、3つ、ですか。」
小銭を渡す。
「あぁ。もし囚われているのが私だったら、まず3つ目から試すだろうね。住めば都、とよく言うだろう?」
と言いながらレシートを差し出された。
「すみませんもう一つ、」
と告げながらレシートを受け取る。
「ここらへんで不死鳥に結びつきそうなものって、あります?」
「よほどこじつければ何でも結び付けられるだろう。だが直接結び付けられそうなものは、特に思い浮かばないな。」
「なるほどなるほど、ありがとうございました。」
黒乃は小さくお辞儀をすると、ペットボトルを手にそそくさと購買から出た。
炭酸水を手にした秋枝が出て来るまで、店長の言葉をひたすら反芻した。
地震のたびに、時間の経過を実感する。
17時をもう回ってしまっている。日付変更まではあと6時間以上あるが、『学校にいられる時間』で考えると2時間を切っているのだ。教師とのハイドアンドシークと洒落込むには、もし教師に見つかった時の言い訳になりそうな大義名分が無さすぎる。
なるべく無駄な行動は取りたくない。一体何を『落とせ』ば檻から救う手立てになるか、目星を付けて探さないと、闇雲に辺りを見渡すだけで時間を浪費する一方になってしまう。
第一、落としたところでそれに気付かれるかは別問題なのだ。『落ちた』時にどう裏の世界に現れるかはよくわからないが、小夜のクラス教室と校門、昇降口以外は特殊教室がもしかしたら、という程度で、他の場所に落ちた場合は発見される可能性すら薄い。さて裏の世界に落ちるのは、『欠落』したその物体が『昨日』観測された場所か、敷地外に持ち出した瞬間に起因して校門か。わからない限りは校門に落ちることを願って有力候補を片っ端から持ち出すことになるのは変わらないが。
あぁ、でもどうだろう。『昨日点いていた電灯』を『今日は消してしまう』というのは。裏の世界で勝手に電気が点いたりしないだろうか。そうすれば特定の部屋に誘導することはできるかもしれない。
まぁそれも、『昨日の時点で電気の点いていた部屋』に限定され、裏の世界で小夜が片っ端から電気を点けていたらどうなるかわかったものではないが。手段として、覚えておこう。
さてどこから探索を始めたものか。美術室は美術部が、理科室も音楽室も部活動で使用されている。
「?、なんかすごい音しなかった?」
秋枝が炭酸水のボトルを傾けながら言う。
続けて上階からすごい勢いで階段を降りる足音が響いてくる。
「運動部の階段トレーニング⋯⋯は雨の日以外はやらないんだっけ。」
興味があるわけではないが、自然と階段に目がいってしまう。
間も無く視界に現れたのは、全力で階段を駆け下りるなり外に飛び出していく教師の姿だった。
「日本史のサブリミナル教師じゃん。先生が校内走ってちゃねぇ。」
秋枝がぼやく。
サブリミナル教師だの、デュアル授業の人だの呼ばれる日本史の先生だった。
黒乃も1年の頃は氏の授業を受けていたが、黒乃は氏が苦手だった。
というのも、その教師の背後には『異能』を示す特殊な球体が視えるのだが、それが流動する泥のような赤褐色の球体であり、あまり良い印象は受けないこと。時折害意や敵意という、おおよそ生徒に向けられるような感情ではないものを向けられた記憶があること。出席番号順で席が並んでいたため、『篠崎黒乃』と『白鷺美冬』を混同して『白崎黒乃』と呼ばれ続け、訂正しても治らなかったこと、などなど。良い印象がないのだ。私はそんなオセロみたいな名前じゃない。
「あんな急いで、何かあったのかね。」
