原文
L' eslection faicte dans1 Frankfort2,
N' aura nul lieu Milan s' opposera:
Le sien plus proche semblera si grand3 fort
Que oultre4 le Ryn5 es mareschz6 chassera7.
異文
(1) dans : dedans 1650Le 1668
(2) Frankfort 1557U 1557B 1568 1590Ro 1597 1600 1610 1650Ri 1716 1772Ri : Franckfort 1589PV, Francfort T.A.Eds.
(3) grand : grad 1668P
(4) Que oultre : Qu'outre A partir de 1597(sauf : Qu'autre 1611A, Qu'oute 1672)
(5) Ryn / Rhin : Rhiné 1649Xa
(6) es mareschz 1557U 1568A 1568B : és mareschz T.A.Eds.(sauf : es marestz 1557B 1589PV, mareschs 1649Xa, Marais les 1672)
(7) chassera : cassera 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1653 1660 1665 1716
校訂
日本語訳
フランクフルトで行われた選挙は
なんら効力を持たないだろう。
ミラノが反駁するだろう。
彼の一番の近親者があまりにも強大に見えるので、
ライン川を越えて沼地に追いやられるであろう。
訳について
3、4行目は si... que... (英語の so... that... )の構文である。4行目はクレベールの読みに従い、chasser の目的語が「一番の近親者」と見なし、受動的に訳した。ちなみに mareschz は marais の綴りの揺れである。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳も
山根訳もおおむね許容範囲内である。その4行目「ラインの沢地を越えて 他の者が追い出される」(大乗)、「彼が相手をラインの彼方の沼地に追放するだろう」(山根)にしても、que 以下の節の理解の仕方によっては成立する。
信奉者側の見解
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは1871年の事件と解釈した。
当時普仏戦争を繰り広げていたフランスでは、ナポレオン3世が捕われた後に休戦交渉を行う前提で国民議会の議員選挙が行なわれた。それを踏まえた交渉の結果、フランクフルト講和条約が締結された(フォンブリュヌは「(フランスで)行われた選挙がフランクフルトで受け入れられない」というように、若干強引に読み替えている)。このときに、アルザス・ロレーヌはドイツに割譲された。
ミラノ云々について、フォンブリュヌは同じ年に統一イタリアの首都が
ローマとされたことへの反発と解釈した。
同時代的な視点
エドガー・レオニは、カール5世の弟フェルディナント(1世)が1558年にフランクフルトで戴冠し、神聖ローマ皇帝となったものの、ミラノ公領を継承していた甥フェリペ(2世)がそれに反発することを描いた詩と解釈した。4行目はその骨肉の争いの結果、フェルディナントはネーデルラントに追いやられるという見通しを示したものだったが、それについては外れたと見なした。
ピーター・ラメジャラーもこの解釈を踏襲し、ノストラダムスの外れた見通しが含まれていると解釈した。信奉者の中にも、
エリカ・チータムや
ジョン・ホーグのように、この外れた要素を含んでいる解釈をそのまま踏襲した者たちもいる。
ジャン=ポール・クレベールは、イタリアにとって好ましからざる神聖ローマ皇帝がフランクフルトで選出されることの予言とし、モデルとしてはマクシミリアン1世やカール5世を挙げた。
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最終更新:2012年03月09日 22:55