ノストラダムスの大予言IV

 『ノストラダムスの大予言Ⅳ 1999年、日本に課された"第四の選択"』は、五島勉『ノストラダムスの大予言』シリーズの4冊目。
 1982年に祥伝社から刊行された。

【画像】 カバー表紙

構成

 目次を示す。一段下げているのは、各章タイトルのサブタイトル。

  • まえがき
  • 1章・“戦慄の新解釈”、出現!
    • 「日本が書くで破滅する」と解釈したフォンブリューヌ
  • 2章・謎を孕む二つの予言詩
    • ノストラダムスは果たして“日ソ核戦争”を暗示したか?
  • 3章・人類を救う“別のもの”を追って
    • 巧妙にすりかえられたノストラダムス予言の真意
  • 4章・“恐怖の大王”の正体は何か?
    • 「一九九九年七の月」の大破局を、フォンブリューヌはどう解いたか
  • 5章・真の大破局と“第三の選択”
    • 真の危機から、フォンブリューヌはなぜ目をそむけたか
  • 6章・「日本を壊滅せよ」――呪いの深層願望
    • 古代ローマ滅亡以来、欧米人の心に巣食う“黄禍論”の恐怖とは
  • 7章・真実のノストラダムスと“第四の選択”
    • これからの日本に、そして近未来のあなたに課されるもの

 これらの目次(特にサブタイトル)と、下で見る帯の惹句に明らかなように、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの国際的ベストセラー『歴史家にして予言者ノストラダムス』に対する批判が、本書の大きなテーマの一つである。

 なお、上記の通り、フォンブリュヌの名がこの本では(というか五島の『大予言』シリーズでは)「フォンブリューヌ」と表記されているが、引用を除いてフォンブリュヌと記載する。

帯の惹句

 初期の刷本の帯には「フランスの研究家が五島勉に挑戦!/1999年・7の月の"恐怖の大王"は日本だ!?/本書は、この挑戦を受け、その仏版『新釈・大予言』の誤りを痛撃!さらに、"大王"の正体を解明する!」と書かれていた。

推薦者

 カバーの推薦文は
  • 川島なお美(歌手)「“一九九九年”をめぐる新解釈の恐怖
  • 黒鉄ヒロシ「偏見に充ちた挑戦を五島氏が粉砕
の2件であった(肩書はカバー記載の通り)。

売れ行き

 『読売新聞』1982年7月19日朝刊には、「発売忽ち17万部 首都圏で売行き爆発!」とする広告が掲載されている。

 『月刊ダン』1982年12月号には、「七月発売以来、四カ月足らずで四十万部も売れた」とあり、約9年後の『SPA!』1991年3月20日号には「50万部」とある。

反響

 『朝日新聞』1982年8月16日朝刊には「話題のほん」として短い書評が載っている。
 それは五島と、その批判対象のフォンブリュヌを対比して「それぞれ自分の民族の肩をもつ、正反対の意見である。第一冊に比べてずいぶん矮小(わいしょう)化された、しかも変てこなギロンだが、謎詩などというものはどうにでも解釈の出来るものだ、ということの立証に、はしなくもなっている」等と、手厳しい(書評子の署名は「(水)」)。
 なお、五島のフォンブリュヌ批判は、当の五島自身にも当てはまるとする指摘は、のちに志水一夫山本弘もおこなっている。

 『サンデー毎日』1982年9月5日号には、「『ノストラダムスの大予言IV』の著者 五島勉インタビュー “恐怖の大王”の主役は日本」とするインタビューが載っている。
 こちらは批判のたぐいはなく、五島の主張をそのまま紹介するものとなっている。

 前出の『月刊ダン』1982年12月号では、「『新釈ノストラダムスは差別と偏見だ』黄禍論ワル乗りに敢然とチャレンジ」とする五島のインタビューが載っている。
 なお、五島は「昨年はちょっと書き過ぎたら、税金をこっぴどく取られた。もうコリゴリ。えっ?所得?五千万くらいですなあ」と、珍しく印税の額に言及している(ちなみに五島が「昨年」すなわち1981年に刊行していた著書は『ノストラダムスの大予言III』『ファティマ・第三の秘密』『影の軍団』の3冊だった)。

コメント

 事実上、フォンブリュヌを狙い撃ちにした緊急出版の色彩が強い。
 緊急出版というだけならば『ノストラダムスの大予言・中東編』などもそうだったが、緊迫していた国際情勢に合わせた中東編と違い、特定の著者への反論という体裁のため、本書は『大予言』シリーズの中でもいささか地味な印象がぬぐえない。

