詩百篇第8巻60番


原文

Premier en Gaule, premier en Romanie1,
Par mer & terre aux Angloys & Parys
Merueilleux faitz par celle grand mesnie2
Violant3 terax4 perdra5 le NORLARIS6.

異文

(1) Romanie : Romaine 1606PR 1607PR 1610Po 1650Mo 1653AB 1665Ba 1697Vi 1716PR(a c)
(2) mesnie/ ménie : mesme 1607PR 1610Po, mesgnie 1672Ga, menie 1665Ba 1697Vi 1720To
(3) Violant : Violent 1667Wi 1668P
(4) terax : tenax 1594JF, Terax 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Le 1650Ri 1667Wi 1668 1672Ga
(5) perdra : perdre 1650Mo, perdera 1981EB
(6) le NORLARIS : le Norlaris 1590Ro 1653AB 1665Ba 1672Ga 1840, de NORLARIS 1650Le 1668A, de Norlalis 1667Wi, de NORALIS 1668P, Norlaris 1697Vi 1720To

(注記)版の系譜の考察のために1697Viも加えた。

日本語訳

ガリアで第一位の者、ロマニアで第一位の者が
海と陸とを通じ、イングランド諸都市とパリへと
その大軍をもって驚倒すべきことを(行う)。
荒々しい怪異がノルラリスを破滅させるだろう。

訳について

 1行目 Romanie はいくつかの訳がありうる。
 o と ou が当時交換可能であったことから素直に考えれば Roumanie (ルーマニア)のことと理解される。
 しかしながら、ルーマニアの語源はローマの属州であったことに由来しており、語の本来の意味では「ローマ人の土地(国)」の意味である。そこで、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースはこれを神聖ローマ帝国の意味に理解している*1
 当「大事典」では、とりあえず語源を考慮してラテン語形の「ロマニア」と表記したが、本来の意味を尊重して「ローマ人の土地」とするなり、フランス語のまま「ロマニー」とするなりの表記も特に問題とはならないだろう。
 かつてエドガー・レオニは、神聖ローマ帝国、イタリアのロマーニャ地方、教皇領(ローマ教皇庁の土地)の3通りの可能性を挙げていた*2

 なお、3行目まで動詞がない。このため、1行目は1人の人物(=ガリアとロマニアで第一位の者)を指すのか、2人の人物(ガリアで第一位の者とロマニアで第一位の者)を指すのか、確定させがたい。当「大事典」では直訳に近く、一応どちらにも読めるように訳した。

 4行目 terax は古語辞典の類にも見られない語だが、マリニー・ローズによると、神がもたらした驚異・前兆などを指し、しばしば流星を意味するギリシア語 teras に由来する単語で、それは「怪異」「怪物」なども意味するという*3
 ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールもギリシア語起源で「怪物」(monstre)としている*4
 エドガー・レオニの場合、やはりギリシア語に起源を求めるのは同じだったが、「野獣」(wild beast)と英訳していた*5
 violant はラメジャラーやリチャード・シーバースに倣って violent の綴りの揺れと理解したが、そのままなら violer (侵犯する、強奪する)の現在分詞である。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「はじめフランスに はじめローマに」*6は不適切だろう。ここで premier を副詞的に理解するのは不自然である。また、ガリアをフランスと意訳するのはまだしも、Romanie をローマとするのは微妙にニュアンスが変わってしまうように思われる。
 2行目「英国とパリは海陸によって」も不適切。anglois (anglais) は、英国(Angleterre) ではなく、そこの人(や言語など)を指すのが普通である。ただし、パリがパリ市民(Parisien)になっていないので、それとの整合性を考えた場合、anglois は「イングランド人たち」よりも「イングランドの諸都市」の意味に捉えるべきと判断し、当「大事典」ではそのように訳している (もちろん、「イングランド人たちとパリ」という訳も可能。 anglois は単複同形だが、直前の aux から複数形と分かる)。なお、その aux (前置詞 + 冠詞)からすれば、これを主語に理解する大乗訳は不適切だろう。
 3行目「すばらしい行為が大いなる友によって」は転訳による誤訳。元になったヘンリー・C・ロバーツが英訳で company を使っていたのを「友」と訳しているが、mesnieの意味を考えれば、明らかに不適切であろう。

 4行目「人をうっとりさせ テラックスはノーラリスを破壊する」も前半が不適切。これはヘンリー・C・ロバーツが英訳に際して使っていた ravishing の直訳だが、ロバーツはむしろこの語を「暴力的に奪う」の意味で使ったはずだろう。仏語原文の violant からすれば、転訳による誤りといえる。

