詩百篇第10巻85番


原文

Le vieil1 tribung2 au point de la trehemide3
Sera pressee4 captif5 ne desliurer6,
Le veuil non veuil7 le mal8 parlant timide
Par legitime à ses9 amys liurer.

異文

(1) vieil : viel 1627Di 1653AB
(2) tribung 1568X 1568A 1568B 1590Ro 1605sn 1628dR 1649Ca 1649Xa 1772Ri : tribun 1568C 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Di 1627Ma 1650Mo 1650Ri 1650Le 1667Wi 1668 1716PR 1981EB, Tribun 1644Hu 1653AB 1665Ba 1672Ga 1720To 1840
(3) la trehemide : larthemide 1568X 1590Ro, la trechemide 1627Di, la Trehemide 1672Ga
(4) pressee : presser 1650Mo, pressé 1650Le 1667Wi 1668, presse 1672Ga
(5) captif : Captif 1672Ga
(6) desliurer : deliuree 1981EB
(7) Le veuil non veuil 1568X 1568A 1568B : Le vueil non vueil 1568C 1591BR 1597Br 1603Mo 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Di 1628dR 1627Ma 1649Ca 1649Xa 1672Ga 1716PR 1981EB, Le vieil non vieil 1590Ro 1644Hu 1650Ri, Le viel, non viel 1653AB 1665Ba 1720To 1840, Le veil non veil 1650Le 1667Wi 1668, Le veuil don veuil 1772Ri, La vueil non vueil 1650Mo
(8) le mal : lemal 1611B
(9) ses amys : les amis 1650Mo

(注記)1716PRbはページ欠落のため比較できず。

校訂

 最大の難関は1行目の la trehemide であろう。従来、いくつもの読みが提案されてきた。有力説は 「震え」 に関連する語として理解することである。さしあたり、当「大事典」でもそれを採るが、それは1568Xの異文がほぼ全く認識されない中で形成された通説である点には注意が必要だろう。当「大事典」では 1568X の larthemide という異文を尊重し、l'Arthemide とする案も提示しておきたい (詳しくはtrehemide参照)。

 2行目 pressee が女性形になっているのは不自然。pressé ではないかと思われるし、実際、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースの英訳でも1行目の tribun (男性名詞) が主語として訳出されているが、この点についてのコメントは見られない。

 3行目の veuil には vueil という異文もあるが、古くはどちらも同じ単語の綴りの揺れに過ぎない*1。ただし、DMF と DFE に掲載されているのは vueil の方のみである。

日本語訳

老いた護民官は震えがして、
囚われ人を解放しないように迫られるだろう。
望みでない望み。物怖じしてそのことをうまく話せずに、
適法にその友人たちへと引き渡す。

訳について

 1行目は la trehemide を震えにひきつけて理解する通説的な読み方に従った。当「大事典」としていささかの疑問もないではないが、後述するようにモデルとして有力視されている古典との整合性を考えると、そう読まざるを得ない。
 tribunは元古代ローマの役職で、一応 「護民官」(tribunus plebis) と訳したが、「軍団司令官」(tribunus militum) などの可能性もある。仏仏辞典では古代ローマの magistrat (高官)や officier (士官) と説明されることもしばしばである。

  3行目 vueil ないし veuil は、古くは voil, voel, vuel などの綴りの揺れも含めて、「意志、意思、欲求」(volonté, gré, désir) の意味*2。le parler は「彼(彼女)に話す」の方が自然だが、中期フランス語の parler は dire と同じ意味もあったので*3、le を語る内容に理解した。ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースの英訳では、この le をどう処理しているのか、いまいち読み取れない。
 なお、le mal parler は「悪(災厄)を語る」とも訳せるが、この mal は le と切り離して、「下手に」を意味する副詞に捉えるのがいいだろう。ラメジャラーの英訳では with pain で、シーバースの英訳では(この行はかなりアレンジされているので対応させづらいが、おそらく)stammering である。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「古いトリビューン トレーミドのおわりに」*4は、ヘンリー・C・ロバーツの英訳をほぼそのまま転訳したものだが、au point de を 「おわりに」 と訳すことの妥当性に疑問がある。
 2行目「首長を圧迫し 解放されることもなく」は不定法の扱いに疑問があるほか、captif (囚われた人) を「首長」と訳すのは不適切である (これはロバーツの英訳に captain が使われていたせいだろう)。
 3行目「かれらは意思がなく 悪をおくびょうに語り」の前半は、ロバーツも彼が基にしたテオフィル・ド・ガランシエールも、ともに They will not will と訳していたせいだろうが、They がどこから出てきたのか(先行する名詞はいずれも単数)どうもよく分からない。
 4行目「合法的に友人に救われるだろう」は、意訳としては間違いでないかもしれないが、livrer à の直訳は 「~に引き渡す、委ねる」などである。

