| + | 目次 |
ここではウマムスタンスレに登場したアキツの航空機・航宙機について解説する。
民間機
兵器(航空)
Yu-231F/A
1940年にスズカ・ユティッシ重工が開発した空冷双発の戦闘爆撃機。国外へと積極的に輸出され、主に中東諸国で売れた。
また、Yu-231F/Aのエンジンはアキツ政府がライセンスを購入し、戦時中のアキツ国内でライセンス生産された(165-40)。
また、Yu-231F/Aのエンジンはアキツ政府がライセンスを購入し、戦時中のアキツ国内でライセンス生産された(165-40)。
- 諸元
最高速度:613km/h 上限高度:9000m 航続距離:1400km エンジン:空冷双発 武装:13mm機銃×6
運動性:普通 上昇速度:悪い 操縦性:良い 防御力:普通 整備性:少し良い 生産性:普通
運動性:普通 上昇速度:悪い 操縦性:良い 防御力:普通 整備性:少し良い 生産性:普通
Yu-233DF/天風
スズカ・ユティッシ重工の四日市工場が中心となって設計した艦上戦闘機。実質的な零戦の後継機となった。
この時期のユティッシ重工はYu-229YFが落選し、Yu-231F/Aは戦闘爆撃機として採用されたもののラズワルド航空技研の存在を考えるといまいちパッとしなかった。中東諸国では売れているが、本国での実績がろくにない状態であった。故にスズカ・ユティッシ重工は列強国での実績を欲し、目を付けたのがアキツ海軍であった。この時期のアキツ海軍の主力機として採用されていた零式艦上戦闘機、その製造元である三菱重工はエンジンを巡る議論や相次ぐ零戦の改修の影響で零戦の後継艦上戦闘機の設計が停滞していた。
そこでその間隙を付いて新規設計の艦上戦闘機をねじ込み、契約を取ることで実績を示し、本国での評価に繋げるという何とも回りくどい企みを実行することにしたのだ。この新型戦闘機はYu-233DFの仮称が与えられ開発が進んだ。アキツの技術力で想定通りの性能を発揮することに苦労したり、途中で要求性能が変わるなどの事件もありつつ、鹵獲したF4F-4の設計の長所を取り入れ、試作三号機が満足のいく性能を発揮し、1942年10月にアキツ海軍の高官達の前で披露されてその高速性と整備性の良さを買われて制式採用が決定、天風の名が与えられた(150-78)。
機体特性は零戦から大きく変化した高速一撃離脱型の機体であったが、それ以上に高性能な機体であった。
なお、生産は制式採用を見越してユティッシ重工側で既に生産ラインが用意されており、翌月の1942年11月には天鸞航空隊など一部部隊で機種転換訓練が始まっている(150-81)。戦時中に勝手に何をやっているこの馬鹿は…
初期生産型20機が配備された天鸞・雲鸞艦隊では熟練の天鸞搭乗員から「零戦の方が機敏に反応出来た」と不満の声が上がる一方で、新米パイロットが多い雲鸞航空隊は「これくらいが丁度良い」と操縦性を褒めた。また、600km/h超えの高速性と機体の頑丈さに由来する急降下性能の高さは共通して高く評価された。
戦時中のアキツでの総生産機数は9000-13500機と資料によって幅がある(150-120~121)。
エンジンはアキツでライセンス生産されたYu-231F/Aのエンジンを単発機向けに改良されたものと推測されている(165-55,115)。違うかも…(191-193)
ゆっくり解説 零を継ぐお雇い外国機「天風」①②
この時期のユティッシ重工はYu-229YFが落選し、Yu-231F/Aは戦闘爆撃機として採用されたもののラズワルド航空技研の存在を考えるといまいちパッとしなかった。中東諸国では売れているが、本国での実績がろくにない状態であった。故にスズカ・ユティッシ重工は列強国での実績を欲し、目を付けたのがアキツ海軍であった。この時期のアキツ海軍の主力機として採用されていた零式艦上戦闘機、その製造元である三菱重工はエンジンを巡る議論や相次ぐ零戦の改修の影響で零戦の後継艦上戦闘機の設計が停滞していた。
