目次
原文と翻訳
該当する原文と、当「大事典」が提供する訳文は以下のとおりである(詳しい異文や語註などは
詩百篇第9巻44番の記事を参照のこと)。
Migres migre de Genesue
trestous,
Saturne d'or en fer se changera,
Le contre
RAYPOZ exterminera tous,
Auant l'a
ruent le ciel signes fera.
離れよ、一人残らず
ジュネーヴから離れよ。
黄金の
サトゥルヌスは鉄に変わるだろう。
レポの反対が全てを滅ぼすだろう。
到来の前に、天が徴を示すだろう。
五島勉『ノストラダムスの大予言』の訳と解釈
と訳されており、
- これ〔引用者註:ジュネーヴの特色〕と同じ条件をもつ都市全部、言いかえれば国際性のある商業と銀行と教育のさかんな、水のほとりにある都市全部をノストラダムスは「すべてのジュネーブ」という言葉で一括したのだろう。とすれば、そのなかには、現在の世界の有名都市の八割ぐらいまでが入ってしまう。もちろん、東京も大阪も神戸もふくまれる。(強調は引用者)
- これら「すべてのジュネーブ」から、「逃げだせ」と、ノストラダムスは三回繰りかえして警告している。(略)どんな大事件や大災害にたいしても、淡々と、客観的に、冷酷とさえ思われる筆で予言を進めてきたノストラダムスが、ここにいたって、そういう態度をいっさいかなぐり捨て、「逃げろ」と、しつこく未来の人類に向かって呼びかけているのだ。
と煽ったのである。
五島のこの詩の訳は、少なくとも1行目に関してはずっと変化がない。
最終巻にあたる『
ノストラダムスの大予言・最終解答編』(1998年)で、「逃げよ逃げよ」と読点を1つ減らし、「すべてのジュネーヴ」と、「ブ」を「ヴ」に変えた程度である。
訳の検証
trestousはtous(みんな、全員)を強調しているだけで、ジュネーヴにかかっているとは、到底見なせない。
英語訳との比較
過去の英語圏の論者たちの訳語を見ておこう。
- アンドレ・ラモン(1943年)
- Escape, escape, all those of Geneva (League of Nations).
- ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)
- Leave, leave, go forth out of Geneva, all
- この訳は、娘夫婦(1982年)や孫(1994年)による改訂でも変更はなかった。
- エリカ・チータム(1973年)
- Leave, leave Geneva everyone,
- のちの最終版でも変更はなかった。
- ジョン・ホーグ(1997年)
- Leave, leave Geneva everyone!
- ピーター・ラメジャラー(2010年)
- Flee, flee Geneva, each and every one!
- リチャード・シーバース(2012年)
- Flee, flee, O Geneva, every last one,
以上、17世紀の信奉者ガランシエールから、21世紀の仏文学者シーバースまで、時代や立場を超えて、「すべてのジュネーブ」などという意味に捉えていないことは明らかだろう。
はずされていたハシゴ
五島勉は『
ノストラダムスの大予言・最終解答編』(1998年)でも、「すべてのジュネーヴから逃げ出せ」と訳している。
ところが、解説の中で触れる時には、1度を除いていずれも
「すべての」をカットして「ジュネーヴから逃げ出せ」としか引用していない。
そして、「すべてのジュネーブ」と引用した箇所でも、実際の都市ジュネーヴにしか触れていないのである。
つまり、全世界の8割の大都市が「すべてのジュネーブ」だ、という当初の解釈は、なしくずしに撤回されていたのである。
世界で五島以外にそう訳している論者がおらず、当の五島自身がなしくずしに撤回した「すべてのジュネーブ」という読み方には、もはや支持すべき理由は全くないだろう。
象徴的な解釈は成り立つのか
次に、「ジュネーヴの人々に対し、一人残らず逃げ出せ」としか訳せないとしても、その「ジュネーヴ」を何かのたとえと解釈することは可能かどうかを検討しておきたい。
さて、五島は上で見たように、「すべてのジュネーブ」=全世界の主要都市、という解釈を放棄した代わりに、どう訳していたのだろうか。
- それはもちろん、「ジュネーヴという街から逃げ出せ」といった単純な意味ではない。「今ジュネーヴで五大国がかけひきしているような、核の危険な談合から逃げ出せ」という意味である。(略)もっと突っ込んで言えば、それはただ彼らの核談合から逃げ出すだけでなく、そういう五大国だけの密議を成り立たせている彼らの「核体制から、核兵器の時代から逃げ出せ」の意味にもなるだろう。
