原文
Nul
1 de l’Espaigne
2 mais de l’antique France
Ne sera
3 esleu pour le tremblant
4 nacelle
5,
A l’ennemy
6 sera faicte
fiance7
Qui dans son
regne8 sera peste cruelle.
異文
(1) Nul : Nud 1716B
(2) l'Espaigne : l'Espagne 1557B 1588-89 1590SJ 1591BR 1597 1605 1627 1628 1630Ma 1644 1649Xa 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1668 1672 1840 1867LP, l'Epagne 1772Ri
(3) Ne sera : Sera 1672, N sera 1716A
(4) tremblant : trembant 1867LP
(5) nacelle : nacellle 1590SJ
(6) A l’ennemy : à l'ennemy 1653, à lennemy 1665
(7)
fiance : silence 1588-89
(8)
regne : Regne 1672
(注記)1653と1665の3行目の語頭は小文字である。
校訂
日本語訳
スペインからでは一切なく、由緒あるフランスから
揺れる舟のために選ばれるだろう。
敵方への信頼が生み出されるだろう。
それは彼の王国では苛烈な
悪疫(のごとく)であろう。
訳について
2行目の Ne は1行目の Nul に対応していると見るべきだろう。つまり、直訳すれば「揺れる舟のためにスペインからは誰も選ばれないだろう。しかし、由緒あるフランスからは 〔ある人物が選ばれる〕」ということである。上の訳は、行ごとに対応させる都合上、2行目を肯定文に訳している。
ピーター・ラメジャラーや
リチャード・シーバースも、2行目を肯定文とする形で行ごとに対応させている。
4行目の関係代名詞 qui が何を受けているのかは今ひとつ分かりづらい。ラメジャラーやシーバースは who としているので、3行目の「敵」あたりを想定しているのだろう。他方、「信頼」を受けているとも解釈できる。l'ennemi は単数だが、1人の敵だけでなく集合的な敵勢力などを指すこともある。当「大事典」が「敵方」と訳したのは、「それ」がどちらを受けているとも理解できるようにするためである。
なお、ラメジャラーは who shall prove such a pest during his reign、シーバースは Who shall prove a most cruel plague to his realm とsera (英語の be 動詞にあたる動詞の未来形)を、prove で置き換えて訳している。 当「大事典」としてそのような読みを全否定する意図はないが、問題のある存在や事柄をペスト呼ばわりすることは普通にあったのだし(
ノストラダムスに限らず、カルヴァンら他の同時代人の用例もある)、ここでは「敵」そのものないし敵に対する「信頼」の、国にとっての有害度がペストに等しいという意味に理解しても、普通に意味は通るように思われる。
ジャン=ポール・クレベールの場合、qui を無視して(あるいは que などと読み替えたか) une peste cruelle frappera son royaume (苛烈な悪疫が彼の王国を襲うだろう) と釈義している。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳について。
1行目 「だれもスペインからでることなく 古代のフランスからでて」は誤訳ではない。ただし、antique はこの場合、「古代の」と訳すことが妥当か疑問である。
ジャン=ポール・クレベールは「古い歴史を持つ」(qui a un long passé)と釈義している。
4行目「王国の人はむごい疫病にかかるだろう」は、上記のクレベールのような読み方を更に意訳したと見るべきだろうか。なお、元になったはずの
ヘンリー・C・ロバーツの英訳は Who to his kingdom shall be a cruel plagueで、むしろこの方が直訳に近い(この英訳は
テオフィル・ド・ガランシエールの英訳をそのまま転用したものである)。
山根訳について。
1行目 「スペインではなく古代フランスより」の「古代」については、上記の大乗訳への指摘と重なる。
4行目「彼の治世に大疫病をはやらせる敵に」は、上記のラメジャラーたちの読み方に近いが、「はやらせる」が微妙。元になったはずの
