「恐怖の大王=デクエヤル」説

 かつてベストセラーとなった加治木義博の『真説ノストラダムスの大予言』では、恐怖の大王は1999年ではなく、1988年にイラン・イラク戦争停戦を仲介した国連のデクエヤル事務総長(当時)であるとしていた*1

 結論から先に言えば、語学的にまったく支持できない奇説の域を出るものではない。
 この項目では、いくつかに論点を分けたうえで、奇説と言える根拠を指摘しておきたい。

恐怖の大王の綴りと発音

 まず加治木は「恐怖の大王」について検証している。

 では、この詩の「恐怖」は何を意味するのだろう?これは正確には「怖がらせる・怯えさせる」という動詞に、「De」という「称号としての冠詞」がついたものだから、その王の名前または渾名と見るのが正しい。
 ノストラダムスが使った「恐怖」というフランス語のスペルを見ていただきたい。
 Deffrayeur。
 (略)
だからフがクに、レがエに変化するため、「デフレヤル」を「デクエヤル」と発音する人々も世界にはたくさんいる。ことに原詩で、本来一つの「F」を二つ重ねて強調しているのは「フをクと強く発音せよ」という意味にも取れる。*2

 こうして、「恐怖の大王」とはデクエヤルであったと結論づけている。発音がデクエヤルに近いというのは一応認められるとしても、背景となる文法説明がすべてデタラメである。
 加治木は(本来1つのFを2つ重ねているという物言いからして)deffrayeur を De + ffrayeur と分けているようだが、こんな分け方は誰もしない。異文に d'effrayeur というのがあるように、普通は d'(=de) + effrayeur と分けるのである。
 そして、de + frayeur と分けるにしても、その場合、frayeur は動詞でなく名詞である。また、de に「称号としての冠詞」の用法などない。貴族に「ド・○○」という名前が多いことから勘違いしたのかもしれないが、辞書を引けば分かるとおり、あれも単なる前置詞としての用法である。
 「本来 F が一つ」という主張(これは彼の別の本*3でも登場している)も、彼の勝手な区切り方に基づいて現代フランス語の frayeur と結び付けているだけに過ぎない。現代フランス語には effrayer という単語もあるし、逆に effrayeur という単語はノストラダムスの造語に過ぎないので*4、「本来の綴り」などノストラダムス本人以外にわかるわけがない。

 ちなみに加治木は「本当のフランス語の発音だと『ヅ・フレヨー』と聞こえる」(『黙示録』p.32)と主張しているが、パリ在住の文化史家、竹下節子は「デフレイヤール」と音写している*5
 ノストラダムスの造語なので発音記号は直接示せないが、近い綴りのfrayeurの発音記号は[frεjœːr]である*6。œːrはカナ転写しづらい曖昧な音(œは「オ」をはっきり発音する口の形で「エ」と発音する感じ。rはルよりもフやグに近い感じ)なので表記に揺れがあるのは仕方ないが、加治木のいう「本当のフランス語の発音」とやらからは少々遠い印象が否めない。

詩のナンバー

 次に加治木は詩のナンバーを計算して、この詩が何年の予言なのかを論じている。加治木によれば、予言集第一序文(セザールへの手紙)を予言の解読マニュアルと位置づけ、その解読結果から、詩番号を加減乗除することで事件の日付を導けると主張していた。

 その主張に基づき、加治木は第10巻72番でも計算している。なお、小見出しは「詩のナンバーから一九九九年の年数は出てこない」である。

 それよりも私たちは〔詩のナンバー〕が正しい予言の〔時〕を示すという確証を握っているのだから、問題の詩『一〇巻七二番』は、そのナンバーによると果して何年のことになるか、やはり一九九九年が出るかどうか、計算してみよう。
 10 = 一 + 九。10 + 7 = 17 = 八。10 – 2 = 八。という計算が成り立つから、この予言の年は一九八八年が正しい。*7

