トゥールーズ(Toulouse)は南フランス、ラングドック地方の都市で、オート・ガロンヌ県の県庁所在地である。
歴史
古称はトロサ(Tolosa)で、前半の Tol はケルト語で山を意味する Tul に由来するらしい。しかし、残りの要素は語源未詳である。
紀元前121年にクネイウス・ドミティウス・アヘノバルブスがラングドック地方に進出した際に、ウォルカエ人の部族であるテクトサギ族の叛乱を抑えるためにトゥールーズに駐留軍をおいた。そこでは紀元前106年にテクトサギ族の大規模な叛乱があったが、執政官クィントゥス・セルウィリウス・カエピオが鎮圧した。
彼はその際に、テクトサギ族がデルポイから盗んだとも言われる黄金を掠奪したものの、マルセイユへの輸送の途上で紛失した。この黄金を着服した疑いでカエピオは亡命することになる。
紀元1世紀頃には
ナルボンヌなどと同じく穀物取引で大いに潤い、学芸も栄え、同時代の詩人からは学問の女神パラス・アテナが嘉する町として「パラディア・トロサ」と称えられた。
3世紀から4世紀にかけて衰退を経験するが、3世紀には聖サトゥルニヌスによって、キリスト教がもたらされた。聖サトゥルニヌスは住民達の私刑によって殉教したと伝えられている。
5世紀になると西ゴート族の侵略を経験し、トゥールーズは西ゴート王国の首都となった。
中世にはトゥールーズ伯領となり、特に9世紀から13世紀に大いに栄えたが、トゥールーズ伯レモン6世とその子レモン7世はカタリ派としてローマ教皇から相次いで破門され、いわゆるアルビジョワ十字軍によって徹底的に弾圧された。
その後、15世紀から16世紀にかけてはタイセイ(大青)の取引で非常に潤った。トゥールーズのタイセイは
アルビのものなどに比べて高品質だったらしい。この繁栄は、16世紀後半にインド産の染料によってタイセイが駆逐されたことで終わった。
20世紀には航空路の拠点として知られるようになった。作家としても有名なサンテグジュペリも、トゥールーズ発の航空路の飛行士だった。
ノストラダムス関連
ノストラダムスはモンペリエ大学入学前の20代の一時期、トゥールーズに滞在したこともあったらしい。それは本人が『
化粧品とジャム論』で「私はかつてボルドー、トゥールーズ、ナルボンヌ、
カルカソンヌと、アジュノワ地方の大部分で実践していた」と明言していることからも確実視されている。
地図
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最終更新:2014年09月06日 00:26