 しかし、そのような地味な本でさえも上述のように数十万部売れたのだから、五島の筆力と、『大予言』シリーズのブランド力とが、当時どれだけ凄かったかが垣間見える。

 以下、いくつかの点についてコメントするが、網羅的なものではない。

フォンブリュヌ批判について

 帯の惹句と異なり、フォンブリュヌの著書には五島への言及などない。

 そもそも五島自身、『IV』の前年に出した『ファティマ・第三の秘密』(祥伝社、1981年)では、フォンブリュヌの本について、こう述べていた。
  • 私のいままでのノストラダムス解読は、この、ノストラダムスの母国の研究家による新解釈で、完全に裏付けられた。*1

 ここまであからさまに権威付けに使っていたのが、『IV』では徹底攻撃に出るという形で、姿勢が急転回している。その間に何があったのかというと、フォンブリュヌの日本語版が出されたのである。
 山本弘は「こいつはまずい、俺の書いてきた嘘がバレてしまう……と危惧したのかどうかは知らないが*2と、冗談めかして五島の心情を推測したが、実際そんなところだったのかもしれない。

 フォンブリュヌ批判は、こんな調子である。
  • たとえば原詩六の九七.「大空は五四〇回燃えあがる/新しい大都市に火がせまる/…侵す者たちが裁かれるとき」/これを私などは、「核実験や原発事故の回数・火山の連続爆発」ではないかと考えてきた(『大予言』初巻一六九ページ)。多くの研究者がそうだった。ところがフォンブリューヌはなんと、右の数字をひっくりかえして読み、「北緯四五度線に沿って燃えあがる戦火」と解釈し直したのだ。(略)こんな大胆な解き方はこれまで見たことがなく、「するどい」と感嘆してもいい。ただし、ピシャリと的中しそうだという意味のするどさではなく、これほど大胆な、アクロバット的な新解釈をやってまで、西ヨーロッパの正しさと英雄性を強調しようとする狂おしいするどさ、ということだ。(強調は引用者*3

 では本当に「45度」は「狂おしい」のかというとそうではない。五島に先行する論者として、1940年代の英語圏の信奉者ロルフ・ボズウェルアンドレ・ラモンはこう訳している。
  • At the forty-fifth degree the sky will burn, (Boswell p.159)
  • At 45 degrees (northern Yugoslavia) the sky will burn (with aerial fire). (Lamont p.192)

 見ての通り、普通に「45度」と訳している。
 五島が「540回」と訳したのはヘンリー・C・ロバーツに触発されたもののようである。
 しかし、そのロバーツの1949年の第4刷の訳はこうなっている。

  • The heaven shall burn at five and forty degrees,

 単に直訳しただけであって、540回という意図があったかは疑問である。
 そもそも「フランス語の素養のある人ならば誰でも、5&40=45と解釈するだろうし、実際このような倒置は中世期にはよく見られることだったのである」という淡路誠の指摘もある*4
 実際、リチャード・シーバースらまともな仏文学者も「45度」と訳している。

 そして、五島自身『ノストラダムスの大予言スペシャル・日本編』では、解釈を修正することになる。
  • 「大空が五四〇回燃え上がる」が従来の私の解釈。しかし上記〔引用者注 : 45度〕のように読み直せば、チェルノブイリの緯度(北緯四五度)にぴたり当てはまる。*5

 このように「狂おしい」と批判していたことなど無かったかのように、あっさり乗り換えている。
 ちなみに、そうやって節操なく喧伝したチェルノブイリの緯度は、北緯52度である。
 緯度7度分の差というのは、日本でいえば東京23区と函館市よりも離れているので、当然ちょっとした誤差というレベルではなく、これを「ぴたり」というのは強引にもほどがある。

 フォンブリュヌに対しては、ほかにも
などといったあからさまなウソも書いている。
 フォンブリュヌの本には巻末に予言詩の索引がついているので、それを見れば解釈されていることがわかる(五島自身、『大予言・日本編』でその索引のページを転載することになる)。

 さて、上で触れた帯にもあるように、五島氏はフォンブリュヌ解釈では恐怖の大王の正体を日本としていると指摘し、その曲解ぶりを批判していた。またそれは、続巻でもことあるごとに繰り返した。

  • フォンブリューヌは、ヨーロッパにあふれる日本車や日本製ビデオが頭にきたのか、「一九九九年、ヨーロッパをおそう"恐怖の大王"は日本だ」という新解釈で挑戦してきたのだ。(『大予言V』p.37)
  • フォンブリューヌ解釈のように、今世紀末の日本や黄色人種を“恐怖の大王”だと(『最終解答編』p.68)

 しかし、「日本こそ恐怖の大王」とする解釈がフォンブリュヌ解釈の中心だとする整理は正しくない。フォンブリュヌの邦訳を手掛けた高田勇は、こうまとめている。

  • 一九八三年に、三年七ヵ月にわたる第三次世界大戦が勃発し、ソ連軍と回教軍が連合して、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリアを侵略し、ポーランドで宗教迫害が起こり、パリも破壊される。〔中略〕この戦のあとには平和が訪れるが極東に発する一九九九年の大戦までの一時的現象にすぎない。この動乱は二七年間にわたり、アジアに生まれる偽キリストがふたたび回教徒と手を結んでユダヤ=キリスト教文明に終止符を打つ。*7

