詩百篇第8巻49番


原文

Satur. 1 au beuf2 ioue3 en l'eau4, Mars en fleiche5,
Six de Feurier6 mortalité7 donra,
Ceux de Tardaigne8 à9 Bruge10 si grand11 breche,
Qu'à12 Ponteroso13 chef Barbarin mourra14.

異文

(1) Satur. : Satur 1591BR 1605sn 1611 1628dR 1644Hu 1649Ca 1649Xa 1672Ga 1981EB, Satur, 1607PR 1610Po 1627Di 1650Ri 1650Mo 1716PR 1772Ri, Saturn. 1665Ba 1697Vi 1720To
(2) beuf : bœuf 1568C 1606PR 1607PR 1610Po 1603Mo 1605sn 1606PR 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1649Xa 1650Mo 1665Ba 1697Vi 1716PR 1720To 1981EB, Bœuf 1672Ga
(3) ioue/jove : iouë 1605sn 1649Xa 1650Le 1650Ri 1665Ba 1667Wi 1668 1697Vi 1720To, ioüe 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Ma 1644Hu, Jove 1672Ga
(4) l'eau : l'Eau 1672Ga
(5) freiche : fresche 1627Ma 1627Di 1644Hu
(6) Feurier : Feburier 1650Mo
(7) mortalité : morralité 1627Di
(8) de Tardaigne : Tardaigne 1665Ba 1667Wi, de Sardaigne 1697Vi 1720To, de Taidaigue 1716PRb
(9) à : â 1650Le
(10) Bruge : bruge 1650Ri, Burge 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To, Bruges 1672Ga
(11) grand : gran 1568X 1590Ro 1653AB
(12) Qu'à : Qu'a 1568X 1590Ro 1672Ga
(13) Ponteroso : Ponterose 1590Ro 1605sn 1611B 1649Xa 1981EB 1672Ga, Ponte Roso 1716PR
(14) mourra : moura 1568X 1653AB

(注記)版の系譜の考察のために1697Viも加えた。

日本語訳

サトゥルヌスは牛に、ユピテルは水に、マルスは矢に。
二月六日が多くの死者を与えるだろう。
タルデーニュの人々はブルッヘで非常に大きな損害。
バルバランの首領はポンテローゾで死ぬだろう。

訳について

 1行目は明らかに星位であり、「土星は金牛宮に、木星は宝瓶宮に、火星は人馬宮に」と訳しても差し支えないだろう。
 山根訳で「土星は牡羊座に」とあるのは牡牛座の書き間違いと思われる。なお、ioue は joue(遊び)と捉えるべきでなく、Joveと読むべき。

 2行目について。池田邦吉は「二月六日生まれの者が、伝染病や災禍による多数の死亡者があることを知らせる」*1と訳している。
 確かに mortalité には死者数や死亡率の意味があるので、そうした数値を与えると読めば、絶対そういう訳が出来ないとは言いきれないように思えるが、文脈に適合しているかは大いに疑問である。

 3行目について。「タルデーニュの人々」が「非常に大きな損害」を与えるのか、受けるのかは、文章から直接読み取ることはできない。

信奉者側の見解

 クリスティアン・ヴェルナー(未作成)によれば、2月6日に土星が金牛宮に入り、木星が宝瓶宮に、火星が人馬宮に入る時は、1555年から3797年まででは1736年2月6日しかないとしている。

 この年には何もなかったが、ジョン・ホーグは4行目のバルバランをイタリアの名門バルベリーニ家と捉え、その最後の当主が1738年に亡くなったことの予言と解釈した。6日でこそなかったものの、2月中に1行目の星位が見られたことも指摘されている*2
 この詩をバルベリーニ家の当主の死と捉える解釈は、テオフィル・ド・ガランシエールも行っていた。彼の場合は、バルベリーニ家の当主をローマ教皇ウルバヌス8世(在位1623年-1644年)と解釈したが、その死の状況などと詩の内容が適合しているかについては、「分からない」として論証を放棄している。

 リー・マッキャン(未作成)は、1971年2月6日も当てはまっているとした。
 これを踏まえて、エリカ・チータムはマフィアのボスが1971年に追放されたことに当てはまる可能性を疑問符つきで示したことがあったが*3、のちに取り下げ、外れた予言のようだとしている*4

 池田邦吉は自身が2月6日生まれであることを踏まえ、池田自身が正しい解釈(未来の災害)を広く知らせることを予言したものだとした*5
 関英男(未作成)深野一幸はこの解釈を支持していた*6

同時代的な視点

 1555年から3797年までで該当する星位が1736年2月6日(ユリウス暦)以外にないことは、ピエール・ブランダムールも認めている*7
 この日には特に詩の情景に当てはまる出来事はなかった。

 なお、1971年2月6日は新暦であれ旧暦であれ、木星の位置があてはまっていないように思える。

 ヴェルナーの計算は1555年以降を対象とするものであったから、より前の時代にモデルとなる日付を見出そうとする者たちもいて、ブランダムールやピーター・ラメジャラーは、1499年2月6日にも当てはまるとしている。
 ただし、その場合でもモデルは特定されていない。

 ロジェ・プレヴォは、これを1559年2月6日のこととしている。
 この年には多くの有力者が没しており、2行目に当てはまるからだ。プレヴォが挙げている死者は、ギヨーム・ド・アンヌベール(Guillaume de Henneberg, 1月24日)、プファルツ選帝侯オットー・ハインリヒ(2月12日)、教皇パウルス4世(8月18日)、フェッラーラ公エルコレ・デステ(10月3日)などである。
 なお、フランス王アンリ2世もこの年に死んでいる。
 そして、オットー・ハインリヒの死んだ場所がローゼンハイムで、ポンテローゾは、ローゼンハイムの「ローゼン」とそのラテン語名ポンス・オエニイ(Pons Oenii)の「ポンス」を組み合わせたものと見ているようである。
 さらに、タルデノワでこの年に行われた交渉が、フランドル地方のカトー=カンブレジで結ばれた講和条約に結び付いたが、それはフランスにとってメリットだけでなく損害をもたらしたことにも、この詩は適合するとしている(プレヴォはタルデーニュをタルデノワと捉え、ブルッヘはフランドルの代喩と見ている)*8
 この解釈には、星位との対応が全く示されていない点に疑問が残らないわけではないが、手許のフリーウェアのホロスコープで確認する限りでは、1559年2月6日(ユリウス暦)の星位は、1行目にあてはまっている(この点、より正確な情報をお寄せいただければ幸いである)。

 なお、プレヴォの解釈は、1558年版予言集の存在を否定するか、ノストラダムスの予言能力を肯定しないと成立しないが、あるいは1559年以前に書かれていた予言が外れただけなのかもしれない。
 例えば4行目は、本来バルベリーニ家の当主がポンテロッソで死ぬことを予言していたが、外れてしまったと見ることも出来るだろう。


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最終更新:2020年06月08日 23:55

*1 池田『ノストラダムスの預言書解読II』p.305

*2 Hogue [1997]

*3 Cheetham [1973]

*4 Cheetham [1990]

*5 池田『ノストラダムス預言書解読III』pp.85,87 etc.

*6 関『高次元科学2』1996年、p.211 ; 深野『ノストラダムス恐怖の開示録』pp.69-70

*7 Brind’Amour [1993] p.283

*8 Prévost [1999] p.107