エリカ・チータムの英訳で cause が使われていたことによるのだろうが、これは
エドガー・レオニの英訳の借用である。レオニの場合、上で説明したように fera と読み替えているので筋が通っているのだが、チータムは sera のままで cause と英訳しているので少々おかしなことになっている。
信奉者側の見解
テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、舟を教会の隠喩と見なし、前半で描写されているのはローマ・カトリック教会の分裂であり、フランスから選ばれた教皇がそれを鎮めることになると解釈した。他方、後半は「理解が容易」だけで片付けている。
フランス選出教皇の予言とする解釈は
ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)も踏襲した。
娘夫妻の改訂(1982年)では、1978年に選出されたポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ノストラダムスがこの詩を書いた1555年(原文ママ)以来で最初の非イタリア人教皇であり、当たらずといえども遠からずというような解説が追記されている。
アンドレ・ラモン(1943年)は、前半で描写されているローマ教皇は、ピウス11世(在位1922年 - 1939年)とした。ピウス11世は、前任者ベネディクトゥス15世の後、有力候補だったスペインの枢機卿メリ・デ・バルを退けて教皇になった人物であり、その出身地ロンバルディアはフランスではないが、かつてシャルルマーニュの支配地であったことから的中と見なせるとしたのである。後半はスペイン内戦などに結び付けられている。
エリカ・チータム(1973年)は、未来においてフランス出身の枢機卿がスペイン出身の枢機卿を退けて教皇になる予言としていた。しかし、後には、その解釈を維持しつつも、ヨハネ・パウロ2世の出身地ポーランドがかつてのシャルルマーニュの所領の境界にあたる場所だったことや、対立候補の出身地だった南アメリカ大陸はノストラダムスの認識ではスペイン帝国の一部だったとして、ヨハネ・パウロ2世に当てはめられる可能性も示した。
セルジュ・ユタン(1978年)は、フランス王ルイ14世の孫アンジュー公フィリップが、スペイン継承戦争を経て、スペイン王フェリペ5世(在位1700年 - 1724年および1724年 - 1746年)として即位したことと解釈した。しかし、1981年の改訂では、その解釈に加え、近未来の戦争や大君主に重ねられるかもしれないとする解釈も示した。その両論併記は
ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)でも踏襲された。
同時代的な視点
信奉者側でも一部例外を除いて共有されているように、「舟」はローマ・カトリック教会の隠喩だろう。
ピーター・ラメジャラーは中世の教会大分裂(1378年 - 1417年)をモデルと見なしている。この時期には
ローマの教皇に対し、
アヴィニョンに対立教皇が立つという形で、2人の教皇が立った(末期には
ピサにも対立教皇が立った)。
この大分裂以後にフランス出身の教皇は現れていない(そもそも対立教皇もアヴィニョンで擁立されただけで、全員がフランス人だったわけではない)。ゆえに、ラメジャラーの指摘は一つの可能性として有力だろう。他方、もう一つの可能性も挙げておきたい。
それはノストラダムスが同時代から近未来にかけての希望的観測を示したという可能性である。16世紀は各国の勢力争いが教皇選挙にも影響していた。たとえば、ノストラダムスがこの詩を書いた頃(1555年から1557年の間)の教皇であったパウルス4世(在位1555年 - 1559年)にしても、スペイン系の枢機卿たちからは強い反対を受けている。
ゆえにこの詩は、(フランスから見て敵対勢力に当たっていた)スペインからでなく、フランスから新たな教皇が選ばれることになるという見通しを示したものだったのではないだろうか。ノストラダムスは少なくとも著作においては王党派カトリックを標榜していたのだし、大分裂期の対立教皇ベネディクトゥス14世以来(正教皇としては14世紀末のグレゴリウス11世以来)となるフランス出身教皇を望んだとしても何の不思議もない。また、当時プロテスタントの台頭で揺れていたカトリックを立て直すのが、自国出身の教皇であって欲しいという望みを抱いたとしても、やはり不自然ではないだろう。
その読み方の場合、後半はプロテスタントと妥協すると一気に広まってしまうので妥協すべきではない、という警告だろうか。
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最終更新:2016年02月07日 00:21