 山根訳について。
 3行目 「老人 老いずして 悪についておずおずと語る」*5について。「老人 老いずして」は veuil non veuil を vieil non vieil と読み替えた結果であろう。直訳としては不適切だが、現代でもピーター・ラメジャラーのように、そう訳している例は見られる。
 4行目「友人を合法的に釈放せんとして」は、上述の通り、livrer à の意味を考えると不適切であろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、tribunを「ある町の隊長または行政官」とし、au point de la trehemide を「3ヶ月間の終わりに」と読んだ上で、あとは詩の情景をそのまま敷衍したような説明しかつけていなかった*6

 アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)は、ナポレオンの百日天下と復古王政に関する詩篇と解釈した*7

 アンドレ・ラモン(1943年)は、第一次世界大戦でのドイツ降伏後、フランス首相クレマンソー(老いた護民官)、イギリス首相ロイド・ジョージ(それほど老いていない老人。3行目 vueil の読み替え)、アメリカ大統領ウィルソン(悪について語る臆病者)の三者の間で、ドイツ軍の扱いが揺れたことと解釈した*8

 ロルフ・ボズウェルは第二次世界大戦時にドイツの傀儡政権の首班となったペタン元帥と解釈した*9。ペタンのヴィシー政権と結びつける解釈は、エリカ・チータムネッド・ハリーらも踏襲し、ジョン・ホーグもその解釈のみを紹介した*10

 セルジュ・ユタン(1978年)は、ヒトラーに権力掌握への道を開いたヒンデンブルクのことと解釈した*11

 ヴライク・イオネスク(1976年)は trehemideを tres (三)と hemi (半分)の合成語と判断し、「3と半分」を指すとし、ルイ16世が逮捕から3ヵ月半後に処刑されたことを指すと解釈した*12
 この解釈は竹本忠雄(2011年)も踏襲した*13。なお、竹本は trehemide を「震え」などとするアナトール・ル・ペルチエ(ちなみにル・ペルチエは用語集で語釈をしているだけで、この詩の解釈はしなかった)らの見解を「当てずっぽう」として退ける一方、どういう根拠で「三プラス半分」としうるのかについて、説明をしておらず、イオネスクの名前にも一言も触れていない。

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは、キケローの『ミロー弁護』をモデルと見なした*14
 『ミロー弁護』は、「キケローの法廷弁論の中でも古来名作の誉れ高い一篇であるが、実際に行われた演説の原稿ないし筆録ではない」*15
 ティトゥス・アントニウス・ミロー(生年未詳 - 紀元前48年没)は、紀元前52年にプブリウス・クローディウス・プルケルを殺害した罪で訴追され、有罪の見通しとなったことから、自発的にマッシリア(現マルセイユ)へと亡命した。
 キケローは、そのミローが訴追された法廷で弁護を買って出たものの、クローディウス派の激しい罵声を浴び、それに怯んだものか、きわめて不十分にしか弁護ができなかったとされている。現存する『ミロー弁護』は、その裁判の後に、改めてキケローが執筆したものである*16

 『ミロー弁護』をモデルとする解釈は、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースも踏襲している*17


【画像】 『キケロー選集2』


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詩百篇第10巻
最終更新:2019年11月19日 00:10

*1 DALF, T.8, p.282

*2 DALF, T.8, p.282

*3 DMF

*4 大乗 [1975] p.304。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.341。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Garencieres [1672]

*7 Torné-Chavigny [1860] p.98

*8 Lamont [1943] p.139

*9 Boswell [1943] p.218

*10 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990], Hogue (1997)[1999], Halley [1999] p.158

*11 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*12 Ionescu [1976] pp.297-298

*13 竹本 [2011] pp.373, 430-433

*14 Prévost [1999] p.87

*15 山沢孝至「『ミロー弁護』解説」『キケロー選集2』岩波書店、p.497

*16 山沢、前掲文献、pp.497-498

*17 Lemesurier [2010], Sieburth [2012]