『
ミシェル・ノストラダムス師の予言集』(Les Prophéties de M. Michel Nostradamus)(以下、この記事中では『予言集』と略記)は、
ノストラダムスの主著といえる四行詩集で、現在「ノストラダムスの予言」として引用される詩句・散文のほとんどが収められている。『
諸世紀』と呼ばれることもあるが、この訳語は不適切である。
かつてはオカルト関連書として「信じる価値がある/ない」という次元でしか扱われていなかったが、20世紀以降、フランス・ルネサンス期の他の詩作品との関連が検討されるなど、文学作品としての評価・検討の対象にもなりつつある。
概要
『予言集』は、主に「
詩百篇集」(百詩篇集)と呼ばれる四行詩から成っている。生前に刊行されたのは642篇の四行詩と息子に宛てた序文のみである。死後、さらに国王
アンリ2世に宛てた献辞(第二序文)と300篇の四行詩が増補・出版された。死後増補されたものは、既に生前に出版されていたとも言われるが、他方で贋作説も主張されるなど、現在でもなお様々な議論がある。主に17世紀になってから、さらに四行詩や六行詩などが追補された。
ノストラダムスを予言者を信じる立場の論者たち(以下「信奉者」)は、「詩百篇集」には16世紀から遠い未来までの出来事が予言されているとして、数百年来、様々に解釈してきた。また、その過程で「的中例」の数々が喧伝され、いわゆる
ノストラダムス現象のひとつの原動力となってきた。
しかし、20世紀以降、彼が基にしたと推測される文献なども次々と明らかになった結果、ルネサンス期にしばしば見られた百科全書的精神に基づく「科学詩」の一種などとして、『予言集』の文学史上の位置づけも考察されるようになっている。
タイトル
メインタイトル
生前に刊行されていた予言集のメインタイトルは、いずれも『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』であった(正式名の分からない、刊行されたかどうかも定かでない版を除く)。日本では一般に
五島勉の著書名によって「
ノストラダムスの大予言」という言い方が定着しているが、19世紀末までに出された130以上の予言集の古い版の中で「
大予言」と訳せるタイトルを持つものは、1588年から1590年に3種出された『ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言』しかなかった。
予言集のタイトルは、出版地によって異なることがあった。
初版を出版した地である
リヨンでは、一度の例外を除いて『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』だったが、
パリや
ルーアンなど一部の北仏の都市やフランス以外の都市では、それ以外のタイトルが用いられることもしばしばであった。
通称「レ・サンチュリ」について
「レ・サンチュリ」(「詩百篇」「詩百篇集」、内容については後述を参照。この項目でだけ便宜上「レ・サンチュリ」とカナで表記)は現在ではノストラダムスの『予言集』の通称として流布しているが、ノストラダムス自身がそのような通称を用いていた形跡は今のところ見つかっていない。
構成
19世紀の注釈家
アナトール・ル・ペルチエが編纂した『予言集』の校訂版は、3つのセクションに分けられている。便宜上、その3区分に従って構成を紹介すると、以下のようになる。
第1セクション
第2セクション
第二序文(
アンリ2世への手紙)、詩百篇第8巻1番 - 第10巻100番。第二セクションの初版は、1558年にリヨンまたは
アヴィニョンで出されたという説もあるが、確証はない。現存する最古の版は、1568年にリヨンで
ブノワ・リゴーが出した版である。この年はノストラダムスの死後2年目に当たるため、第2セクションの信憑性を疑問視する見解もある。
なお、1568年版の『予言集』は、表紙の木版画、花模様、原文などが微妙に異なる複数の版が現存している。
第3セクション
詩百篇補遺、
予兆詩集、
六行詩集。これらのほとんどは1605年版の『予言集』で初めて組み込まれ、その後多くの版にも収録されている。
関連項目
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最終更新:2009年01月17日 11:12