第一次魔導大戦
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3-1-9 アラブ挟撃戦
アラブ挟撃戦(アラブきょうげきせん)は、インドネシア軍・GAC軍による中東地域の奪取を目的とした大規模な共同侵攻作戦。本項ではGAC軍に呼応してインドネシア軍がパキスタンへの侵攻を開始した2212年8月10日を開始地点と定めるが、そもそもは第二次スエズ攻防戦におけるGAC軍の勝利を前提としてそれ以前より計画されていた侵攻作戦である。
3-1-9-1 GAC軍の中東侵入と連合軍のアラビア半島放棄
第二次スエズ攻防戦にて勝利を収めたGAC軍は奪取したスエズに400名程度の戦力を残し、中東連合領へ敗走する連合軍を追ってイスラエルへ侵入した。
スエズを絶対防衛線と定める連合軍は何箇所かの補給基地の他に中東にさしたる戦力を配してはおらず、連戦連勝を続けるGAC軍は破竹の勢いで北はトルコ南東、東はイラク、南はイエメンまでを一気に呑み込んだ。
これに対する連合軍はスエズより東へ敗走する部隊をアラブのUAEドバイ基地、北のヨーロッパを目指した部隊をトルコのコジャエリ基地に収容していたが、イスタンブールを経由してギリシャ方面への補給・後退ラインを確保するトルコの戦力はともかく、ドバイに集めた戦力は退路を断たれる危険を孕んでいた。戦力を引き裂かれ、もはや中東の維持が不可能である事を悟った連合は早期にアラビア半島全域の放棄を決定し、ドバイの戦力においてはアドリア海を渡ってイランを経由し、トルコ、或いはロシア南西を通るルートで最終的にはヨーロッパへ戦力を結集させるべく命令を下した。
スエズの陥落により危機的状況に立たされた連合にとって、敗走する部隊の回収とコジャエリの死守は絶対の条件であった。
また、第三方面軍司令任命の辞令をアメリカで受け取ったヘルムート・ボーデンシャッツ大将はタルタロス攻略戦に投入されたほぼ無傷の部隊に加え、アメリカで養成されていた新兵を連れてイギリスへと急行しており、これらの戦力がコジャエリの陥落までに間に合うか否かに連合の命運が懸かっていた。
スエズを絶対防衛線と定める連合軍は何箇所かの補給基地の他に中東にさしたる戦力を配してはおらず、連戦連勝を続けるGAC軍は破竹の勢いで北はトルコ南東、東はイラク、南はイエメンまでを一気に呑み込んだ。
これに対する連合軍はスエズより東へ敗走する部隊をアラブのUAEドバイ基地、北のヨーロッパを目指した部隊をトルコのコジャエリ基地に収容していたが、イスタンブールを経由してギリシャ方面への補給・後退ラインを確保するトルコの戦力はともかく、ドバイに集めた戦力は退路を断たれる危険を孕んでいた。戦力を引き裂かれ、もはや中東の維持が不可能である事を悟った連合は早期にアラビア半島全域の放棄を決定し、ドバイの戦力においてはアドリア海を渡ってイランを経由し、トルコ、或いはロシア南西を通るルートで最終的にはヨーロッパへ戦力を結集させるべく命令を下した。
スエズの陥落により危機的状況に立たされた連合にとって、敗走する部隊の回収とコジャエリの死守は絶対の条件であった。
また、第三方面軍司令任命の辞令をアメリカで受け取ったヘルムート・ボーデンシャッツ大将はタルタロス攻略戦に投入されたほぼ無傷の部隊に加え、アメリカで養成されていた新兵を連れてイギリスへと急行しており、これらの戦力がコジャエリの陥落までに間に合うか否かに連合の命運が懸かっていた。
3-1-9-2 インドネシア軍の動向
当初、インドネシア軍はGACのスエズ攻略戦に時期を合わせ、後方撹乱、支援攻撃の目的をもって中東に侵入するという約定を交わしていたが、GAC軍の再三の要請にも関わらず、国内の情勢不安を理由として出兵を見合わせる構えを見せていた。
ひとつには連合軍の予存戦力を警戒したという事もあるが、インドネシアはこの時点で第一次魔導大戦において連盟側の勝利を確信し、戦後GACと覇権を争わんとする見通しがあった。インドネシア軍は来るべき第二次魔導大戦に向けて、最早仮想敵国とも言えるGAC軍の戦力を少しでも連合に割いてもらおうとする意図を持っていた。
2212年8月10日まで静観を続けたインドネシアは中東地域の戦闘においてGACの勝利が揺ぎ無い物となってよりパキスタンへの侵攻を開始、西へと軍を進めてアフガニスタン、イラン、カタール、クウェート、そして連合のアラビア放棄によって空城となったUAEドバイ基地を掠め取ったのである。UAEドバイ基地はスエズに匹敵する要塞施設であり、ここを将来的にクウェートと結んでGACに対する防衛線に仕立てようとする意図は明らかであった。
これら漁夫の利を貪る行為にGACはおおいに憤り、以後両軍の関係は悪化し、目に見えて協調を欠くようになっていく。
ひとつには連合軍の予存戦力を警戒したという事もあるが、インドネシアはこの時点で第一次魔導大戦において連盟側の勝利を確信し、戦後GACと覇権を争わんとする見通しがあった。インドネシア軍は来るべき第二次魔導大戦に向けて、最早仮想敵国とも言えるGAC軍の戦力を少しでも連合に割いてもらおうとする意図を持っていた。
2212年8月10日まで静観を続けたインドネシアは中東地域の戦闘においてGACの勝利が揺ぎ無い物となってよりパキスタンへの侵攻を開始、西へと軍を進めてアフガニスタン、イラン、カタール、クウェート、そして連合のアラビア放棄によって空城となったUAEドバイ基地を掠め取ったのである。UAEドバイ基地はスエズに匹敵する要塞施設であり、ここを将来的にクウェートと結んでGACに対する防衛線に仕立てようとする意図は明らかであった。
これら漁夫の利を貪る行為にGACはおおいに憤り、以後両軍の関係は悪化し、目に見えて協調を欠くようになっていく。