 仮にナンバーから年数を導くという仮説が正しいとして、本当に1999年は出てこないのだろうか、計算してみよう。
 10 = 1 + 9 = 19
 7 + 2 = 9
 10 + 7 + 2 = 19 = 9
 並べれば、きちんと1999年は出てくる。これを読んだ方の中には、10から19を導いたり、19を9にしたりというのがこじつけだと批判する方もいるかもしれない。しかし、これらは加治木もやっていることである。

〔一=一九〕 これまでの調査で、〔一〕は、ただの〔一〕と、〔一〇〕と、〔一+九〕の意味との、三通りの役目を持っていることがわかっている。この噴火は間違いなく現在の一九〇〇年代の事件だから、これを千と百の位の〔一九〕の意味に使っている。
〔八〕1×8 = 八。これは十の位の数字である。
〔六〕一の位の六という数字は、1 + 8 + 7 = 一六。やはり一の位の数字だけを使って十の位の数字である1は無視していることがわかる。*8

 見てのとおり、1が19に化ける計算や十の位を無視する計算などは加治木もやっている。
 ただ、こうして改めて見てみれば、彼の計算がひどいこじつけの塊であることがよくわかる。何しろ、これらの計算方法は第一序文には一切書かれていないのだ。

 こうした計算法則は、加治木がある事件に当てはめたいと思った詩のナンバーから、その事件の年代を導くために積み重ねた計算によって、経験則として導かれたものに過ぎない。しかし、そもそも加治木氏がある事件とその詩が結び付くと信じたこと自体が、彼の主観以外の何物でもない。だから、1が19に化けたり、十の位を無視したり、十の位と一の位の数字を足して別の数を導いたりする計算法は、そこまでやらないとこじつけることができなかったという証拠にしかならないのである。そして、そこまでやれば(上で1999を導き出したように)事実上、たいていの年代は導き出せてしまい、特定のカギになどならない。

アンゴルモワ

 さて、第10巻72番の解釈に戻ろう。彼は1988年にデクエヤル国連事務総長が関与したイラン・イラク戦争の予言だとして、アンゴルモワについてもその線で解釈している。

 〔Angolmois(正しい発音はアンガルムワ)〕は〔A〕で始まるが、イランの最高指導者である〔アヤトラ・ホメイニ=Ajatola Homeini〕師も、また〔A〕で始まる。この二つの名前を同じ発音を揃えて比較してみよう。
A (n) g ol moi (s)
A ja (t) ola (H) omei (n) i
(×) (×) (×) (×)
 ちょっとみると字数が違っているが、ノストラダムスは「文字でなく〔発音〕に注意を集中せよ」と〔序〕で指示している。彼の使った言葉であるフランス語の発音のクセは、(×)印をつけた部分の〔n〕〔t〕〔H〕〔s〕は無音または曖昧な鼻音で、はっきりしないのが原則だから、発音ではあまり差のないものになる。
 さらに〔go〕と〔jao〕も、一見、ずいぶん違うようだが、〔g〕と〔j〕はどちらも〔ジ〕の音を持つ。(George = ジョルジュ。Josephine = ジョセフィーヌ)。どちらも「ジョ」と読むことができるから、この二つの名の発音は、方言音であわせると、
 Ag ol moi  アジョル ムワ
 Ajaolaomei  アジョルゥムワ
 で、ごく似た名ということになる。*9

 これもまたデタラメな説明である。
 s や t を発音しないことがあるのは事実だが、それは単語の最後だけで、単語の途中で飛ばすようなことは普通しない(デカルト Descartes のような例外もあるが、そういう場合は直後に母音を伴わない)。an が鼻母音という鼻にかかる曖昧な音なのは事実だが、曖昧なことと区別がつかないことはイコールではない。ましてや加治木氏は -jatola- では t を飛ばして、その前後の母音を勝手につなげているが、こんな馬鹿げた発音はありえない。
 仮に s, t, n を飛ばして前後の母音を結合させる読み方が正しいというのなら、たとえばロワール県の県庁所在地であるサン=テチエンヌ(Saint-Etienne)など滅茶苦茶な発音になってしまうだろう。