そこでその間隙を付いて新規設計の艦上戦闘機をねじ込み、契約を取ることで実績を示し、本国での評価に繋げるという何とも回りくどい企みを実行することにしたのだ。この新型戦闘機はYu-233DFの仮称が与えられ開発が進んだ。アキツの技術力で想定通りの性能を発揮することに苦労したり、途中で要求性能が変わるなどの事件もありつつ、鹵獲したF4F-4の設計の長所を取り入れ、試作三号機が満足のいく性能を発揮し、1942年10月にアキツ海軍の高官達の前で披露されてその高速性と整備性の良さを買われて制式採用が決定、天風の名が与えられた(150-78)。
機体特性は零戦から大きく変化した高速一撃離脱型の機体であったが、それ以上に高性能な機体であった。
なお、生産は制式採用を見越してユティッシ重工側で既に生産ラインが用意されており、翌月の1942年11月には天鸞航空隊など一部部隊で機種転換訓練が始まっている(150-81)。
初期生産型20機が配備された天鸞・雲鸞艦隊では熟練の天鸞搭乗員から「零戦の方が機敏に反応出来た」と不満の声が上がる一方で、新米パイロットが多い雲鸞航空隊は「これくらいが丁度良い」と操縦性を褒めた。また、600km/h超えの高速性と機体の頑丈さに由来する急降下性能の高さは共通して高く評価された。
戦時中のアキツでの総生産機数は9000-13500機と資料によって幅がある(150-120~121)。
エンジンはアキツでライセンス生産されたYu-231F/Aのエンジンを単発機向けに改良されたものと推測されている(165-55,115)。
ゆっくり解説 零を継ぐお雇い外国機「天風」①②
- 諸元
速度:626 km/h(アキツ海軍基準(151-144,152-53)) 上限高度:12000m 航続距離:1600km(増槽なし)(166-27) 運動性:普通 上昇速度:少し悪い 操縦性:普通 防御力:少し良い 整備性:少し良い 生産性:普通
武装:20mm機関砲×1 20mm機関砲×2(155-158〜162で修正、流石に液冷はないはず)、13mm機銃×2
爆装時:25番(250kg)×2、または50番(500kg)×1、または80番(800kg)×1(150-122,152-112)また、航続距離の減少はF4U-1の爆装時に準じると仮定(152-112)
武装:
爆装時:25番(250kg)×2、または50番(500kg)×1、または80番(800kg)×1(150-122,152-112)また、航続距離の減少はF4U-1の爆装時に準じると仮定(152-112)
AXYu
Yu-233DF/天風のアキツにおける機種記号。
A7Yuとされず、AXYuと本来ならば技術試験などの目的で輸入した機体に付けられる記号が付けられたのは一説によると零戦の構造設計を知ったユティッシ重工の技術者が「私は空力の真髄を見た」として、零戦の後継となる番号を付けられることを固辞したためと言われている(150-78~79)
A7Yuとされず、AXYuと本来ならば技術試験などの目的で輸入した機体に付けられる記号が付けられたのは一説によると零戦の構造設計を知ったユティッシ重工の技術者が「私は空力の真髄を見た」として、零戦の後継となる番号を付けられることを固辞したためと言われている(150-78~79)
天風一一型
天風一一甲型(仮称)
一一型に三式空六号無線電信機を装備し、夜間戦闘機として使用可能な改修を施された機体(190-178,191-25)。
天風二一型
未登場。
一一型から発着艦や空母運用に必要な装備を外し局地戦闘機として改修した機体(189-42~43,190-75,191-192)。
なお、局地戦闘機にすると名前被り(天雷)が発生する。
まぁ強風→紫電とかあるから…→天電になるかも?(191-192)
一一型から発着艦や空母運用に必要な装備を外し局地戦闘機として改修した機体(189-42~43,190-75,191-192)。
なお、局地戦闘機にすると名前被り(天雷)が発生する。
まぁ強風→紫電とかあるから…→天電になるかも?(191-192)
天風三二型
1943年末に登場すると思われる一一型の改修型(191-192)。