黒乃は教師に重なって視えたどす黒い感情に嫌悪感を覚えながら、それを隠しつつ言う。
「上で急病人でも出たとかならわからなくもないけど⋯⋯、外に出てったからその線はないか。」
「あぁ上でねぇ、この上って⋯⋯。ねぇあーちゃん?私たちって探偵の素養はないと思うわけだよ。」
「おやクー奇遇だねぇ。私もちょうどそう思ったところさね。」
ぃゃまったく、無駄に考えるだけ考えて考え過ぎた結果、動きが鈍くなっていたらしい。
事件は現場から。捜査は足で稼いで重要参考人がだんまりを決め込んだら「ひとつだけ、」とさらに情報をせびる。これが筋ってものだろう。
水鳥小夜は魔導書に囚われたらしい。それは学校で起こったことらしい。であればまず、
「本がひときわ多いところに行ってないとか致命的だよねぇ⋯⋯。」
「まず最初に向かうべきだゎね⋯⋯」
さぁ、図書室に行こう。
図書室の扉は開いていた。思い返せば、秋枝が言った「すごい音」はこの扉を勢いよく開け放った音ではなかろうか。もしそうであれば、それはデュアル授業の人の仕業かもしれない。
図書室に入り扉を閉めると、別段そこは何も(異世界に変容しているだの部屋がごっそりもぬけの殻になってるだのというレベルでは)変なところはなかったが、
司書である図書委員がいないにも関わらず受付のPCが点いていた。
二人して興味本位でその画面を見やる。
「これって⋯⋯」
「小夜ちゃんの貸し出し記録⋯⋯だね。」
今日のちょっと前に3冊、「Capacity 」「夜天月下譚」「誰かの為の物語」。
ぁ、Capacity読んだことあるなぁ、と黒乃は思う、が、それと同時に吐き気を覚えるほどの違和感が襲う。
考えなければいけないことの奔流に脳がくらくらする。目を開いているはずなのに何が見えているのかわからないほどに混乱する。
とりあえず、とりあえず頭からなにかを吐き出していかないとこのまま倒れてしまいそうになる。
「あの、あの⋯⋯さ。」
こめかみを押さえながら零す。
「うん?」
秋枝が返す。
「これ⋯⋯おかしいよね、あの、なんだ。小夜ちゃんは『いない』はずなのに『さっき』本を借りてるってさ、へん、だよね⋯⋯?。」
纏まらないまま情報をアウトプットする。それだけで少し楽になる。聞き手がいなければ、自分は本当にここで倒れていたかもしれない。
無意識に秋枝の腕にしがみついた。
秋枝は改めて画面を注意深く見直す。
「あと⋯⋯さ。もしさっきの先生、これ見て走ってったんだとしたら、って思うと、すごく⋯⋯なんか⋯⋯怖い。」
思わず秋枝の腕を掴む手に力が入る。
廊下で教師に重なり視えたどす黒い感情が脳裏にちらつく。
ヴヴヴヴヴヴ‼︎ヴヴヴヴヴヴ‼︎
不意に音がしたのですごくびっくりした。
携帯のバイブレーションらしい。目をやると読書用の机の隅に携帯が光っており、今だ振動を続けている。
秋枝から離れ、携帯に歩み寄ると、それでも携帯は鳴動を続けていた。
今を生きるJKには珍しく、ガラパゴスなケータイだった。
黒乃はこういう時、電話に出るタイプの人間である。携帯をどこで無くしたか困っている人がかけてきた可能性があるからだ。
「はいもしもし。」
『ぁ、水鳥さん?これ緊急連絡網なんだけど⋯⋯』
「ごめんけど、この携帯は忘れ物で、あたしは今たまたま近くにいただけの人なんだけど、」
『ぁ、そうなんですか。⋯⋯どうしようかな⋯⋯』
「水鳥さんって、水鳥小夜ちゃん?」
『ぇ、ぁ、はい。お知り合いですか?』
「うん、じゃぁ小夜ちゃんにはこの携帯届けつつ担任に連絡するよう伝えておくからさ、申し訳ないけど飛ばして次の人にかけてもらっていいかな?すぐは会えるかわからなくって。」