 また、go をジョとも読めると主張しているが、この記述も彼がフランス語の発音に暗いらしいことを示している。フランス語の場合、goは「ゴ」、geoは「ジョ」、giは「ジ」、guiは「ギ」、つまり gはe, i, y の前にある時とそれ以外で発音が変わるのであり、そんなことは入門レベルの知識にすぎない*10。実際、加治木氏がジョと読める例で示しているジョルジュ(Georges, フランス語では最後に s を付けるのが一般的)も、g が e の前にあるからそう読めるのである。
 発音指南ついでに初歩的な指摘をもう一つしておくと、フランス語では母音に挟まれた s は原則として [z] で読まれる。つまり、ジョセフィーヌではなくジョゼフィーヌ(Joséphine)である。

 さて、彼は当初アンゴルモワとアヤトラ・ホメイニの一致は「方言音で合わせると」などと書いていたわけだが、のちに「アジョルムワ=アヤトラ・ホメイニのフランス式発音*11と正式な発音に格上げしてしまっている。このため、方言をきちんと調べたわけではなく、単なる思いこみだけで書いていた可能性が高い。
 百歩譲ってAngolmoisを「アジョルムワ」と読むフランスの方言が実在したとしても、ホメイニの方はそうはいかない。フランス語でそれはAyatollah Khomeyni /ajatɔla kɔmɛni/(アヤトラ・コメニ)と綴られるからだ(この綴りは小学館の『ロベール仏和大辞典』などにも載っているので、『真説ノストラダムスの大予言』刊行前の時点の日本でも、容易に確認できたはずである)。
 加治木のAjatola Homeini という綴りは、フランス語では(というより英語やドイツ語でも)使われない。ローマ字読みを基調とした綴りなのに、こじつけやすいように「ヤ」だけドイツ語的に ja と綴っているあたりも、ご都合主義的な傾向が強く感じられる。

 ちなみに、本当に「アンゴルモワの大王」が「アヤトラ・ホメイニ大王」なのだとしたら、それはそれでおかしい。アヤトラ(アーヤトッラー)は高位のイスラーム学者に対する称号だからである(日本語でよく「ホメイニ師」と表記されるが、アーヤトッラーは「師」に対応している)。「ホメイニ先生大王」というのでは余りにも滑稽な呼び方であり、こんな予言をノストラダムスがしていたとは考えられない。上の引用にも見られるように、加治木は「アヤトラ・ホメイニ師」などとも書いているので、ことによると「ルホラ・ホメイニ」が本名だということをご存じなかったのかもしれない。
 「いや、ノストラダムスは『アヤトラ・ホメイニ』という一般的に流布している表記に配慮して、あえてそんな表記にしたのだ」と反論する向きもあるかもしれないが、そういう論法は、後に加治木自身が実質的に否定している。
 加治木は2002年にノストラダムスがラトンという名でビンラディンを予言していたと主張した際に、ビンラディンを一貫して「ラディン」と書き、こういっている。

 さらに現代の世界のマスコミより、ノストラダムスの方が優れていることがある。マスコミは犯人の名を全て「ビンラディン」と書いているが、それは間違っている。アラブ語のビンは「息子=子孫」ということで、ウサマ・ビン・ラディンというのはラディンの息子のウサマ君という呼び方なのである。「ビンラディン」という姓だと思っているのは全然間違いなのだ。
 だから「ラディン」を「ラトン」ともじったノストラダムスの方が現代のマスコミより正確で、より正しく写している。*12

 この通り、加治木は通俗的な読み方よりノストラダムスの方が正確だと主張しているのだから、彼の論法では「ホメイニ先生大王」はありえないことになるだろう。
 なお、ビンラディンについても、「全然間違い」なのは加治木の方である。そもそも「ラディンの息子のウサマ君」を「ラディン」と呼んだのでは、本人ではなく父親を指すはずだろう。
 その伝でいくと、マッカーサーをアーサー、ジョンソンをジョン、スターリンをスタール、ゴルバチョフをゴルバーチなどと呼ばなければならなくなってしまう。いうまでもなく「息子、末裔」を意味する接頭辞や接尾辞を含むファミリー・ネームなど世界には掃いて捨てるほどあり、ビンラディンだけ特別扱いする理由など何もない。実際、日本学術振興会カイロ研究連絡センター長(当時)の保坂修司はこう述べている。

オサマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビンラディン(ビン・ラーデン)とは、アラビア語でラーデンの息子のアワドの息子のムハンマドの息子のオサマという意味である。ビンはアラビア語の口語で「誰それの息子」を表す。したがってオサマの父はムハンマド、祖父はアワドということになる。最後のラーデンは曾祖父ではなく、遠い祖先である。(略)最後のビンラディンの部分が日本でいう姓に相当する。サウジアラビアにはビンラディン以外にもビン・某という「苗字」がいくつもある。*13

 以上、アヤトラ・ホメイニとアンゴルモワが全く似ても似つかない音で、表現の面からもおかしいということを確認した上で次に進もう。

 加治木は、アヤトラ・ホメイニが意味の面でもアンゴルモワにふさわしいとしている。

 また、この名前は、ホメイニ師の名を写しているだけでなく、その社会的性格も見事に写している。それは先に引用した通りアンガルムワとは、フランスで一三五八年に起きた大暴動の名であるから、ノストラダムスのいうその〔大王〕とは、恐らくそのとき悪業の限りをつくした首謀者のグラン・サタン(大魔王)という人物を指している、というのと、あらゆる点で一致しているからである。*14

 「先に引用」に当たる箇所をここでも引用しておこう。

 五島氏によれば、それは英・仏百年戦争当時、一三五八年に発生したフランス大暴動の名である。*15

 見ての通り、加治木は明らかに五島勉のアンゴルモワ=ジャックリー説を真に受けている。しかし、それは全く根拠のない話である(Angolmois参照)。当然、それをもとにした加治木の解釈も歴史的に誤りである。

 ちなみに加治木はのちにこの解釈を微妙にぼかしている。

 これは一四世紀に起こった大反乱で有名なフランス南西部地方の名に発音が合う。*16

 ジャックリーの乱はフランス北東部で起こっており、南西部は関係ない。南西部にアングーモワ地方があることから、そちらと結び付けようとしたものだろうが、14世紀のアングーモワ地方で特筆すべき大反乱など起こっていない。

sept mois

 さて、加治木は sept mois(直訳は「7ヶ月」。加治木訳では7番目の月)にも重要な意味があったとしている。

 こうみてくると〔七番目の月〕という奇妙な言い回しもまた、全然不思議ではなくなる。ノストラダムス当時の七月が現在の暦で八月であることは、従来の解説者たちが調べ上げたことであって事実である。これを停戦の時に当てはめてみると、イランが国連停戦勧告受け入れを決定したのが七月。停戦実現が八月二十日だったことを、この〔七番目の月〕は二つとも同時に、巧みに表現していることになるからである。
 これをノストラダムスが普通に〔JUILLET(七月)〕と書いていたら、それはとてもこうは行かなかった。かんじんの停戦実現の八月二十日ははずれたことになるからである。(『1』p.114)

 ノストラダムスの時代に使われていた旧暦(ユリウス暦)も、現在の暦(グレゴリオ暦)も、どちらも太陽暦であり、その誤差は2週間もない。この点、加治木は、五島が『ノストラダムスの大予言II』で主張した「西洋旧暦は太陰暦で1ヶ月ずれる」というウソを真に受けてしまったようである。
 実際、加治木は『真説ノストラダムスの大予言2』でも、「一五〇三年十二月(一月)十四日」(p.84)、「一五六六年七月(今の暦では八月)二日」(p.104)などと書いている。もっとも、同書では正しい暦法を説明した箇所もあり(pp.150-152)、書いていて矛盾に気付かなかったのかと首を傾げたくなる。
 ともあれ、1988年8月20日は旧暦だろうと「7月」にはならない。もしノストラダムスが細部にまで配慮してこの予言を残したのだとすれば、イラン・イラク戦争の予言ということだけはない、と言えるだろう。

