甘寧

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甘寧 - (2009/05/05 (火) 19:21:04) のソース

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#image(left,GanNing-イェア.gif,title=イ゛ェアァ)
 &bold(){甘寧}(かんねい、ピンイン: Gan Ning(ガン・ニン)生没年不詳)は、
 中国の後漢末、孫権に仕えた武将。字(あざな)は&bold(){興覇}(こうは、xing ba(シーンバ))。
 益州の巴郡臨江県(現在の重慶市忠県)出身。甘瓌・甘述の父。曾孫の甘卓は東晋に仕えた。

若い頃は今で言う暴力団の組長のようなことをしており、不良の若者を集めて武装させていた。
弓や弩で武装して強盗などもやったというので、かなり本格的な暴力団だったようだ。
羽飾りを背負い、鈴を常に携えていたので、民衆は鈴の音を聞いただけでそれが甘寧だと分かり恐怖したという。

だが20年あまりも経ってからそうした乱暴をパッタリと止め、勉強して字も読めるようになる。
そして部下800人と共に劉表に仕えたが、元ゴロツキということもあってか重用されなかった。
このままでは出世の目も無いと甘寧は見切りをつけ、最終的に呉の孫権に仕える。
この時呉の将軍であった周瑜・呂蒙が連名で推薦した為、孫権は旧臣同様に甘寧を遇する事にした。
甘寧はこの待遇に感激し困難な任務を自ら進んで引き受け、時には戦場で兵達の先頭に立ち、様々な戦功を立てた。
いわば非常に義理堅く、恩義には命がけで報いる好漢であった。

なかでも合肥の戦いで[[張遼]]相手に呉が大敗した後に、曹操が濡須へ侵攻した際には
100人の決死隊を率いて曹操の陣営に夜半奇襲をかけた。この奇襲で曹操軍は混乱し、動揺して引き下がった。
この活躍に孫権は「魏には張遼がいるが、呉には甘寧がいる」と甘寧の武勇と豪胆さを賞賛し、大いに愉快がったという。

また粗暴で殺人を好んだものの、爽快な人柄で優れた計略を持ち、財貨を軽んじて士人を敬い、
手厚く勇者たちを育てたので、彼らの方でもまた役に立ちたいと願った人が多かった。

『正史』では没年不明だが、『演義』では、夷陵の戦いにおいて病床の身を押して出陣し、敵の矢を受けて戦死している。
//史実について詳しい方、編集お願いします。
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格闘ゲームとしては台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム『[[SangoFighter>SANGO FIGHTER]](正式名『三國志 武將爭霸』)』の正統続編『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』にて、
呉の武将の一人として黄蓋、太史慈、孫策の三人と共に登場。

MUGENでは、『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏の製作したものが存在する。
呉の武将の中ではただ一人作られているキャラクター。
一見すると真面目な印象を受けるが、その実[[馬超]]ばりに変なポーズをとるお茶目なオッサンである。
とくにゲージ為のポーズは馬超に負けず劣らずの開放感に満ち溢れている。
そしてなにより勝ちセリフがどう聞いても&bold(){[[呪いの館>ひろし]]}です、ほんとうにありがとうございry

性能的には[[エドモンド本田]]ばりの連続掌底と、超巨大飛び道具を併用して戦うキャラクター。
彼もまた[[素手波動>呂布]]の使い手である。
ハメ技はないが、代わりに優れた対空を持ち全体的に隙がない。
最大威力の飛び道具はヒットすれば五割は持っていく最も強力な技である。
#image(GanNing-百烈掌底.gif,title=そ、そのポーズの意味は…?)
***出場大会
[[【MUGEN】ゲージMAXタッグトーナメント【ゲジマユ2】]]
[[【MUGEN】ゲージMAXシングルトーナメント【Finalゲジマユ】]]