『ぁ、ありがとうございます。失礼します。』
ぷつりと、電話が切れた。
続けて自分のスマホが鳴る。
「もっしー」
『ぁ、クロ?無事なんだね。爆発騒ぎでさ、緊急連絡網。次の人はわかる?』
「うん、委員長だからね。」
『おーけー。じゃ、頼んだよ。』
「ばーい。」
ぷつりと。
フェイスロックをシームレスに解除するとそのまま美冬に電話をかける。
「ぁ、いいんちょ? あたしあたし。うん、緊急連絡網。無事だよーありがとー。うん、安心した。じゃね、うん、またね。」
ぷつっと。
さてさて、どうやらこの手の中にあるガラケーは小夜ちゃんのものらしいですよ。
となればまずやることは一つ。
「?、クー、なにしてるの?」
秋枝も電話がひと段落ついたらしく、こちらにやってきた。
「ん、電話番号とメアドゲッチュしてるの。」
メールとデータフォルダにはロックが掛かっていたが、全ての操作にはロックを掛けれない仕様なのだろうか。メニュー開いて0キー押したらプロフィール。メアドと電話番号は暴かれるほかないのだ。
「よしよし、悩める後輩のアドレスをゲットしたぞっと。」
登録、と。
続いてペンと、とびきりファンシーな付箋を手に取る。
=====================
図書室で拾ったよん
3-B 篠崎黒乃
mail:
[email protected]
tel:090-1357-2468
気軽に連絡してちょ☆
=====================
付箋を文字盤に貼る。相変わらずこの付箋は黒猫の絵柄がたまらなくかわいい。
パタンと、ガラケーを閉じた。
悲しいかな、図書室には携帯くらいしかなかった。
仕方ないのだ。例えば、魔導書とやらがわかりやすくそこに置いてあれば話も違っただろう。しかしそんなわけもなく、いたって普通の図書室がそこには佇んでいたのだ。
それに、件の魔導書があったとしてもどうすればいいかわからないし、別の魔導書があっても使えるかはわからないし、それを魔導書だと自分たちが認識できるかもわからない。事の発端は確かに図書館かもしれないし、その図書館だけは『今日ここに小夜がいたこと』を如実に示していたが、それでも解決に結びつくとは限らないのだ。
校内は若干騒がしくなった。爆発事件の影響だろう、どこの教室からも多少なりとも声が聞こえててくる。
時刻はもう18時になる。騒ぎの影響で練習が中断している演劇部室の前で、小春にこれまでの経緯をわかる範囲で説明した。
「なるほど⋯⋯。水鳥さん、大丈夫でしょうか⋯⋯。」
小春が心配そうに漏らす。
「わからない⋯⋯けど、学校でよかったよね。あんまり危険なイメージないもんね。」
黒乃が無理矢理ポジティブに展開する。
「まぁ確かにそうだゎねぇ。『檻』は厄介だけど、他の場所はもっと危ない概念が出てたかもって考えたら、ねぇ。」
魔導書の機能によって、生徒である水鳥小夜にとって『学び舎』であり『檻』でもある学校は、『知識を得るにはうってつけ』の『強固な檻』へと、その性質を強化されて『裏』の世界に展開されているらしい。
『怖い』だの『危ない』だの『幽霊が出る』だのという概念でなかったことは、やはり喜ぶべきなのではないか、と秋枝は思った。
「っていうか、クーだったら絶対『学び舎』とか『檻』とかじゃないよね。」
「『狩場』で『プレイスポット』かなぁ。友達と会うためだけに学校来てる感あるから『学び舎』にはならないだろうねぇ⋯⋯。」