結語

 以上、加治木がイラン・イラク戦争停戦の予言だと解釈した根拠は、ことごとく支持できないものであることが確認できた。

 一応、デタラメな解釈だろうと、「1999年人類滅亡説」に反対したこと、またそれがベストセラーになったことは、プラスの効果をもたらしたとはいえるのかもしれない。
 しかし、『《新たなる時代への序曲》真説ノストラダムスの大予言』(2002年)で彼が披露した、以下のような事実認識は到底支持できない。

「1999年に人類は滅亡する」と主張したニセ解説者たちが、ノストラダムスの予言通りに哀れにも全滅して、「滅亡しない」と声を枯らして叫んだ私だけが残った。*17

 これは、私が、ただ一人だけ反対した以外、全世界のノストラダムス研究者が、「1999年に人類が滅亡するという予言だ」と主張して、ノストラダムスに汚名を着せ、その年になって何ごとも起こらなかったので、彼らの権威が崩れて「全滅」した、あの有名な予言だ。*18

 自分以外全滅、というのはどういう定義で言っているのだろうか。
 1999年人類滅亡を日本で言い出した五島でさえ、1980年代にはすでに滅亡は避けられるかもしれない、と方向転換し始めていた。また、五島は「全滅」することなく2001年にもノストラダムス本(『イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言』)を出しているし、独自路線を歩む池田邦吉は2000年以降もコンスタントに『21ノストラダムス』シリーズを出していた。また、海外では、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌらも全く懲りていなかった。
 1999年以前に活発に何冊も関連書を出していたが、以降は全く出さなくなった論者は確かにいる。しかし、「全滅」とは何のことだかさっぱり分からない。

 そもそも詩百篇第10巻72番の解釈史においては、人類滅亡を打ち出した論者は主流派とは言えなかった。ましてやエドガー・レオニをはじめとする実証的な論者や懐疑的な論者は、昔から人類滅亡説など斥けていたのだし、日本でも高木彬光が「ノストラダムスは、決して一九九九年七月の人類滅亡を予言していなかった。むしろそれとは反対に、三七九七年までの未来を語っていたのである!」とつとに指摘していた*19。だから、それらを全く考慮せずに、全世界で「私が、ただ一人だけ反対した」などと言ってのけるのは、あまりにも厚かましいのではないだろうか。

 人類滅亡説はない、というイメージを広めた功績は一応認めるにしても、だからといって過去の研究状況を御自分に都合の良いように改竄することなど認められてはならないだろう。


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コメントらん
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  • 加治木氏の説は説得力なさすぎ。そのことをこんなに長文で解説してくれるとは! それどころか、そんな名前の人がいたな。って思い出した。そのくらい忘れていた。 -- とある信奉者 (2019-12-30 22:51:18)
最終更新:2019年12月30日 22:51

*1 同書pp.101-123

*2 『1』pp.107-108

*3 『真説黙示録の大予言』p.32

*4 cf. 高田 [2000] p.301

*5 竹下 [1999] p.174

*6 ロベール仏和大辞典

*7 『真説ノストラダムスの大予言』pp.110-111

*8 『真説ノストラダムスの大予言』p.56

*9 『真説ノストラダムスの大予言』pp.111-112

*10 cf.『クラウン仏和辞典』第4版、pp.xvii

*11 『真説黙示録の大予言』p.33

*12 『真説ノストラダムスの大予言新たなる時代への序曲』p.56)

*13 保坂『正体 オサマ・ビンラディンの半生と聖戦』朝日新聞社、2001年、p.11

*14 『真説ノストラダムスの大予言』pp.112-113

*15 『真説ノストラダムスの大予言』p.105

*16 『真説黙示録の大予言』p.33

*17 『新たなる時代への序曲』p.30

*18 前掲『新たなる時代への序曲』p.34

*19 高木 (1974)[1975] p.9