原文
Quand
1 l'escriture
2 D.M. trouuee
3,
Et caue
4 antique
5 à lampe
6 descouuerte,
Loy, Roy
7, & Prince
8 Vlpian
9 esprouuee
10,
Pauillon Royne
11 & Duc
12 sous
13 la couuerte
14.
異文
(1) Quand : Quant 1568X
(2) l'escriture : l'Escriture 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1672Ga
(3) trouuee : treuuee 1627Ma 1627Di
(4) caue : Cave 1672Ga
(5) antique : antiqué 1653AB 1665Ba 1720To
(6) lampe : ampe 1607PR, lam pe 1650Mo, Lampe 1672Ga
(7) Roy : roy 1568X 1590Ro
(8) Prince : prince 1568X 1590Ro 1653AB 1665Ba 1716PRb 1840
(9) Vlpian/Ulpian : vlpian 1653AB
(10) esprouuee : espreuuee 1627Ma 1627Di, éprouvé 1720To
(11) Royne : royne 1568X 1590Ro, Roy 1572Cr, Reyne 1653AB 1665Ba, Reine 1720To 1840
(12) Duc : duc 1568X 1590Ro, Dux 1627Di
(13) sous : sons 1668P
(14) couuerte : comete 1572Cr
日本語訳
D.M.という碑文が発見され、
ランプで古代の洞穴が暴かれる時、
ウルピアヌスの法に王と王子が試され、
王妃と公爵は天蓋に覆われた場所にいる。
訳について
とも訳せるように思える。
なお、「法」(loi)と「ウルピアヌス」(Ulpian)の位置が離れているが、これを結び付けるのもクレベールやローズの読みを踏まえたものである。
ウルピアヌスは古代ローマ法に多大な影響を及ぼした著名な法学者なので、この2つの単語が結びつくのは十分に説得的である。
既存の訳との比較について。
大乗訳は特に後半が逐語訳的ではあるが、殊更に的外れというものではないように思える。
山根訳3行目「法 国王ならびに王子ウルピウスが審問され」は、(ウルピウスという、解釈に引き摺られた表記を別にすれば)むしろ直訳ならばそう読むことができ、Prince と Ulpian を結び付けている
ピーター・ラメジャラーの読みもこれに近い 。
同4行目「王妃と公は覆いの陰 紅の天幕にて」は不適切。これは原文で「王妃」(royne / reine)が「紅」(rouge)になっているせいだが、これはおそらく
エリカ・チータムの勝手な改竄であろう。それに、その原文が正しいとしても、「王妃」と「紅」が重複して訳されているのはおかしい。
信奉者側の見解
1656年の解釈書では、Vlpian がヴォルピアーノ (Volpiano / Vulpian) と関連付けられ、1555年のヴォルピアーノの戦いと解釈された。
この詩の刊行はどんなに早くても1558年のことであり、この解釈が採用される場合には事後予言ということになるが、
テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)もこの解釈をそのまま踏襲した。
マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1939年)は近未来の情勢の中で扱っている。ほとんどそのまま敷衍したような解釈なので、正確な文脈はわかりづらいが、ウルピアヌスとムッソリーニを関連付けている。
ウルピアヌスとムッソリーニを結びつける解釈は
ロルフ・ボズウェル(1943年)にも引き継がれた。
アンドレ・ラモン(1943年)は
D.M. をノストラダムスのこととし(根拠は示されていない)、彼の失われた予言が将来発見される時、王族や執政官が検証することになると解釈した。
ジェイムズ・レイヴァー(1952年)は、
D.M.を「手書きの」(du manuscrit) とする
アナトール・ル・ペルチエの読み方を取り入れつつ、フランス革命期にノストラダムスの墓が暴かれたことではないかと解釈した。ただし、手稿が見付かったという話はないことを認めている。
同時代的な視点
D.M.は古代ローマの墓碑の出だしに書かれた略語で、別段珍しいものではない。
ピーター・ラメジャラーは
アルルかグラヌムでの考古学的発掘に関するものではないかとし、Ulpian をウルピウスと読むことでトラヤヌス帝(マルクス・ウルピウス・トラヤヌス)に関連する発見を想定したものである可能性を指摘した。
Ulpian をウルピアヌスと読んでいる
ジャン=ポール・クレベールも、トラヤヌス帝の名が登場している
第5巻6番との類似性を指摘している。
ちなみにクレベールによれば、Ulpian という綴り自体は同時代のフランソワ・ラブレーもウルピアヌスを意味する語として使っていたという。
実際のところ、後半が不鮮明とはいえ、前半は明らかに古代(恐らく古代ローマ)の重要な墓が発見されることを示している。
※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
コメントらん
以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。
なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。
- 東京裁判での判決そしてダグラス・マッカーサー(D.M.)草案の日本国憲法が施工された1947年5月の同年、イスラエルの洞窟で死海文書が羊飼いによって発見さたことなどを予言。 -- とある信奉者 (2012-02-28 23:30:02)
最終更新:2020年06月14日 13:02