しかし、核関連の会議はジュネーヴだけで行われているわけではない。
国際原子力機関(IAEA)にしても、本部はウィーンである。
五島の読み方は、あまりにも恣意的なものと言わざるをえないだろう。
世界保健機関(WHO)は予言されているのか
2020年の
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の広まりによって、ツイッターなどでこの詩がつぶやかれる頻度が増えた。
当「大事典」の
詩百篇第9巻44番へのアクセス数も顕著に増加した。
そこで、この場合の「ジュネーヴ」を、世界保健機関(WHO,本部ジュネーヴ)と解釈することができるのか、一応検討しておこう。
この点、
ノストラダムスに予言能力があったのか、なかったのか、という基本認識の違いによって、水掛け論になりかねないのは事実である。
ただ、(仮にノストラダムスが予言能力を備えていたとしても)使われている単語からすれば、世界保健機関を意味する可能性は非常に低い、と言わざるを得ない。
ポイントは
migrezである。
これを「逃げろ」と訳すのは3行目(=ジュネーヴの住民が皆殺しになる)からの意訳であって、本来の意味は「移住(移転・転居)する」などの意味である。
当「大事典」は3行目との兼ね合いで上のように「離れよ」と意訳しているが、むしろ
「ジュネーヴから一人残らず引っ越せ」とでも訳すほうが、本来のニュアンスに近いかもしれない。
新型コロナウイルスに対する世界保健機関の対応には批判も少なくないが、別に批判者がジュネーヴ市民に限られるわけでもない。
世界保健機関に対する警告の予言ならば、(場所を移ることが焦点となる)
migrezよりも、「信じるな」「耳を貸すな」などのほうが適切ではないだろうか。
その意味では、国際連盟への批判とする解釈が信奉者の間で定着している次の詩、
を、「新型コロナウイルスへの世界保健機関の対応に寄せられた批判だ」とでもこじつける方が、まだそれらしく見える。
(ただし、当「大事典」は、国際連盟とする解釈も、世界保健機関とする解釈も、まったく支持するものではない)
こうした単語の取捨選択からして、「ジュネーブから逃げ出せ」を「世界保健機関を信じるな」といった意味合いに理解するのは、相当に根拠が薄いように思われる。
命令形は珍しいのか
五島は「すべてのジュネーブから逃げ出せ」について、上で引用したように、ノストラダムスが冷静な態度を「いっさいかなぐり捨て、「逃げろ」と、しつこく未来の人類に向かって呼びかけている」と紹介していた。
文法的にも、使われている動詞はすべて未来形、または不定法(=フランス語の動詞の原形・英語のto+動詞や…ingと同じ)で、『諸世紀』十二巻と六行詩集・予感集、予言手紙類のうち、例外はただ一ヵ所しかない。
それがこの「ジュネーヴから逃げ出せ」なのだ。(略)
そうだ。ひっくるめて四万語以上にもなるノストラダムスの全予言の中で、この「ジュネーヴから逃げ出せ」の一句だけが、命令形で指示形でアドヴァイス形、つまり予言ではなかったのだ。
と断言している。
だが、これは全くのデタラメである。いくつか例を挙げよう。
- 第2巻97番 「ローマの教皇よ、近づくことに御警戒めされよ」
- 第3巻24番 「フランスよ、私の言うことに沿えるようにせよ」
- 第3巻87番 「ガリアの艦隊よ、コルシカには近づくな」
- 第4巻79番 「王の血よ、逃げよ」
- 第6巻ラテン語詩 「この詩を読むであろう方々よ。とくと熟考なさい」
- 第7巻8番 「フローラよ、逃げよ。逃げよ、ローマに最も近き者よ」
- 第8巻32番 「ガリアの王よ、気をつけなされ」
- 第8巻84番「数多くの帆から逃げよ、その恐るべき悪疫からも逃げよ」
- 第8巻補遺篇6番「汝の国へ(侵攻して)来ぬように細心に守るがよい」
- 第9巻46番 「赤き者たちよ、トゥールーズから出て行け、逃げよ」
五島氏は上で(全)「十二巻」を俎上に載せているので、あえて偽作の疑いの強い補遺篇もとり扱った。
見ての通り、命令法は少ないけれども、全くないわけではない。
また、命令法ではないが「あなた(方)」に語りかけた詩が他にもいくつもある。
命令法が使われていることをもって、第9巻44番だけが特別扱いされているという論法は、強引なものといわざるを得ない。
そもそも上で見たように第9巻44番のわずか2つあとの第9巻46番にも命令法が出ているというのに、「この詩だけ」と断言するのは読者をなめているとしか思えない。
以上、形式的にも、この詩をことさらに重視すべき理由があるとは思えない。
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最終更新:2020年03月31日 22:00