格闘戦能力が不足(アキツ軍基準)していた天風の弱点を補うため天風と同じような理由で川西航空機が開発していた局地戦闘機に搭載された手動式空戦フラップや自動空戦フラップを装備し、機体形状の洗練、軽量化が図られている(150-127~133,152-103~113,153-18,183-156,189-42)。
また、エンジンも初期の2000hp級から2200-2300hp級のエンジンに換装され、20-30km/hの速度向上が見込まれている(150-123,152-113,183-156)。
また、同年に成立したバーラト休戦により、ウマムスタン本国のユティッシ重工から提供された大型プロペラを基にプロペラの改修も行われ、上昇速度が向上している(155-61)。
太平洋戦争後期のアキツ海軍機動部隊の主力戦闘機を務めると思われる。
格闘戦能力が不足(アキツ軍基準)していた天風の弱点を補うため天風と同じような理由で川西航空機が開発していた局地戦闘機に搭載された手動式空戦フラップや自動空戦フラップを装備し、機体形状の洗練、軽量化が図られている(150-127~133,152-103~113,153-18,183-156,189-42)。
また、エンジンも初期の2000hp級から2200-2300hp級のエンジンに換装され、20-30km/hの速度向上が見込まれている(150-123,152-113,183-156)。
また、同年に成立したバーラト休戦により、ウマムスタン本国のユティッシ重工から提供された大型プロペラを基にプロペラの改修も行われ、上昇速度が向上している(155-61)。
太平洋戦争後期のアキツ海軍機動部隊の主力戦闘機を務めると思われる。
天風五二型
1943年末に登場すると思われる二一型の改修型(191-192)。
基本的な改修点は三二型に準じると思われるが、三二型と違い、防御力と火力が増加するダートの大型爆撃機に対抗するため、こちらも武装の改修が行われるかも?
基本的な改修点は三二型に準じると思われるが、三二型と違い、防御力と火力が増加するダートの大型爆撃機に対抗するため、こちらも武装の改修が行われるかも?
天風〇〇型
登場時期不明。
武装を20mm機関砲×2、13mm機銃×2から20mm機関砲×4に換装し、火力向上を図った機体(153-136)。
武装を20mm機関砲×2、13mm機銃×2から20mm機関砲×4に換装し、火力向上を図った機体(153-136)。
Yu-234YF
1943年にスズカ・ユティッシ重工が開発した液冷単発の戦闘機。二重反転プロペラを採用したエンテ型の戦闘機であり、ウマムスタンのレシプロ戦闘機としては最速。
その性能に惚れ込んだスズカ・ユティッシ重工上層部は空軍コンペでの勝利を確実なものとするべく、シオン人義勇航空部隊にパイロット付きで機体を納入することで
審査中に実戦投入を行うという離れ業をやってのけ、実際に活躍したものの、最終的にはCak-123Fの存在や生産性が悪いことで採用を見送られ、航空博物館送りにされた。
なお、搭載されていた試作液冷エンジンは後に安定性や3000馬力への強化を行われた改良型が1944年より生産されたDe-3F-32に採用されている(150-194)。
その性能に惚れ込んだスズカ・ユティッシ重工上層部は空軍コンペでの勝利を確実なものとするべく、シオン人義勇航空部隊にパイロット付きで機体を納入することで
審査中に実戦投入を行うという離れ業をやってのけ、実際に活躍したものの、最終的にはCak-123Fの存在や生産性が悪いことで採用を見送られ、航空博物館送りにされた。
なお、搭載されていた試作液冷エンジンは後に安定性や3000馬力への強化を行われた改良型が1944年より生産されたDe-3F-32に採用されている(150-194)。
1943年3月のバンダレ・アッバース訪問時(スレ159,160,161)、ウマムスタン海軍とアキツ海軍の親善行事の一つとして模擬空戦が行われたが、この際アキツ海軍航空隊の駆るユティッシ重工製のYu-233DF/天風がチャックマク設計局製のCak-120DFに完敗(ウマムスタン側が海軍の最精鋭部隊であり、アキツ側の空戦戦術の遅れや、両機の特性の違いなどもある)し、この結果がアキツ本国に伝われば自社の開発力が疑われると焦ったユティッシ重工側が実戦投入したばかりの新型機である本機の現物を一機アキツ側に譲渡し、技術力アピールを行っている(161-32~44)。