 また、「フォンブリュヌ氏は日本の読者に対する好意から、日本と極東に関する一章を書きおろしてくださった*8とある通りで、フォンブリュヌはわざわざ日本向けの補章を執筆しているが、そこにはこう書かれている*9

  • 偽キリストがアッティラと同様にモンゴルで生まれる
  • ノストラダムスは、聖霊が北緯四八度から追い払われるだろう、とわれわれに言った〔引用者注:「アンリ2世への手紙」の一節〕。この緯度は単にパリの緯度であるばかりでなく、またモンゴル人民共和国の首都ウランバートルの緯度でもあるのだ!
  • 第10の「サンチュリ」の四行詩72番にもあるように、アジアからやってくるこの侵略は、北緯四八度というからには、1999年8月11日に北半球で見られる皆既日食より以前に開始されることを、ノストラダムスはきわめて明快に指示している。
  • モンゴルからやってくるこの地獄の帝王(強調は引用者)*10

 つまり、フォンブリュヌの指摘するのは、日本ではなくモンゴルということである。
 もちろん、モンゴル人でも日本人でも黄色人種であることにかわりはないので、「黄色人種差別本」というレッテルも確かに当てはまるのかもしれない。しかし当の五島は『大予言Ⅱ』の時点ではこんなことを言っていた。

  • 前著では、私はここまで読みきれず、たんに終末時の世界的な動乱がアンゴルモワなのではないか、とした。が、その後考えた結果、これは字謎(本文105ページ参照)で、中国軍または(もしかすると日本軍も含めた)アジア軍の総攻撃、と取るのがいちばん自然だという結論に達した。(強調引用者)*11

 これでは人のことを言えないだろう。
 さすがにフォンブリュヌ批判を展開した『大予言IV』では、解釈が修正されている。

  • 未来の中国軍またはソ連軍と解く。もともとモンゴルの大王とは、前に述べたように、昔のジンギスカンやフビライのことだ。その侵攻が蘇るというのだから、昔のモンゴル方面からヨーロッパに押しよせる大王という意味になる。だとすると場所からみて、ソ連か中国軍以外にはない。
  • この未来の中国軍のなかに、今世紀末、日本軍も含まれるのではないか、という疑いは前からあった。が、これもそうはならないと思う。*12

 だが、「疑い」も何も、日本軍が含まれる可能性は上記の通り、五島自身が言っていたことである。
 こういう場合は、フォンブリュヌを批判する前に過去の自分の解釈を撤回するのが筋だったのではなかろうか。

 そもそも、五島の解釈と、上で引用したフォンブリュヌの解釈は何が違うのだろうか。
 五島自身がモンゴル方面からの黄色人種の侵略と解釈するのはよくて、白人のフォンブリュヌが同じ解釈をするのは許せないというのでは、単なる白人差別でしかないだろう。

 なお、五島は『パリ・マッチ』(フォンブリュヌ解釈を当時大々的に採り上げたフランスの雑誌)編集部での、記者マリー・テレーズ・ド・ブロッスと編集長のやり取りを見てきたようにこう書いている。

「そのようです。だけど、それがじつに意外なことなんです。この本の新解釈によると、その最後の大破局……"恐怖の大王"っていうのは、これまで、どんな解釈者も科学者も、夢にも予想してなかったことで……」
 〔略〕
 彼女はそれを手短に説明した。テーブルにひろげた新解釈『ノストラダムス』の、その重大な部分のページを指さして、編集長と、居あわせた記者たち全員に読ませた。
 〔略〕
「なるほど。こういうことか」
 編集長は突き刺されたように、うめいた。
「こんな新解釈のやり方があったのか。……盲点だったな。いままで、どんな予測書にも出てこなかった盲点だ。〔略〕
 編集長はこわばった瞼を閉じた。が、それは長くなかった。彼はたちまち目をカッとひらくと、いかにもヨーロッパきってのセンセーション週刊誌の責任者らしく、おさえつけるような声で決断を下した。
「よしッ、これを特集するぞ。〔以下略〕*13

 このやりとりだと、いかにも恐怖の大王の斬新な説が衝撃をあたえ、特集されることになったように読めるが、もちろん事実ではない。
 フォンブリュヌのこの詩の解釈は、ごくわずかな字句の違いを除いて父マックスの解釈の丸写しである。

 そして、父親の解釈書は1938年から1975年までに12版を重ね、1976年には改題版まで出されているロングセラーなので、フランス人にとってそう目新しいものだったはずはない。

