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ミスミ(北斗の拳)

登録日:2009/08/17 Mon 10:40:18
更新日:2026/07/25 Sat 00:51:20
所要時間:約 3 分で読めます




北斗の拳の登場人物。
1巻に出てすぐ死んだ。



追記編集お願いしますm(_ _)m












北斗の拳の登場人物で、モブキャラの一人。
通称:種モミ、ミスミのじいさん。
CV:槐柳二(アニメ板)、茶風林(PSゲーム)、平井啓二(真・北斗無双)、浦山迅(北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR-)

ただ、そのセリフや考え方やその他インパクトが重なってかなり記憶に残るキャラとなっている。

世紀末では珍しい知識人(?)であり、
種モミを蒔く→米が育つ→食糧が今よりいっぱいに→収穫した種モミを蒔く→収穫→…
というように食糧の面から平和について真剣に考えていた。

ここでは世紀末の気候やらについては考慮しないことにして。



世は世紀末、やはりこういう人間から死んでいくのである。

不幸な時代だ!善人ほど早死にする!!

ミスミのじいさん伝説編

~爺の登場~
KING四天王の一人、スペードによって追い回されていた。
スペードはミスミのじいさんの持っていたわずかな種モミを狙って追いかけていたが、途中乱入してきたケンシロウがスペードを撃退、ミスミのじいさんは救われるのである。
ここでの
「今日より明日なんじゃ!」
は一介のモブが発言したとは思えないくらいまともな発言・名言であり、ケンシロウの心を動かし、「久々に人を見た」と言わせるほどで、また読者の記憶にも残ることとなった。
彼のそのひたむきさはケンシロウの心すら解し「久しぶりに人間に出会った」とまで言わせた。
バット「え?俺は人間じゃないの?」*1



~爺の帰還~
ケンシロウにおぶられてミスミのじいさんは村に生還することとなる。
半年探して見つかった種モミのおかげで村は救われる希望が見え、村人も歓喜し、ミスミのじいさんも涙を流して喜んだ。


~爺の死~
しかし、まだ終わっていなかった。
ケンシロウに撃退、右目を負傷したスペードが復讐として村を襲撃する。
そしてミスミのじいさんもスペードに発見され、殺害されてしまう…


怒りのケンシロウがスペードを抹殺した後、ミスミのじいさんの墓を作る。
その墓にケンシロウは種モミを蒔く。
「ケッ!そんな処にまいたって実るわけねぇさ!」

「実るさ…」

「下にあの老人が眠っている…」






















つまり種モミはじいさんの死体の養分を吸って育つということですね! わかります!


「眠ってるって……そ、それじゃ肥料になるのは……!」
わしの死体か、世紀末農法は過酷だのぉ…







以上がミスミのじいさんの生涯である。
私たちは平和のために殉じた一人の漢を忘れないだろう…!

因みにバンダイの世紀末救世主伝説ではスミス爺さんになっている。
アニメでもスミスだった。

北斗無双では種もみのセリフを若い民が言ったため出番は無し。
しかも種もみは食われてしまっている。

クソゲーで有名なFCの北斗の拳ではミスミの墓が登場するが、なんと墓の周りには稲らしき植物が実っている

だいたいあってないことで有名なFC版北斗の拳3にも登場する。
なんと一度ここ連れてこられたら二度と外へはでられねぇと言われるサザンクロスに単身潜入して種籾を奪取して帰ってくるという偉業を成し遂げる。(ただしその後その種籾を奪われ寝込むというメンタルの弱さを見せる)
種籾は奪われるも本人は死んでおらず健在。ストーリーを進めても死ぬ事はない。

一部で有名な世紀末スポーツアクション では、初心者のことを種籾と呼ぶ。
これは、上級プレイヤーを「修羅」(もしくは伝承者)、一般プレイヤーを「モヒカン」にたとえ、「修羅はおろかモヒカンにすら一方的に狩られる存在」という意味である。

余談であるがこの話の元ネタは、作者が自衛官時代にカンボジアへの派遣中に「種籾を抱えながら死んだ難民」を見た経験から書かれたそうである。
…身も蓋もないことを言うと、水源が枯れ土壌も汚染された世紀末世界において水を大量に必要とする米をまともに育てるのは困難を極める上、後に荒れ地を蘇らせ「明日の食糧」を作れるようにした者もいたものの新たな地獄ができただけで終わってしまったので、、ミスミが求めていた「明日」は元々空想に過ぎなかったのかもしれない。




今日の全消しよりも明日の追記・編集なんじゃ!

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最終更新:2026年07月25日 00:51

*1 もっとも、初期のバットも時代が時代故仕方ない事情があるとは言え詳しくはリンク先に譲るが、大概ひとでなしな悪事を働き、なんなら生きるためにもはや人を捨てたまである精神性であったことは留意されたし。むしろこの「久しぶりに見た人間」に出会えたことで悔恨から改心し、今の心優しい少年であるバットの人格が形成されていったとも解釈できるだろう。