- 諸元
最高速度:759km/h 上限高度:14000m 航続距離:1100km エンジン:液冷単発+二重反転プロペラ 武装:20mm機関砲×4
運動性:普通 上昇速度:少し良い 操縦性:少し良い 防御力:少し悪い 整備性:少し悪い 生産性:荼毘に付した
運動性:普通 上昇速度:少し良い 操縦性:少し良い 防御力:少し悪い 整備性:少し悪い 生産性:荼毘に付した
Mitsubishi A6M(零式艦上戦闘機)
WWⅡ時にアキツ帝国の三菱重工が開発した艦上戦闘機。零戦の略称で呼ばれる。
太平洋戦争開戦以来、真珠湾奇襲を始めとした多くの戦いでアキツ空母機動部隊の主力艦載機として快進撃を支えたが、ダート海軍の主力艦載機F4Fと比べて生産時の工数の多さや相次ぐ問題発覚による改修などにより、1942年11月に生産開始された後継機である天風の登場で1943年半ばを境に空母機動部隊の主力の座を譲った(150-81)。
なお、後継機である天風のほぼ倍の航続距離という利点は失っていないため、陸上基地から出撃する陸攻の護衛機としては引き続き使用される模様。
太平洋戦争開戦以来、真珠湾奇襲を始めとした多くの戦いでアキツ空母機動部隊の主力艦載機として快進撃を支えたが、ダート海軍の主力艦載機F4Fと比べて生産時の工数の多さや相次ぐ問題発覚による改修などにより、1942年11月に生産開始された後継機である天風の登場で1943年半ばを境に空母機動部隊の主力の座を譲った(150-81)。
なお、後継機である天風のほぼ倍の航続距離という利点は失っていないため、陸上基地から出撃する陸攻の護衛機としては引き続き使用される模様。
Mitsubishi A7M (烈風)
WWⅡ時にアキツ帝国の三菱重工が開発した艦上戦闘機。
史実では量産が間に合わなかったが、天風の登場や彗星、天山の開発加速などにより、ダート側が対抗して投入してきた新型機に対抗するべく、開発が間に合った模様(167-93)。
史実では量産が間に合わなかったが、天風の登場や彗星、天山の開発加速などにより、ダート側が対抗して投入してきた新型機に対抗するべく、開発が間に合った模様(167-93)。
Mitsubishi G4M(一式陸上攻撃機)
WWⅡ時にアキツ帝国の三菱重工が開発した陸上攻撃機。スレ内では一式陸攻の略称で呼ばれる。
太平洋戦争開戦時から海軍航空隊の主力攻撃機として、南方の快進撃を支え、世界で初めて「航行中の戦艦を航空機だけで撃沈」することに成功するなど、多くの戦いで活躍した。
1943年11月に発生した中部太平洋海戦においては、航空電探を搭載した本機が遠距離からダートの侵攻部隊主力を発見し、アキツ機動部隊による先制攻撃を成功させ、マーシャル諸島マロエラップ環礁から飛来した本機を使用した基地航空隊がダート機動部隊への高空からの水平爆撃を成功させ、空母2中破、駆逐艦1轟沈の大戦果を挙げている(184-192スレ)。
太平洋戦争開戦時から海軍航空隊の主力攻撃機として、南方の快進撃を支え、世界で初めて「航行中の戦艦を航空機だけで撃沈」することに成功するなど、多くの戦いで活躍した。
1943年11月に発生した中部太平洋海戦においては、航空電探を搭載した本機が遠距離からダートの侵攻部隊主力を発見し、アキツ機動部隊による先制攻撃を成功させ、マーシャル諸島マロエラップ環礁から飛来した本機を使用した基地航空隊がダート機動部隊への高空からの水平爆撃を成功させ、空母2中破、駆逐艦1轟沈の大戦果を挙げている(184-192スレ)。
一式陸上攻撃機二二甲型
一式陸上攻撃機二二型の小改良型。三式空六号無線電信機を装備し、早期警戒機(AEW)としての役割を果たす。アキツ初の早期警戒機。
この型が装備している三式空六号無線電信機は、ウマムスタンとの技術交流や海軍上層部の電探に対する評価見直しにより、1943年11月には太平洋各地の基地に存在する一式陸上攻撃機に配備が行われるペースで開発が加速した。
