百詩篇第7巻24番


原文

L’enseuely1 sortira du tombeau2,
Fera de chaines3 lier4 le fort du pont:
Empoysoné5 auec œufz6 de barbeau7,
Grand de Lorraine8 par le Marquis9 du Pont10.

異文

(1) L’enseuely : L’enseueuely 1627, L’Ensevely 1672
(2) tombeau : tumbeau 1627 1630Ma, Tombeau 1772Ri
(3) de chaines : de chaisnes 1605 1672 1840, des chaines 1627, de schaines 1650Le
(4) lier : lie 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1716
(5) Empoysoné : Empoisonne 1665
(6) œufz : œuf 1557B
(7) barbeau 1557U 1557B 1590Ro : Barbeau T.A.Eds.
(8) Lorraine : lorraine 1557B 1653, Lorrain 1672
(9) Marquis : marquis 1840
(10) Pont : pont 1590SJ 1672

日本語訳

埋葬された者が墓から出るだろう。
(その者が)橋の強者を鎖で縛らせるだろう。
バルブスの卵を使って毒を盛られる、
ロレーヌの貴族がル・ポンの侯爵によって。

訳について

 構文理解上の難しい箇所はない。
 2行目 le fort du pont は「鎖でつながせる」という文脈から人物と考えた(ブランダムールもそう考えていた)が、「橋の要塞」とも訳せる。また、pont は pontife (高位聖職者)やギリシア語からの借用で「海」の意味で使われていることもあるため、「海の要塞」などの訳も可能である。

 3行目 Barbeau はコイ目コイ科バルブス属の淡水魚の総称で*1、バルブス属はニシニゴイダマシ属*2、バーベル属(Barbel)*3などとも表記される。白水社の『仏和中辞典』には「にごい」(似鯉)、学名に使われているラテン語の Barbus は『羅和辞典』では「しらうお」(白魚)、「にごい」とある。
 DFE では riuer Barbell (river Barbel)と英訳されており、ボルドー周辺に限った用法として sea Barbell という訳語も掲載されている。
 当「大事典」としては、とりあえずバルブス属の魚の総称ということで「バルブス」と表記している。なお、ノストラダムスの『予言集』でこの魚に言及されているのは、ここだけである。

 4行目ル・ポンの侯爵 (Marquis du Pont) はポン=タ=ムソン侯爵 (Marquis de Pont-à-Mousson) と理解されることがしばしばだが、du は de + le のことで、ポン=タ=ムソンに冠詞がつかないことと整合しない。この点、特に注記している論者は見当たらないが、当時の綴りに揺れがあったということなのか、さもなくば「橋」(le Pont)とポン=タ=ムソンの言葉遊びということで、いずれにしても深い意味はないものと思われる。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「埋蔵物が彼の墓から出て」*4は誤訳とはいえない。本来、ensevelir は「埋葬する」の意味だが、そこから派生して単なる「埋める」などの意味も持っているからである。
 2行目「橋の要さいは鎖でつながれ」は誤訳。Fera は使役(~させるだろう)だが、そのニュアンスが出ていない。
 3行目「鯉の卵に毒が」は、バルブスがコイ科の魚ということを考えれば、誤りとはいえないだろう。
 4行目「ロレインの偉大な人物はマーク・デュポンによって」は構文理解は間違っていないが、Marquis (マルキ)を「マーク」とするのは英語読みですらない。

 山根訳は問題ない。
 3行目 「似鯉の卵で一服盛られる」*5も、上述のように、barbeau / barbus に「ニゴイ」の訳を当てている辞書はあるので、誤りではない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は前半と後半で二分割できるとした上で、前半は生きたまま埋葬されていた人物が墓から出てくることについて、後半はロレーヌ家の大物が毒殺されることについての予言とした*6

 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は近未来のフランスの王政復古に関連する詩の一つとした。彼の解釈では Barbeau はバール公爵領(Bar)の言葉遊びとされ、4行目の橋の公爵も黒海(Pont. Euxin.)の辺境(Marquis には侯爵のほか、辺境守護伯の意味がある)とされた*7
 アンドレ・ラモン(1943年)やジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)はその解釈をほぼ踏襲した*8

 ジェイムズ・レイヴァー(1952年)は1行目だけ引用して、エルバ島に流されたがそこで終わらなかったナポレオン・ボナパルトと解釈した*9

 セルジュ・ユタン(1978年)はほとんど解釈していなかったが、後のボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、詩の前半について、17世紀のシャルル(4世)・ド・ロレーヌと部分的に重なることが示された*10

同時代的な視点

 4行目 「橋の侯爵」(Marquis du Pont) をポン=タ=ムソン侯爵と解釈したのは、おそらくエドガー・レオニが最初である。ポン=タ=ムソン侯爵の称号は、15世紀以降、ロレーヌ公爵家の若者が襲名することになっていた。つまり、レオニも指摘するように、3・4行目はロレーヌ公爵が自身の息子に毒殺されることを描写していると読める*11。もっとも、レオニは詩の描写そのものを何らかの歴史的事件とは結び付けていなかった。

 ピエール・ブランダムールは、4行目 「橋の侯爵」をポン=タ=ムソン侯爵と解釈して、第2巻48番第7巻42番と結び付けつつ、1546年(第2巻48番から読み取れる)に毒殺未遂があったのではないかと疑問符付きで述べていた*12。ブランダムール自身認めるように、これは史料上の裏付けのある解釈ではない。

 ピーター・ラメジャラーはロレーヌ家が巻き込まれる未特定の事件と推測するにとどまった。

 ジャン=ポール・クレベールは、1・2行目について、ノストラダムスがpont をギリシア語からの借用で「海」の意味に使っている例があること、また、かつて enseveli には「埋葬された」以外に、「権力から遠ざかった」の意味があったことを踏まえ、一度失脚した者が再び権力を握り、要塞化した港(海の強者、海の砦)に鎖を掛けて、船を入港禁止にしてしまうことと解釈した。
 また、後半をロレーヌ公爵とポン=タ=ムソン侯爵に関する事件(ただし史実とは結び付けていない)とする点は他の論者と変わらないが、バルブスについて、その白子は春先に嘔吐を引き起こすことや、エミール・リトレに基づく情報として、バルブスの卵はカワカマス(Brochet)の卵同様に下剤の作用があることなどを付記している*13


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最終更新:2015年07月03日 23:52

*1 『ロワイヤル仏和中辞典』

*2 『ロベール仏和大辞典』

*3 『プチ・ロワイヤル仏和辞典』

*4 大乗 [1975] p.208。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.247。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Garencieres [1672]

*7 Fontbrune (1938)[1939] p.205, Fontbrune (1938)[1975] p.220

*8 Lamont [1943] p.302, Fontbrune (1980)[1982]

*9 Laver [1952] p.190

*10 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*11 Leoni [1961]

*12 Brind'Amour [1993] pp.225-226

*13 Clébert [2003]