 フォンブリュヌの本が大ブームになったのは、「1983年という差し迫った未来に世界大戦が起こると解釈したこと」と、「ヨハネ・パウロ2世狙撃事件やミッテラン政権成立を的中させたように誤解されたこと」が大きい*14

 フォンブリュヌの解釈は恣意的なものだったし、実際、まったく当たらなかった。
 しかし、「フォンブリュヌが恐怖の大王の正体を日本だと解釈し、その衝撃的な解釈がヨーロッパで大反響を巻き起こした」などというストーリーは、フォンブリュヌの解釈以上にデタラメな話なのである。

ブロワ城の問答

 『ノストラダムスの大予言II』で扱った「恐怖の大王は目に見えない」とするブロワ城の問答について、続編のようなやり取りが掲載されている。

 しかし、肝心の恐怖の大王の正体について、はぐらかしているのは相変わらずである。

第四の選択

 サブタイトルにもなっている「第四の選択」は、当時話題になっていた『第三の選択』を意識したものである。


【画像】 レスリー・ワトキンズ『第3の選択―米ソ宇宙開発の陰謀』1981年7月

 これはもともと英国で作成されたテレビ番組がもとになっており、未来に深刻化する地球温暖化に対する打開策として米ソで極秘裏に検討された三案のうち、一部の選ばれた者だけを火星に移住させる「第三の選択」が進められている、というものである。
 だが、これはエイプリル・フール向けに作成されたフェイク・ドキュメンタリーに過ぎない。

 日本のノストラダムス関連書の中では、志水一夫がつとに指摘していた。
 もっとも、そこで志水が『大予言IV』について、
  • 例のドキュ・ドラマ『第三の選択』を本気にして紹介している。*15

とするのは、ややミスリードに思われる。

 五島は、「第三の選択」の真偽自体を「手を尽くしてこの話の真偽を調べているが、よくわからない」とごまかしつつ、その背景にある地球温暖化の深刻化についてだけは「どこで調べても確かなようなのだ」として、そちらに力点を置いて話を進めているからである*16

 『大予言IV』の刊行当時、「『第三の選択』はフェイクという形にしないと発表できない極秘真相が織り交ぜられている」とする陰謀論が見られたが、五島の上のような書き方は、明らかにそうした見方とは距離を置いている。

 このあたり、話題のものを取り入れて世間の耳目を集めつつ、しかし批判される余地は極力小さくしようというエンターテイナーとしての手腕が感じられる。
 少なくともこれを、「本気にして紹介」と位置付けるのは少し違うのではないかと思われる。

 なお、五島の言う「第四の選択」とは、副題の通り、1999年の破局を避ける別のものに関する重要なカギを、日本が握っているのではないかとするものだったが、そのような「別のもの」の理解は曲解に過ぎない(記事「別のもの」参照)。

書誌

書名
ノストラダムスの大予言
副題
1999年、日本に課された"第四の選択"
著者
五島勉
版元
祥伝社
出版日
1982年7月5日
注記

外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌

Titre
Nosutoradamusu no dai-yogen IV (trad. / Les Grandes Prophéties de Nostradamus, Tome IV)
Sous-titre
1999 nen, nippon ni kasareta "dai 4 no sentaku" (trad. / L'an 1999, le Japon devra adopter la "quatrième option".)
Auteur
GOTÔ Ben
Publication
Shôdensha
Lieu
Tokyo, Japon
Date
le 5 Juillet 1982
Note
Examen des quatrains I-95, II-91, V-84, VI-97, X-41, X-72 & du sixain 27 etc.


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最終更新:2021年08月26日 00:15

*1 『ファティマ・第三の秘密』p.216

*2 山本 (1998)[1999] p.81

*3 『IV』pp.102-103

*4 アルガイヤー [1985] p.114-115の淡路誠による訳注

*5 『日本編』p.23

*6 『IV』p.132

*7 フォンブリュヌ『新釈ノストラダムス』講談社、1982年所収の訳者解説、p.343

*8 同上、p.337

*9 日本向けの書下ろしまでしたというのに、なぜかFonburune, Nostradamus : Biographie et prophéties jusqu'en 2025, J'ai lu, 2003 の巻末文献リストでは、カナダ、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イギリス、トルコ、ギリシャなどで出された版が事細かに書かれている一方で、この日本語版だけが載っていない。ちなみに同じリストではロバーツ本の日本語版はきちんと触れられている

*10 以上は『新釈ノストラダムス』pp.318-319

*11 『II』p.193

*12 『IV』p.208

*13 『IV』pp.16-18

*14 ドレヴィヨン&ラグランジュ [2004] pp.59-61

*15 志水[1991]p.147, 志水[1998] p.153にもほぼ同じ記載アリ。

*16 『大予言IV』p.145