 山根訳について。
 2行目 「海と陸とでイギリスとパリに対抗」*7の「イギリス」の不適切さについては大乗訳への指摘を参照。
 4行目「激烈な 野獣がロレーヌを失う」の「野獣」については、上の terax の解説参照。かつてレオニがした訳を踏襲したものだが、現在では広く支持されているとは言いがたい。「ロレーヌ」は Norlaris を解釈を交えて意訳したもの。perdre には「失う」「破滅させる、死なせる」の意味があるので、山根訳はもちろん誤りではない。当「大事典」では、クレベールが vaincre, ruiner などと釈義していることに従った。ラメジャラーやシーバースの英訳では shall lose となっている。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、Norlarisをロレーヌのアナグラムと見なした上で、1行目をギーズ公の権勢を示すと解釈した。シャヴィニーは断片的にしか解釈していないが*8、1588年に位置づけているということは、おそらく4行目にその年のギーズ公アンリ・ド・ロレーヌ暗殺事件まで読み込んでいるものと思われる。

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、フランス王とローマ教皇が手を組み、パリとその援軍として現れたイングランド軍と戦うことになると解釈した*9Norlaris はロレーヌのアナグラムとしている。

 1689年ルーアン版『予言集』に掲載された「当代の一知識人」の解釈では、ジャン・ポルトロによるギーズ公暗殺と解釈されている。これは1691年ルーアン版『予言集』に掲載された解釈でさらに敷衍されたが*10、ポルトロによってギーズ公(フランソワ・ド・ロレーヌ)が殺された時期を「1562年2月」としているのは、「1563年2月」の誤りである。

 フランシス・ジロー(1839年)はフランスとイタリアで第一位になる者として、ナポレオンに関する詩と解釈した*11。ジローはNorlaris を raison (理由、理性) のアナグラムと解釈した。
 この解釈はウジェーヌ・バレスト(1840年)も踏襲した*12

 ナポレオンとする解釈は、アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)、ジェイムズ・レイヴァー(1942年)、セルジュ・ユタン(1978年)らも踏襲した*13

 エリカ・チータム(1973年/1989年)はナポレオンとする解釈を踏襲しつつも、普仏戦争でロレーヌを失ったナポレオン3世についての情報が混ざりこんでいるのではないかと解釈していた*14
 なお、チータムの1973年の著書ではナポレオン3世が「2世」と誤植されていた(あるいは本人が勘違いしていたか)。
 結果、その日本語版でも、ナポレオン2世がロレーヌを失ったというありえない解釈が無批判に書かれている。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1939年)はそのまま敷衍したような漠然とした解釈しかつけていなかったが、近未来に想定していたフランス王政復古のあとの偉大な君主について触れた詩群の中で扱っていた*15
 アンドレ・ラモン(1943年)はそれを踏襲しつつも、もう少し具体的に、当時継続中だった第二次世界大戦に関連し、ロレーヌ家の末裔のフランス王アンリ5世が君臨し、ドイツのナチやイタリアのファシストを滅ぼす手助けをすると解釈していた*16
 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、1980年のベストセラーでは1980年代から始まることになっていた世界大戦で君臨するフランス王アンリ5世についての予言と解釈していたが、晩年の著書では触れていなかった。

 ジョン・ホーグは、1行目の「ロマニア」をそのままルーマニアと解釈し、英仏がドイツ、オーストリアに対抗して、ルーマニアとも同盟を結んだ第一次世界大戦と解釈した。普仏戦争以来、ドイツ領となっていたアルザス=ロレーヌは、この戦争の結果、フランスの手に戻った*17

同時代的な視点

 Norlarisがロレーヌであろうという点はおおむね異論がない (ジャン=ポール・クレベールのみは、Nord と polaire の合成語 norlaire が押韻のために変形した可能性も挙げている)。

 エヴリット・ブライラーは、1556年から1558年のギーズ公フランソワ・ド・ロレーヌがモデルではないかとした*18。ギーズ公は1556年からイタリアに侵攻していたが、1557年にフランス本国の戦いが不利になると呼び戻された。フランス軍は1557年のサン=カンタンの戦いでは大敗を喫したが、ギーズ公は翌年にカレー奪還に成功した。
 ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースも、力点を置く時期に若干の違いはあるが、おおむねこの時期のギーズ公がモデルと見なしている*19


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詩百篇第8巻
最終更新:2020年06月12日 23:20

*1 Lemesurier [2003b], Sieburth [2012]

*2 Leoni [1961]

*3 Rose [2002c]

*4 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010], Clébert [2003]

*5 Leoni [1961]

*6 大乗 [1975] p.245。以下、この詩の引用は同じページから。

*7 山根 [1988] p.270。以下、この詩の引用は同じページから。

*8 Chavigny [1594] p.256

*9 Garencieres [1672]

*10 Besongne [1691] p.200

*11 Girault [1839] pp.34-35

*12 Bareste [1840] p.522

*13 Torné-Chavigny [1860] p.96, Laver (1942)[1952] p.182, Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*14 Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]

*15 Fontbrune (1938)[1939] p.206, Fontbrune (1938)[1975] p.220

*16 Lamont [1943] p.292

*17 Hugue (1997)[1999]

*18 LeVert [1979]

*19 Lemesurier [2003], Lemesurier [2010], Sieburth [2012]