【画像】1555年版の扉
構成
版型は八つ折版(Octavo)である。正確な寸法は資料によって若干のばらつきはあるものの、ブナズラの書誌では80 x 130 mmとあるので、日本でいえば文庫本とそう変わらないサイズである。全46葉(folios)で、ページ数は振られていない。
タイトルページ
タイトルは、「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」(Les Prophéties de M. Michel Nostradamus)である。タイトルの下には、書斎に座って窓から星を見るノストラダムスの姿が描かれ、その下に「
リヨン の
マセ・ボノム(未作成) 出版社にて、1555年」(À Lyon, Chez Macé Bonhomme. 1555)と書かれている。
特認
タイトルページの裏面に特認の抜粋が収録されている。この特認には、王附顧問にしてリヨン地方裁判所(La Sénéchaussée de Lyon)で代理官を務めるラ・モットの領主ユーグ・デュ・ピュイ(Hugues Du Puys)の署名があり、『予言集』が異端でないことを認めた上でボノムに2年間の出版独占権を与えるものとなっている。特認の発行日は「1555年4月末日」となっている。
2年間という期間設定は、同時代の有名な本の特認に比べて短いものだとも指摘されている。
序文
特認の後に、息子
セザール にあてた書簡の形をとった序文(「
セザールへの手紙 」)が続いている。この序文の最後には、「
サロン 、1555年3月1日」と記されている。
百詩篇集
序文の後に、予言集の本編といえる四行詩集が収められている。四行詩集は「サンチュリ」(
詩百篇 )と銘打たれた巻ごとにまとめられ、1巻につき100篇の四行詩から構成されている。1555年の初版には、3巻までと4巻の53番目の四行詩までの、計353篇が収められている。
第4巻53番の後には、「本書は1555年5月4日に印刷完了した。」という言葉が添えられ、全体が締めくくられている。
特色
後に追補された
第4巻54番 以降と比べて、フランス語以外の言語の使用が際立っている。4巻の
26番 と
44番 は四行全てがプロヴァンス語で書かれているが、このような例は4巻54番以降には見られない(
百詩篇第6巻ラテン語詩 は例外的な存在である)。また、ギリシア語をちりばめており、後の版と違い、それらにはギリシア文字をそのまま使っている(
第4巻32番 の "πάντα κοίνα φιλών" など。これは後の版では "Pánta Choina Philòn" といった具合に
ローマ 式アルファベットに直されている)。
これらの特殊性は4巻に多く見られるが、他の巻を通した点として、大文字で書かれた単語の多さも際立っている。シラン(
CHIREN )などのような特殊な語だけでなく、GRAND(大きな)のような一般的な語にもこのような扱いを受けている例が見られる。
反響
ノストラダムス の秘書
ジャン=エメ・ド・シャヴィニー による伝記(1594年)には、「出版されるや、国の内外を問わず非常に大きな驚嘆を伴って評判になった」とある。また、息子
セザール・ド・ノートルダム の『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年)でもほぼ同様に、「その本の名は飛ぶように広まり、誰もがここには書けないような大きな驚嘆とともにその話を聞いた」とある。こうした記述を裏付けるような同時代の記録は確認されていないが、現在でも良く売れて評判になったとはされている。
好意的とはいえない反応としては、1556年に作家
アントワーヌ・クイヤール がパロディ本『パヴィヨン・レ・ロリ殿の予言集』を出したことが挙げられる。この本は散文による予言集の体裁をとっているが、例えばこんなことを述べている。
私は3797年までの永続的な予言などは語りたくない。何故ならば悪魔が私に対して世界はもっと前に終わると教えてくれたからだ
これは、ノストラダムスが序文において、
(この予言集は)現在から3797年までの永続的な予言なのである。かくも長い(予言範囲の)拡張に眉をひそめる人々もいるだろう。しかし、月の窪みの下の至る所で(予言した通りの)事件が起こって認識されるであろうし、それによって全地上であまねく理解されるのだ、わが息子よ。
と語ったことを揶揄したものである。
「発見」の歴史
(この節は一定期間非公開とします)
偽作説
フランス史上の占星術関連テクストの分析で博士号を取得した
ジャック・アルブロン は、ノストラダムスの予言集で本物といえるのは序文(「セザールへの手紙」)の大部分だけで、四行詩集は全てノストラダムスの死後に、カトリック同盟に関連した政治的意図で捏造された偽書に過ぎないという大胆な仮説を提示した。
彼の仮説では、マセ・ボノムによる1555年版は1570年頃に捏造されたもので、ノストラダムスもボノムも一切関与していないものということになる。
彼の仮説は大きな論争を巻き起こしたが、実証的な立場からも様々な批判が寄せられており、広く支持されるには至っていない。
最終更新:2017年01月20日 00:39