また、性能は港湾に対し150km、大型艦艇100km、小型艦50kmというカタログスペック通りの探知性能を発揮し、波長の短波化と送信出力の強化の両立に成功したため、レーダーディスプレイにPPIスコープを採用した結果、視認性が大幅に上がっている。(184-186~192,185-5~7)
この型が装備している三式空六号無線電信機は、ウマムスタンとの技術交流や海軍上層部の電探に対する評価見直しにより、1943年11月には太平洋各地の基地に存在する一式陸上攻撃機に配備が行われるペースで開発が加速した。
また、性能は港湾に対し150km、大型艦艇100km、小型艦50kmというカタログスペック通りの探知性能を発揮し、波長の短波化と送信出力の強化の両立に成功したため、レーダーディスプレイにPPIスコープを採用した結果、視認性が大幅に上がっている。(184-186~192,185-5~7)
Mitsubishi F1M(零式観測機)
WWⅡ時にアキツ帝国の三菱重工が開発した水上観測機・偵察機。零観の略称で呼ばれる。
本来は短距離偵察や戦艦の着弾観測を目的とした機体だったが、WWⅡではほぼその機会がなく高い格闘戦性能を活かした防空任務や、対潜哨戒、偵察任務で主に使用された。
スレ内でも1942年8月に発生した第二次ソロモン海戦(スレ144)において、サラトガ・エンタープライズを含むダート任務部隊主力を発見するという活躍を見せている(144-146)。
上記の通り、史実では本来の任務の場を失った本機であった…だが基準世界では違う(ギュッ
1943年11月に発生した中部太平洋海戦におけるアキツ-ダート戦艦部隊同士の白昼の砲撃戦において、本機はその本来の性能を発揮、アキツ軍戦艦部隊が砲撃戦を制するのに大きく貢献した。また、至近距離からダート戦艦が轟沈・撃沈、炎上する様を捉えた記録映像はアキツ国内で戦時ニュースとして大きく報道された(186-189スレ)。
本来は短距離偵察や戦艦の着弾観測を目的とした機体だったが、WWⅡではほぼその機会がなく高い格闘戦性能を活かした防空任務や、対潜哨戒、偵察任務で主に使用された。
スレ内でも1942年8月に発生した第二次ソロモン海戦(スレ144)において、サラトガ・エンタープライズを含むダート任務部隊主力を発見するという活躍を見せている(144-146)。
上記の通り、史実では本来の任務の場を失った本機であった…だが基準世界では違う(ギュッ
1943年11月に発生した中部太平洋海戦におけるアキツ-ダート戦艦部隊同士の白昼の砲撃戦において、本機はその本来の性能を発揮、アキツ軍戦艦部隊が砲撃戦を制するのに大きく貢献した。また、至近距離からダート戦艦が轟沈・撃沈、炎上する様を捉えた記録映像はアキツ国内で戦時ニュースとして大きく報道された(186-189スレ)。
Mitsubishi Ki-21(九七式重爆撃機)
WWⅡ時にアキツ帝国の三菱重工が開発した双発爆撃機。
陸軍の要望に応え、対ウマエト戦を想定した中山大陸での運用を考えた設計をしており、太平洋戦争勃発後は想定していなかった島嶼戦闘に対応しきれず活躍の場は限定的なものとなった。
しかし、その高速性と汎用性から輸送機型である一〇〇式輸送機も採用されるなど基礎設計は優秀なものだった。
スレ内ではアキツ軍の重慶爆撃の場面で登場した(196-8)。
陸軍の要望に応え、対ウマエト戦を想定した中山大陸での運用を考えた設計をしており、太平洋戦争勃発後は想定していなかった島嶼戦闘に対応しきれず活躍の場は限定的なものとなった。
しかし、その高速性と汎用性から輸送機型である一〇〇式輸送機も採用されるなど基礎設計は優秀なものだった。
スレ内ではアキツ軍の重慶爆撃の場面で登場した(196-8)。
Aichi D3A(九九式艦上爆撃機)
WWⅡ時にアキツ帝国の愛知航空機(開発時は親会社である愛知時計電機からの独立前)が開発した艦上爆撃機。スレ内では略称である九九艦爆の名で表記される。
太平洋戦争開戦以来、真珠湾奇襲を始めとした多くの戦いでアキツ空母機動部隊の主力艦載機として快進撃を支えたが、1942年8月に配備開始された後継機である彗星の登場でガダルカナル島を巡る戦い(ガタルカナル島沖航空戦)(スレ146,147)を境に空母機動部隊の主力の座を譲った(後付け)(164-161)。