思うに、水鳥小夜は真面目過ぎたのだ。授業を受けに学校に来て、知見を広げるために本を借りるような、そんな文学少女なのだろう。話したこともないが。
なんて黒乃が思いを巡らせている横で、小春が首を傾げている。
「⋯⋯どしたの小春ちゃん?」
黒乃が問う。
「あのですね、確証は無いんですけど⋯⋯」
小春が傾げた首を戻しながら続ける。
「水鳥さん、檻から出してあげられるかもしれません。」
「⋯⋯⋯はい?」
思わず聞き返した。
「ぃぇ、もし違っていたら申し訳ないのですけど、この学校ってーーー」
「ふぅ⋯⋯もうそろそろ、片付けませんか?」
台本の読み合わせを終えた小春が水を飲みながら、他の部員たちに呼びかける。
「あれ?もうそんな時間?」
部員の一人が壁の時計を見やる。18:45。
「ぁ、ほんとだ。片そう片そう。⋯⋯あれ、思えば今日は“鳴らない”ね。壊れたのかな?」
別の部員がいつもと違うことに気付く。
小春は心の中で小さくガッツポーズをした。
(やりましたね、黒乃さん、秋枝さん⋯⋯。)
願わくばこれで、囚われのクラスメイトが解放されんことを。
黒乃と秋枝は、爆発騒ぎでてんやわんやする職員室にしれっと放送室の鍵を返し、職員室から出るなりハイタッチして任務達成の喜びを分かち合った。
ーーーこの学校には、生徒が遵守しなければならない校則がある。
身なり然り、持ち物然り、バイトや免許然り。
その中に『完全下校時刻の規定』がある。生徒たるもの、19時以降に校内にいてはいけない、とする規定である。
この校則を遵守させるため、完全下校時刻の15分前になると、生徒に下校を促すBGMとアナウンスが流れはじめ、それは19時まで流れ続ける。
これが鳴るなり生徒達は部活を終わらせてぞろぞろと帰っていくというのが、毎日のことだった。
もちろん、『一度目の今日』もその放送が流れたことは小春が知っている。
であれば、その『完全下校時刻放送』を鳴らないようにしてしまえばどうなるか。
裏の『学び舎』であり『檻』である学校に、その放送が流れてしまえばどうなるか。
『生徒』を閉じ込めるための『檻』はその機能を失い、
『生徒』は『檻』によって囚えられる存在ではなくなり、
『生徒』にとってそこは、『自分を囚える檻』ではなく『自分がいてはいけない不可侵領域』となる。
残夢が『檻』という性質が無ければ「『繋がり』の強いこちら側に勝手に引っ張られよう」と言っていたのを思い出す。
これで、これできっと水鳥小夜は虚数領域から解き放たれる。校則を破るような子でもないとのことなので、この確信は裏切られはしないだろう。
黒乃は誰もいない小春の教室に立ち寄ると、小夜の机の中に拾った携帯を置き、机の表面を軽く撫で、その教室を後にした。
「じゃ、屋上いこうかあーちゃん。」
黒乃が小春にメッセージを飛ばしながら言う。
「へ?屋上?なに、忘れ物?」
秋枝が 意外 という表情を浮かべている。
「ぃゃぃゃ、月を見にね?誰もいないし、空にも近いし、いいかなーって。」
「あぁ、不死鳥が月をってやつ?不死鳥見付けたん?」
黒乃は笑みを浮かべたまま、その問いには答えなかった。
屋上にはなんと小春の方が先に着いていた。
さすが4階建の建物の屋上部分である。夜ともなるとなかなかの展望が広がる。
遠くのひときわ明るい場所には飛んでいるヘリも見える。あれがちょうど、爆発事件の現場なのだろう。
天蓋を覆う夜空には、しかし星は見えず、代わりにいつもより大きく見える月が一つ。
「月が、綺麗ですね。」
小春が空を仰ぎながら言う。
