電波少年的懸賞生活

登録日:2011/06/17(金) 01:05:29
更新日:2024/02/23 Fri 19:06:57
所要時間:約 4 分で読めます





『電波少年的懸賞生活』は、かつて日テレで放送されていたバラエティー番組「電波少年」にてやっていた企画。
かなりの人気を誇っており、ゲーム化もされた。

◇企画の内容

オーディションとして集まった場でくじ引きを引いた参加者たちの中から、見事当たりを引いたお笑いタレント(当時。本業は後述)のなすびが、「人は懸賞だけで生きて行けるか?」をテーマに挑戦。
コンセプトはヒッチハイクに対する「内なる旅」。
すっぽんぽんになり*1、アパートの一室にてラジオや雑誌を通して懸賞に応募、あとは当選を待つ。
因みに当選したら必ず儀式として当選の舞いを披露するのがキマリになっている。総額100万円達成したらゴール。
その後、舞台をソウルに変えた電波少年的懸賞生活inKoreaも企画され、その時はソウルから東京迄の飛行機代を稼げばゴールだった*2
当選するか否かがその後の生活を大きく左右するまさに運ゲー。
なお番組には出なかったが食料として乾パンなどが支給されており、当座はそれでしのいでいたと日記などから読み取れる。
なんとしてでも当選したいがために本名の文字を一文字変えて応募したこともあった。企画中は応募先にバレてはいけないため本名(浜津智明)は公表していなかった。

◇日本での懸賞生活で当てた物(一部)

●ファイバーゼリー
記念すべき当選第1号。

●黒のTバック
しかし、小さ過ぎて穿けなかった。

●お米
念願の主食だが、炊く手段がなかったためそのままかじったりお湯につけたりの試行錯誤の果て、パックに水と一緒に入れてガス代ののそばにおいてその熱で調理することで食せるようになった。
その後空き缶を鍋にすることでお粥が作れるようになり、食料として完成する。

●びーなす(アシカのぬいぐるみ)

●フォーク・スプーン・ナイフの食器セット
これが当たる前は、ボールペンを箸代わりにして食事していた。

●ドックフード
食っちゃった…。しかもおいしかった…。

●バーベキューセット
これについていた網を使って、肉等を焼いて食べた。

●テレビ
●中華まんセット
●広末涼子のポスター

プレイステーション
電車でGO!
懸賞の応募も忘れ、3日間やりっぱなしだった。
結果、「禁プレステ」と貼り紙をして封印。

●合鴨肉
●西瓜

●ウィダーinゼリー
大切な儀式を忘れてしまう程甘かった…。そして大変な事になってしまった…。

ポテチ一箱
運気を上げる為にお引っ越し。その第一号として当てた。

●餡蜜セット
お引っ越しくん第二号。

●ビーフステーキ
ポテチの袋を皿代わりにし、ビバルディの「春」を流しながら優雅なディナー▼

●トイレットペーパー
ブリ!ブリ!ブリ!ぷぅ~。


等々。


◇ソウルでの懸賞生活で当てた物

●キムチ
お約束だね…。

●焼き網
これで色んな物が焼けるよ!やったね!

●テレビ
「あ、アンパンマン!アンタこんなところで何やってんの!?」

●竹刀
焼き網を面に「メ~ン、メ~ン!!」

●豚のカルビ

●キビ一袋
キムチを乗せて、キムチキビの完全▼

バナナ一箱
Cの某妖怪格闘ゲームの雪男もビックリ!大量のバナナ!
因みに焼き網で一本焼いた。感想
「もう二度とバナナを焼きたいなんて思いません。」

●生蛸
勿論焼き網の上で美味しく焼き上げました▼

等々。


◇紙物系役立たず当選の嵐
ウィダーinゼリーを当てた時、余りの旨さになすびは大切な儀式・当選の舞いを忘れてしまう…。
そして懸賞の神様は静かになすびの部屋から出て行った…。
それからという物、全く役に立たない紙物系ばっかりが当たってしまう日々が続いた。

ストン!

当選の舞いをしなかった祟りが当たったのか!?

英会話教室の案内や自動車学校のパンフレット、はたまた映画の招待券…ではなく割引券…。
「招待券ならまだしも…割引券…orz」

流石のなすびも遂にブチギレ。

「お前なんか当選物でも何でもねぇんだよ!!」

結果、運気を上げる為にお引っ越しをする事になったのであった。

◇毛糸のパンツ
当選物……だがなすび自身も応募した記憶がなかった。
実はいつも全裸のなすびへの、番組司会の松本明子からのプレゼント。

首を傾げながら履いてみるも、ちくちくして痛いということで早々になすびは全裸に戻ってしまう。

◇海外での評判
アメリカ等でも多く取り上げられ、メディアからは「日本の変な人」と評価された。


◇その後
ちなみになすびは、企画終了後のインタビューにて、「また似たような企画があったらやってみたいか?」という質問に対し、
「もう金輪際やりたくありません!」ときっぱり答えている。
そりゃそうだ。
どこまで本気なのか、後述のエベレスト登山より辛かったとの事である。
現在でも手書きでハガキを書くことがトラウマになっていると福島県ローカルのラジオ番組で語っている。

また、元々喜劇俳優志望だったなすびは、この番組で根付いた自分のイメージと元々自分がやりたかった事のギャップが悩みの種となってしまったらしく、
現在もいまいちいい思い出としては捉えていない様子。
なお現在は喜劇俳優としてのを叶え、舞台を中心に活躍中。故郷の福島県ではテレビの情報番組のコメンテーターや、ラジオのワイド番組のパーソナリティも担当している。
2011年の東日本大震災以降は、故郷の福島県を中心にボランティア活動を行うなど精力的に活動している。
また2016年にはエベレスト登頂を果たし、2020年のコロナ禍では自身のTwitterにこの番組の体験を絡めたツイートをしそれぞれ話題となった。
2023年にはイギリスでなすびの半生を題材にしたドキュメンタリー映画「ザ・コンテスタント」が制作され、トロント国際映画祭でプレミア公開され、ワールドプレミア上映が2回ともソールドアウトするなど反響を呼んだ。
2024年の元日に発生した能登半島地震のボランティアで富山県を訪問した際、NHKのニュースで「なすびさん」ではではなく、「東京から参加した人」と紹介され話題になった。本人は特に気にしていない模様。



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最終更新:2024年02月23日 19:06

*1 当然股間の部分は茄子のマークで隠された

*2 飛行機代としか告げていなかったため、クラスもエコノミー→ビジネス→ファーストとつり上がっていき、最終的には100万近いパリ経由になったが、勘付かれてしまいファーストクラスまでとなった。ただし、実際のところは入国審査の関係と周囲にバレないようにするため、空路ではなく釜山から下関までフェリーで帰国した。