なお、新型の彗星を運用できない小型空母や護衛空母、地上基地での運用は継続されるため、おそらく史実通り終戦まで酷使される模様。
史実では250kg爆弾までしか搭載できなかったのに対し、ウマムスタン世界ではウマムスタンの航空機技術(他の流れを見るにユティッシ?)が渡ったことにより500kg爆弾を装備可能となった。ニューギニア沖海戦ではこの500kg爆弾がレキシントン撃沈に大きな役割を果たすこととなった。
太平洋戦争開戦以来、真珠湾奇襲を始めとした多くの戦いでアキツ空母機動部隊の主力艦載機として快進撃を支えたが、1942年8月に配備開始された後継機である彗星の登場でガダルカナル島を巡る戦い(ガタルカナル島沖航空戦)(スレ146,147)を境に空母機動部隊の主力の座を譲った(後付け)(164-161)。
なお、新型の彗星を運用できない小型空母や護衛空母、地上基地での運用は継続されるため、おそらく史実通り終戦まで酷使される模様。
史実では250kg爆弾までしか搭載できなかったのに対し、ウマムスタン世界ではウマムスタンの航空機技術(他の流れを見るにユティッシ?)が渡ったことにより500kg爆弾を装備可能となった。ニューギニア沖海戦ではこの500kg爆弾がレキシントン撃沈に大きな役割を果たすこととなった。
Aichi B7A(流星)
WWⅡ時にアキツ帝国の愛知航空機(開発時は親会社である愛知時計電機からの独立前)が開発した艦上攻撃機。
1943年11月25日にマキン環礁攻略直後のダート任務部隊への空襲で初登場…することはなかった(184-64~78)。何もなかった、イイネ?
1943年11月25日にマキン環礁攻略直後のダート任務部隊への空襲で初登場…することはなかった(184-64~78)。
Yokosuka D4Y(彗星)
WWⅡ時にアキツ帝国の海軍航空技術廠が開発した艦上爆撃機。九九艦爆の後継機として開発された。
試作機である十三試艦上爆撃機の開発は1938年に始まり、史実通りエンジンはダイムラー・ベンツ社のDB601Aをライセンス生産したアツタエンジンが採用されたが、エンジンのライセンスをアキツ政府で統一し、製造に必要な希少金属(ニッケル)と高性能な過給機をウマムスタンとの貿易とライセンス契約で確保できたことで、史実通りのエンジン(モーター出力とバッテリー容量がしょぼい)が早期に生産の目途がつき、試験飛行中に強度問題が発覚したがエンジン生産に余裕があったこと&アキツ海軍の空母で油圧カタパルトの運用が始まっていたことで機体重量に余裕があったことで再設計の余裕が十分あり、艦上偵察機型の二式艦上偵察機が生産開始した三か月後の1942年2月に生産開始され、1942年8月に各部隊で運用開始(史実より1年以上の開発期間短縮&南太平洋海戦に間に合う)された(164-130~161)。
1943年3月に発生した第二次セイロン沖海戦では東洋艦隊A部隊撃滅に大きな役割を果たした(後付けされた記憶)(164-161)。
1943年11月11日に発生した第三次ブーゲンビル島沖航空戦にて、天鸞航空隊所属の本機が体当たり攻撃を行い、ダート海軍の空母エセックスを大破させるという戦果を挙げる。この攻撃を巡っては当時のアキツ海軍内部でも賛否両論あり、パイロットの人命軽視を否定した一派は対艦誘導弾開発を促進していった(166-85~95,167-25)。
1943年11月25日に発生したアキツ・ダート両海軍の戦艦同士による砲撃戦で戦艦インディアナ轟沈の瞬間を彗星の搭乗員が撮影しており、内地での報道やニュース映画で使用された(189-34)。
試作機である十三試艦上爆撃機の開発は1938年に始まり、史実通りエンジンはダイムラー・ベンツ社のDB601Aをライセンス生産したアツタエンジンが採用されたが、エンジンのライセンスをアキツ政府で統一し、製造に必要な希少金属(ニッケル)と高性能な過給機をウマムスタンとの貿易とライセンス契約で確保できたことで、史実通りのエンジン(モーター出力とバッテリー容量がしょぼい)が早期に生産の目途がつき、試験飛行中に強度問題が発覚したがエンジン生産に余裕があったこと&アキツ海軍の空母で油圧カタパルトの運用が始まっていたことで機体重量に余裕があったことで再設計の余裕が十分あり、艦上偵察機型の二式艦上偵察機が生産開始した三か月後の1942年2月に生産開始され、1942年8月に各部隊で運用開始(史実より1年以上の開発期間短縮&南太平洋海戦に間に合う)された(164-130~161)。