「あたしも愛してるよ小春ちゃん。」
「ぁーでもやっぱカメラ越しだとちっちゃくなっちゃうねぇ月って。」
秋枝がスマホのカメラを天に向けながらぼやく。
黒乃もスマホを取り出すと、カメラを月に向ける。
「複眼カメラだと見たまま撮れる、とかある?」
秋枝が訊いてくる。
「んー、やっぱり小さくなっちゃうかなぁ。」
月がカメラ越しでは小さく見えるのは、人間の目が大きく見せる錯覚と、無限遠と言えるほど遠方にあるものを、焦点距離の適さないレンズで見るからだという。
カメラのレンズが1つか2つかとか、そういう話ではなく、スマホの限界とも言える話題でもあるのだ。
「⋯⋯あーちゃん、小春ちゃん。」
画面越しに月を見つめたまま、黒乃が呼び掛ける。
「ん?」
秋枝が同様にスマホのカメラで月を捉えつつ、応えた。
「何か、やり残したことはない? このやり直しの今日の中で、これもやり直したかったとか、あれもやりたかったとか、残ってない?」
問われた二人は、顔を見合わせると、
「ぃぇ、私は特に、思い浮かばないです、けど⋯⋯?」
「うん、私も。⋯⋯何、やっぱり不死鳥見付けたわけ?」
秋枝が問い返す。
風が流れる。
髪が揺れる。
木々の枝葉の奏でる音が、耳に届く。
地上はこんなにも、音や光で溢れている。
闇の中、一つ浮かぶ月は、孤独なのだろうか。
それとも、この惑星の傍にいられるというだけで、幸せなのだろうか。
肉眼でも、カメラ越しでも、月の『感情』は視えなかった。
【不死鳥がその両の眼に月を捉えし時、瞬く間に『今日』は終わりを告げん。】
残夢が最後に残した問いである。文字通り、きっとその瞬間に『今日』は終わるのだろう。
「あの残夢さんって仙人様さ、結構横文字多かったよね。⋯⋯ミーハーなのかな?」
黒乃が口を開く。
「wikiに同じ名前の仙人が載ってたけど、別人かね?」
秋枝は興味本位でググったらしい。
「どうだろうねぇ⋯⋯。今度会えたら、訊いてみよっか。」
再び、風が流れる。
夜風は季節を問わず、やはり身体から熱を奪うように感じる。
「⋯⋯不死鳥そのものはね、きっとここには無いんだよ。」
黒乃が零した。
「?、だからそれを探さないと⋯⋯?」
秋枝が若干困惑して問い返す。
「きっと、不死鳥を見付けるのは無理で、残夢さんもそれはわかってるんだよ。」
黒乃は構わず言葉を続ける。
「これは残夢さんの出した謎掛けで、だから答えは絶対に、私たちが今日探せる範囲にあるはずなんだよ。」
その目は、画面越しに月を見つめたまま。
「⋯⋯クー⋯⋯?」
秋枝と小春も改めて、天上遥か、月を仰ぐ。
「⋯⋯あのね、iPhoneXって、」
ざぁ、と、少し強めの風が通り過ぎた。
「⋯⋯PhoeniXの、アナグラムなんだよ。」
パシャリ
シャッター音が響いた瞬間、夜空は青空に変わり、月は太陽に交代した。
突然明るくなった視界に目眩がする。
「え!?、ぇ、なに!?」
「眩しいです⋯⋯!」
秋枝も小春もびっくりしている。
黒乃は腕時計に目をやると、日付を示す「12」の文字と、朝7時ちょうどを示す針が見て取れた。
スマホでも確認する。12(Thu)の文字と、蒼天と夜天、太陽と月が重なるような、不思議な写真が映っていた。
刹那、パンっと、黒乃の目の前で光が弾ける。
弾けた光は不規則な軌道を描いたのち、黒乃の眼前で、2枚のカードに姿を変えた。
2枚のカードは淡い光を纏いながら、空中で静止する。
それはどこか神秘的な威厳を湛えた、「恋人」と「月」のタロットであった。
最終更新:2019年02月02日 02:00