1943年3月に発生した第二次セイロン沖海戦では東洋艦隊A部隊撃滅に大きな役割を果たした(後付けされた記憶)(164-161)。
1943年11月11日に発生した第三次ブーゲンビル島沖航空戦にて、天鸞航空隊所属の本機が体当たり攻撃を行い、ダート海軍の空母エセックスを大破させるという戦果を挙げる。この攻撃を巡っては当時のアキツ海軍内部でも賛否両論あり、パイロットの人命軽視を否定した一派は対艦誘導弾開発を促進していった(166-85~95,167-25)。
1943年11月25日に発生したアキツ・ダート両海軍の戦艦同士による砲撃戦で戦艦インディアナ轟沈の瞬間を彗星の搭乗員が撮影しており、内地での報道やニュース映画で使用された(189-34)。
D4Y1-C(二式艦上偵察機)
彗星の艦上偵察機型。
史実通り、1941年11月に生産開始され、1942年5月に各部隊で運用開始された(164-158)。
1943年3月に発生した第二次セイロン沖海戦では、第一次攻撃後、艦隊温存のため反転撤退する東洋艦隊A部隊を発見している(155-103)。
史実通り、1941年11月に生産開始され、1942年5月に各部隊で運用開始された(164-158)。
1943年3月に発生した第二次セイロン沖海戦では、第一次攻撃後、艦隊温存のため反転撤退する東洋艦隊A部隊を発見している(155-103)。
彗星一一型
所謂、初期生産型。
基準世界ではアツタエンジンの改善もあり、1942年2月から生産された(164-130~161)。
基準世界ではアツタエンジンの改善もあり、1942年2月から生産された(164-130~161)。
彗星〇〇型
三式空六号無線電信機を装備し、夜間爆撃機として使用可能な改修を施された機体(190-178~181,191-25)。
Nakajima B5N(九七式艦上攻撃機)
WWⅡ時にアキツ帝国の中島飛行機が開発した艦上攻撃機。スレ内では略称である九七艦攻の名で表記される。
太平洋戦争開戦以来、真珠湾奇襲を始めとした多くの戦いでアキツ空母機動部隊の主力艦載機として快進撃を支えたが、1942年7月に配備開始された後継機である天山の登場でFS作戦開始(スレ143)を境に空母機動部隊の主力の座を譲った(後付け)(165-52)。
太平洋戦争開戦以来、真珠湾奇襲を始めとした多くの戦いでアキツ空母機動部隊の主力艦載機として快進撃を支えたが、1942年7月に配備開始された後継機である天山の登場でFS作戦開始(スレ143)を境に空母機動部隊の主力の座を譲った(後付け)(165-52)。
Nakajima B6N(天山)
WWⅡ時にアキツ帝国の中島飛行機が九七艦攻の後継機として開発した艦上攻撃機。
試作機である十四試艦上攻撃機の開発は1940年5月に始まり、エンジンはユティッシ重工との技術協力などもあり、護エンジンの開発に成功し、さらに出力や信頼性の改善に成功(兎国展開)したことでそのまま採用。
1941年5月に試験機の初飛行にこぎつけると、試験中に発覚した左回頭の解消には時間がかかったが、それ以外に関してはエンジンがかなりすんなり決まった分、機体強度を何度も計算出来る余裕があり、機体強度が再計算された結果、史実より早く諸問題点の解決に成功した。
また、エンジンの出力が向上したことでそもそも離陸滑走距離の問題は発生しなかった。
生産は1941年10月に始まったが、ユティッシ重工から品質管理体制を導入したことで初期不良品を除いた結果、各部隊での運用は1942年7月までずれ込み、MI作戦には間に合わなかった(165-24~52)。
試作機である十四試艦上攻撃機の開発は1940年5月に始まり、エンジンはユティッシ重工との技術協力などもあり、護エンジンの開発に成功し、さらに出力や信頼性の改善に成功(兎国展開)したことでそのまま採用。
1941年5月に試験機の初飛行にこぎつけると、試験中に発覚した左回頭の解消には時間がかかったが、それ以外に関してはエンジンがかなりすんなり決まった分、機体強度を何度も計算出来る余裕があり、機体強度が再計算された結果、史実より早く諸問題点の解決に成功した。
また、エンジンの出力が向上したことでそもそも離陸滑走距離の問題は発生しなかった。
生産は1941年10月に始まったが、ユティッシ重工から品質管理体制を導入したことで初期不良品を除いた結果、各部隊での運用は1942年7月までずれ込み、MI作戦には間に合わなかった(165-24~52)。
なお、この天山開発中のユティッシ重工との技術交流を通して、中島飛行機が開発中だった誉エンジンの品質低下問題は事前に解決し、ユティッシ重工が売り込んできていたYu-231F/Aエンジンは中島飛行機上層部を通して、アキツ政府に口利きされライセンス生産が決定。アキツ政府が一括して製造権を購入した。(中島飛行機側の生産リソース不足)(165-40)
天山一一型
所謂、初期生産型。
基準世界では護エンジンの改善もあり、1941年10月から生産された(165-24~52)。
基準世界では護エンジンの改善もあり、1941年10月から生産された(165-24~52)。
天山一二型
天山一二型甲
三式空六号無線電信機を装備し、夜間攻撃機として使用可能な改修を施された機体(190-178~181,191-25)。
旋回機銃の改修などは史実通りと思われる。
旋回機銃の改修などは史実通りと思われる。
Grumman F4F Wildcat
WWⅡ時にダート合衆国のグラマン社が開発した艦上戦闘機。
ダート海軍の主力艦上戦闘機としてダート任務部隊の防空を担当していたが、太平洋戦争初期はアキツ海軍の零戦に性能的に劣っており苦戦を強いられた。
その後、ほぼ無傷で鹵獲した零戦の分析による対零戦戦術の確立や改修により、零戦相手にも劣らぬ性能を発揮したが、後継機であるF6Fの登場により主力艦上戦闘機の座を譲った。
ダート海軍の主力艦上戦闘機としてダート任務部隊の防空を担当していたが、太平洋戦争初期はアキツ海軍の零戦に性能的に劣っており苦戦を強いられた。
その後、ほぼ無傷で鹵獲した零戦の分析による対零戦戦術の確立や改修により、零戦相手にも劣らぬ性能を発揮したが、後継機であるF6Fの登場により主力艦上戦闘機の座を譲った。
なお、1942年9月に発生したガダルカナル島を巡る戦い(ガタルカナル島沖航空戦)(スレ146,147)の最中、編隊から逸れ母艦と間違えて空母コンコードに誤着艦したアキツ軍パイロットによって脱出の際に一機が強奪され、アキツ軍に改修されたばかりの無傷の新型機が渡ってしまった事件がある(148-111~122)。
F4F-3
F4Fの最初期型。
ウェーク島で地上撃破された本機の残骸の一部がウマムスタンへ渡り、後々のKar-23などといった戦闘機の艦載型の設計に役立てられた(ウェーク・キャット)(140-131~133)。
ウェーク島で地上撃破された本機の残骸の一部がウマムスタンへ渡り、後々のKar-23などといった戦闘機の艦載型の設計に役立てられた(ウェーク・キャット)(140-131~133)。
F4F-4
F4Fの改修型。
この型から折り畳み翼機構が採用され、中高度向けの2段過給器付エンジンに換装され、出力が向上した。
上記の強奪事件によりアキツ軍に実機が渡ってしまい、Yu-233DF/天風の設計開発に利用された(ガダルカナル・キャットぇ…)(150-44)。
この型から折り畳み翼機構が採用され、中高度向けの2段過給器付エンジンに換装され、出力が向上した。
上記の強奪事件によりアキツ軍に実機が渡ってしまい、Yu-233DF/天風の設計開発に利用された(ガダルカナル・キャットぇ…)(150-44)。
MQ-90
アキツの自衛軍が開発した無人機。ウマムスタンが開発したYL-232XAC/E(シームルグ)の搭載機として採用された(44-87)。元ネタ『エースコンバット イカロス・イン・ザ・スカイ』的にはダートとアキツが共同開発した機体がベースとなっている。